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出会い1

京の町は、沈み行く太陽が放つ、その日最後の輝きに包まれていた。

闇に支配される直前の刹那の時。

四条大橋の下をゆったりと流れる鴨川も、橋の上を行き来する人々に背を向けて夕景を眺めている青年の横顔も、ほんのりとあけに染まっている。


行き交う女たちが、青年の視線の先を見定めようとして、次々と振り返るのも無理もない。

元結もとゆいで束ねただけの総髪をさらさらと風になびかせている青年は、こざっぱりとした身なりとは裏腹な、華やかな美貌の持ち主だった。


婉然と微笑めば、女も男も頬を染めるだろう。

紅をひいたように艶やかな唇は、抜けるように白い肌をひきたたせ、ほっそりとした身体や上品な容貌とあいまって、不思議な色気をたたえている。


もっとも、そんな言葉を直接本人に向かって口にすれば、その場で首が飛びかねない。

青年は生粋の江戸っ子で、都人たちの言葉を借りれば、田舎者の東国武士。

さらには自他共に認める剣豪で、泣く子も黙る新撰組の一員である。


名を藤堂平助という。

弘化元年生まれで二十一歳の彼は、斉藤一、沖田総司と並ぶ、最年少の新選組幹部。

江戸三大道場の一つである玄武館で北辰一刀流を修めた上に学もある。

スッと背筋を伸ばして歩く姿には、えも言われぬ気品があって、三十二万三千石の大大名、津藩藩主、藤堂和泉守のご落胤らくいんなどと騒がれているのも、あながち嘘ではなさそうだ。


「すっかり秋だ。早いものだな」

涼やかな声には、少なからぬ感慨が含まれていた。


京都へ来てから1年半。

その間に何があったかを眉間の刀傷が語っている。

横から見れば目立たなくても、正面から見ればはっきりとわかる三日月型の傷。

今はもう痛みも消えたその傷を、藤堂は指先でなぞってみた。


引きつった皮膚の感触が一つ記憶を蘇らせる。

生きているのが不思議なぐらいだ。

あれは、そう、今からちょうと三月前。

祇園祭の山鉾巡行を翌々日に控えた蒸し暑い夜のことだった。


記憶は凄惨な拷問から始まっている。

木屋町通りで薪炭商を営む桝屋喜右衛門は、実の名を古高俊太郎といい、洛中を騒がす倒幕派の一味だった。

新撰組が桝屋に踏み込んだ時、古高は証拠となる書類を燃やしている所だった。

その時の落ち着き払った態度は、屯所に連行された後も変わらなかったが、頑として口を割らない相手に業をにやした副長の土方歳三がみずから拷問役を買って出た。


さんざんに打ち据えられ、顔の形もわからなくなった古高を、土方は天井から逆さに吊るし、足の裏に五寸釘を刺して百目蝋燭ひゃくめろうそくを立てた。

ゆらゆらと揺れる炎の下から熱い蝋が流れ出し、じわじわと肌を焼いていく。


土蔵から漏れるうめき声を聞きながら、藤堂は目を閉じていた。

こういう陰湿なやり方は、背筋が寒くなるほど嫌いだが、古高が苦痛に耐えかねて漏らした計画は、それ以上にぞっとするものだった。


六月二十二日前後の風の強い日を選んで、京都に潜伏している討幕派の浪士たちが、御所の風上に一斉に火を放つ。

火はたちまち燃え広がり、都は大混乱に陥るだろう。

その混乱に乗じて幕府方の要人を次々と襲撃し、さらには天皇をさらって長州に連れ去るというのだが……。


「勤王の志士を自認する連中が天皇をさらうとは許せねえ。長州藩主は幕府を倒して自分が将軍になるつもりなんじゃねえか?」

饒舌な原田左之助の言葉も、冗談には聞こえなかった。

連中は天皇のことを「玉」と呼んでいる。

玉を手中にすれば、京都の政権は思いのままだ。


土方の対応は迅速だった。

会津藩邸に応援を求める使者を走らせると同時に、出動可能な隊士を二つに分け、藤堂平助、沖田総司以下七名を局長の近藤勇に預け、自分は斎藤一ら二十二名を率いて市中探索を開始した。


不逞ふてい浪士たちが潜伏している可能性のある場所は、祇園界隈の茶屋や旅籠はたごを中心に約二十箇所。それら全てをしらみつぶしに探していくのだが、隊士たちの焦りをよそに、夜はどんどん更けていく。


左手には高瀬川。

右手に連なる材木問屋の家並が途切れると、三条通りが目の前に見えてくる。

聞えてくるものと言えば、川のせせらぎと、川風に揺れる柳の葉音ぐらい。

通りにひしめく旅宿は、漆黒の闇に沈み込んだまま、ただただ眠りをむさぼっている。


「暑いなあ、京都の夏は蒸し暑くてかなわん」

(全くだ)


誰かの呟きに心の中だけで同意した時、先頭を行く近藤の手がすっと後方に振り下ろされた。

従う隊士たちが一斉に身構える。

誰もが食い入るように前を見た。

軒を並べる旅宿の造りはどれも似通っていて、ぱっと見ただけでは見分けがつかない。

けれどもその中に一つだけ、灯りが漏れている建物があった。


「池田屋ですね。昨年八月の政変までは長州藩の定宿でしたが……」

沖田の声をすぐそばで聞きながら、藤堂はかつて踏み込んだことのある池田屋の間取りを思い浮かべていた。

浪士たちが潜んでいるとしたら二階の奥の八帖間だろう。

襖を外してしまえば二十帖程度の大広間になるし、裏庭に出て塀を乗り越えれば、高瀬川の舟入に出ることができる。


「土方隊を呼びに行きますか」

「いや、我々だけでやる」

近藤の言葉に隊士たちが顔をひきつらせたのがわかったが、藤堂は無言でうなずいた。

合流地点は初めから三条通と決めてある。

遅かれ早かれ土方隊はここに来るのだから、わざわざ迎えに行くことはない。


近藤隊は全部で十名。

表口に三名、そして裏口に三名を貼り付けると、四名しか残らない。

その四名で池田屋に踏み込ことになるのだが、その人選は近藤の目配せ一つで簡単に済んだ。

もちろんその中には、北辰一刀流の使い手である藤堂平助も含まれている。

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