出会い2
よほど恐ろしかったのだろう。
入口に仁王立ちする完全武装の「壬生狼」の親玉を前にして、池田屋の主人は土間にぺたりと尻餅をついた。
それでも次の瞬間にははっと我に返り、背後の階段を振り仰ぐようにして、気丈にも声を張り上げた。
「皆様、旅客調べでございます!」
危険を知らせるその声が、浪士たちの耳に届いたかどうかはわからない。
主人を押しのけた近藤が疾風のように階段を駆け上がり、沖田が羽織を翻してそれに続く。
残る永倉新八と藤堂は無言で軽くうなずき合ってから、それぞれの場所に陣取った。
パァーンと襖が開く小気味良い音に続いて、悲鳴にも似た叫び声があがった。
不意を突かれた浪士たちが、数少ない逃げ場に殺到する。
足音の数は予想していたよりもはるかに多い。
二十人、いや、三十人はいるだろう。
柱の影にすばやく身を寄せた。
目の前は調理場と客室を仕切る三帖ほどの広さの中庭。
連中にとって最も逃げおおせる望みが高いのは、裏庭に飛び降りることだが、近藤、沖田のいずれかが、それを阻んでいるはずだ。
案の定、連中の多くが争うように手すりを乗り越え、次々と中庭に下りてきた。
その様子が、大型の吊り行灯にくっきりと浮かび上がる。
(影絵のようだ)
頭のどこかでぼんやりと思った時、すでに身体は動いていた。
「平助、抜かるなよ、よそ見なんぞしてたら、やられちまうぜ!」
炊事場の方から、永倉の大声が聞こえてきた。
「永倉さんこそ!」
同じように大声で返しながらも、血に濡れた刀を袈裟懸けに振り下ろす。
断末魔の悲鳴とともに、新たな血がしぶき、襖に点々と赤い花が咲く。
二階に駆け上がったはずの近藤の声が、裏庭の方から聞こえてきた。
「斬れ、斬れ」という掛け声が、いつの間にか、「捕縛せよ」に変わっている。
当初は多勢に無勢で余裕がなかったが、土方隊の到着で形勢逆転したらしい。
「遅いよ、みんな斬っちまった」
口にした途端、忘れていた暑さが蘇ってきた。
着物の下に鎖帷子まで着込んでいるものだから、全身にびっしょりと汗をかいている。
しんと静まり返った中、緩んだ鉢金を締めなおそうと額に手をかけた時、背後でコトリと音がした。
鉢金を掴んでいたせいで、刀を抜くのが一瞬だけ遅れた。
逃げ場を失い、物陰に潜んでいたのだろう。
咄嗟に振り返った時、狂ったように突進してくる男と目が合った。
「平助!」
悲痛に満ちた永倉の声が耳朶を打つ。
鋭い痛みが額に走り、とろりとした生温かいものが顔面を塗らした。
真っ赤に染まった視界の中、狂気をはらんだ笑みと共に男は刀を振りかぶったが、そのままの姿勢で動かなくなった。
がくりとくず折れた敵の背後に立っていたのは、永倉だった。
全身におびただしい返り血を浴びている。
握り締めた刀は、奇妙な形に曲がっていた。
「このばか、何やってんだ! お前は詰めが甘すぎる! いいか、ここは戦場なんだぞ、最後の最後まで気を抜くんじゃない!」
乱暴に胸倉をつかまれ、さらには耳元でがなりたてられて、思わず苦笑が漏れた時、全身の力が抜け落ちた。
「お、おい、どうした? 死ぬな、絶対に死ぬなよ!」
「……永倉さん」
相手の名を呼んでから、唇だけで「ありがとう」と礼を言った。
なおも永倉の言葉は続いていたが、混濁し始めた意識の中で、その意味を理解することはできなかった。