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 清く正しい生涯を送ってきたとは到底言えない。だが起きぬけに、据わった眼の男が銃を突きつけているなんて事態に直面したのは生まれて初めてのことだった。叫び声すら出せず10秒ほど硬直してから、オリヴィエはようやく身体を起こした。見開かれた色素の薄い目玉、強い赤毛。確かにゴトの中でも軍隊帰りをかさに来て気ままに癇癪を破裂させる男だったが、今回ばかりは悪いことをした覚えもない。

 一つだけ、別の部品を貼り付けたかのように歪んでいる唇をまじまじと見て思い至る。これで頭をモヒカンにしたら『タクシー・ドライバー』のデ・ニーロじゃないか。彼も韓国で総書記相手に血も凍るような戦いを繰り広げたのだろうか。可哀相に。そうなると自分はハーヴェイ・カイテル。彼はかっこいい。『レザボア・ドッグス』ではミスター・ホワイトが一番好きだ。



 まとまらない頭脳運動故の沈黙を思考停止と勘違いしたのか、やがてレナードはゲラゲラと腹を抱えて笑い出した。後は今まで通り。何事もなかったかのように銃をベッド脇のチェストへ戻し、二人して傷みかけたラムチョップを食べる。何でこんな事ばかり。べとべとの指を舐めながら、オリヴィエはこれまでの三週間を思い返した。決定的に嫌だとは言えないが、標準よりもずっと低い線を横這いに進み続けている。しかも今日は天気まで悪い。自ら飛び込んだ事実を差し引いても、もう少し運を期待したっていい位には。



 食後、見ていたテレビが無駄毛用シェーバーのCMに入ったところでレナードは立ち上がり、ダンのところへ行こうと言い出した。露骨に嫌な表情を浮かべて見せてもお構いなし。かといって説得するという選択肢は端から存在しない。勝手に話を進められるのも嫌なので、仕方なく付いて行く。しとつく雨のおかげで今日は一日気温も上がらないだろう。意外と肌寒いため勝手にパーカーを拝借しても、レナードは何も言わなかった。



 恐ろしく汚いフォーカスで走ること20分。ベイカー・レーンにあるダンのアパートは独身貴族のものらしく築浅で小奇麗な外観、住宅街の中に済ました顔で収まっていた。彼はペッパー・ミルホテルでカリビアン・スタッドのディーラーに昇格して3年。レナードの弟の友人の親戚らしいが、本当の所は分からない。ただ仕事における重要性が、自らの比にならないことだけは確かだった。



 アムトラックに乗って砂漠の街へたどり着いた二日後、親切なレナードはまず年齢を聞き――おかげさまで21歳になったよ――身の振り方を考えてくれた。涙が出るほどの処遇。気の置けない連中とジンラミーしかしたことのない人間に、大手カジノでのいかさまだなんて。刑務所の中で見た『カジノ』の制裁シーンを思い出す。タトゥですら痛みを恐れてマリファナ片手に彫らせたのに、手をゴムハンマーで叩き潰されるなんて想像しただけで貧血を起こしそうだった。


 文句を言いながらも宥められ賺され、何より「ペイアウト」2割と

いう設定に渋々頷き、気付けばカジノの重い扉を潜るのは3回目、次があるのならば。



 2日前から2時間おきで着信履歴を残しているにも関わらず、ダンは一切のリダイヤルを拒んでいた。

「そう簡単に逃がしてたまるかよ」

 引き抜いた鍵を分厚い掌の中で鳴らし、レナードは凶悪な瞳でマンションを睨んだ。駐車場には涎を垂らしそうな青いローバーミニがちゃんと鎮座しているし、彼を仲間に引き込んだ時点でシフト表は手に入れてある。予定では夕方の六時交代。余裕があるわけではない。

「ここまで来て」

「もう潮時ってことかも」

 だらしなく助手席へ沈み、オリヴィエは呟いた。

「もうこの前ので30万とちょっとだろ。いい加減ピットボスに睨まれてるんじゃない」

「ガキが知った口聞くな」

 高々何年かしか変わらないじゃないか。抗議しようと思ったが、怖さが先立ち結局口を噤む。不機嫌をそのまま掌へ移動させ、レナードは運転席のドアを思い切り押し開いた。

「最初の計画では切りのいい額になったらって言ってたし」

 勿論こちらとて腹の虫は収まらず、未練たらしく唇を尖らせて車を降りる。大粒だった雫はいつの間にか霧雨へと変わっていた。市街地と隣接する山々を通ってくる際緑の匂いを含み、身体へ纏わりつく。

「それって、いつなのさ」

「50万ドル」

 振り向きもせずレナードは言い返す。踏みしめられた鉄の階段が慣らす音は、がっしりとした体つきに似合わず軽快だった。

「あと一回。それくらいグダグダ言わずやり遂げろってんだ」

 二階の角部屋のドアを握り締めた拳で思い切り叩く。薄い鉄板特有の鈍い音が、湿気の多い空気へ広がり漂う。

「ダニエル・ローチ! いるのは分かってんだ!」

 張り上げられた銅鑼声に、オリヴィエはパーカーのポケットに突っ込んでいた両手を強く握り締めた。

「さっさと開けないとどうなるか……」

 返事は一切返ってこない。ふと周囲を見回し、レナードは一転して甘い口調に声域を変更した。息の量だけは変えないから、相変わらず長い廊下には声が響き渡っている。

「聞けよダン! 話をしたいだけだ、すぐ終わる」

 間抜けなことに玄関の照明は点されたままで、電気メーターも歯車の音を立てながら毅然として回り続けていた。

「なあ、怒っちゃいないさ。20年前だって許したろ」

 人気物件らしくこの棟にある建物は殆どがそうで、それをよいことに、脅迫は益々図に乗った意地の悪いものとなる。

「20年前、まだ小学生だった俺の妹をコカコーラの瓶でレイプしたときだって」


 叩きつけられるようにしてドアが開かれ、寝癖がついたままの頭が登場する。ローブの前を掻き合わせ、ダンは大きな茶色の瞳を神経質に瞬かせた。口調は寝起きを差し引いても呆気に取られ、生っぽい。

「隣に聞こえるだろ」

 レナードの表情は見えないが、この中で一人だけ上機嫌なことは間違いなかった。のろのろと客を部屋へ招き入れるホストに心底同情して視線を投げかけても、返ってくるのは同じ険しさ。彼にとっては誰も何も変わらないのだ。理解はしていても釈然としないまま、オリヴィエはせめてもの償いにと耳を澄ませているご近所の好奇心から共犯者を守るため、そそくさとドアを潜った。

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