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二人の出会い編(2)


 衝撃的な出会いから二週間、これといった変化はない。

 彼女が学校に来ることもあまりなかったし、その数少ない出現時も目を合わせるだけですぐに目線を逸らされ、僕からも積極的に話しかけることはしなかった。


 まだ数回しか会ってないものの、僕の中の彼女のイメージ像は噂通りの悪い人ではなくなっていた。今のところ目が合ってフルボッコにされるなんてことはないし、クラスメイト達にも難癖をつけて恐喝なんてする素振りもみせない。それでも皆の彼女への恐怖心は思いのほか深く根付いているようで、近寄る人は誰もおらず皆空気のように扱っている。僕もなんとなく流されるままに、皆と行動を共にしていた。


 それでは駄目だと心の底では分かっていたけれど行動を移すほど僕はお人よしではないし、また弱きを助け悪を挫く――といってもこの場合彼女は“弱き”ではなく“悪”に分類されそうなものだが――などといった正義感が強いわけでもないのだ。それに、面倒ごとはできるだけ避けたい。平凡を何よりこよなく愛する僕にとって彼女はあまり関わらないようにすべき対象である。

 そんなわけで彼女と関わる気配がない状態がこのまま続くかと思われたのだが――。




 その日は朝から雲行きが怪しく、ひいきにしている朝番組の天気予報では夕方から雨が降ると言っていたので、使い慣れた黒い傘をバイト先に持っていくことにした。


 僕のバイト先は最寄りから二駅電車を乗った市内中心部の北西端に位置する駅から徒歩十五分ほどにあるファーストフード店だ。その駅周辺はデパートやショッピングセンターなどのビルが建ち並び、住宅街や田園畑の隣にぽつりとあるような僕が通っている高校の最寄り駅とは違って賑やかで都会寄りの印象を受ける。

 働いている場所は駅からショッピングセンターまでの道程の途中に設けられていて、人通りも多いそこは学校帰りの学生やショッピングの合間の休憩としてくる主婦たちの恰好の溜まり場となっている。


 休日ということもあって正午近くになると客足も多くなってくる。息つく暇もなく店の機能の一部として次から次へとくる客の対応を忙しなくしている時だった。


「いらっしゃいませ、お待たせしました。ご注文を――ってあれ?」

 あまりの忙しさにマニュアル通りの言葉を丁寧に、だけれど気持ちもこもらず投げかけながら次なる客へと顔を向ければ、そこには。


「……一匹狼の、人?」

 ――あまり長時間見続けるのはよろしくない美貌が目の前にあった。


 ぴくり、と僕の言葉に反応して片眉を吊り上げる。ただでさえ無表情で冷たい刃のような顔が剣呑さを帯びて、思わず息をのんだ。やばい、僕は今何を言った?


「……チッ。コーラS」

「ふぇ、あぁああはいっただいま!」

 ししし舌打ちされたっ! 怖いっ!

 蛇に睨まれた蛙の気持ちがわかった気がする、とどうでもいいことを思いながら急いで紙コップにコーラを注ぐ。その際カタカタと手が震えて零しそうになったのを同じバイト先の仲間に見られたのでごまかすために笑みを繕うのを忘れなかった。


「お待たせしましたぁああ! 百円になりますぅ!」

 しまった。店の方針として先に会計を済ませるべきだった。当たり前のようなことを失敗したのに加え思ったより声が裏返ってしまった。うわぁああ恥ずかしい、穴があったら入りたい、いやむしろ埋まりたい――そんな気分に浸っていると、目の前の少女は「ん」と言いながら百円を人差し指でぺしり、と置いたのであった。あ、なんか置き方かっこいい。


 そういえば初めて聞いた声は少し低くて透き通っていて綺麗だったなと気づくのは、バイトを十八時に切り上げてからのことだ。




 「ユキおねーさんの言うとおりだったなぁ」

 天気予報を見ていて良かったと心底思う。あのお天気おねえさんは外すこともあまりないし、顔も可愛らしくて僕のタイプなのだ。先日結婚したという報道があったが僕は認めない。断じて認めないぞ。


 黒い傘を広げてくるくると回す。傘の先から水滴が宙に四散するのを見るのが面白い。せっかくの休日もこんな雨の中では長居したくないのか周りにはほとんど誰もおらず、迷惑がかかることもない。

 四月下旬に入ったものの十九時も近くなればすっかり真っ暗で、ネオンサインが怪しく煌めく歓楽街でもない住宅街では街灯だけが頼りだ。そんな中で傘を打つ雨の音に聴き惚れながら歩いていると、傘の端から左前方の薄暗い公園に一層濃い影が人型を象っているのがちらりと見えた。

 傘をやや後ろに傾ければ、視界がひらけて――――先ほどの彼女が降りしきる雨のなか傘も差さずにベンチに腰掛けてぼんやりとしていた。



 正直あまり関わりたくはないのだが、このまま風邪を引かれては僕としても心象が悪い。

 体の向きを変えて公園へと足を踏み入れた。ぴしゃり、と泥が跳ねてスニーカーを濡らしたのを無視して彼女の元まで向かう。


「風邪……引くよ?」


 雨から防ぐように傘をやや前に差し出しながら彼女の目の前に立つと、虚空を見つめていた瞳が僕と交わった。すっかり濡れて額に貼りついた前髪から覗く目がいつもの力強い意志を灯したのとは違って今はただ虚ろなそれに、内心動揺を隠せなかった。昼間はそんな顔をしていなかったのに。


「引かない。傘も要らない。濡れてんのは今更だろ」

「でも……」

「要らない。余計なお世話だ」

 冷たく跳ねのけられる拒絶。濡れそぼっていつもより体のラインがくっきり見えるそれは意外に華奢で、頼りなさげだった。学校一と呼ばれている問題児が、今はただの少女にしか見えない。


「じゃあ、これだけでも着てて。そのままじゃ寒いから」

 まだ春になったばかりのこの季節に、濡れたまま外にいたのでは寒いだろう。そう思って、脱いだ上着を彼女の肩にそっとかけた。肩に触れた左手から彼女の震えが伝わってきて、僕の予想が決して的外れではないことを知る。

「……」

「風邪引いたら学校来れないでしょ?」

 ただでさえ登校していないというのにこのまま出席日数が足らなくて留年なんてことになるのは面倒じゃないのかな。僕は嫌だ。周囲が自分よりもひとつ下ってなんて四面楚歌、親にも顔向けできないぞ。


「……隣の奴か」

 “隣”。その言葉は数回目が合った教室でのことを、彼女が記憶していたのを示している。認識されていたのが嬉しくて――関わろうとしなかった僕がそう思うのは都合が良いかもしれないけれど――、思わず頬が緩んだ。それを見て彼女は目を瞬かせ、


「お前、変な奴だな」


 微かに笑った。おかしくてたまらないといったように。初めてみる表情だったけれど、瞳にはいつものような強い光を湛えていた。先ほどの面影が見られなくて、心のどこかで安堵する。彼女にあんな表情は似合わない――意志の灯らない、瞳なんて。

「とにかく、早く帰りなよ」

「……考えとく」

 傘を渡しても、きっと彼女は拒否するだろうと思った。できることももうないだろう。それに、もう大丈夫な気がする。

 さっきよりは幾分マシな返答を聞いて僕は素直に踵を返して帰路につくことにした。彼女の家はこの近くなんだろうか、とふと思い浮かんだ些細な疑問もそのままに。




 週末が明けた月曜日。

「よぉ。お前いつも遅刻ギリギリで来るのな」

 右手を挙げて挨拶をするその人物は、いつもの埋まらない席に座っていた。


「へっ!? え、えぇっ? えと、あの」

 周囲を見渡せばみんな息を詰めたようにいつものおしゃべりを止めて恐る恐るこちらの様子を窺っている。え、どういうこと? というかこの人なんで普通に話しかけてきてんの? つうか昨日の今日で学校来たんだ? いや、来ることは当たり前なんだけどでも――。


 思考回路はショート寸前、なんて歌詞の一節のような状態に文字通りなってしまっている僕を、目の前の彼女は訝しげに見る。

「んだよ、要領を得ねぇ喋り方してんじゃねぇぞ。昨日はあんなに饒舌にくっちゃべってたクセによ。あ、そうだ。お前のあの上着洗ったから返すわ」

 そう言って、机の上に無造作に置かれている鞄を探り出す。おぉ、これだこれ、なんてのんきな声が静まり返った教室に響いて実にシュールな光景である。


 というか、この状況はまずくないか――?

「ん」

「あ、ど、どうも」

 ずいっと渡された上着を戸惑ったまま受け取れば、彼女は満足そうに頷いた。もしかしてこれを渡すためだけに学校来て話しかけてくれたのかな……? 違ってたら自意識過剰もいいところだけど、でもそうであることを願っていたりする。

 なぜかといえば、先ほどからみんなの視線が鍼灸治療をされるがごとく刺さるからだ。今すぐここから逃げたい衝動にかられる。もう彼女に恐怖心なんてわかなかったけれど、今はみんなの反応が怖い。僕は目立たず、平穏に暮らしたいのだ。想像以上に存在感や影響力のあるらしい彼女とこのままいたら、僕は平凡な日常に戻れなくなる気がする。正直、このまままたいつものように彼女は無関心になってくれないかな、なんて。


「おい、お前」

 ――淡い幻想でした。


「……はい、なんでしょう」

 げんなりしながら答える。これ以上僕に何か用でもあるのか。あ、それともあの噂のカツアゲをするのでは――? 恩を仇で返すようなことをされたらたまったもんじゃないんだけど。

 そんな僕の予想は或る意味裏切られなかった。



「お前、今日から俺専属のパシリな」



 あぁ、神様。僕の平穏は何処へ。



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