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伊東甲子太郎3

襖の奥で、誰かが苦しげに咳き込んでいる。

廊下に佇んだ土方は、襖をにらみつけたまま動かない。

その咳がようやく落ち着いたところで、今来たような顔をして襖を開けた。


部屋に真ん中に敷かれた布団には、痩せた青年が横たわっている。

この男こそ、新選組最強の剣士とうたわれる一番隊長の沖田総司である。


「具合はどうだ?」

軽い調子で告げると、沖田は嬉しそうに目を細めた。


「私はこの通り元気です。いつまでも布団に縛り付けられて退屈していたところです。それより土方さんこそどうかなさったんですか?何だかしょぼくれた顔をして、ひょっとして鬼の撹乱かな?」


他の隊士が言ったらその場で首が飛びかねない台詞を沖田はスラスラと言ってのけ、無邪気な笑みを向けてきた。


「鬼の撹乱で悪かったな」

わざとふてくされたような顔をして、土方はどかりと沖田の枕元に胡坐を組んだ。

ぶっきらぼうな口調とは裏腹に、起き上がろうとする沖田の身体を支えてやる腕はいたわるような満ちている。


「土方さん、困るなあ、過保護はやめて下さいよ。そうやって土方さんが世話をやくから、他の連中まで私をいつまでも病人扱いするんですよ。それはそうと、こんぺい糖はいかがですか?昨日、壬生方面を巡回した隊士が、子供たちから言付かったと言って、持って来てくれたんです」


「お前は本当によくしゃべるな」

呆れたようにつぶやきながら、土方は出されたこんぺい糖を一粒つまみ、ぽんと口の中に放り込んだ。


「それで?」

「それでとは?」

「話があるんでしょう?聞いてあげるから言って下さい」

土方は小さく吐息をもらす。

子供に対するような口調だが、この男がすることには、不思議と腹が立たないのだ。


九歳で天然理心流に入門した沖田総司は、剣の上では土方の兄弟子ということになる。

子供の頃からまれに見る天分を示し、十二歳で白河藩の剣術指南役と試合して勝利した。

沖田が本気になれば、土方どころか、近藤だって手も足も出ない。


(だがそれも、元気だった頃のことだ)


細くなった腕を伸ばして、こんぺい糖をつまむ無邪気な横顔を、土方はそっと盗み見た。

天賦の才を持つ目の前の青年が労咳という不治の病に侵されていることが誰の目にも明らかになったのは、現在の屯所に移ってからである。

沖田自身は、自分の身体の変調を長い間、誰にも告げず、ひた隠しにしてきた。


「何でもねえ。ただ、俺もいよいよ本物の鬼になってきたな、と思ってさ……」

あいまいな言い方だったにも関わらず、沖田にはこちらが考えていることが、手に取るようにわかるようだった。


「土方さんは鬼なんかじゃありませんよ。ただ、土方さん以外に鬼のふりができる人がいないだけです」

この青年の透き通った瞳は、真実だけを映す鏡だ。

まるで神の啓示のように、沖田の言葉は土方の胸におさまった。


「私は本当の土方さんを知っているけど、他の人は騙されている。新選組には鬼が必要で、それを演じきれる人が他にいないから、やっているだけでしょう?本当は私が代ってあげられるといいんですけどね。土方さんみたいに器用じゃないからなあ……」


「よせやい、お前に鬼は似合わねえ」

思わず苦笑して告げると、沖田もくすりと笑い、痩せて骨ばった手が土方の手の上に重ねてきた。


「大丈夫ですよ」

瞳と同じ曇りのない声。


「みんなが土方さんを怖がって逃げ出しても、私だけは最後までついて行ってあげますから。あなたは自分が行きたい道を進めばいい」


「だが、総司、お前は……お前自身の進む道はどんなんだ!?」

思わず本音を漏らすと、沖田は笑みを深くした。


「私は土方さんと違って面倒なことを考えるのは苦手ですから。自分がどっちへ行くかは、近藤先生と土方さんに全てお任せしていますので、楽なもんですよ」

笑っていられる状況ではないのに、土方は思わず吹き出した。

暗く陰惨な日々の中で、目の前の青年にどれだけ救われたかわからない。


「総司、今の言葉を忘れるなよ。 まずは身体を治すことだ。薬はちゃんと飲んでるだろうな。 おっと、水を切らしてるじゃないか、汲んできてやるからちょっと待ってろ。逃げるんじゃないぞ!」

土方は明るい顔で立ち上がる、

遠ざかっていく土方の足音を聞きながら、沖田は自分の手を見つめていた。


「本当に、どこまでも一緒に行けたら……」

後に続くことは、こみあげてきた咳によってかき消された。

激しく咳き込むたびに、口に当てていた手のひらに、真っ赤な鮮血がしたたった。

沖田はその手を握り込み、こぶしで勢いよく涙を拭う。


残された時間は、わずかしかない。

前に進むことは、もうできない。

沖田には、自分の死がもうそこまで来ていることが、わかりすぎるぐらいわかっていた。


土方の筋書き通りにことは進んだ。


芹沢鴨の死の真相を知らされていない伊東は、自分が芹沢と同じ道をたどっていることに気付かない。

近藤に肩を抱かんばかりに出迎えられ、尾形俊太郎や山崎烝にさんざん持ち上げられ、勧められるままに盃を傾け熱弁をふるった。

伊東の話に水をさす者は誰もいない。

この時ばかりは、いつも無愛想な土方までが、別人のように笑顔を振りまいた。


「伊東さんの見識には恐れ入りました。今日は本当に良いお話をお聞かせ頂いた。我々もこれからはもっと前向きに薩長の士と交わっていかなくてはなりませんな」

玄関まで見送りに出た土方に、こぼれるような笑みを向けられて、伊東は嬉しそうにうなずいた。


「土方さんがこれほど話のわかる御仁とは、失礼ながら思いませんでした。及ばずながら私も、新選組のためにおおいに尽力させて頂きたいと思います」


「本日はわざわざお運び頂いたにも関わらず、お約束の三百両をお渡しすることができず、誠に申し訳ない。明朝、会津藩から金子が届き次第、月真院へお届けしますので、何卒ご容赦を……」

申し訳なさそうに頭を下げる近藤に、鷹揚にうなずいてみせてから、伊東は悠々と表に出た。


「伊東先生、駕籠をお呼びしましょうか?」

「いや結構。酔い覚まし方々、歩いて帰ります」

「では、これを」

山崎が下僕のような従順さで歩み寄り、そっと提灯を手渡した。

十六夜の月が照る下を菊桐の紋が入った提灯の灯火がゆらゆらと揺れながら次第に小さくなっていく。


「行け」

低いつぶやき合図に、背後に控えていたいくつもの黒い影が、伊東が消えた方角に向って動きす。

それを見つめる土方の目は、氷のように冷ややかだった。

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