反抗期
父親は手を4歳になる娘の脇の下に入れて、抱き寄せようとした。しかし父親の手が娘に触れた瞬間、娘はむっとした顔になった。
「パパのこと嫌い」
父親は無視してそのまま抱き上げて、自分の顔の前に娘の顔を持っていった。
「パパのことが嫌いなんか?」
「パパ、嫌い」
父親の高圧的な表情に娘は泣き声になっていた。こんな父親は見たことがなかった。
「よし分かった」
父親は娘を抱き上げたまま歩きはじめた。娘は父親の見たことがない態度に不安になって泣きだした。父親は玄関から外へ出て、そのまま歩き続けた。
「パパ、やめて」
娘は大粒の涙を流しながら必死に哀願したが、父親は無視して競歩のように歩き続けた。娘は暴れたが父親の力は強かった。近所の人が泣き続ける娘を抱いたまま歩く父親の姿を訝しげに見た。しかし誰も父親に声をかけようとはしなかった。
「すぐに下ろしてあげるから」
娘を抱いた父親は堤防に架けられた橋の中央に立っていた。下は川だが、水深はそんなに深くない。父親は娘を抱いた手を橋から出した。今、手を離せば娘は真っ逆さまに落ちていって川底に激突する。
「やめてぇ、パパやめて、ごめんなさい」
娘は自分が落とされるかもしれないことを分かっていた。強い風が頬に当たる。恐怖で尿が漏れて、黄色い液体が何十メートルか下の川に垂れた。
「落としまーす」
父親はそう言って手を離した。娘は目を見開いて、手足をジタバタさせながら落ちていった。風になびかれて真下には落ちなかった。真ん中よりも水深が浅い場所に体から激突した。衝撃でまだやわらかい全身の骨が折れた。すわったばかりの首の肉は半分ちぎれた。片方の目玉が眼窩から外れていた。押し出されたピンク色の筋肉が皮膚のあちらこちらから飛び出ていた。
父親は娘の落下地点の川の水の色が真っ赤に染まっていくのをしばらく見ていた。そして一段落終えたかのように溜息をついて家に帰った。