朱に染まりて3
「お渡しすべきかどうか迷いましたが、私が持っているよりは、供養になるかと思いまして……」
男は懐から小さな包みを取り出し、藤堂平助の遺品だと言って玄斎に手渡した。
「新選組の幹部であるあなたが、どうしてこのようなことを」
我知らず冷ややかな口調になっていた。
本当は、藤堂を殺したのはあなた方ではないかと、思い切り罵声を浴びせてやりたかった。
答える代わりに、永倉は無言で微笑んだ。
泣いているような、怒っているような、そして寂しげな男の微笑みに、玄斎は思わず息を飲み、見てはいけないものを見てしまったような気がして目を伏せた。
包みの中におさまっていたのは珊瑚の簪と小さな手帳だった。
手帳には、藤堂らしい端正な文字で、異国の言葉などが記されていた。
一枚、一枚、丁寧に手帳をめくっていき、最後のページに書き付けられた歌にじっと見入ってから顔をあげた時、永倉の姿は消えていた。
「あのご仁は、その後、どうなされたか……」
涼しい夕風に吹かれながら、玄斎はぽつりとつぶやいた。
鳥羽伏見で敗戦した新選組は海路で江戸へ逃れ、軍を立て直した後に「甲陽鎮撫隊」として出陣したが、またも破れて江戸へ舞い戻っている。
隊士たちはちりぢりばらばらとなり、永倉と原田も新選組を離脱した。
傷が言えた近藤は、残ったわずかな隊士を率いて下総流山へと陣を移したが、そこで官軍に取り囲まれた。
他の隊士が逃亡する時間をかせぐため、土方の反対を押し切って自ら投降し、慶応四年四月に江戸の板橋宿で斬首された。
その首は三条河原に晒されたが、それからいくらもしないうちに、忽然と消えている。
新選組一番隊組長だった沖田総司は、労咳で病み衰えた身体を引きずるようにして甲陽鎮撫隊に参加したものの、途中で立ち上がれなくなって江戸へ引き返し、近藤の死のひと月後に千駄ヶ谷の潜伏先で短い生涯をひっそりと終えた。
沖田の死の半月前、原田左之助は幕府軍最後の残党集団となった彰義隊に入隊し、上野の戦闘で銃弾に倒れている。
隊士らが次々と脱落していく中、土方歳三はどこまでも闘い続けた。
近藤が処刑された後は、残った隊士を率いて会津方面で闘い、会津藩が降伏した後は榎本艦隊と共に箱館へ渡った。
土方が死んだのは、翌年の五月十一日。
この日、官軍による箱館総攻撃が行われ、最後の最後まで抵抗した佐幕派の残党を掃討した。
この日、土方は、左手に馬の手綱を握り、右手には愛刀の和泉守兼定を高々と掲げ、たった一人で官軍に斬り込んだ。
一斉射撃による壮絶な最後であったというが、官軍がどんなに捜しても、死体は見つからなかった。
数え切れないほどの修羅場をくぐりぬけ、永倉はただ一人生き残った。
新選組を離脱した後、靖共隊を組織して会津・米沢を転戦し、敗走に敗走を重ねた上、気が付くと一人になっていた。
無我夢中で江戸に戻ったが、その頃の江戸は完全に官軍の支配下にあった。
完全に行き場を失った永倉は、半ばやけくそで松前藩江戸屋敷の門を叩いた。
脱藩以来、誰にも言わなかったが、永倉は松前藩の上士の子だった。
従兄弟は松前藩の家老であり、永倉自身も将来を約束された身だったが、家格や藩に縛られることを嫌い、剣一本でどこまでやれるか試してみたくて、二十歳の時に脱藩した。
松前藩は永倉を受け入れ、官軍の追求をかわし、最後まで匿い通した。
皮肉と言えば、これほどの皮肉はない。
一度は捨てたはずの家格と藩に、永倉は命を救われた。
しかしこんな事が、神ならぬ玄斎にわかるはずもない。
「藤堂君、剣の時代はもう終わりだよ」
燃えるような夕焼けが西の空を染めている。
藤堂がいつもそうしていたように、下駄をつっかけて庭に出た。
この頃は、独り言がめっきり多くなった。
吐息と一緒に漏れ出た言葉に苦笑しながらも、玄斎はなおも言葉を紡ぐ。
「今度生まれてくる時は武士としてじゃなく、一人の人間として……そう、例えばこんな美しい夕暮れ時には、こう、綾野の手を取ってね、川べりをのんびりと歩いてみてはどうだろう?そんなに生き急ぐことはなかったんだ。君が残したあの歌、あれは確かにいい出来だがね。私は……好きではないな」
撫子の 咲くも見やらで もののふの
朱に染まりて 散るぞ悲しき
それは動乱の中を懸命に生き、新しい時代を見ることなく散った、一人の若者の魂の叫びだったのか。
堂々たる隊列を組んで洛中を闊歩していた新選組の姿を二度と見ることはない。
魁先生とあだ名され、新選組四天王の一人として勇名を轟かせた美貌の隊士のことを覚えている者も、今ではほとんどいなくなってしまった。
――ああ、もう、ここには誰もいない。
まぶしげに細められた玄斎の目から、光るものがしたたった。
―了―