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球技大会編(1)


「あの……」

「なんだ」

「えっと、その」

「……」


 さっきからずっとこういったやり取りが続いている。岩波の額にはすでに立派な青筋が浮かび上がり、ぴくぴくと痙攣していた。それでも怒らないで僕の言葉を待っているのは、きっと周囲の張り詰めた空気を汲み取っているからだろう。岩波は他人には無頓着ではあったものの、そういった人の心の機微には敏い節があった。


 このじれったい空間を不本意ながらも僕が自ら進んでつくりだしたのには峡谷よりも深い訳がある。




 木曜日の五,六時間目と言えば総学と呼ばれる「総合学習」とLHRロングホームルームがある。その時は、来週に迫る球技大会に向けて話し合いが行われていた。

 周囲は親しい友人と何の競技に参加するか相談し合っており、いつもより賑やかだ。心なしか皆がリラックスしているように見えるのは、隣に岩波がいないからだろうか。

 あの出会い以来きちんと授業に出るようになっていた岩波は、こういう時間だけは苦手なようで何も言わずにふらりとどこかへ行ってしまう。僕としては気を遣わなくていいから嬉しい限りなんだけど……岩波の専属パシリと学年中――もしかしたら全学年かもしれないが――に知られているため、話しかけてくる人は誰もいない。つまり、この賑やかな空間で僕は孤立していた。


 ……ふふふ、別にいいさ。こうなるのは分かり切ってたし。


「ではこの中で希望がある人は挙手してください」

 ルーム長の言葉にはーい、と間延びした返事をするクラスメイト達。

 黒板には白いチョークで『男子:バスケットボール、サッカー、卓球』『女子:バレーボール、ドッジボール、テニス』と書かれている。


 全学年総出でおこなわれる割と大きな行事の球技大会は毎年例外なく盛りあがる。体育祭もそうだけど、ただ単にドンチャン騒ぎが好きな人たちや体育会系の部活の威信をかける者、比較的進学校なこの学校での息抜きとする人や、優勝したクラスには校長先生が自腹を切って出す賞品狙いで本気を出す人たちまで実質ほとんどの人たちがこの球技大会に精を出している。少数派は運動が限りなく苦手な人か、勉強に情熱を注いでいる俗に言うガリ勉と呼ばれている人たちのみだ。


 運動は可もなく不可もなくドンチャン騒ぎはほどほどに好きで帰宅部な僕は、去年の球技大会ではその雰囲気に圧倒されつつも程々に楽しんでいた。去年はサッカーだったけど……今年は何に出ようかな。


「笠原」

 やっぱり卓球かな。バスケは身長が高い人とかがやるべきだよね。このクラスって僕より身長高い人多いし。別に僕が低いんじゃないんだ! 皆が高いだけでっ!

 ちなみに体育会系の部活の人は、自分の所属している部活の種目をやってはいけない決まりになっている。バスケ部はバスケ禁止、テニス部はテニス禁止というように。


「おい、笠原?」

 うーん、でも去年のサッカーは楽しかったなぁ。ナイスアシスト! って声をかけられた時にはお腹の底からむずむずって高揚感が沸いてきて、自分も点数に加担したんだって思ったら照れくさくて――思い出したら顔がにやけそうだ。


「か、さ、は、ら!」

「うわあああ! は、はい?」

 緩みそうになる顔の筋肉を必死に引き締めていると、耳元で名前を呼ばれて思わず大きな声を出してしまった。

 鼓膜を震わせた耳に手を当ててそちらを見ると、僕の様子に呆れた顔をしたクラスメイト――ルーム長がいた。


「何回も呼んだんだけど」

「え、ごめん。気付かなかった」

「いや……」

 最近は苗字を呼ばれることなんて無かったから呼ばれても反応できなかったのかな、なんて思いながら謝ると、ルーム長は苦虫を噛み潰したような顔になった。え、なぜに?


「あの、さ」

「ん?」

「岩波に、参加してくれるように頼んでくれないか?」

「へっ?」

 何を言い出すかと思えば。参加してくれるように頼め?


「え、何に?」

「球技大会」

 この話の流れなら分かってるだろ、と困ったように眉を八の字にする。反射的に言ってしまった僕の言葉を真面目に返すルーム長に少しだけ好感を――持ちたいところなんだけど、なんか物凄く嫌な頼みごとをされました。


「正当な理由がない限りは全員参加じゃないとさ、仮に優勝したとしても賞品は貰えないって決まりだろ?」

「へー、賞品狙いなんだ」

「当然。今年は競技別に賞品がもらえるんだから、総合優勝じゃなくたって狙えるだろ」

 ルーム長が得意げに言い放つ。その周囲で皆がウンウン、と頷いているのを視界の端で捉えた。

 去年は確か、大きな耳を持つネズミがつかの間の夢へと(いざな)ってくれるテーマパークのチケットだった。今年はさらにその対象を増やしてくれるなんて校長先生は太っ腹だ。まあ、そのせいで賞品のレベルが落ちてないといいけど。


「でも、僕が言ったって無理だと思うんだけど……」

「岩波とまともに会話できるの笠原くらいなんだよ」

「笠原くんには悪いけど、お願いっ!」

「笠原様ぁー!」

「俺達のために犠牲になってくれたまえ、パシリくん」

「俺の屍を越えていけってぐらいの根性見せろ!」

 ルーム長の言葉にかぶせるように口ぐちに皆が訴えかける。それだけ真剣ってことなのかもしれない。これは皆の誠意にこたえなくてはいけない気がする。ちょっと気に障る台詞はもちろんスルーすることにして、僕は静かに首を縦に振った。




 という経過を経て、翌日の自習時間を利用してサボろうとする岩波を呼びとめたのはいいのだけれど。……あまり期待しないで欲しい。僕自体は平凡でチキンな一善良市民なのだ。大魔王を前に、頼みごとを普通に切り出せる方がおかしい。


 駄菓子菓子だがしかし、このままではいけないのだ。結局僕には選択は一つしか残されていないんだ。今こそ男を見せる時だ、笠原望!


「……いい加減にし」「あああああの、球技大会参加してくれます!?」

 言った! とうとう言えた! っていうか今なんか言いかけてた気がするけど気のせいだよね? 角が二本生えてるのは混乱した僕の脳が見せた幻覚ですよね!?


「話は分かった。でもなんで俺がんな退屈な行事に参加しなきゃいけねぇんだ?」

 確かに岩波にとっては何の利益にもならないだろう。賞品にもそんなに興味を示してなさそうだ。何かを言わなくては、と思って言葉を探すけれど何も出てこない。僕って元来、交渉とかそういうの向いてないんだよね。じゃあなんで引き受けたのって言われたら、頼まれたら断れない性格だからとしか言いようがない。


「えと、ほら、岩波……様も、一生徒なんだし、学校行事には参加するべきであると、思い、マス……」

 安易に引き受けなければ良かっただろうか。うまい言い分が思いつかず小さくなっていく語尾と共に項垂れる。僕ってなんでこう、考えなしなんだろう。


「お前は、出てほしいのか。俺に」

 思いのほか硬質ではない声が降ってきて、ぱっと顔を上げる。綺麗な灰色がかった目と視線がぶつかる。意外、だと思いつつも僕は言葉をつづけた。


「全員参加じゃなきゃ賞品狙えないって言ってたから」

 僕が岩波に出てほしいって言うのは、なんとなく気が引けた。未だに岩波の扱いを困っている僕にそんなことを言う資格はないのだから。

「バカ正直だな」

 怒るかと思っていた岩波は苦笑しつつも、「仕方ない、やってやるよ」といつもの偉い調子でのたまった。それを聞いたクラスメイト達が一斉に浮足立つのを感じながらも、僕は先ほどの岩波のどこか寂しそうな顔が気になって仕方なかった。



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