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七条油小路2

藤堂は新選組の手口を知り尽くしていた。

一人倒れれば、また別の一人がかかってくる。

圧倒的多数で敵を倒すのが、土方が考え出した新選組の戦法なのだ。


今、目の前で展開されている「草攻剣」は、複数の隊士が1人ずつ順番に攻撃していくもので、最初の1人が討ち損じても、2人目、3人目が次々と斬りかかり、絶え間なく繰り出される新手の、しかも剣技の異なる攻撃に、やがて敵が疲れ果て、力尽きるのを待ってとどめをさすというもの。


藤堂は刀を正眼に構え、新手の敵を鋭くにらみつけた。

頬に刻み付けられた傷から流れ出る鮮血が、今では白っぽい着物の衿に、どす黒いしみを作っている。

血糊のついた刀が月光を浴びて怪しく光り、その光に誘われるように新手の敵が動き出したその刹那……。


「やめろ、下がれ!」

腹の底に響くような声が彼我の動きを遮った。


「こいつは、お前らが束になったってかなう相手じゃない。こいつの顔をよく見ろ。額の傷は伊達じゃない」

仁王立ちした男の声は永倉のものだった。


「ここは俺にまかせて、あっちを援護しろ」


永倉があごをしゃくった先で、服部武雄が民家の門柱を背ににして戦っていた。

腰に馬乗り提灯を差し、右手には三尺を超える長刀を、左手には脇差しを持って奮戦する姿はまさしく鬼神そのもので、討ちかかる者は片っ端から斬り捨てられ、足元にはいくつもの死体が積み重なっていた。


指示を受けた数名の隊士が、加勢のために走り出した。

味方が手薄になった所で、永倉は目の前の隊士をつきとばすようにして、藤堂に向かって突進した。


「ウォーーーリャーーー!」

すさまじい気合もろとも刀を上段に構えると、藤堂ではなく黒装束の男たちが後ずさった。

そのまま一気に振り下ろした刀を、藤堂がすかさず受け流す。


双方の刃が激しくぶつかり、甲高い金属音とともに火花がはじけ、二人同時に飛びすさった。

間髪おかぬ二の太刀は、渾身の力で鍔元で受けた。

鍔ぜり合いになっても、永倉はぐんぐん押しまくる。

互角の腕を持つ剣客同志の戦いには、他の者を寄せ付けない気迫がみなぎり、他の隊士らは、それを遠巻きに見守ることしかできなかった。

それは、永倉にとって、一世一代の大芝居だった。


「平助のことは俺にまかせろ。お前はできるだけ多くの隊士を率いて、別の敵を討て」


戦闘の始まる少し前、見張りのために借りた蕎麦屋の二階から下を見下ろしていた永倉は、凍てつく路上にうち捨てられている伊東の死体から目を離さずにつぶやいた。

土方の芝居はすでに幕を上げている。

それに対抗するためには、別の芝居をうたねばならない。

鋭い目をさらに鋭くぎらつかせ、原田左之助がうなずいた。

原田が背にした床柱の傍らには、愛用の長槍が立てかけてある。


最初の一撃を受けた時、藤堂は全てを理解した。

永倉は鍔ぜり合いと見せかけて、藤堂を他の隊士から引き離した。


「平助、早く逃げろ」

「でも、敵に後ろを見せることは……」

「ちがう、敵じゃない! 」


藤堂の言葉をするどくはね返した永倉の目には、必死の色が浮かんでいた。


さきがけ……先生……」

黒装束の群の中から漏れ出たうわずった声。

それを合図に一同が一斉にあとずさる。


かつて、新撰組四天王に名を連ねていた美貌の剣士につけられた呼称は、今も新撰組の中で鳴り響いている。

その日出動していた者の多くが、御陵衛士の分離後に入隊した新入隊士だったが、藤堂平助の名を知らぬ者は一人としていなかった。


「俺はお前の敵になったりはしない。これまでも、そしてこれからも……」


永倉は言葉を続けながら、北東の角を振り返った。

服部武雄の勇猛さは相変わらずだが、そこから少し離れた所では、毛内有之介が大勢の隊士たちに追いつめられている。

毛内が倒れれば、血に飢えた狼たちの攻撃は、残る服部と藤堂に集中する。


(まずいな)

もはや一刻の猶予もならない。

心の中で舌打ちした永倉は、祈るような思いで藤堂に向き直った。


「こんな所で死ぬんじゃない。お前が考えているように、新しい時代が必ずくる。山南さんも伊東さんももういない。新選組も消えてなくなる。今度こそ自分で自分の人生を切り開くんだ」


「永倉さん……」

動揺を隠せない藤堂を、永倉の力強い眼差しがしっかりと受けとめた。

「なぜそんなことを?永倉さんはそれで……」


なおも芝居を続けながら、永倉は目だけで笑ってみせた。

「俺か?俺はいいのさ。好きでこの道を選んだのだから。 だが、お前は違うだろ?お前の人生はこれからだ。ほら、早く行け!」


刀身にぐっと力を加え、鍔ごと藤堂を押しやると、かみ合っていた二つの刃はわけもなく離れた。


「永倉さん……」

藤堂は刀を構えたままの姿勢で、数歩下がり立ち止まった。


「行けよ」

「永倉さん」

「ばかやろう!さっさと行け!」

「永倉さん、ありがとう」


藤堂はくるりと背を向けて走り出した。

永倉の視界を、しみのような影が遮ったのは、その直後だった。


ありえない展開に、永倉の目が極限まで見開かれる。

黒いしみのように見えたのは、それまで戦闘に参加せず、民家の物陰にじっと潜んでいた三浦常次郎だった。


三浦は、藤堂率いる八番隊に所属し、親子のように年が離れているにも関わらず、藤堂を崇拝しきっていた。

敵に後ろ傷を負わされ、本来なら切腹になるところを藤堂の機転で命拾いしたこともある。

高齢のため、永倉の配慮で最前線から外されており、いつも見張り役に終始したが、この日は土方の特命を受けていた。


「本人に気付かれないように、密かに永倉を援護せよ」

永倉自身も知らされていない、これが特命の全てだった。


「君は八番隊にいた頃、藤堂から突きを習っていたらしいな。何かあったら得意の突きで永倉に加勢してやるといい」

土方は最後にそう付け加えた。


三浦は不気味な思いで土方の部屋を出た。

自分のような老隊士に永倉の援護など出来るわけがない。

鬼副長は、どうしてそのような役目を、自分に与えるのか。


「士道を試すつもりかもしれない」

士道不覚悟は切腹である。

三浦はにわかに恐ろしくなった。

とにかく永倉に何かあった時には飛び出すつもりで、闇にじっと身を隠し、刀を握り締めたまま、戦闘の推移を見守っていた。


永倉が藤堂に斬りかかった時も、三浦は物陰に潜んでいた。

夜目のきかない三浦には、永倉の相手が誰なのかわからない。


「永倉さんが斬られるはずない」

はらはらしながら見ていると、敵が永倉に背を向けて、自分が潜んでいる方角に走ってきた。


(永倉さんほどの人が敵を取り逃がすとは……)

さぞかし腕の立つ相手に違いない。

気が付かなかったことにして、このまま見逃してしまおうと決めた時、背中がぞくりと粟立った。


(副長だ。土方副長がどこかから私を見ている)

それは単なる疑心暗鬼でしかなかったが、三浦は震える手で刀を握り締め、突きの体勢を保ったまま、一心不乱に相手の背中に体当たりした。


確かな手応えが伝わってきた。

三浦の刃は完璧に相手を貫いている。


「やった!やったぞ!」

三浦は狂喜して飛び上がった。

生まれて初めての感触に、全身が身震いするのを感じていた。


背中に鋭い衝撃を感じて藤堂は立ち止まった。

胸のあたりに目をやると、自分を貫いている刀の切先が、鈍い光を放っていた。


(後ろ傷……士道不覚悟ってことか……)

上半身がぐらりと揺れた。

薄く笑った唇から一筋の鮮血がこぼれおち、激しい痛みと薄れゆく意識の中で、おのれの人生の空しさを思った。

他人に振り回されてばかりの短い生涯だったが、不思議と後悔する気持ちにはなれなかった。

たとえ塵芥ちりあくたのような生き方であっても、懸命に生きたことに変わりはない。


(人は、生まれ変われるものなのだろうか?もしも、生まれ変われるなら、そして、また……お前に、会える……の、なら……)

切れ切れだった思念はそこで途切れ、藤堂はみずからが流した血の海の中に倒れ込んだ。

後はただ一面に咲く撫子と、その中で微笑む美しい少女のイメージが、断末魔の苦しみを和らげてくれた。


動かなくなった藤堂に、隊士たちが群がった。

見渡せば、地面に立って動いているのは、黒装束の新選組隊士だけになっていた。


大勢に取り囲まれ、なますのように切り刻まれた毛内有之介は、見るも無残な肉の固まりになっていた。

一騎当千の戦い振りで隊士らを寄せ付けなかった服部武雄も、前後左右に満身二十ヵ所以上の傷を負い、両刀を握り締めたまま死んでいた。


永倉新八は、放心したまま動けないでいた。

藤堂の、「ありがとう」という最後の言葉と、その時見せた笑顔だけが現実で、今、目の前で起こっていることは、全て別の世界の出来事ででもあるかのようだ。

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