01:Prologue
私は何処にでも居る普通の高校生だった。
成績は中の中、友人は決して多くは居ないが片手で数える程は居る程度。本当に平凡で普遍的、何処にでも居る脇役を絵に描いた様な面白みの無い日常でも私の――――飛鷹彩華の日常は毎日が充実していた。
そんな他愛の無い日常に、とある転機が訪れた。
いつものように学校生活を過ごし、そして放課後になって帰宅する筈だった私の日常は、突然よく解らない眩い光に包まれることよって遮られてしまったのだった。
それは、日常が崩壊する前触れとしか思えなかった。
光が収束したとき、私の眼前には帰宅途中にある住宅や商店の街並みはおろか、全く見た事も聞いた事も無い異様な光景が映っていたのだから――――……。
―――――此処は、何処?
視界に収まった景色を単語で表すのであれば"時代錯誤"としか言いようがなかった。
其処には海外旅行を特集した雑誌か何かで見た様な欧州の古城に出てくるような荘厳な室内風景とその住人に相応しい格好をした王様や貴族、宗教関係に出て来そうな神官の格好をした老人の姿が居た。
―――――これは、何?
まるで理解が及ばない原因不明な展開に混乱して狼狽える私を余所に、その時代錯誤な人だかりから高そうな純白のドレスに身を包む1人の少女が歩み出た。
群衆から漏れる言葉―――曰く「王女殿下」が私に近付き、恭しく頭を垂れるとそして言った。
「私達をお助け下さい」と。
正直、訳が解らなかった。
どう反応して良いかも判らず、狼狽え続ける私を余所に彼等は勝手に話を進め始めた。
王女の後を引き継ぎ、説明役を務めるのは白を基調とした祭服に身を包んだ神官らしき初老の男だった。
神官は私の理解が少しでも進むようにと心掛けているのか、ゆっくりと丁寧に言葉を紡いでいるが「大陸の危機」や「覇道を押し進める悪魔」等、まるで要領を得ないような言葉の羅列ばかり続いては何の理解も出来はしなかった。
だが、多少なりとも認識出来る事実も有った。
私の住む世界では空想の産物として語られる単語がさも日常的な常識のように語っていること。
私の住む世界では考えられない常識外の異質な存在が口にする言語が、何故か知らない外国語を聞いた時のような違和感を持ち得ないこと。
―――――あぁ、そうか。此処は違うんだ。
出鱈目な出来事に対して感情的に認めたくない事態でも、理性がイヤでも解ってしまった。
同時に「何故、私が」という理不尽さも感じたが――――その答えもまた私の常識から遥かに逸脱した理屈だった。
曰く、「神託により選定した」――――そんな現実さの欠片も無い非科学的な、勝手な言い分。
此方の心情を知ってか知らずか、王女は神官の説明に割り込む形で「無関係の御方を巻き込み、申し訳ない」と、周囲の誰もが驚愕で固まるほどの平身低頭ぶりを見せるが、それで事態が好転や進展を期待出来る展開では無かった。
原因の一端を担う王女が見せた真摯な姿勢を前に私は何も言い出せなかった。
理不尽しか存在し得ない展開にのみ終始する現状――――如何に渦巻く感情の殆どが怒気ばかりだとしても、流石にその必死さ全てを否定することは出来ないことだと少しでも感じてしまったが故に。
何より、その切迫した表情があまりにも痛切で胸に響いたから―――。
やがて、神官は説明を再開させた。
その内容の殆どは相変わらずの常識を超えた与太話にしか聞こえない話だったが、段々と彼等が何を求めているか―――――それだけは漠然と理解をすることが出来た。
「人心を惑わし、力を以て侵攻する災厄を打ち破ること」―――つまりは、私の常識では創作物の定番中の定番"魔王を倒して世界を救え"と言うことだった。
―――――何故、私が?
結論を逸早く理解した私は慌てて反論した。
飛鷹彩華と言う存在は「戦いとは最も縁遠い日本で生活する一般人」であり「格闘術すら碌にやったことのないド素人」だと。
とても出来る筈が無いことを必死に彼等へ訴えたが、その事実はまるで受け入れられる気配は無かった。
曰く、異界からの稀人である私の存在は"唯一無二の適格者"。
天地を司る様々な霊格、総称するならば"星霊"と言う常人では測り知れない大いなる力が宿せる存在は、伝承が記す"異なる世界から招きし存在"であり、厳しく選定した末の結論だと言う。
―――――"私達の誰もが加護を受ける資格すら得られませんでした"
一通りの説明を終えた後、王女はその悔恨の涙を双眸に浮かべ、私にRPGの主人公のような"勇者"の役割を懇願した。
王女達には、救済が出来ない。
飛鷹彩華には、救済が出来る。
極めて単純な論理に聞こえてしまう暴論に渋々その場で承諾してしまった。
悩まなかった訳では無かった。
どの道、此処で癇癪起こして色々と問題を拗らせたところで彼等は元の世界に帰してくれないだろう―――そんな諦観も有った。
「理不尽」―――今の状況は相変わらずその一言に尽きるが、重責を担う役割に手が届くのは飛鷹彩華以外に存在しない事実が承諾を決断させる唯一の前向きな判断材料だった。
そして、日常は激変した。
洗礼と遠い昔に存在したと伝えられる救世主の名"シュヴァラ"を受け入れ、名を"サヤカ・ヒダカ・シュヴァラ"と改めた。髪留めくらいしか付けなかった頭部に銀の仮面を被り、紺色の学生服から白銀の鎧で身を固めた。
超常的な力の源である星霊の加護をその身に刻んだ私の日々は見知らぬ大地を駆け、幾重にも群がる敵を掃討することが当たり前となってしまった。
戦って、戦って、戦い抜いた。
支援も碌に寄越さなければ、供も碌に揃わない。掲げた「苦難に喘ぐ人々の為」と言う大義の下、私は数々の地獄絵図をほぼ1人で渡り歩いた。
ある時には、救った人々に救世の炎を纏った"救世主"として感謝をされた。
ある時には、敵味方問わずに災禍の劫火を撒き散らす"死神"として畏怖をされた。
―――――今振り返れば、何の為に歯を食い縛り、しがみ付いたんだろうか?
血飛沫の舞う日常に心を擦り減らし、いつしか抱いた淡い願望――――「元凶を倒せば、全てが戻る」ことを己が心の支えとして、修羅道を我武者羅に突き進んだ。
しかし、願望が叶うことは無かった。
幾日も時を刻み、只管突き進んだ末にその元凶―――RPG風に言えば"魔王"――――を勇者役が辛くも打ち破って「闇を討ち払い、光を齎した」ときにそれが叶うものだと思っていた。
だが、全てが片付き、漸く肩の荷を下ろして帰還した救国の英雄への対応は、公に功績を労う行為すらなかった。
彼等の下した決断―――それは「災厄を超える力を持つ不気味な存在」として疫病神を扱いする酷く冷淡なモノで在った。
―――――どうして?
身に宿した力は、彼等に望まれた末に得た力。決して私自身が好き好んで揮い続けた訳では無かった。
元凶を撃ち滅ぼして全てを終えた結果を盾に私自身が富や名声、権力を欲した訳では無かった。
私が願うのは、たった1つだけ――――。
元の世界に帰して欲しい。ただ、それだけなのに――――。
そんなささやかな願いすら打ち砕かれた。
―――――どうして?
縁も所縁もない異世界の為に命を賭した英雄に対する処遇のきな臭さを感じた一部の勢力が計画を嗅ぎ付け、"悲劇の英雄様"の身柄を助けてくれた。
紆余曲折の末、身の破滅だけは回避したとは言っても、それは自身の願望とは程遠い結末だった。
其処は"飛鷹 彩華"が求め欲した平穏では無かった。
いつも優しかった父や母のような家族、些細なことで喧嘩したり笑い合った友達と過ごす嘗ての日々がこの手から零れ落ちた挙句、稀人"飛鷹 彩華"を現地人"サヤカ・ヒダカ・シュヴァラ"として、この地に根を下ろさざるを得ない未来に成り果ててしまったのだから。
あぁ……何て、救われないのだろう。
「いつかは、帰れる」――――誰かが明言した約束事では無くても、私は自然とそう信じて疑わなかった。言葉にしなくとも叶えられる当然の対価だと思っていた。
しかし、願望がただの幻想だと突き付けられた瞬間、彼等が今後私に齎される出来事など万事全てが取るに足らない些末な事柄に思えてきた。
出来事が例え悪意と相反する善意の行為だったとしても、だ。
失意に堕ちた私にとって、万事は等しく悪意に通じるようにしか見えなかったのだから。
"無気力"―――それが私を今の表す全てだった。
世界を恨みはしなかった。
あの時、慰労と言えば聞こえの良い事実上の軟禁状態だった救国の英雄の窮地を救ったのは、他でも無い王女だったから。
王女にとって公私ともに敬慕していた筈の国王。幾ら重臣に唆されたとは言っても、彼が救国の英雄を内々で処理する奸計に加担していた――――そんな罪深い事実を偶然に知ってしまい、彼女は「恥ずべき身内の不始末」を清算すべく、協力者を内密に募り、私の解放に尽力した。
その苦悩と葛藤を"自業自得"と嘲笑ってしまえば言えばそれまでだが、約束されていた立場と将来を捨て命を賭して反旗を翻した王女以下協力者達の決死の覚悟を知っているからこそ、今の私は世界を盲目的に憎悪することも出来ずにいたのであった。
―――――このまま、異世界で終えてしまうのだろうか。
故に、今の私は平凡な少女"飛鷹 彩華"でもなく、救国の英雄"サヤカ・ヒダカ・シュヴァラ"でもなかった。
只々今を生き長らえるだけの存在"サヤカ・フュルギア"と名を変えてひっそりと過ごす厭世的な世捨て人としての日々を得ただけだった。