球技大会編(4)
順調に勝ち進んだ岩波率いる二年B組のバスケチームは準々決勝を快勝し、人口密度が高くなってきた体育館の一角にいた。
クラスの皆は優勝する気満々で目の前の別のクラス同士の試合を食い入るように見ている。どちらかが準決勝で当たる相手になるかもしれないからだ。
分析などろくにできもしないが、やれあの5番のユニフォームを着ている奴は動きがいいだの、12番のユニフォームの奴はドリブルがうまいだのそんなことをクラス内で囁き合っている。
僕と岩波はそんなクラスメイト達から少し離れたところで他クラスの試合を観戦していた。
ふいに青白い顔をした気弱そうな少年がこちらへ息せききって走ってくるのが視界の端にちらりと見えた。何事かと目で追っていると、その男の子は岩波を見て次に隣にいる僕に目線を移し、目の前で立ち止まる。
「あ、の――!」
「はい?」
視線の先から見ても僕に話しかけているらしい。顔面蒼白のいかにも勉強するために学校にきてますと言いたげな線の細い少年が、全速力で駆けてきて僕に用があるという状況もおかしいので俄かには信じられないけど。
「な、なんか怖い人たちがきてて――知らない制服の、たいせつなものが、焼却炉前に……!」
不明瞭な言葉の数々にいまいち状況が呑み込めない。
「ごめん、もっと分かり易く言ってくれる?」
眼鏡の奥に浮かび上がる恐怖の色に気づいた。嫌な予感が頭をよぎる。隣の岩波も眉をひそめている。少年は岩波と僕の顔を交互に見ながら、重々しい口を開いた。
「……た、他校の生徒が『大切なものをとり返したかったら騒ぎにならないように焼却炉前に岩波千歳一人で来い』って」
少年が言い終わらないうちに僕の前に影が飛び出していた。
「岩波!?」
体格に合っていないユニフォームがはためく後ろ姿を呆然と見送っていると、事情を知らないクラスメイト達が異変を嗅ぎつけてこちらにやってきた。
「何があった」
「あれ、岩波さんは?」
「それが、突然体育館飛び出しちゃって――」
「はぁ!?」
尋常ではない岩波の様子を脳内に思い描きながら今起こったことを話すと、にわかにクラスメイトたちが騒ぎ出した。
「この試合終わったら次俺達だろ!?」
「どーすんだよ!」
「岩波さんどこ行ったの!?」
彼らは僕と違って岩波の反応を知らないのだろう。それでも、自分たちのことしか頭にないクラスメイトたちに初めて憤りを覚えた。
「……僕が、様子を見に行って来る。一応、補欠の人に事情を説明しておいて」
つとめて冷静にそう言って、後ろから追いかける声を振り切って岩波の後を追った。目指すは――焼却炉。
大切なもの、と言っていた。それがどのようなものかは知らないが岩波の様子からしても相当大事にしているものだったらしい。貴重品は鍵をかけた教室へ置いておく手筈になっていたからそこから誰かが盗み出したのか。なぜそれを学校に持ってきているかはさておいて、他校の生徒がどうやってこの学校へ来たのかも不思議だ。普通なら教員に見咎められるだろう。今日は球技大会だから教員は競技の場所にそれぞれついているが、それでも容易に入れるとは思わない。
それに、教室から盗んだ岩波の大切なものを脅迫材料にして焼却炉という滅多に人が通らないところへの誘導。ここまでの一連の流れを、外部の人間が思いつきでできるとは到底考えられない。
それなら考えられることはひとつだ。
曲がり角を曲がれば焼却炉に行きつくというところで男の低いがなり声が突如聞こえて僕は思わず足を止めた。
「てめぇ!! ぶっ殺す!!」
殺気をこめた迫力のある声。自分に向けられたわけではないのに恐怖で体がこわばった。
「……上等じゃねぇか。やってみろ」
聞きなれた女性にしてはきわめて低めの声が耳に届いた。ざわりと、全身が総毛立つ。先ほどの男も恐ろしかったが、こちらは静謐さの中に絶対的な威圧感を兼ね備えている。そんな音だった。
間違えようもなく岩波だ。きっと物凄く怒っている。僕に普段向ける怒りとは比べようもないくらい感情を露わにして。
恐怖で縫いとめられた足をなんとか動かして建物の陰から覗き見る。
建物を背にしている岩波と対峙している大柄な男3人。それぞれ黒のスラックスとYシャツをだらしなく着崩してアクセをジャラジャラと付けている。坊主と金髪と頭の右側面の一部を刈り込んでいる男。どこからどう見たって不良ルックス。岩波とはいえ、そんな男達が女生徒を囲んでいる状況は傍から見れば異様な光景だった。
「おい斎藤落ち着けよ。――いいのか? こっちにはテメェの大事なもんがあんのによぉ」
「脅しがなきゃ俺を倒せねぇ小物かテメーらは」
一人が仲間を宥めて優位に立とうと大切なものを持ち出すが、岩波は少し眉を動かしただけで歯牙にもかけない。それどころか挑発している。相手はもう殺気立って今にも向かってきそうなオーラを醸し出していた。
「つべこべ言わずこい、雑魚共」
いつものように不遜に笑った岩波のその言葉が合図だった。
「っ! やっちまえ」
「後悔すんなよ! 女風情がぁああっ!」
「死ねぇええええええええ!!!!」
こわい、こわい怖い怖い怖い。心臓がどくどくと早鐘のように鳴り、冷水を浴びたみたいに全身から血の気が引く。
それでも、視界は岩波を捉えていた。
坊主の重い体を使った拳をひらりと交わして隙をついて回し蹴り。その勢いで真後ろから猛攻してくる刈り込みを軸足で思い切り踏み台にし、金髪にかかと落としを叩きこんだ。
さすがの男達も女の力では一発で沈まなかったのか、ダメージの受けた体をよろめきながら立て直し幾度も岩波に向かって来る。その度に岩波は無駄のない動きで確実にダメージを与えていた。
黄緑色のユニフォームがひらひら舞う。人と人の暴力なんて嫌いだ。見ているこっちも痛々しくて、こわい。けれど不思議と――細身の一人がその場を支配するまでそれに見入っていた。
ここで終わらせるはずでしたがすみません、もう1話だけ続きます。
戦闘描写はほとんど書いたことないので…違和感がありましたら教えていただけると嬉しいです。
追記:矛盾があったので少し修正しました。申し訳ありません