道
中3も、10月になり、進路指導の日が近付いてきた。
俺の偏差値は、家庭教師の先生のおかげで、最高70を推移していた。
35だった偏差値が、ここまで伸びたのは、先生の俺にギターを教えてくれるのをモチベーションになったのは言うまでもない。
そもそも、勉強に興味がなくて、今まで過去、小学生の頃にも、テストで、100点をとっても、親父に、褒めてもらえるかな⁈と思い、テストを張り切って見せても、
「それが、どうした?こんなもん、100点とれて、当たり前じゃい‼︎」
と、あしらわれて、幼心に、随分と、凹んで、俺は何をしたら褒めてもらえるのだろう?と傷付いたものである。
その、俺に、中学生になったら、手のひらを返した様に、
「勉強しろ!勉強しろ‼︎」
と、急に親父が息巻き出して、実際に、
「このクソ親父、随分と、調子イイじゃねーか⁈フザケンナよ‼︎」
と、思春期の入り口だった俺は、大人の手前勝手な、横暴な要求に辟易して、随分とシラけたものである。
親父は、中堅企業のエンジニアだった。
だから、俺に工業高校を、受験させたがる、また、日によっては、これからは、ITだとか言って、専門学校は、ITの専門学校だと、自分の思い付きで、テメーの調子ブッコク様な事を言う。
俺は、
「フザケンナ‼︎、テメーの道はテメーで、決めるゼ‼︎」と、内心冷めた目で親父を見ていた。
さて、いよいよ、進路を決めないといけなくなってきた。
俺の今の偏差値では、地元の難関進学校にも、スレスレ受かりそうな感じだ。親父が、息巻く工業高校も、他の商業高校も、また、私立の特進も余裕で、受かる感じだった。
家庭教師の先生は、親父に、俺に工業高校へ受かる様に、言われてた。
でも、先生は、俺に
「俺は、何言われてもイイから、烈士の行きたい高校に行きな、オメーの人生だ、ここまで来たのもオメーの実力だ、人生に一度しかない青春だろ⁈、後悔しない様に決めたら、イイよ。そのかわり、テメーで、吐いた、ツバ、テメーで飲みこむようなことはするな!腹くくって決めろ」
と、言ってくれた。
いよいよ、進路指導の日がやってきた。
担任の先生に、
「高校は、どうするんだ?どこに行きたいんだ?今の実力だったら、工業高校も、私立も、確実に受かるだろ」
と言われて
とりあえず、面倒を起こさないように、工業高校を志望すると伝えた。
さて、ここで、前から考えていた、計画を実行することにした。
とりあえず、私立は、ワザと落ちる。
1月、私立高校の受験の日。
テスト開始。
問題も読まずに、マークシートを適当に塗り潰す。
テスト結果、私立高校落ちた。
親父は、焦って顔が真っ青だった。
俺は、
「バカヤロー、オメーの好きな様にはさせねーぜ!」と、心の中で中指を立ててた。
三つ子の魂百までである。
「オメーは、俺がガキの頃、テストで、100点取っても、相手にもしなかったじゃねーかよ!ヘッ!ザマーミロ‼︎」的な感じだった。
俺が、ここまで、成績が伸びたのは、家庭教師の先生のおかげで、ひとえに、先生の人望で、俺は、伸びたのである。
ガキを馬鹿にする大人は、たとえ、それがテメーの親父でも敵である。
で、次の計画を進めることにする。
「工業高校なんて、クソくらえ‼︎」
と、思ってて、実は、前から行きたい高校があった。
隣の市にある、普通科の高校だった。偏差値は、工業高校より低かった。噂によると、学校生活が楽しくて有名で、また、オシャレな女の子が多いと噂だった。高校に入ったら、今までいなかった、友達も作ってみたいし、ダチも欲しかった。また、何より、ここの高校は、バンド活動が盛んで、今まで、周囲にヤンキーに囲まれた生活しかなかったので、楽器の事を話せるダチや、また、バンドを組みたかった。
親父は、すっかり自信を無くして、とりあえず、高校へ行けたらいいに態度が変わった。
俺は、
「ザマーミロ‼︎ヘドが出るぜ‼︎」
と思ってた。
で、希望高校を受験し
「ここは、マジだろう‼︎」
と、本気でテストをした。
合格発表の日、自分の受験番号、314を、探したら、
「314」
あった。
生まれて初めて、自分の心に暖かい南風が吹いた。
これも、全て、家庭教師の先生のおかげである。
とりあえず、中学に行って、担任の先生に合格の知らせを言いに行った。
俺は、担任の先生も喜んでくれると思って張り切って行ったのだが、担任は、
「お前は、俺の手を離れたらどうなるか分からないからな」
と、顔を曇らせた。
俺は、担任の先生の反応に困惑し、また、先生の予言を考えるには、まだ、当時の俺は、幼すぎた。