伊東甲子太郎1
高台寺月真院にいる伊東甲子太郎のもとに一通の書状が届いた。
差出人の名は近藤勇。
七条醒ヶ井にある近藤の休息所に、本日夕刻、伊東を招きたいという。
「伊東さん、これは罠です。行ってはだめだ!」
藤堂は叫んだが、伊東は書状を広げてみせながら、目元の涼しい色白の面に余裕の笑みを浮べてみせた。
「近藤さんは私に相談があるそうだ。大政奉還が成立したことで世間では討幕の気運がますます高まり、新選組の立場も危ういものになってきている。かたくなだった彼らもここへ来てようやく時流に眼を向ける気になったのだろう。その証拠に、ほら、我々御陵衛士の活動資金として、三百両もの大金を提供したいとまで言ってきた」
藤堂は書名に目を落とし、そして、相手の顔を見た。
伊東には、弱点と言えるような弱点が見当たらない。
すらりとした長身で、本紫の着物に銀鼠色の袴を付けた姿は、武士というよりは役者のようだ。
それでいて、北辰一刀流免許皆伝の腕を持ち、江戸深川佐賀町に剣術の道場を開いていた。同流の藤堂の誘いに応じ、実弟の三樹三郎他、篠原泰之進、服部武雄ら門弟七名を率いて新選組に入隊したのは、みずからの腕と才覚をもって、新撰組を改革し、時流に乗り出すためだった。
年は土方と同じ三十二才。
役職も副長に並ぶ参謀職にありながら、近藤・土方が切腹や斬首を申し付けようとするのを、「まあ、まあ」となだめに回るのが常だったから、隊士の中には伊東のおかげで命拾いした者も少なくない。
新撰組での人気は絶大で、新撰組から比較的すんなりと分離できたのも、その人気のなせるわざだ。
だが、その能力の高さと、おのれの実力に対する絶対的な自信こそが、実は最大の弱点だということに、伊東自身は気付くことができない。
「時流がどうであろうと、あの二人は変わりませんよ。のこのこ出かけて行ったりしたら、隊規違反ずたずたにやられるのがおちだ」
「藤堂君、我々は新選組を脱退したのではなく、あくまでも分離のかたちを取っているのだから隊規違反にはあたらないよ。第一、新選組を離れてもう五ヶ月だ。本当に君の言う通りなら、我々はとっくの昔に殺されている」
藤堂は唇をかみしめた。
伊東は優れた論客だ。
議論では絶対に勝てない。
「あなたは御陵衛士にはなくてはならない人です。どうしても行くとおっしゃるのなら、俺があなたを守ります。同行させて下さい」
「そうです。あなたは大切な方だ。我々も是非ご同行させて下さい」
藤堂の言葉に、篠原泰之進が呼応して立ち上がった。
そうすると、伊東を取り囲むようにして話を聞いていた他の者たちも次々と立ち上がり、同行させて欲しいと言い出した。
「君たちの気持ちがありがたいが、呼ばれてもいない者までがぞろぞろと押しかけて行ったのでは、怖じ気づいていると思われてしまう。私はこう見えても伊東道場の道場主までつとめた男だ。たとえ何かあったとしてもみすみす殺されるようなことはないから、安心しなさい」
静かな微笑をたたえた伊東の言葉は、やはり自信に満ちていた。
薩摩藩の大久保利通とわたりをつけ、勤王の志士として鮮やかに転身することができたのは、他ならぬ伊東の働きによるものである。
その巧みな弁舌で、どんな相手でも屈服させることができる。
本人も周囲の者たちも、そう思い込んでいる限り、もう誰も伊東を引き止めることはできかった。
午後になると伊東は駕籠を呼び、気軽な調子で出かけて行った。