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御陵衛士1

清水寺の舞台から眼下に広がる景色を綾野は飽きることなく眺めている。

いつもは玄斎の妻が着ていたという地味な着物をもらって身につけているのに、今日は珊瑚色の娘らしい着物の袖をひらひらと風に揺らしている。


新緑を背に佇む姿は京人形のようだ。

そんなことをぼんやりと考えている自分に気がついて、藤堂は我知らず赤面した。

意識していないつもりなのに、目は勝手に綾野を追っていて、さっきから何だか落着かない。そのせいか、いつもは努めて避けている話題を、ついうっかり持ち出してしまった。


「ごりょうえいし?」

くるりと振り返った相手と、いきなり目と目がぶつかった。


「そう、御陵衛士。 新しい屯所に移動したばかりだからまだ落着かないけど、今いる高台寺の月真院は診療所からも近いし、高台寺と言えば萩の名所としても有名だ。秋になって花が咲いたら玄斎先生と一緒に遊びにおいで」

楽しいことのように語ったが、綾野は表情を曇らせた。

鈴を張ったような大きな瞳には、不安の色が見え隠れしている。


「御陵衛士のお役目は孝明天皇の御陵をお守りすることだと聞きました」

「そんなこと誰に聞いたんだ?」

「薩摩の……お侍様」

言いにくそうに告げる綾野の顔を、藤堂は緊張した面持ちで見下ろした。

花街で働く女から、諸藩の藩士にいたるまで、玄斎の診療所には様々な患者がやってくる。

薩摩藩士が出入りしていても不思議はなかった。


「新選組を脱退した高台寺党なら上手く始末してくれるだろうって、ひそひそ声で話しているのを、偶然聞いてしまったんです。先生は診療所で聞いたことは人に言ってはいけないとおっしゃるけど、高台寺党って御陵衛士のことでしょう?難しいことはよくわからないけど、綾野は……綾野は、藤堂様が危険な目に会うのだけは絶対にいやです!」

「薩摩藩の連中がそんなことを……」

軽くため息をついた藤堂は、新選組屯所のあるあたりに目をやった。


局中法度による切腹だけは何とか免れたものの、今の自分がこれまで以上に死と隣り合わせであることは自覚しているつもりだった。

近藤、土方は、意外なほどあっさりと分離を許したが、それはあくまでも表面上のことに過ぎない。


切腹する山南を冷ややかに見つめる土方歳三の顔が目に浮んだ。

ある者は目を背け、またある者は涙を流し、誰もが感情の高ぶりと必死に戦っている中、土方だけは顔色一つ変えずに切腹の一部始終を見つめ続けた。


その時、藤堂は、ぞっとする思いで確信した。

この男は、新選組を脱する者は、たとえそれが局長の近藤であったとしても、腹を切らせるに違いないと。


伊東とともに分離した者たちは、一騎当千の剣客ばかり。

恐らくは表だってではなく、別の手段をもって抹殺しようとするはずだ。

殺らなければ確実に殺られる。

だが、そんなことを綾野に言ったところで、一体何になるというだろう。


藤堂は意を決したように顔を上げ、今度はまっすぐに綾野を見つめた。

綾野も大きな瞳を潤ませて、ひたとこちらを見つめている。

いつからなのだろう。

こんな風に、ただ見ているだけで、息苦しいほどの愛しさと切なさを感じるようになったのは。


(死ぬものか……)

その細くたおやかな身体を思わず抱きしめそうになるのを抑えながら、藤堂は自分に言い聞かせた。

やけくそで敵にぶつかっていった昔とは違う。

今の藤堂には希望があった。

この戦いに勝つことができたら、その時は、その時こそは……。


「俺は簡単に死んだりはしない」

一言も聞き漏らすまいとでもするように、綾野は息を止めている。


「今だから言えるけど、新選組にいた頃の俺は、死ぬためだけに戦っていた。でもこれからは違う。これからの俺は生きるために戦う。なあに、こう見えても数え切れないほど修羅場をくぐってきたんだ。俺と戦って勝てるやつなんて、滅多にいないさ」


「でも、でも、藤堂様は強いけど、もっと強い人だっているはずです。いきなり大勢に斬りかかられるかもしれない。暗闇で待ち伏せされるかも知れない。藤堂様に何かあったら、私、私……」

自らの言葉に怯えたように、綾野はぐらりとよろめいて、咄嗟に手を伸ばした藤堂の胸に、すがりつくように飛び込んだ。


「藤堂様が死んだら綾野も死にます」

思いもよらぬ言葉だった。

二人が立っているのは、京洛屈指の名刹、清水寺の舞台。

周囲の視線を感じて藤堂はうろたえたが、うろたえた理由はそれだけではなかった。


どうして良いかわからぬまま、藤堂は綾野の頬に手を伸ばした。

「心配させて悪かった。でも、俺はもう新選組隊士じゃないんだ。いざとなったら敵に後ろを見せてでも生き抜いてやるよ」

涙を拭ってやってから、照れ隠しに微笑むと、綾野もようやく笑顔を見せた。


周囲の人々は半ばうっとり二人を眺め、その傍らを、足音を忍ばせて行き過ぎた。

あたかも一幅の絵のように、二人はいつまでも寄り添って、京の街を見下ろしていた。


音羽の滝のすぐそばにある茶店は、今日も参拝客で賑わっていた。

「おい、あれは平助じゃないか!?」

永倉が驚いた声をあげると、小常もつられて上を見た。


この日、非番の永倉新八は、小常を伴って安産祈願のために清水寺へ来ていた。

あと数ヶ月で永倉と小常の間に待望の第一子が生まれるのだ。


「目の覚めるような美形じゃないか。だがあれは花街の女じゃないな。祇園の遊郭に通っているという噂は嘘だったようだ」

新選組を脱退したとは言え、藤堂は弟分のように思う気持ちは変わらない。

目を細めて二人を見ていると、小常が意外なことを口にした。


「あら、川上診療所の綾野ちゃんだわ」

「綾野って?」

「藤堂さんと一緒にいる娘さんの名前ですよ。祇園の芸妓だったというお姉さんが亡くなって、遠い親戚の玄斎先生に引取られたそうだけど、ほら、あんなにきれいな子でしょう?縁談話が次々と持ち込まれるのに、先生が片っ端から断ってしまうんですって。それって、藤堂さんがいるからだったのかしら?」


「おまえ、よく知ってるなあ」

水を得た魚のように生き生きと話し始めた相手を、半ば呆れて見つめると、小常は嫣然と微笑んだ。

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