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七条油小路1

「戻ってこない」

藤堂は沈痛な面持ちでつぶやいた。

時刻は既にの刻に近い。

無言で刀を引き寄せようとした時、最年長の篠原に遮られた。


「どこへ行く?」

とがめるような声だった。


「七条醒ヶ井へ。伊東さんを迎えに行ってきます」

(もう、間に合わないかも知れませんが……)

最後の方は心の中だけでつぶやき、刀をつかんで立ち上がると、なおも篠原が追いすがってきた。


「藤堂君、もう少し待ってみよう。君には言わなかったが、実は斉藤君が様子を探りに行ってくれている。新井君、清原君は江戸へ出張中だし、阿部君、内海君も明日まで帰らない。この上、君まで出かけてしまったのでは、今度はこっちが危険になる」

「斉藤が?」

振り返った藤堂の顔の険しさに、篠原は一瞬たじろいだ。


「本当に自分から様子を見てくると言ったのですか?」

「そうだ、それが何か……」

「くそっ、やられた!」

叫んだ藤堂は勢い良く襖を引き開けると、表玄関へ続く廊下を風のように駆け抜けた。


斉藤は与えられた任務は確実にこなすが、自分から進んで動くような人間じゃない。

誰かが斉藤を動かしている。

そしてそれは、土方をおいて他には考えられない。


表玄関の格子戸を開けようとした藤堂は、格子戸の向こうに人の気配を感じて身構えた。

「誰だ!」

「油小路の町役人です。こちらの御印の入った提灯をお持ちの御仁が、むごたらしく殺されて七条と油小路の四つ辻に打ち捨てられております。至急引き取りに来て頂けますようお願い申し上げます」

「兄上が!?」

悲痛な声をあげたのは、伊東の弟、三樹三郎だった。


「何てことだ!」

「まさか、伊東先生が……」

「相手はやはり新選組なのか!?」


他の連中が口々に叫び立てるのを、どこか遠くで聞きながら、藤堂は自分が必死でつかもうとしていたものが、手の届く寸前で粉々に崩れ去って行くのを感じていた。


(山南さん、俺はあなたとは違う生き方をしたかった……)


山南の死後、明里の行方はようとして知れない。

山南の後を追って自害したのではないかと言う者もいる。

寂しげな明里の顔に綾野の顔が重なり、藤堂は思わず目を閉じた。


「とにかく、伊東さんの亡骸なきがらを、そのままにしておくわけにはいかない」


篠原泰之進は、大広間に集まった七名の顔を見回した。

皆の意見を聞かせて欲しいと促され、まっさきに口を開いたのは、赤穂出身で伊東道場の門下生だった服部武雄だった。


「敵は我々を皆殺しにするつもりで網を張っているはずです。行けば必ず斬り合いになるでしょう。武具甲冑を身につけて行くのが妥当と思われます」

「しかし、服部君、こっちは多勢に無勢だ。戦いになれば討死には避けられまい。甲冑姿で路上に屍を晒したとあっては、武士の名折れだと思うのだが……」

「武士の名折れ」という言葉に敏感に反応した男たちは、一様に暗い顔をして俯いた。


「礼を尽くして引き取りに行けば、新選組もあるいは手を出さないのではないでしょうか?」

「三樹君、この期におよんで何を言っているんだ? 新選組の連中がまともな人間ではないことは、とっくに証明されているではないか!」

気弱な声を出したのは三樹三郎に、服部が鋭く言い返す。

様々な意見が飛び交う中、藤堂だけが無言だった。


「藤堂君、君はどう思う?」

そんな様子を目にとめたのか、篠原が唐突に声をかけてきた。

自分だけの物思いに沈んでいた藤堂にとって、話し合いの内容はほとんど意味を持たなかったが、篠原に目で促され藤堂は仕方なく口を開いた。


「相手は人数が多い上に重装備だ。甲冑は避けた方がいいでしょう」

「そうか、君もそう思うか。しかし我々は武士だ。死を覚悟してでも行かねばなるまい」

リーダー格の篠原が独り合点して立ち上がると、他の者も連動して立ち上がる。

その様子を黙って見つめる藤堂に、三樹が声をかけてきた。


「やはり我々は、死ぬしかないのでしょうか」

すがるような目をしていた。

伊東と姓が違うのは養子に出されたからだという。

それでも兄を慕い、優秀な兄に引きずられるようにして、ここまで来てしまったのだろう。

そして今は、頼りにしていた兄を失い、不安でたまらないのだ。


(まるで俺自身だ)

妙な感慨がわいてきた。

甲子太郎のように優秀な兄を持たなければ、平凡な人生が送れたに違いない。


「三樹さん、大丈夫ですよ」

藤堂はにこりと笑い、握っていた鉢巻を三樹に手渡した。

「なるべく身軽に。そして、俺の側を離れないようにして下さい」


高台寺党は今夜、壊滅する。

だが、この男だけは逃がしてやろう。

神妙な顔でうなずく三樹にもう一度微笑みかけてやってから、藤堂は夜の闇に踏み出した。


藤堂ら御陵衛士七名は、伊東の死体を運ぶために駕籠かきを雇い、身を切るような寒さの中、油小路へと急いだ。


東大路を下って五条へ入り、五条大橋を渡って東へ進めば、油小路に出ることができる。

深夜の都大路は不気味なほど静かで、猫の仔一匹出てこない。

それぞれの思いを胸にした男達は、白い息を吐きながら、ただ黙々と進んで行った。


藤堂はふと足をとめ、夜空を仰ぎ見た。

冷たく澄んだ夜空には、いくつもの星がまたたいている。

あの空の上から見下ろした時、人一人の生き死になんてものは、本当に取るに足らないものだ。

大切な人を不幸にしてまで士道に殉じることに、どれほどの価値があるのだろう。

だが今は、それ以外のいかなる選択肢もないような気がした。


「藤堂君」

振り返った誰かに名を呼ばれ、ふいに現実に引き戻された。

再び歩き出した藤堂の右斜め前方に、かつて新選組が屯所にしていた西本願寺の太鼓堂が、黒い影を浮かび上がらせている。


やがて眼前に油小路と七条通りが交差する十字路が迫ってきた。

十字路の真ん中には、伊東甲子太郎の死体が棒切れのように転がっている。


「兄上!」

三樹三郎の叫び声が、凍てついた闇にこだました。


「待て、行くな!」

咄嗟の叫びは三樹の耳には届かない。

わき目も振らずに伊東の死体に駆け寄っていく。

その前方の闇からは、黒装束の男達が次々と湧き出てきた。


小さく舌打ちした藤堂はすばやく周囲に視線を走らせた。

正面から約二十名、

右手からも同じく20名。

月明かりの下、顔を判別することまではできないが、新選組であることは間違いない。


「たった七名を相手に四十名とは土方らしいぜ」

駆ける藤堂の瞳には、死体にしがみつくような姿勢で地面にしゃがみこんでいる三樹三郎の後ろ姿が映っていた。

その背後に白刃をひらめかせた複数の敵が迫っている。


藤堂は刀に手をかけたまま。地面を蹴って跳躍した。

再び地面に足を着けた時には、目の前の影が一つ消えていた。


手柄を奪い合うかのように、四方から一斉に刀が伸びてくる。

横合いから伸びてきた切先の一つが頬をかすったが、振り向きざまにその刀をなぎ払い、三樹をかばうようにして敵の前に立ちふさがった。


「死ぬまで付き合ってやるから順番にかかってこい」

微笑む藤堂の足元には、黒装束の死体がすでに二つ転がっていた。

月光に照らし出された美しい顔に、流れる鮮血が色を添えていた。


そこそこ剣が使えるものなら、相手の放つ気でその腕がわかる。

男たちの間に動揺が走った瞬間を、藤堂は見逃さなかった。

大げさに刀をふりかぶり、そのまま振り下ろすと見せかけて、敵の注意を引き寄せた。


「逃げろ!」

すばやく身を翻した時には、三樹の首根っこをつかんでいた。

そのまま無理やり三樹を立たせ、最も手薄になっている方角に、その背中を押し出した。


三樹を含む4名の御陵衛士が、藤堂が示した方角に一目散に逃げ出した。

四人の先頭を駆けているのは篠原泰之進だった。


藤堂は逃げなかった。

七条油小路には、藤堂の他に最後まで武装を主張した服部武雄と、逃げ遅れた毛内有之介が残っていた。


四つ辻の三ヵ所で、三対四十のすさまじい死闘が始まった。

新選組は単なる剣客集団ではなく、集団殺法を徹底的に仕込まれた武闘組織である。

それだけに、統制の取れた動きには無駄がなく、小柄な藤堂を十数人の屈強な男たちが取り囲んでいる様は、獲物を狙う狼のようだった。


やらなければやられるのは新撰組も同じことだ。

たとえ命を落とさなくても、ここで無様な姿を見せれば、士道不覚悟で腹を切らされる。

それがわかっているから、決死の覚悟で次々と斬りかかってくる。


獣じみた咆哮もろとも、正面の敵が刀を振り下ろす。

半身をひねって、相手の切先を鍔元で受けた藤堂は、そのまま勢いよくすり上げた。

思わぬ反撃にひるんだ敵は、体勢を立て直そうとしてあえいだが、刀を構えなおすこともできずに、すさまじい一撃をあびてのけぞった。

肉が裂ける鈍い音がして、周囲に血のにおいがたちこめる。

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