03:Episode 0-2
足を踏み出し割れ目を潜れば景色は一転、木造の屋敷の茶系統から研磨された石造の真っ白な空間へ変化する。
此方の侵入に気付き、其処にチョコンと座る2匹の使い魔のうち、身体の大きな母猫のみ此方を向く。
「状況は?」
『依然対象ニ変化ハアリマセン』
「そう……」
眼下に横たわる血塗れの少女を一瞥し、思案する。
現場保存を優先したとは言え、こんな状態では互いの衛生上に宜しくはない。
取り敢えず、まずすべきことは1つ――――。
「清潔に、かな。――――"環境の浄化"」
術式を起動し、この一帯の血痕や塵を取り除く。
これで目の前の少女はボロボロの装束を除けば"惨劇の被害者"の状態から"童話の眠り姫"へとソフトな表現へと変化出来ると言っても良い。
無論その恩恵は対象が醸し出す印象の変化だけではなく、私にとっても精神衛生上の問題を解消する一石二鳥だった。
「次は診断、かな」
だが、それが最大の問題だと思わず溜息が出る。
仮に自身が魔術と言う手段を生じて診断をしたとしても、圧倒的な経験・知識不足から論理的に解答を引き出すことは叶わない。
元より"御子"と呼ばれた"サヤカ・ヒダカ・シュヴァラ"は芸達者な熟練とは異なり、バカみたいな膨大過ぎる魔力量をただゴリ押しすることしか芸の無い凡庸な存在。精々残留した魔力から属性や特性を直感的に嗅ぎ付ける程度の判別しか術がない無能者だ。
――――使い魔も術者の知識が基だから当てに出来ない。頼みの綱はアレだけかな。
唇を噛み、直ぐに左手の親指で血を絡め取る。
「『魂すら括り、余を内包していた概念にすら永劫の敗北を齎したか。なれば、勝者の裁定に従うは敗者の道理だろう』……か。さて、始祖からの宿業を終わらせた私への褒賞替わりか何かは知らないけれど、他でもない貴女自身が望み結んだその盟約――――今この時から果たして貰おうかな」
反対の右手の甲に刻んだ紋様をなぞる。
「開封承認。展開、来たれ"男装騎士"」
紋様に沿って光を帯び、術式が起動する。
初めて呼びつける代物だが、顕現には使い魔の比較にならない程の魔力を貪り食う燃費の悪さ――――正直、驚愕の念を抱かざるを得ない。
――――まさか、あの"暴君"がこれ程までとは。
屋内には有り得ない強風が吹き荒れ、徐々にそれは形を成す。
「ふむ。確かに我は隷属の約定を契ったがな―――――……だが、我が主は従者を呼び出すための大切な言霊に対して、何故そのような格好の付かない冠を頂かせるのだ?」
実体化早々、開口一番にそれ行き成りの不満を零す。
長い黒髪を揺らし、幼児並の小さな体躯を精一杯偉そうに見せる様にしか見えない物体――――それは嘗て永劫不滅と呼ばれた宿敵"ユリウス"、今はただの下僕となった"リウィア"その人だ。
「『新生とも言える故、言霊には余を示す名を禁忌とするがよい』、そう条件を提示したのは他でもない貴女自身。"災禍の主"なんて馬鹿げた異名……どの道、他にも有った嘗ての異名はどれも碌な響きしかないけど」
「そう言えばそうであったか。現世は久しい故、仔細を完全に失念しておったわ。…………だがな、主よ。その異名、そう捨てたモノではないと思うがな。大陸の長どもが収める体制を覆すこと、それ即ち"破壊"だ。始祖たるユリウスの信念を宿した余が願った理想の体現、どう言い繕おうとも辿る過程には地獄の具現が付き纏う。故に、余はその業と覚悟を以て代々の継承者が治めたかの地を"冥府の国"と改めたのだぞ?」
憎悪や後悔はない―――そう言わんばかりに呵呵大笑する大胆不敵なリウィアの姿には呆れて溜息しか出ない。
―――――私が態々封を切った意味、解っているのかな?
「……昔語りはそれ位にして、そろそろ本題に取り掛かって欲しいのだけど」
思わず棘の含んだ低い声音で怒気を伝えてしまったが、当人は「解っておるよ」と肩を竦めてはいる程度でさして悪びれた様子も無い。
「問題は無かろう?既に大方の見当は付いている故、取り急ぐこともあるまい。片手間の雑談程度は許せよ」
「流石……元学者様、と言うべきかな?」
「戯けたことを言ってくれるな。この程度の違和感など、主の嗅覚でも御見通しだろうに」
面倒だ、と言わんばかりにリウィアは溜息を吐く。
「それはあくまでも"根拠のない曖昧な結論"。今必要なのは"知識や経験に基づいた明確な結論"。――――故の貴女、かな」
「成程な。"武"ではなく"知"――――故に余の実体を簡略化した挙句、背丈を幼子の愛でる大きな人形程度に、と言う訳か?」
リウィアの表情は納得と不満が半々の表情で再度溜息を吐くが、これは完全に納得して貰うしかないだろう。
何せ、従者の召喚や維持に消費する魔力量は他の追従を赦さない大食漢。幾ら私自身の魔力貯蔵量が膨大だと言っても、負担は負担――――少ないに越したことはない。
「御名答。要は、貴女を繋ぎ止めるための燃費が原因かな」
「むぅ。確かに過負荷は余としても本意ではないな。なれば、仕方ない。些か不便ではあるが、現状のまま主の要望に応えるとしようか」
不遜な笑みを浮かべ、リウィアは目の前の"眠り姫"こと金髪の少女に向き直る。
「どれ。小娘、余の魔眼にしかと見せよ」
虹彩は濃褐色から虹色へ、体内を巡る魔力はその輝きに呼応するかのように激しく波打つ。
魔眼は嘗て"全てを見通す"とまで評された技能であり、個人が一族全てを受け継がねばならない以前よりその身に抱く天賦の才。
一族を継ぐこと――――そんな運命の悪戯さえなければ、魔眼は災禍を齎す脅威ではなく、個人的な研究に重宝される希少な異能程度に留まったはずの代物だ。
「………ほぅ。こやつ、見てくれの割に中々の才覚よな」
「何か解ったのかな?」
感嘆したようにしきりに頷くリウィアに訪ねれば、彼女は何が面白いのかは定かではないが、ニヤリと笑いで応える。
「応とも。残滓から察するに、一部の馬鹿どもが"旧き者の御業"などと抜かす旧時代の遺産から流用した小娘の独自式だ。流用元は先人の叡智を得る降霊式と異界から適格者を呼び込む召喚式と言うところだが――――…小娘のは馬鹿げ過ぎだ。流用元の成果はな、精々記憶転写や対象者自体を此方の世界に呼び込む程度が常。だが、小娘は己が精神と肉体を媒介にして対象全てをその身に呼び込んでおる。精度は余が始祖の概念と共に在ることを叶えた"転生"や主が我と相対すべくための"神託"とやらの力にも匹敵する希少さを持つのだろうが――――…全く、とても正気とは思えんな」
召喚系統の術式――――その言葉にはふと忌まわしき"神託"とやらに見初められた過去が蘇った。
「まさか、私と同系統の……」
「異界よりの稀人、とな。……素体に限れば違うのだろうよ。ほれ、これを見てみよ」
リウィアは診察相手の髪をかきあげ、その手を摘まむ。
「この娘は此方の混血だ。この横に長い耳は森妖精人族特有の裸だが、その手に獣が如き鋭利な爪を持ち合わせておる。身体つきにしても華奢で細身の森妖精人族では肉付きが良過ぎるが、頑丈で筋肉質の獣人族にしては少し物足りぬな。もし小娘が森妖精人族であれば爪が武具のような硬質さは持ち合わせぬだろうし、獣人族であれば獣らしさが爪のみに留まることは出来ぬ。そのような半端さを兼ね備えた個体と言えば、混血しかなかろう」
その話自体は心当たりが有った。
混血はどっちつかずの外見が示す半端さ同様、種族特有の力が十全に発揮出来る者が少なく、故に"例外"と言う少数派を除き"因子が散る"としてあまり好まれず今日に至っている―――と。
無論、混血が稀な理由は能力的な問題だけではないことも既知の事実だ。
幾ら種族間の枠を越えた国家が形成され、ある程度は種族の区別なく都市を形成し社会生活を営んで久しいとは言っても種族間の隔たり全てが取り払われた訳では無い。此処も私の居た地球の人種・国籍・宗教等の様々な障害と同様に異種が障害を乗り越えて結ばれる事例まで漕ぎ着けることは稀だ。
「森妖精人族と獣人族の?混血自体も珍しいけど、組み合わせはまた随分と珍しいかな」
その障害を乗り越えたことに感心する声は「それは些末事だ」とリウィアが否定する。
「……この娘の希少さは混血ではない。混血とは言え、身体的特徴の殆どは細身の森妖精人族に近しい娘だ。故、通常の特性であれば異能力特化の多い森妖精人族と同様のはずだ」
ボロボロになった少女の着衣の袖を何の躊躇いも無くリウィアがめくると其の細腕には朱色の紋様が幾重にも渡って刻まれていた。
「見よ。武闘派連中が好む刻印型の術式を扱う珍種ときた」
確かに、と思わず頷き同意する。
刻印型とは、ヒト種が超常的な現象を己が身を通じて発現する手段のうちの1つであり、事前に己が身体に刻み付けた論理式から対象術式の行使を実現させる手段だ。
他の発動手段である己が口から齎す言葉に乗せる言霊詠唱型や己が心の内にて論理を構築する思考内詠唱型に比べ、事前に有効範囲や効果等の全ての情報を紋様として己が身体に刻み込んでいるために発動までの待機時間が短い利点を持つ反面、詠唱型との併用が出来ないことや詠唱型よりも術の多様性等の汎用性に欠ける致命的な欠点が有り、物理攻撃の補助程度に使う者達以外には非常に使い勝手の悪い代物となっており、戦術幅が狭まると不評なはずだった。
―――――何故、態々?
特化型が一部に重宝された嘗ての戦乱期なら兎も角、今現在は万能型が主流のはず。
「昔懐かしの物理一点が自慢の特化型かな?」
「さてな。見ず知らずの小娘の執る戦術など、この魔眼に見抜けるはずもなかろう?」
率直な疑問を適当にあしらわれた気がするが、それもそうかなと納得する。
リウィアの魔眼はあくまでも術式などの法則を鑑定する機能であり、深層下の思考を鑑定する機能ではない。寧ろ、専門的な知識を要さぬ直感的な読取はサヤカの領分であり、必要な領分は既に充分に果たしてくれたと言っても良いくらいだ。
「そうだね。鑑定お疲れ様。有難う、リウィア」
途端、リウィアは珍しいモノを見たと言わんばかりに目を丸くする。
「何かな?」
訊ねれば、「フフッ」とリウィアに含み笑いを返される始末。
一体何が可笑しいのか、よく解らない。
「……何、かな?」
再度問いを投げれば、未だ笑い続けるその態度――――尊大なのは元からだが、今回は少しばかり非礼が過ぎる。
私が非難の雰囲気を込めて軽く睨み付ければ、リウィアは此方の態度の変化に気が付いたのか「許すが良い」と笑みを携えたまま謝罪を一応態度に示したため、まあ態度の尊大さには目を瞑ることにした。
「ハハ……別段、我が主を嘲笑するつもりは無いぞ?」
―――――否、本当に反省しているのであろうか。
「リウィア?」
「いや、なに……互いの立場が立場故、可笑しくてな。余と主は個人的な感情とは縁遠い巡り会わせのまま相対はしたが――――……まさか、碌に言葉も交わすことのなかった嘗ての宿敵からこんな労いの言葉をかけられるとは思わなかったのでな」
漸く合点がいった。
成程―――と思わず笑みが伝染してしまう。
「――――そう、かな。私もまさかこんな付き合いになるとは思ってなかったな」
嘗ては互いに"障害の排除"程度の半ば義務的な感情のまま相対した。
主義主張の相違を罵り合うこともなく、ただ機械的に殺し合った過去とは対照的に何故か縁を契約と言う形で結んだ末に主従となってしまった奇妙な現在。過去も数奇な巡り会わせと言うのであれば現在もまた同様なのかもしれない、という可笑しさについては確かに同意見。
―――――だけど、それも悪くはないのかもしれない。
「うむ。これで仕舞いよな。後は主の領分故、余は還るぞ」
その語調は"確認"ではなく"決定"。
主の返答を待つこともなく、リウィアは既にその身を蜃気楼のように揺らがせて徐々に霧散させていく。
―――――ワザとじゃないことは解ってはいるんだけど、な。
事後承諾のまま見送り、溜息交じりに思う。
従者は別段主を侮る気ではなく、ただ無自覚に態度がデカく見えてしまうだけなのだろう―――――と。
「さて――――私もこの娘とケリを付けないと」
再び眠り姫に向き直る。
態々使い魔2匹の監視体制を敷いていることがバカバカしく思えるほど、少女の意識レベルに変化はなし。
リウィアのお陰で術式の方向性も判別した今、眼前の少女が身元不明で事情聴取不可の状態以外には不満もないため、大した懸念事項も存在しない。
些か拍子抜けな気もするが、此処で少女に抵抗されて大暴れされるよりはマシな結果なのかもしれない――――私の心はそんな事を考えながら腰を下ろすと眠り姫をソッと仰向けにする。
「君の感じ方、私に見せて欲しいかな」
手を胸元付近に翳して"想い"を読み取る。
御子は"神子"であり"巫女"。"想いを聞き取る"概念は人々から忘却の彼方へ至ろうとも消滅することはない。
―――――ただの先史の機能如きに"ミコ"なんて、一体誰が言い出したのやら。
皮肉を覚え、本日何度目とも解らない溜息を交えつつ、私は機能を解放した。
1/22 サブタイトル及び一部名称(種族名)を修正