伊東甲子太郎2
伊東が出かける少し前、新選組の屯所では、近藤、土方以下、主だった幹部たちが集まって、今夜の計画に関する最後の詰めを行っていた。
それは恐ろしい暗殺計画だった。
永倉、原田、そして藤堂が危惧していたように、土方は御陵衛士を許したわけではなかったのだ。
薩長同盟や大政奉還の成立は、局長の近藤はもちろん、新選組全体に少なからぬ衝撃を与えたが、土方だけは動じなかった。
土方歳三という男は、おのれが作り上げた新選組を守ることしか考えていない。
何人もの優れた隊士を引き連れて新選組を去って行った伊東のことを心の底から憎んでいた。
だが、伊東は自他共に認める優れた剣客である。
まともに戦えば、こちらもかなりの犠牲を覚悟しなくてはならない。
土方は、かつて芹沢鴨を暗殺した時と同じように、酒の力を借りることにした。
「局長の休息所へは、局長と私の他に、尾形君、山崎君にも行ってもらう」
土方は、伊東の警戒心を解くために、伊東と仲の良かった尾形俊太郎と、人あたりの良い山崎烝の二人を伊東の接待役に指名した。
「泥酔した伊東を始末するのは……」
「俺の役目だ」
冷酷な笑いを浮べたのは「人斬り鍬次郎」こと大石鍬次郎である。
池田屋の変の四ヶ月後に入隊したこの男は、公然と人を斬るために入隊した変わり種で、暗殺、切腹時の介錯、不逞浪人との斬り合いなど、あらゆる場面で殺人剣をふるい、殺した人の数は自分でも覚えていないほどだ。
近藤はこの男を重宝がったが、土方は、大石が人を斬殺する瞬間に見せる喜悦に満ちた顔が不快でならない。
だからこの時も、冷ややかな一瞥を送っただけだった。
土方の筋書きは、それだけでは終わらない。
暗殺された伊東の死体をおとりにして、残りの御陵衛士をおびき寄せ、高台寺党を一気に根絶やしにすることまで決まっていた。
「残りの御陵衛士を待ち伏せする役は我々に任せて欲しい」
揃って立ち上がったのは永倉と原田だった。
土方は鋭い目で二人をにらんだが、この時ばかりは永倉も原田も一歩も引かず、真っ向から相手をにらみ返した。
「君たちが考えていることを、私がわからないとでも思っているのか」
「副長」
すごみを帯びた土方の声を、近藤が静かに遮った。
「君たちの出動は局長の私が許可しよう」
近藤は土方の方を見ないまま、永倉と原田に向ってうなずいた。
その一言で、緊張した空気が一気に弛緩する。
永倉と原田が安堵の表情を浮べたのに対し、土方の顔からはいかなる感情も読み取れない。
「永倉君、君の隊には三浦という隊士がいたな」
土方の唐突な質問に、永倉は表情を引き締めた。
三浦常次郎は、もともとは藤堂率いる八番隊に所属していたが、御陵衛士の離脱による再編成で永倉の二番隊に移された。
年は六十を超えており、新選組では一番の高齢だ。
特に剣術が優れているわけでもなく、どうして新選組に入隊できたのかは知らないが、藤堂は、親子以上に年の離れた三浦のことを、さりげなく気にかけていた。
三浦が永倉の隊に配属されているのも、藤堂に頼まれて、永倉が下工作をしてやったからだった。
「三浦が何か?」
「私の部屋へ来るように伝えてくれ」
いやな予感がした。
土方の言葉を伝えると、三浦は哀れなほどに怯え始めた。
平隊士が副長室に呼ばれることなど滅多にないのだから無理もない。
「一体、何を考えていやがる」
土方の冷徹な横顔を思い浮かべながら、永倉は暗い思いでつぶやいた。
肩を落としてとぼとぼと廊下を歩いていく三浦の背中は、いつもよりさらに小さく見えた。