朱に染まりて1
「どけ、どけ、どけぇーーーー!」
すさまじい勢いで突進して来たのは、血槍を手にした原田だった。
金縛りにあったように動けなくなった永倉の傍らを駆け抜けた原田は、長槍を振り回しながら隊士たちを蹴散らすと、血の海の中にうつ伏せに横たわっている藤堂の屍を抱き起こした。
「な、なぜ、こんな……」
絶句するなり、冷たい身体を抱きしめた。
そのまましばらく肩を震わせていたが、再び顔を上げた時には悪鬼のような形相になっていた。
「この傷をつけたのは誰だ!」
怒気をはらんだ大声に、隊士らは互いに顔を見交わした。
それから周囲を見回して、離れたところに立っていた三浦常次郎を、ためらいがちに指差した。
原田は藤堂の身体をそっと横たえて立ち上がり、傲然と三浦をにらみつけた。
長身の背後に憤怒の炎が見えた気がした。
新撰組一の美丈夫だが、気の短く、本気で怒ると何をするかわからない。
そんな男ににらまれて、三浦はわけがわからないまま、全身に刃を突きつけられたかのように真っ青になった。
「来い」
「えっ?」
「さっさと、こっちへ来い!」
「はっ、はい!」
三浦があわてて駆け寄ると、原田はその胸倉を容赦なくわしづかんだ。
「お前が殺したやつの名前を言ってみろ」
「な、名前……ですか?」
原田から開放された三浦は、たった今、自分が倒した相手に歩み寄り、恐る恐る覗き込んだ。
「あぁ!」
地の底から絞り出したような悲鳴が皆の耳朶を打つ。
そこには、自分が何度も助けられ、体長として仰ぎながらも内心では息子のように思っていた青年の血まみれの死体が横たわっていた。
へなへなとその場に座り込んでしまった老隊士を、原田は容赦なく踏みつけた。
他の隊士らがじりじりと後ずさりする中、血と涙と泥でぐちゃぐちゃに汚れた三浦の顔面に槍の穂先を突きつけた。
「平助に代わって俺がお前をあの世へ送ってやる。平助は、あいつはな、お前みたいなクズにやられるようなやつじゃないんだ!それをお前は……お前は……」
持ち上がったの腕が、槍を振り下ろす直前で停止した。
「新八、邪魔するな!」
原田は三浦をにらみつけたまま、ぎりりと奥歯をかみ締めたが、背後から永倉につかまれた腕は、ぴくりとも動かない。
「左之、もうよせ」
「なぜだ?!お前だって、こいつが憎いはずだ」
「三浦君が悪いんじゃない。命令に従っただけだ」
「命令?一体誰の!?」
原田は吼えたが、永倉は震える相手の肩を、なだめるように軽くたたいただけだった。
「三浦君、ご苦労だった」
ねぎらいの言葉をかけてやるだけの余裕を取り戻すことができたのは、原田のおかげだろう。
永倉は原田の肩をもう一度ポンとたたいてから、やるべきことをやるために顔を上げた。
「島田君」
「はっ」
相撲取りのような巨漢を誇る伍長の島田魁が、すっと前に進み出た。
「先に帰っていてくれ。原田と俺はしばらく様子を見てから戻る」
「…………」
この日出動した数少ない古参隊士の一人である島田は、何か言いたそうな顔で永倉を見たが、そのまま無言で一礼し、他の隊士らを率いて立ち去った。
三浦もがっくりとうなだれたまま、足を引きずるようにして最後尾についた。
隊士たちを見送った永倉は、藤堂の傍らに膝をつき、そっと頬に触れてみたが、冷たい感触にびくりと震えた指先を、なすすべもなく握り込んだ。
「平助、俺と原田は、どうしてもお前を助けたかったんだ。だが、あいつの方が一枚も二枚も上手だった。すまないなあ、今の俺達には、お前を葬ってやることさえできないんだ」
彼我の血で汚れているにも関わらず、青白い月光の下で見る藤堂の死に顔は、不思議なほど穏やかで美しかった。
それを食い入るように見つめる永倉の頬を涙が伝う。
その傍らにひざまずいた原田も、俯いたまま泣きながら肩を震わせた。
御陵衛士の死体は、そのまま四つ辻に放置することが決まっていた。
伊東の死体で藤堂らをおびき寄せ殺害したように、今度は複数の屍で生き残った衛士をおびきよせるのだ。
「新八、俺は行くぜ」
決然と言い放った原田を、永倉は眉間にしわよせて仰ぎ見た。
「どこへだ?」
「局長の所に決まっているじゃないか、俺はもう我慢できない。こんな卑怯なことはやめるよう局長を説得する」
「土方が反対するぜ」
「その時は俺が土方を斬ってやる」
「無駄だ。やめとけ」
「俺が死んだら、あだ討ち頼む」
本気が冗談からわからぬ言葉を残し、原田は闇の中に溶け込んだ。
見上げれば、空には変わらず星が瞬いていた。
七条油小路に再び静寂が戻ってきた。
「御陵衛士斬殺」の報はまたたくまに洛中を駆け巡り、翌日の夜には薩摩藩邸近くに往診に出ていた川上玄斎の耳にも入った。
その日玄斎は、午後からずっと外出していた。
診療所には「休診」の札を掲げてあるが、なじみの患者の簡単な薬の調合や手当てぐらいなら綾野がやってくれているはずだった。
玄斎が耳にした噂は、御陵衛士の何人かが七条油小路の四つ辻で斬殺されたというもので、殺された御陵衛士の中に藤堂が含まれているかどうかまではわからなかった。
(何ということだ!)
最初に考えたのは綾野のことだった。
その年の秋、綾野は正式に川上家の養女になっている。
藤堂にもしものことがあれば、そして綾野がそのことを知ったら、どんなことになるか。
玄斎は町駕籠を拾って急いで診療所に戻り、息せききって玄関の戸を開けた。
「綾野!」
いつも笑顔で玄関先まで迎えてくれる綾野が今夜に限って出てこない。
患者の診療にあてている部屋はもちろん、奥の座敷や台所にも人影はなかった。
真っ暗な部屋の隅に置かれた文机の上に一通の書き置きが置かれていた。
表には「御父上様」の文字が見える。
震える手で行灯の明かりをつけた玄斎は、中身に目を凝らしたが、終わりまで読まずに書状を取り落とした。
玄斎の外出中、たまたま訪れた患者から御陵衛士のことを聞いた綾野は、七条油小路へ向ったらしい。
書状が認められたのがいつなのかはわからないが、夜はすっかりふけていた。
真っ暗な闇の中で、書状だけがその存在を主張してまぶしいほどに白い。
玄斎はぞっとする予感に身震いした。