ようこそ変神部へ!(短縮版)
桜が咲き乱れる麗らかな春。
体育館の外では桜の枝が心地良さそうに揺れていて、ほどよい風が流れていることが見て取れる。
そんな清々しく快適な空気に包まれた俺たち新入生は今、ステージの上を闊歩する一人の女性に注目を集めていた。
女性はステージの真ん中――演台のところに立つと、微笑みながら体育館を見渡して、力強くマイクスタンドを握りしめた。
そして……耳をつんざくよな音も気にせずに――
「私は神だ! ひれ伏せろっ!!」
その瞬間、頭が真っ白になった。
あの女性が突拍子もないことを叫んだからじゃない。いや、それもあるけど、それより驚いたのは、
新入生が一斉に、その場で土下座したことだ。
「え?」
体育館は異様な静けさに包まれていた。
「お、おい……っ!」
思わず声を上げる。
しかし、誰も俺を咎めない。誰もなにも言わない。沈黙だけが俺に事実を語っていた。孤独と恐怖、そして神の存在を。
「お前――いや、お前らが私の後継者か」
神と名乗った着物の女性と目が合い、全身に悪寒が走った。
今すぐにでも逃げ出したいが、恐怖で脚がすくむ。
「く、くそ……っ!」
よく見れば生徒だけでなく教師、校長までもが床に額をつけて硬直していた。
黒板に向かって授業を受けているのとはワケが違う。ここには個人の意思がない。もっと言えば、生きている人間がいない。
「いったい、どうして、こんなことに……」
その時、後ろからペチペチと裸足で駆けるような音がした。
「オーゥ! コレがジャパニーズ土下座!」
振り返ると、俺のすぐ後ろで金髪の女子生徒が心打たれたように小さな手を叩きあわせていた。
「は?」
自分以外に正常な人間がいてホッとした。
なんてことはなく、俺はこの西洋人……もしかしたら宇宙人かもしれない少女に、さらなる不安を与えられただけなのだった。
見渡せば広がる土下座、土下座、土下座の光景。
ステージには誇らしげに腕を組む自称神の美女。彼女の一声によって、華々しい入学式が突然の終わりを迎えた。
天使という直感は不幸なことに、当たらずとも遠からずだったということだ。
体育館には一人分の拍手が寂しく響いていた。
「なあ、あんた。どうなってんだ……」
俺は恐る恐るステージ上の女に問いかけた。
「くくっ、これが神の力だ。欲しければ私を倒してみろ! 無論、折り紙でな!」
「…………は?」
俺が唖然としていると、前触れもなく体育館に色とりどりの折り紙が舞い散らばった。
「あ、すげ……じゃなくて、俺は神になんて興味はないぞ」
「……ボソッ」
俺がなんとなく折り紙を一枚拾い上げると、女は深刻な顔でなにかを呟いた。
「ん、今なんて?」
思わず聞き返す。
「折り紙……神だけに…………ぷくくっ」
「イッエースッ! ソレはジャパニーズ駄洒落! オヤジくさい!」
体育館に二人の高らかな笑い声が反響する。
今なら、逃げられるか……? よし、脚も落ち着いている。
「……おい! お前!」
覚悟を決めたその直後、あの女の声が聞こえて心臓が跳ね上がる。
「は、はい!?」
いきなり指差され、驚きのあまり声が裏返ってしまった。
まさか思考が読まれたのか……!?
「それ、なかなか美味そうな折り紙ではないか。じゅるっ」
「え?」
言われて気づいたが、俺はいつの間にか無意識のうちに鶴を折っていたらしい。我ながら一ミリの狂いもない完璧な出来栄えだ。
「……えっと、これ、食べるのか?」
「いいのか! 折り紙の申し子よ!」
女は息を荒くして俺の元に駆けてくる。
「折り紙の申し子、ね……」
そのあだ名は中一の時、好きだった女子に、「折り紙なんてつまらない」と言われて以来、忘れようとしていたのに。
「どうした?」
「嫌なこと思い出した……」
女は興味なさげに、「ふーん」とだけ言って俺の折鶴を引ったくった。そしてそれを自分の口に放り投げると、
「はむっはぐはぐ……ぷはぁ! さすが折り紙の申し子! なあなあ、折り紙の申し子はどうして折り紙の申し子なんだぁ!?」
まるで子供のような純粋で輝かしい瞳を向けてきた。じりじりと詰め寄ってくるので、俺は仕方なく後退していく。
「そ、そりゃもちろん折り紙が得意だからだろ」
俺はついに壁際まで追い詰められ、女の顔を避けようと顔を背けた。
「ほう……。その言葉、忘れるなよ? 折り紙の申し子」
女は急に真剣な顔で俺を見据えた。
「俺は四音渚だ。変な名前で呼ぶな」
早いうちにしっかり訂正しておこう。
できることなら短い付き合いで終わって欲しいが、相手が相手なだけにそうはいかないだろう。
「おお! つまりこれは真名ということだな! わかった! 無闇に口走るのはよそう!」
女は目をキラキラさせながら、うんうんと頷いた。
そういうわけじゃないんだがな。……まあ、いいか。
「すんすん、すー、すー、この香ばしい匂いは……まさか!」
女は勢いよく振り返る。
と、その先にいたのはさっきの金髪少女。俺たちに得意げな笑みを向けている。
「お前が手にしているのは! ティラノサウルスッ!!」
女が声を上げる。
「な、なに!?」
こんな短時間でティラノサウルスを完成させるなんて! しかも机を使わずに! そんな芸当ができるわけ――
「う、美味い! 実に美味だぞ!」
「ふんぅ……」
金髪少女は勝ち誇ったように俺をあざ笑う。
「くそ……っ!」
悔しくて思わず膝を叩いた。
俺が折り紙で負けるなんて、そんなこと一度もなかったのに。全国大会でも小三の春から中一年の夏まで連続優勝していたのに。
俺の知らない間に折り紙界はここまで進歩していたのか……。悔しくて、涙が出そうだ――
あ、あれ? あいつ、なんか見覚えがあるような……。
「まさか! お前は!」
そこで初めて気づいた。
彼女はいつも表彰台で俺の横にいた金髪の雑魚! 略して、
「金魚!」
「むむっ、イサキの名前は柊イサキ(ひいらぎ いさき)。金魚じゃない」
少女は不機嫌そうに訂正する。
このやりとりも久しぶりだ。最後に会ったのは何年前だろうか。
「やっぱり! 金魚だ!」
この無愛想で無口な少女は俺の元ライバルだ。
金魚は何度も俺に突っかかってきたが、今日を除いて一度も俺に勝つことはなかった。だけど準優勝という位置は常にキープしていた。
毎回楽しませてくれたし、ひやひやさせられもした。あの時はそれほど意識しなかったが、今ではライバルだったと認めざるを得ない。
「あれから三年近くになるな! 妙に元気に喋ってるから別人かと思ったぞ! 金魚、日本語うまくなったな!」
金魚はイギリス人の父と日本人の母のハーフで、幼少期はイギリスで暮らしていたらしい。これは直接ではなく彼女の母から聞いた話だ。
金魚が折り紙に出会ったのは小四の夏休みで、母に連れられて日本へ来た時に感銘を受け、それから年に三回ある折り紙全国大会をずっと出場し続けてきたという。
わざわざその度にイギリスから日本へ来ていたなんて……。俺なら絶対にそんなことはしないな。
ただ折り紙がしたいだけなら、大会に出る必要なんてなかった。ましてや三回とも出場する意味はない。なにか理由が……。
きっと、彼女は日本が好きだったのだろう。
「金魚じゃない。イサキ」
金魚はむっとした顔で、俺の口に二作目のティラノサウルスを押しこんできた。
「わ、わかった! 柊! 柊さん! イサキ様! あがっ! おえっ」
「イサ……柊でいい」
柊は少し照れたように、でも不機嫌そうなまま、そっぽを向いた。
「なんだなんだ? もしや二人は知り合いなのか?」
女は俺の口からティラノサウルスを取り出すと、それを自分の口に入れる直前で俺と目があって止まり、そそくさと着物の中に仕舞った。
間接キスや食べすぎを気にするやつではないと思うのだが……。
「ああ、一応な。そんなに話したことはなかったけど」
柊は幼い頃から英語ばかりを使って育ったため日本語が苦手だ。
「ある。話したことある。これ、イサキ忘れてない」
そう言って柊はなにかを差しだした。
「何だそれ。折り紙か? ヘタクソ過ぎてわからないぞ?」
「これは、アナタがくれたもの」
「へえ。……あ、それ俺が捨てといてって言ったやつじゃん。失敗したからいらないって――」
「イサキの宝物。悪く言わないで」
柊は俺を睨みつけ、口を手で塞いできた。
「も、もご、悪い」
俺は一歩下がって謝る。
「次は許さない。大切な思い出」
そう言われても、事実なんだけどな……。
「積もる話もあるだろうが、それは後にしてくれないか? 彼らをこのままにしておくのは……ちと可哀想だ」
女は体育館を見渡して鼻で笑う。
「お前がやったんだろうが」
それにしてもこれだけの人数で土下座すると壮観だな。写真を撮りたくなるが……やめておこう。あとで他の人に見られたら困る。
「まあ彼らのことは正直どうでもよくて、お前らには私の顧問を務める部活に入ってもらう。いいな?」
「どうでもいいんだ。つか顧問って、あんたここの教師なのかよ」
理由はともかくとして、どういう部なのかも言わずに確認を取るのか。それはもうイエスと答えろという意味を孕んでの言葉だろう。
つまり察しろと。だが、
「あんたが神だってのは百歩譲らずとも信じる。だけどさっき言ったように後継者とかっていうのは御免だからな」
「いきなり現れた神を認めるって適応能力高いな」
「あんたが好き放題やるから信じるしかなくなったんだっつの」
折り紙同好会もあるみたいだが、俺はもうそんな地味なことはしたくない。俺は生まれ変わったんだ。明るく派手に生きるんだ。
そのためにわざわざ元中のいない遠くの高校を選んだのだのに、なんでこんな入学式から……。
「ああ、申し遅れたが私の名前は紙折降神だ。カミ様って呼んでくれ」
「そのまんまだな!」
「オオゥ! ジャパニーズ漫才! ナイス突っ込み!」
なんでこいつは日本文化の時だけテンション高いんだよ……。そんなに日本が好きか? 土下座とか、駄洒落とか……。
「さて、それじゃあ今日は入部届だけ渡して帰るかな。ふぁあお……ほら、受け取れ。それじゃあな」
女は一枚ずつ紙を配り、気持ち良さそうに大きな伸びをしながら体育館を歩き去っていった。
それを見届けて紙に視線を落とすと、
「入部届……変神部だと?」
「変な神、だから変神?」
「自覚はあったのか」
まあ、折り紙を食べるくらいだし。気づいてないとヤバい。
「それで、この状況どうする? 部活のことじゃなくて、これ」
俺は右に左に首を振った。
「…………」
柊は困ったような顔をした。
それもそうか。どうすることもできないし。
「まあ、いっか」
少し悩んだが、どうすることもできないという結論に至り、俺たちは彼らを放置して家に帰ることにした。
すぐに戻るはずだ、たぶん。
登校二日目。家を出た直後から俺は、変神ことカミ様とライバルの柊に左右から挟まれていた。
「お前、変神部どうだ。きっと全国狙えるぞ」
「四音、なんで折り紙やめた? わたし悲しい」
なんだこのカオスな視界は。
スーツ姿の女神と金髪ハーフの同級生につき纏われているんだが。
売れないラノベのタイトルかよ。
「ちなみに私は今日からお前の担任だ」
「わたし四音に会うため日本、来た。四音と話すため日本語、覚えた」
カミ様がふざけているせいで、柊のセリフにシリアスさがなくなってるし……。
「というか変神部ってなにするんだ。変態ごっこか? それとも変身でもするのか?」
変態ごっこなら多少は興味がある。……人間だもの。仕方ないよ。
「は? ちょっと意味わかんない」
「やめて。その言葉、地味に傷つくから」
「先生なんだから敬語を使え。というか私は神だぞ」
「誰がこんな神を崇めるんだ。マーライオン並みにガッカリだよ」
「四音、シンガポールを悪く言わないで」
柊の手が俺の口を塞ぐ。
「む、むぐ」
別にそんなつもりはなかったんだが……。いや、柊にとっては大事なことなのか? だとすれば悪いこと言ったかもしれない。
「悪い」
「いや、気にしてない。シンガポールのことは正直どうでもいい」
色々デジャブというか、もろ昨日のパターンなんだが。……それは柊の日本語の語彙が少ないせいか。
彼女なりに実会話から覚えていこうとしているのだろう。
「それでお前はどうするんだ? 入るのか、変態部」
「むむっ、変態は四音」
なんだと……? しかし、あえて否定はしない。むしろ肯定したい。
「わたしが入ったのは変神部」
「え、入ったのか?」
「すでに入部届は貰った」
「だから四音も入ってくれると、イサキ嬉しい」
「断る。俺は運動部に入る」
「本当? 四音、自分に嘘ついてる」
「嘘なんてついてない。俺は地味なのが嫌いなんだ」
「それ嘘。四音はイサキ、地味でもいいって言ってくれた。あれ嘘じゃない。イサキ、四音のこと信じてる」
「…………ちっ」
俺は居た堪れなくなって学校に走りだした。
すると突然、目の前にトラックが現れた。俺は悲鳴を上げる間もなく空中に放り出された。
遠くに、首のもげた俺の体が――転がっている――
薄れ行く意識の中、神尾先生が俺の体を蹴飛ばしているのが見えた。
「蹴るなよ!」
「オーマイガーッ! ジャパニーズ不死身!」
「ぶびゃらららあばばばばばばばばっ!」
全身に強い電流を感じて生き返った。
「荒療治すげぇ!」
「思いっきり日本人!」
「まあ、ハーフだし」
「うーん、そういうものか? というか、なにをされようと俺は変神部なんて入らないからな」
「それは困る。柊が」
「いやいや、あんたが神を続ければいいだろ。後継者なんて決めないで」
こんな元気なやつに後継者なんて必要ないだろう。
「あー、それもそうだなぁ。考えてみればあと二、三千年は大丈夫だった。でもこのまま二人だけで部を活動させていくとなると寂しいじゃん?」
よく考えてから行動してくれよ……。
「だからお前と柊が勝負して、柊が勝ったらお前は部に入って、お前が勝ったら私たちが諦める。それでどうだ?」
勝負の内容にもよるが、勝ってこのカオスライフが終わるならそれに越したことはない。
「勝負内容は?」
「もちろん折り紙だ。私は折り紙の神だからな」
「あんたがどうとか関係ないだろ」
「まあそうだな。だけどお前らにはそれが相応しい。……より美味い折り紙をつくった方の勝ちじゃ。スタート!」
「ちょ、いきなり!」
ていうか柊はすでに黙々と進めてるし!
「タイムリミットは十分だ」
「おい、俺の折り紙はないのか」
「それくらい自分で探せ」
「はぁ?」
くそ、まずは家庭科室から当たってみるか。いや、それより普通の紙からそれっぽいのをつくった方が早いか。
「四音、これ使う?」
「敵の手は借りない」
柊との勝負開始から二分が経った。
そして俺は未だに折り紙を見つけることができていなかった。カミ様が言うには、「ただの紙からつくった折り紙は不味い」だそうだ。
だとすれば、俺は最初に折り紙を見つけなければならない。そこが俺の本当のスタートラインだ。
そしてそこから柊との戦いが始まるのだ。
「くそ! 家庭科室にも、職員室にもねえのかよ! こうなったら近くのコンビニまで走って、そこで買うしかねえ!」
俺は一階の窓を開けて、上靴のまま飛びだした。今はわざわざ玄関から出るのさえ煩わしい。
俺はひたすら走った。胸が痛んでも、構わず駆け抜けた。
「あった! これください!」
俺は二十枚入りの折り紙をレジに持っていき、財布から千円札を引き抜いて、会計を待たずコンビニを出る。
後ろから店員の声がしたが、今はお釣りを貰う時間なんてない。
「待ってろ、柊……」
あいつの顔を思い浮かべると、思わず頬が緩んだ。
「そろそろ気づいてもいいんじゃないか?」
ふいにカミ様が清々しい顔で並走してきたので、俺は咄嗟に唇を噛んで表情を硬くした。
なにが。
呼吸が激しく乱れていて喋るのも辛い。だからカミ様が心を読めるのを利用して言葉を発さずに会話する。
「お前自身の気持ちだ」
何のことだ。
「お前は今、何のために走っている」
変神部に入らないためだ。
「違うな。誰のために勝負しようとしている?」
俺のため、俺が変神部に入らないためだ。
「まあいい。今はそう思っていればいい。自分から気づかずとも、教えてくれる人がいることもあるさ」
なに言ってんだ。
「ああ、今さらながら言っておくと、お前は元々普通の人間だ。今は私の加護によって不死身になっているが、本来であればもう百回は死んでいる。主に私のせいだがな」
つまり、それくらい迷惑してるってことだな。
「全てはお前らのためだ」
そんなわけないだろ。……あれ、俺は普通の人間なのにお前は後継者として選んだのか?
「そうだ」
どうして?
「お前と柊には、誰にも操作されない純粋で真っ直ぐな心がある。だからこそお前らには私の命令が効かなかったのだ」
入学式の時のことか。
へえ、純粋で真っ直ぐな心ね。柊はともかく、俺のはただ人の言うこと聞かない不純な捻くれ者だと思うがな。
この発想自体がすでに捻くれている。自分でもわかる。
「たしかに、そういうところもある。だけどお前は彼女よりも真っ直ぐで、誰よりも一途だ」
は?
「学校に着いたぞ。ここから先は一人で行け」
言われなくともそうするっての。というか、ここまでお前が勝手に着いてきたんだろ。というか五分ほどほとんど全力疾走だったが、やればなんとかなるもんだな。
「ちなみに加護がなければ、今のダッシュでお前は死んでいる」
俺は息を切らしながら苦笑し、そこから駆け足で部室に向かった。
深呼吸をして息を整えてからドアを開ける。
「よう。進んでるか?」
「四音、辛そう。イサキ不安」
そういえばこいつの日本語、まだ自然なレベルではないけど少しずつ上達してるような……。
「それよりも負ける心配をしたらどうだ? 入学式では机がなくて負けたが、今回の俺は誰にも負けない」
「いや、イサキの方がずっと美味しい。折り紙をサボってきた四音なんかには負けない。イサキはずっと頑張ってきた。四音のために」
美味しいって、上手いって言いたいのか? それともわざとカミ様がそう言って食べているのにかけたのか?
「俺のためって、何だよ」
「あの頃の四音には誰も届かなかった。たぶん今のイサキも敵わない。だから四音、折り紙やめた」
敵がいないのが原因で折り紙をやめたと思っているのか?
「だったら今の俺に勝てるわけ……」
俺は中一の夏、好きな女子に折り紙はダサいと言われて折り紙をやめた。それからずっと見て見ないフリをしてきた。好きだった折り紙のことも、好敵手だった柊のことも。
「イサキは負けない。もっと四音と一緒にいたいから」
柊が綺麗な目でじっくりと俺を見つめる。俺は思わずドキッとして一歩退いてしまった。
柊は椅子から立ちあがって、俺の右手を握った。
「最初の大会、イサキは四音を好きになった。あの時の四音はとってもカッコよかった。まるでティラノサウルスみたいに強かった。あれからイサキは四音に会うために何度も何度も日本に来た」
早く折り紙を作らないと、と思ったが、どうしても柊は手を離してくれなかった。
「折り紙にちょっと興味があって、滞在中の暇つぶしに参加しようって思っただけだったのに」
「柊、今は勝負の途中だ。妨害は反則――」
「まさかあそこで四音に出会えるとは思わなかった」
俺は柊の真剣な眼差しに圧倒されて言葉を失った。どうやらここは静かに聞いていた方が賢明なようだ。
「だけど四音は急に来なくなった。それからずっと待っても四音は大会に参加しなかった。イサキは四音が心配だった。もしかしたら死んでしまったんじゃないか、イサキに会いたくないんじゃないか、それを考えるだけで胸が痛んだ」
柊は俺の手を自分の胸に当て、ギュッと押しつけた。
あ、大きい……じゃなくて! こんな時に俺はなにを……。
「イサキは四音の住所を知らなかった。だからイサキは四音を探した。イサキはとても頑張った……! 大変だったけど、四音に会いたくて努力した!」
柊の声は次第に強く大きくなる。
「そして、やっと見つけた……。イサキは迷わず同じ学校に入った。四音を驚かせたかった。でもその前に見つかってしまった」
まあ、あんな入学式なら当然だ。
「なのに四音はすぐ気づかなかった。イサキはちょっぴり悲しかった」
「だってお前、昔はかなり地味だっただろ? それなのに今はこんなに可愛くなって、見違えるように綺麗だ」
柊は突然、俺の手を離して顔を背けた。
「……あ、ありがと。四音もカッコよくなった。性格は昔の方が好きだけど、顔は今のほうが好み」
「そうか? あの時の俺は傲慢で我がままで、とにかく自分勝手なだけの分からず屋だったって思うけどな」
今思えば後悔なんて数え切れない。
「四音はずっと優しい人。イサキは知ってる」
「自分に甘いから他人にも甘いだけさ」
「四音は強い人。自分に厳しい。だからカッコいい」
「馬鹿だっただけだ」
「四音は賢い。でも今の四音は愚か者かも」
どう言い返しても、すぐに言い返される。これじゃあキリがない。
けど、愚か者っていうのには反論できないな。
「…………」
「…………」
二人はしばらく沈黙し、
「わかったよ。俺はお前から見て、そういう人間だったのかもしれない」
「ふんぅ、よろしい」
柊は満足げに鼻を鳴らした。
その時、
「さて、時間だ。それぞれの結果を見してくれるか?」
タイミングが良いのか悪いのか、そこでカミ様が部室に入ってきた。会話には一段落ついたが、俺はまだ折り紙の袋すら開けていない。
「俺の負けだ。なにもつくれてない」
「いや、イサキも同じ。四音が戻ってきてからつくろうと思ったから」
そう言った柊の正面の机には、一度なにかをつくったと思われる折り紙があった。折り目はついているが、それだけだ。
「……本当に真っ直ぐな若者たちだ」
カミ様は柔らかに微笑んで、柊の前の折り紙を食べた。
「むぅ、やはり美味。純粋な想いの込められたものは、なによりも美味い。……この勝負、柊の勝ちだな」
……!?
驚いた。けど、すぐに納得した。
「あんたがそう言うなら仕方ない。普通の紙からつくった折り紙は不味いって言ったのは、つまり俺が勝ちだけを求めてつくるだろうと見越してのことだろ?」
そこには純粋な想いなどない。あるのは不純な欲望だ。
「その通り。だけどお前はまだ自分の気持ちを見つけられていない。柊の純粋さの柱にはお前も気づいているだろう。ならばお前の純粋さの柱となっているのは、いったいどんな感情なのだ?」
柊の純粋さ、それはきっと俺に対する想いだ。あれだけ言われて、そのことに気づけないほど俺は鈍感じゃない。
だけど俺がどうして純粋であるのか、神様に認められたのか、それはまだわからない。だって俺は未だに自分が純粋であるなど信じられないのだから。
「私がなぜお前は折り紙の申し子なのかと聞いた時、お前は得意だからと答えた。得意というのは、ただ上手なだけではないだろう? いい加減にお前の本当の気持ちを聞かせろ」
俺の、本当の、想い――
「それは俺が、折り紙を誰よりもなによりも好きだからだ」
それを聞いて柊もカミ様も微笑んだ。
「そう、それでいい。待ちわびたぞ。……私もお前が好きだよ、四音渚」
「え?」
「言っただろ。私は折り紙の紙だって。つまり今のはお前から私への告白ということだ」
「ちょ、そういう意味じゃなくて――」
「ダメ。イサキは四音と一緒にいたい。たとえ神様でも、四音の隣は譲れない。イサキはずっと四音の隣……」
「ならば仕方がない。神を諦めさせる代償として、お前の大切なものをいただこう」
神様は柊のスカートのポケットに手を突っ込み、
「ふふっ……やはりこれが一番、美味そうだ」
取り出したのは柊が大事にしていたという、俺が作った不恰好な折り紙。
「そんなにそれが欲しいのか?」
「ああ。これほど美味そうなものは見たことがない。世界でなによりも美しく、そそる芳しい匂いを放っている。食べても構わんな?」
「……四音の隣を守るためなら仕方ない」
柊はこくりと頷いた。
「あぁ……むっ。うむうむうむ」
神様は目を閉じて幸せそうに、その何だったかもわからないような折り紙を食べた。
「くくくっ! かっかっか! ふははははははははっ!」
神様は満足したようで部室から走り去って、どこかへ行ってしまった。
「あ、思い出した。あれって、たしか中一の夏……俺が出た最後の大会で俺がお前に渡したラブレターだ」
その直前まで好きだと思っていた女子は、どこの誰だかわからない鶏頭の不良たちに三股をかけていて、それを知って俺は初めて柊が好きだということに気づいたんだ。
当時は直接言う勇気がなくて、ラブレターという古典的な方法で想いを伝えようとしたんだ。けど俺は普通の便箋に書いただけじゃつまらないと思った。
その結果、俺は無謀にも自作で新しい作品をつくろうとした。それまでずっと人から教えてもらった折方しか知らなかった俺が、どうにかしてなんでもいいからオリジナルの、世界で俺と彼女だけしか知らない折方をつくろうとしたんだ。
だけどただの中学生だった俺にはそんなことできなかった。失敗して、失敗して、嫌になりそうだったけど諦めきれなくて、また失敗して、そもそも自分がなにをつくろうとしていたのかもわからなくなって、俺は最終的に想いの向くまま、適当にと言えば聞こえは悪いが、一折一折に心を込めて丹精につくりあげたんだ。
それがあれだ。俺が一週間、寝る間も惜しんで考えた不細工なラブレター。だけど折ることに集中していたせいで肝心の文字を書くのを忘れていた。
俺は新しく他の紙を使うのが嫌だったので、仕方なくそれを渡すことにしたが、いざ彼女の前に立つとなんだか俺の手にあるそれが酷く滑稽なものに見えたんだ。
そして俺は考えていたように告白してそれを渡す、なんてことはできなくて、「捨てといてくれ」などと言ってしまったのだ。
でもその時、柊はたしかに俺の想いを感じ取ってくれていた。あのボロボロになった折り紙を見て、幸せそうにしてくれた。
『ありがとう! イサキ! これ大切にする!』
あの顔は今でも忘れない。
家に帰ってから、なぜだか俺は照れくさくなって柊に会うのが恥ずかしくなった。馬鹿な俺はそれが嫌悪感だと思った。
そして本当の気持ちに気づけないまま俺は、「折り紙はダサい」と言ったあの女子の言葉を理由に折り紙をやめたのだ。
「ごめんな。長い間、不安にさせて」
「大丈夫。イサキはもう四音と離れない」
そう、俺たちはこれからも隣同士で生きていくのだ。
「イサキ、好きだ。ずっと前からお前のことが好きで堪らなかった」
俺は彼女を強く抱きしめた。
すると彼女もそれに応えてくれる。
「イサキも渚が好き。アナタがイサキを想うより前から、イサキは渚が好きだった」
イサキの優しくて甘い香りが、俺の鼻腔をくすぐった。
俺は今、とてつもなく幸せだ。
俺とイサキが想いを交わしてから五分後、
「おおっと、部活のことを忘れてた。せっかくつくった部なのに、即行で廃部にするわけにはいかんよな!」
カミ様が部室に戻ってきた。
俺とイサキは顔を見合わせ、
「「ようこそ、変神部へ!」」
どうやらしばらくは落ち着かない日々が続きそうだ。




