真夜中の道化師たち
最近、朋也と大島が族に入った。朋也も単車が大好きで、やはり朋也が自分を表現するにはストリートサーカスのアクセルミュージックが朋也には、ピッタリだと思った。大島は、中1の頃から族に憧れてて、筋金入りの旧車乗りだったから、気合いバリバリで鳴り物入りでチームに入った。大島は、族だったが、ファッションセンスに溢れていて、いわゆるヤンキーファッションはしていなかった。もう、ヤンキーファッションは、中2で卒業していて、やり尽くしたから、未練もなければ、魅力をもう感じなくなっていたのだろう。この時の大島のファッションは、ジェームス・ディーンを意識した、アメリカの50'sのファッションを彷彿とさせる、直毛黒髪リーゼントに、真っ白なTシャツに、黒のスイングトップを羽織り、ペインターパンツに、ネイビーのハイカットのコンバースを履いていた。大島は、イッコ下では、リーダー的な存在で、硬派で、体も大きかったが、やはり肝の据わり具合か、大人びていて、風格があった。俺も意識していたが、大島も、「ハンパは、しねー‼︎」と思ってたと思う。多分、この「ハンパは、しねー‼︎」というのが当時の仲間内40人位の仲間意識の士気を高めてたと思う。
朋也と大島の初暴走の日、駅前のロータリーに、チームが走ってきて、朋也と大島は、初暴走で恒例の、特攻服の特攻パンツだけ履いて、上半身は、サラシだけ巻いて、赤の捩り鉢巻きを巻いて走ってきた。俺たちは、パンクの仲間たちと、朋也と大島の初暴走をギャラリーして見た。駅前のロータリーを、族が占拠した。朋也はローリングを切り、クラッチを握り、アクセルミュージックを奏でた。大島は、単車で、サークルを書き、あたり一面にサークルを書く際に立ち上がる煙とともに、フロントブレーキで、フロントタイヤをロックして、リアタイヤがほんの少しだけ宙に浮いて高速に回転して黒いサークルをアスファルトに描き、その際に発生する、タイヤのゴムが焼けた匂いが立ち込めた。
ある夜、俺のバンドのリュウの部屋にいた俺は、リュウに、
「烈士、麻耶ちゃんのことどう思う?」
って、リュウに聞かれた。
俺は、リュウに、
「麻耶ちゃんって、誰?俺、知らねーけど?」
と、答えた。
リュウは、
「知らないんだ?そっか?分かった」
と、言った。
俺は、その問いかけに、全く意味も分からなければ、記憶にもない、記憶にもない俺だった。