人生の恩師、家庭教師の先生との別れ
とりあえず、高校には受かった。
それも、俺が、内心以前から憧れ続けた高校で当時の俺の気分はもう、長い氷河期から、目覚めた様な気持ちで、クソつまらなかった、中学生活から開放されるのに、お盆と正月が一度に来た様な気持ちで、心の中の気持ちは小春日和のインディアンサマーで最高だった。
やはり、春は出会いと別れの季節である。
孤独で、ヒネくれてて、無気力で、グレーな荒んだ、当時中2だった俺をココまで、導いてくれた、家庭教師の先生も、大学を卒業して就職することになった、また、俺も高校に受かったので、晴れて御役御免になったのである。
今、振り返っても、当時、ダチもいなくて、孤独な出口の無い真っ暗闇なトンネルをさまよってた、苦しくて、苦しくてたまらなかった、俺に、そのサワヤカで、またイケてる男の色気で、俺を引っ張ってくれて、勉強も、偏差値35から70まで、上げてくれて、また、何より一生モノであるギターを教えてくれて、孤独な荒んだ思春期から、俺に、青葉香る初夏の暖かいサワヤカな風を吹き付けてくれて、人生の希望みたいなモノが、実際に存在するのを教えてくれた大恩人である。
その先生と、別れの日がやってきた。
先生が、就職が決まった会社の近くに引っ越すことになったので、別れの挨拶に俺の家に来た。
先生は、俺の両親に丁寧に挨拶してから、俺の頭に手を置いて、
「烈士、スジ通して生きろよ、これからはオメーが、テメーの人生を切り拓いていくんだ、まだ、お前は真っ白なキャンパスだ、何色にもなれる、テメーに自信持って胸張って生きろ!」
と、言って、俺に、前から俺が、イイoverdriveが、効いて小さいのに、さすが、Marshallのアンプだと思ってた、そのMarshallのアンプを俺にくれた。
先生が、
「さすがに、俺のフライングVのギターは、あげられねーけど、俺の気持ちだ」
と言ってくれた。
大学生が、お金が無いのはいつの時代でも、同じだ。また、筆者は、お金に不自由しない学生生活なんて、逆に学生生活の楽しみが無いように思えて仕方ない。
その、先生が、俺に、Marshallのミニアンプをくれた。
当時、鉄の様に固かった俺の涙腺からは、涙が流れなかったが、生まれて初めて、人に感謝することを覚えて、また、最初から、飛び立つまで、ずっとカッコ良すぎた先生に感動して、胸の奥底から熱く込み上げるモノがあった。
そして、高校の1日入学。
服装検査。
普段のカッコで、短ランボンタンで行ったら、
高校の生活指導の先生が、
「君の中学では、こんな服装が、通るのかね?君の中学の来年の受験生は、少し考えないといけないね」
と、言われ、俺は、
「バカヤロー、知ったこっちゃねーよ‼︎」
と思ってた。
高校が始まるまで、後もう少しで、楽しくワクワクして仕方ない俺だった。