球技大会編(5)
時間にして数分も経たず、威風堂々と立っていたのは岩波一人だった。
ジャリ。地面を踏みしめながら岩波が手近にいた金髪の胸倉を掴んだ。相手の顔は凹凸に腫れあがり色もドス黒くなっていて、モザイクを掛けた方がいいようなありさまになっていた。
「どこにある」
「ッ! だ、誰がテメェなんかに言うぁあああっ」
怯え半分に噛みつく男の顔面に内履きのままの足をめり込ませる。男は再び崩れるように地面に倒れた。
岩波はしばらく足元の死屍累々としたそれらを眺めていたかと思うと、まっすぐにこちらを射抜いた。
「そこに隠れてんのはこいつらの仲間か」
「!」
確信めいた言葉に、ドキリと心臓が跳ねる。この状態の岩波に会って、僕も殴られたりはしないだろうか。そんな不安が過ぎりながらおずおずと顔を出す。
岩波はつりあげていた目を大きく見開いた。この反応は新鮮かもしれない。
「……ついてきたのか」
「う、うん。そう」
「どこから見てた」
「えっと、その人達が怒って殴りかかるところくらいから、かな?」
「全部、見てたんだな」
それだけ言って視線を落とした。
僕が見ていたか見ていなかったかを質問したかっただけ? なんでそんなことを気にするんだろう。それより気にしなきゃいけないことがあるのに。
あ。そうだった。
岩波の大切なものはまだ見つかってない。
「岩波の大切なものって何か、聞いてもいい?」
僕の言葉に反応した岩波は端整な顔をこちらに向けた。いつもの表情のない顔にも見えるけれど、少し困惑の色が混ざっているようにも感じた。
「虹色の、ピアス」
ピアス? ピアスは岩波らしいけど色がなんだからしくない。いつも黒やシルバー系統のアクセをつけているからかもしれないけど。そういえばそんなもの、していたかも。ただ、普段耳は髪で隠れているし、じっくり観察すると怒られるからはっきりと記憶にはない。
そんな僕の考えが読めたのか、岩波はぽつりと付け足した。
「アレは、人に貰ったやつだ」
言った後でその言葉を噛み締めるように押し黙った。物が大切というよりは、その人自身に思い入れがあるような。
少しだけ、いつも抱いている印象と違う岩波を遠くに感じた。
「そっか。それなら探さなきゃね」
校舎内と考えるのは妥当だろう。きっと人気のない場所。競技が行われている場所と更衣室に使われている教室、各クラスにある可能性は低い。
それと彼らに教える気配はまったくなかったから焼却炉にもない、と思う。全国の学校で廃止した時からこの焼却炉は使われていない。試しに開けてみる――うん、空だ。
「……戻るぞ。試合までもう時間ねぇんだろ」
僕が中腰で小型焼却炉を覗いていると、岩波の躊躇するような声が降ってきた。
「でも、岩波の大切なものなんでしょう?」
「試合が終わった後にでも、探せばいい」
それは、無理だ。だって――
「岩波、つらそうな顔してる」
視線がかちあった。僕が岩波と話すキッカケにもなったあの雨の日のように、人を寄せ付けないいつもの岩波の姿はどこにもなかった。不良たちとの乱闘でも、決して相手に隙を見せないような姿勢を見せていたというのに。
「皆には、僕から謝るよ」
「だけどっ――! お前が! 俺に、そう望んだんじゃねぇのかよ!」
その言葉に今度は僕が驚いた。
岩波にとって優先順位が高いのは『大切なもの』に決まっている。それでも、試合のことを気に掛けるのは僕が、頼んだから? それは自意識過剰かもしれないけど、岩波はもっと自分本位な人だと思っていた。
――いや違う。本当に自分本位な人は、自分は興味のない優勝を掴むために試合になんか出ないはずだ。
「いいんだよ岩波。確かに球技大会はクラス単位でするものだし大切かもしれない。でも僕は、そこまでして岩波に無理させたくない。大切な人から貰ったものなんでしょう」
「……っ、もういい」
「ま、待って!」
踵を返して、その場を去ろうとする岩波を僕は慌てて引きとめた。ふと、右ポケットに重みを感じる。
「じゃあ、僕が探し出してみせるよ。岩波が頑張ってる時、応援くらいしかできないし。岩波の大切なもの、必ず見つけるから。こういう時こそ、僕を使ってくれなきゃさ。だって僕、岩波専属のパシリなんでしょ?」
得意げに笑ってそう言ったら、相手は眉を寄せて「ばかじゃねぇの」と吐き捨てた。どこか温かみのある声音で。
「お前に、任せていいか?」
「うん、いいよ。僕を信じて岩波は試合頑張ってね!」
岩波の後姿を見送って、先ほどから存在を感じていた右ポケットに手を突っ込む。すっかり忘れていたそれを取り出した。
体育倉庫の鍵。女の子とぶつかったときに、女の子が落としていったものだ。なぜこんなものを、と拾ったときは疑問だったものの先生に会ったら返そうと思ってそのままにしていた。
確信はない。ただの勘だ。どうせしらみつぶしに探さなければいけないなら。そう思って、僕は鍵を握りしめた。
痛い。
***
結論から言えば、ピアスは見つかった。案の定、体育倉庫に置いてあるマットの上にぽんと放り投げられていた。
鍵を持っていた少女が犯人なのかとかどうやって他校の生徒が入ったのかとか謎はたくさん残っている。
それでも『大切なもの』が見つかったことが嬉しかった。早く岩波に届けたくて急いで体育館へ向かうと、歓声がだんだんと大きくなっていった。
Bコートには先ほど見た人数と比較にならないほどの人だかり。Aコートは既に使われておらず、ぽつぽつとできている集団が目に鮮やかだった。
「遅くなった」
人垣をかき分けて見知っているクラスメイトに話しかけた。
「笠原じゃねぇか。お前今までどこ行ってたんだよ」
「や、ちょっとね」
「それより聞けよ。準決勝勝って今試合してんの決勝戦だぜ? クラス総出で応援してるんだからほら、お前も」
「は? えっ、わ――」
決勝戦? もうそんなところまでコマ進めちゃってたの!? ていうか勝ったの!?
そんな疑問はクラスメイトにコートの手前まで押しだされたことで飲み込んだ。
死闘とも言うべき試合が視界いっぱいに映った。
スコアボードは相手が優勢らしく苦戦しているものの、上級生相手によく頑張っている。強面な先輩らに囲まれたら僕だったらきっと動けない。
あんなに目立つ岩波の姿が見えないと思っていたらガタイのいい相手選手が複数もガードしているらしかった。あれだけ点数とって活躍していればマークもされるだろう。
そのせいで岩波にほとんどパスが回らずシュートができない状態だった。
岩波に複数ついているためかこちら側がゴールを守り切るのはそこまで難しくないのが幸いかな。
応援するクラスメイト達も諦めていない。声を張り上げて味方を応援していた。それじゃあ僕も。
すうっとめったにしない腹式呼吸を数回。
「岩波ぃいいい!!! 見つかったよ!! がんばれー!」
なぜだろう。嬉しさのあまり羞恥心もどこかに置いてきて、ありったけの声で叫ぶことができた。
岩波に届いたかはわからなかった。それでも次の瞬間、ざわりと声援の種類が変わる。
ベルリンの壁から抜けだした岩波にベストなタイミングでパスが回ってきた。カットする身長の高い選手が周りにいないならこっちのもんだ! 行け、岩波! 3ポイントシュートだ!
「何にやにやしてんだ」
「えっ。そんな顔してた?」
「お前今凄いキモイ」
「何もそこまで言わなくても」
そんなにしまりのない表情だったのか。気を付けよう。あまり肉づきのよくない頬をむにむにしながら、隣の彼女を見た。大して活躍していない僕は汗でべたついて全身が悲鳴を上げているというのに、功労賞を授与したいくらい大活躍だった岩波は涼しい顔をしている。くそう、何が違うというんだ。
「今、ピアスしてるの?」
「いつもは。今日は、球技大会だから外してた」
「そっか」
戻ってきて良かったね、と笑いかける。せっかく表情筋マッサージしたのに、またにやにや顔に戻りそうだ。
「……悪いな」
「え? なぜに?」
「優勝、逃しただろ」
「あぁ、それ。皆残念がってたね」
僕がそう言うと黙りこくってしまった。意地悪を言う気はなかったんだけれど、今日の岩波はどこか殊勝な態度だ。
バスケはチームプレイだし岩波が悪いわけじゃない。むしろその反対だ。岩波がいなければあそこまで勝ち進めていなかった。それに優勝も惜敗という結果だった。皆も悔しがっていたけれどそれはそれだけ本気で楽しんでいたという証拠でもある。
「でも皆凄い楽しそうだったね」
「そう、なのか」
「うん! これも全部岩波のおかげだよ。ありがとう。僕こそ、無理強いしちゃってごめんね」
眉間にしわが寄って口があからさまにへの字に曲がる。これは不機嫌なわけではなくて照れている時の表情だろうな。なんとなくわかった僕って凄い。
「こっちこそ、ピアス……――っ。つうかお前何呼び捨てにしてんだ」
照れ隠しなのかデレ期は一瞬にして強制終了となった。こんなところで俺様キャラを復活させるとは。
女性にしては低い声は相も変わらず威圧的で以前と大差ない。それでも。
「えと、駄目?」
「いや……別に」
間があって拒絶の言葉は出なかった。ふいと完全に顔を背けて表情が読めなくなった。本気で言っているわけじゃなかったのかな。僕なんかわかってきたかも。本当に、この人は不器用な性格をしている。
岩波と僕、どっちかが少しだけ変わったからだろうか。
「良かった。さすがに同学年に様付けは居た堪れなかったんだ」
「まるで俺が悪いみたいじゃねぇかよ。喧嘩売ってんのか?」
「いえいえ、とんでもない!」
岩波専用のパシリでもいいかなと思ったのは絶対に秘密だ。
球技大会編はこれで終了です。
矛盾があったらこっそり教えていただければ幸いです。
さんざんプロットをいじくってしまったので無理やりな展開になってしまったのです…。
次回は新キャラ登場します。
その前に番外編をはさみます。