魔王城の最深部、決戦前夜なのに勇者と聖女がイチャついてるので魔王がキレた
重厚な黒鉄の扉が、軋んだ音を立てて開く。幾多の死線を潜り抜け、血と泥にまみれながらも辿り着いた魔王城の最深部――「黄昏の間」。
巨大なステンドグラスを通して差し込む禍々しい月明かりが、冷たい石畳を紫紺に染め上げる。天井は高く、空間の四隅には魔力を吸い上げる不気味な燭台が青白い炎を揺らしていた。玉座に鎮座するのは、すべての魔物を統べる絶望の覇者・魔王。その身から溢れ出る圧倒的な暗黒のオーラは、触れる者の精神をすり潰すほどの重圧を放っているはずだった。
――だが。
いま、その殺伐とした決戦の舞台の真ん中で、勇者と聖女の脳内を支配していたのは、世界の運命やその重みでも、魔王への恐怖でもなかった。
(……隣にいるのは、高貴で美しく、誰からも慕われる聖女の彼女。俺なんかとは比べ物にならない気高さだ。釣り合うわけがない。せめて最後くらい、かっこよく散るか……いや、迷惑だよな)
背中合わせに立ち、聖剣を地面に突き立てて荒い息を吐く勇者(筋金入りの脳筋)は、冷や汗ではなく別の意味の汗をダラダラと流していた。出会った頃からずっと、彼女の凛とした背中を見上げてきた。神聖魔法の使い手として国中から讃えられ、汚れなき慈愛の光を纏う彼女が、なぜ自分のような言葉足らずの戦士と旅を共にしてくれているのか。分からない。分からないからこそ、「足手まといだと思われているかもしれない」という恐怖が、魔王の殺気よりも何倍も重く彼の心臓を締め付けていた。
一方、その背中にぴったりと身を預けるようにして杖を握りしめている聖女(不器用)の脳内もまた、凄まじい大嵐に見舞われていた。
(……私は回復呪文と小言しか取り柄がない、こんな不器用で可愛げのない女。彼のような太陽みたいな男の隣にいる資格なんてないわ。ああ、私のこの重苦しい想いに気づいたら、きっと彼は引いちゃう……っ!)
聖女にとって、勇者は眩しすぎる存在だった。どんな絶望的な局面でも前を向き、泥臭く笑ってみせるその横顔に、いつしか恋という名の呪いにかかってしまっていた。だが、プライドと羞恥心が邪魔をして、「好き」の一言すら喉のつかえにつかえて出てこない。今この瞬間も、「私が足手まといだって思われてたらどうしよう」「この戦いが終わったら、もう彼の隣にはいられないのかしら」という絶望的なネガティブ思考がフル回転していた。
「……ククク」
玉座から、低く響く威厳に満ちた声が漏れる。魔王がゆっくりと立ち上がり、漆黒の魔剣に手をかけた。世界を滅ぼすための最終劇が、今まさに幕を開けようとしている。
殺気が空間を切り裂く。しかし、そのピリついた緊張感の真っただ中で、勇者はガクガクと震える足を踏ん張り、意を決したように掠れた声を絞り出した。
「なァ、聖女……」
「っ……なに、急に……!」
聖女の肩がびくりと跳ねる。魔王の気迫に当てられたのだと勘違いした彼女は、慌てて戦闘態勢を整えようとしたが、勇者の次の言葉でその動きが完全に凍りついた。
「今まで本当に、ありがとうな。お前とここまで来られて、俺は……すごく、楽しかった」
(――本当は、この旅が終わったら、ずっと俺の隣で、毎朝味噌汁を作ってほしかったんだ……!)
心の中で絶叫する勇者。しかし口から出たのは、あまりにも遺書めいた、お別れムード全開のセリフだった。
聖女の胸が、激しく波打つ。
「……っ!な、なに急に変なこと言うのよ。遺言のつもり?こちらこそ、足手まといばかりでごめんね……私なんかと組んでくれて、迷惑だったよね……!」
(――バカ!そんなこと言わないで!本当は世界を救ったら、二度とその腕を離したくないほど愛してるのよ!どこにも行かないでよ……!)
心の中の愛の告白は、不器用すぎる自己否定の壁に阻まれ、ただの卑屈な謝罪となって夜気に溶けていく。
「め、迷惑だなんて一度も思ったことねえよ!」
勇者は狼狽え、ガシガシと自分の頭を掻きむしった。
「お前はいつも最高で……だから、その、もしこの戦いで俺が……その、生きて帰れなかったら……!」
「バカなこと言わないでっ……!あなたが死んだら、私、どうやって生きていけばいいのよ……!」
(そのままの意味だバカヤロー!!)
聖女の目から大粒の涙が零れそうになる。背中越しに伝わってくるお互いの体温が、恐怖ではなく切なさと熱を帯びて混ざり合い、黄昏の間はすっかり「湿っぽい最終回を迎えた純愛ラブコメ」の空気感に包まれていった。
二人の世界が完全に出来上がり、もはや誰も立ち入る隙のない甘酸っぱいエチュードが繰り広げられている。
その様子を、漆黒の兜の奥からじっと見つめていた魔王の動きが、ぴたりと止まった。
魔王が構えていた魔剣のオーラが、スッと消える。殺気も、覇気も、暗黒の波動も、あまりのシュールさにすべて引っ込んでしまった。
魔王(……?)
世界を揺るがす最終決戦の場において、自分という「世界の脅威」が完全に蚊帳の外に置かれている。このままでは、自分がただの「空気の読めない邪魔な第三者」になってしまうという強烈な予感が、魔王の理性を激しく揺さぶっていた。
――じれったい。あまりにも、じれったすぎる。
魔王を名乗る者としてのプライドと、長年培ってきたダークロードとしての美学が、限界値を超えてバキリと音を立てて砕け散った。
漆黒の玉座の前に立つ魔王は、自らの手で兜の留め金を外し、それを力任せに床へと投げ捨てた。ガシャアァンと冷たい石畳を打つ硬質な音が、黄昏の間に虚しく響き渡る。
兜の下から現れたのは、整った顔立ちでありながら、すでに胃痛を耐え忍ぶような激しい苦悶に満ちた中年男性――ではなく、魔界を統べる冷酷非道な魔王の素顔だった。だが、今の彼の顔に宿っているのは恐怖でも怒りでもない。ただひたすらに、「若い男女のじれったい恋愛事情を見せつけられた全肯定の有識者」としての絶望的な疲労感だった。
魔王は両手をこめかみに当て、頭痛を抑えるようにぐりぐりと揉みしだく。そして、これ以上この茶番を見続けたら魔王としての尊厳が完全に死滅すると悟り、限界を迎えた喉の奥から、愛の伝道師をも凌駕する絶叫を叩きつけた。
「――お前ら、いい加減にしろ!!!!!!」
ビクッ!!!聖剣を地面に突き立てて感傷に浸っていた勇者と、杖を握りしめて涙をこらえていた聖女の肩が、同時に盛大に跳ね上がった。
「「!?」」
二人は反射的に背中合わせの体制を解き、くるりと振り返る。そこには、全身から殺気ではなく「なぜ私がこんなものを見せられているのか」という強烈な理不尽さを漂わせた魔王が、血走りかけた目で仁王立ちしていた。
「なんだその遺書みたいな会話はッ!!」
魔王の怒声が、ステンドグラスをビリビリと震わせる。
「そこは『この戦いが終わったら結婚しよう』だろ常識的に考えて!!お互い顔を真っ赤にして脳内お花畑か!私を目の前にして何イチャついてやがる!!さっさと結婚しろ!!」
「「……は?」」
勇者と聖女は、完全に脳の処理能力を焼き切られた。世界を滅ぼす魔王の口から発せられた言葉が、あまりにも予想の斜め上を行きすぎていて、言葉としての意味を理解するのに数秒のタイムラグを要した。
「は、はあ……っ!?な、なに言ってんだよ魔王!お前は世界を滅ぼすために――」
「やかましい!!私はな、こう見えても部下たちの恋愛相談には乗ってきたんだ!お前らのその『好きだけど言い出せない、でもお互い大好きで仕方がないピュアなすれ違い』を見ているだけで、こっちの胃に穴が開きそうなんだよ!!」
魔王は愛用の魔剣を足元に放り投げ、両手を激しく振ってまくし立てる。
「いいか!貴様らはこれから命を懸けて私を倒し、世界を救うんだろうが!そんな大団円の直前に、そんな中学生みたいな初々しい未練を残すな!終わった後にお前らがどうなろうと私の知ったことではないが、少なくとも『今この瞬間』、私の前でその少女漫画みたいな空気を作るのは許可しない!!」
「ちょ、ちょっと待てよ……!」
勇者は顔を真っ赤に染め上げ、耳まで茹でダコのように赤くなりながら、ステンドグラスの月明かりから必死に目を背けた。
「なにを勝手に……!俺たちは別にそんなんじゃねえし、このバカ女とはただのパーティーメンバーで――」
「ただのパーティーメンバーが、相手の死を想像してそんなガチ泣き寸前の顔をするかぁっ!!」
魔王は激しくツッコミながら、頭を抱えて玉座の階段に崩れ落ちた。
「頼む……頼むから、さっさと両思いになってくれ……。お前らのその空気のせいで、私の中の『冷酷非道な魔王』というキャラクターのアイデンティティが完全に崩壊しかけているんだ……!」
命を懸けて刃を交えるべき最終決戦の場が、突如として「恋愛カウンセリングルーム」へと変貌を遂げた瞬間だった。最強の戦士であるはずの勇者と、慈愛の聖女は、ラスボスからのあまりにも正論すぎる恋愛アドバイスを受け、脳内の回路がショート寸前にまで追い込まれていた。
そして、聖女の胸の中で、ぐつぐつと別の感情が沸騰し始める。
「……ま、待ちなさいよ」
聖女はぷるぷるとおののきながら、魔王をキッと睨みつけた。その目には、恐怖ではなく、別の意味の戦闘火花がバチバチと散っている。
「魔王の分際で……私たちの恋愛事情に勝手に口出ししてきて……!」
「おう、なんだ。図星か」
「そうじゃないわよっ!……っ!魔王に応援されたから結ばれるなんて、なんか、ものすごく……ものすごく負けた気がするんだけどぉ――ッ!!」
理不尽なプライドが、不器用な聖女の背中を無理やり押した。伏魔殿の最深部で、恋の歯車が、最悪かつ最高な方向へと狂い狂い始めていた。
「魔王に応援されたから結ばれるなんて、なんか、ものすごく……ものすごく負けた気がするんだけどぉ――ッ!!」
聖女のその絶叫を皮切りに、黄昏の間の空気は一瞬で「別の意味での修羅場」へと切り替わった。恐怖や感傷の余地など、もはやどこにも残っていない。あるのは、限界を超えてネジが外れた者たちの圧倒的なエネルギーだけだ。
「なっ……なんだと!?」
魔王は玉座の階段に座り込んだまま、信じられないものを見る目で聖女を指さした。
「私がお前らのじれったさに耐えかねて、わざわざ親切に背中を押してやったというのに、その言い草はないだろう!感謝こそされ、理不尽にキレられる筋合いはないっ!」
「親切って言わないわよ、大きなお世話よボケ魔王!」
聖女は愛用の杖をゴン!と石畳に突き立て、真っ赤な顔で怒鳴り返す。
「私たちはね、私たちなりのペースで、何ヶ月もかけてじっくりと不器用にすれ違って、最高のタイミングでドラマチックに破滅する予定だったのよ!それを何よ、あんたが勝手に『さっさと結婚しろ』とか台無しにしてくれたせいで……!」
「せいで……なんだ!」
「なんか……!なんかもう、全部あんたの掌の上みたいで悔しいのよ!!」
「知るかそんなもん!!」
魔王は頭を抱えたまま、絶望的な叫び声をあげた。
「こっちは世界を揺るがす最終決戦の真っ最中なんだぞ!なんで私が、お前らの恋愛のプライドの面倒まで見なきゃいけないんだ!いいから早く『好きだった』って言い合って、両思いになって、城から出ていけ!」
「誰があんたの言うことなんかに従うもん……っ!」
聖女が肩を激しく上下させながら、フンっと顔を背ける。
その傍らで、ずっと頭を抱えて固まっていた勇者が、ようやくブルリと全身を震わせて現実世界へと帰還した。彼は自分の耳で聞いた「魔王の言葉」と、横にいる聖女の「悔し涙混じりの絶叫」を脳内で必死に反芻する。
――え?――
今の話の流れ、どういうことだ?
勇者の脳筋回路が、猛烈な勢いで火花を散らしながら回転を始める。
「ま、待てよ……!」
勇者はガバッと顔を上げ、耳まで真っ赤に染め上げたまま、隣に立つ聖女をギョッとした目で見つめた。
「おい、聖女……。お前、今……『私たちの恋愛のペース』って……言ったか?」
聖女の肩が、ビクリと大きく跳ねた。
「っ……!な、なにがよ……!」
「だって、お前……!さっき、『私が死んだらどうやって生きていけばいいのよ』って……それって、つまり……!」
勇者の声が、みるみる裏返っていく。
「俺のことを……その……好きでいてくれたのかよ……!?」
図星を突かれた聖女の顔面温度は、おそらく今この瞬間のマグマをも凌駕していた。彼女はバッっと両手で自分の顔を覆い、カチコチに硬直しながら、声にならない裏声で叫んだ。
「――っ!!!言わせないでよこの大バカ脳筋があああぁぁぁぁっ!!!」
「うおおおおおっマジかよ!!いや、待て、本当か!?じゃあ、俺の毎朝の特製肉ステーキも、実は毎回すごく我慢して……いや、本当は嬉しかったのか!?」
「嬉しいわけないでしょ!!」
羞恥心と怒りで理性が完全に蒸発した聖女は、恥ずかしさのあまり逆ギレモードに突入した。
「毎朝毎朝、朝っぱらからドカ食い用の脂っこい肉の塊を押し付けられて、私の胃もたれの苦しさが分かる!?こっちは乙女なのよ!朝は優しくハーブスープが飲みたいの!!絶対いや、毎朝ハーブスープよ!!」
「なんだと!?俺の愛情込めた肉ステーキをディスるな!男は黙って肉だろ、朝からハーブスープなんてウサギの餌じゃねえか!!」
「ウサギの餌で十分よ!あんたみたいな脳筋は一生、私が作った苦い野菜汁でも飲んで反省してなさいよ!!」
――カチィン。
二人の間で、完全に「結婚生活の主導権を巡る新婚喧嘩(予備軍)」の火花が激しく散った。先ほどまでの「命を懸けた世界の存亡をかけた戦い」の面影は、宇宙の塵一つ残らず消え去っている。そこにあるのは、新婚初日の朝にどちらの朝食メニューにするかで大喧嘩を始めている、どうしようもないバカップルの姿だけだった。
玉座の階段に座り込んだまま、魔王はその光景を白目を剥いて眺めていた。
「…………」
魔王の全身から、暗黒の魔力ではなく、脱力感という名の冷や汗が滝のように流れ落ちていく。
「話を聞けぇえええええええええええええっ!!!」
魔王は再び立ち上がり、絶叫した。
「なんだこれ!なんだこの展開はぁっ!!なんで両思いになった瞬間に、秒速で新婚喧嘩を始めてんだお前らはぁあああ!!」
「「うるさいな、お前は黙ってろボス!!」」
勇者と聖女は、見事に息の合ったハモり声で魔王を怒鳴りつけた。
「調子狂うわぁっ!!!」
魔王は頭をガシガシと掻きむしり、その場に崩れ落ちそうになりながら叫んだ。
「私を何だと思ってるんだ!私は世界を絶望の淵に叩き落とす魔王だぞ!なんでお前らの痴話喧嘩の当て馬みたいな扱いをされなきゃいけないんだ!私の尊厳を返せ!!」
「知るか!全部お前が余計な口出しをしたせいだろ!」
勇者は聖剣を肩に担ぎ直し、ぶすっとした顔で魔王を睨みつける。
「くそっ……!なんか、お前のせいでさっきまでのいい感じの切ない雰囲気が台無しだわ!どうしてくれるんだよ!」
「そうよ!せっかく私が命がけで『死んだらどうしよう』ってロマンチックなセリフを回収してたのに、全部台無しよ!」
聖女もまた、プンスカと頬を膨らませて魔王を指さす。
「お前らのせいだろ全部!!理不尽すぎないか私!?」
魔王の声が、この城で一番の悲鳴となって黄昏の間に響き渡った。最強であるはずの魔王は、いま、物理的なダメージではなく、人生最大の精神的ダメージ――「バカップルにペースを完全に狂わされたことによる強烈な胃もたれと敗北感」の真っただ中に沈んでいた。
「あーーーーっ、もうっ!!」
聖女は頭をガシガシとかきむしり、あまりの気恥ずかしさと怒りが混ざり合った結果、顔をトマトのように真っ赤にして絶叫した。さっきまで「死んだらどうしよう」と切なく潤んでいたはずの瞳からは、いまや「早くこの気まずい空間を消し去りたい」という殺伐とした焦燥の炎が燃え盛っている。
「なんか!なんかもう、すごく気まずいんだけど!!」
「お、おう……俺もだ!なんか頭の中がぐちゃぐちゃで、耳まで熱いっていうか!」
「全部このボケ魔王のせいよ!責任取って今すぐ消えなさいよ!!」
「そうだ!お前のせいで俺たちの最高にロマンチックだったはずの決戦前夜が、ただのドタバタ新婚喧嘩になっただろ!詫びとして一瞬で消えろ!」
「理不尽すぎないか!?」
玉座の階段にへたり込み、両手をついて項垂れていた魔王は、あまりの横暴さにひっくり返りそうになった。被害者は一貫して自分であるはずなのに、なぜか今、世界の運命を背負った勇者と聖女という名の「最強のバカップル」から、モラハラ夫を断罪するかのような冷ややかな視線を向けられている。暗黒の覇王としての威厳は、この数分間のうちに微塵も残らず蒸発していた。
「もういい!早く終わらせるぞ聖女!」
「分かってるわよ!さっさとこの空間を浄化して、今すぐ帰るわよ!」
二人の間に、不意に――しかし、これ以上ないほど強烈なシンクロ率が生まれた。長年の旅路で培った阿吽の呼吸。そして、「今すぐこの恥ずかしい現実から逃げ出したい」という強烈な共通の動機が、彼らの魔力を限界値のその先へと引き上げる。
勇者が聖剣を天空へと掲げた。その刀身に、通常の黄金色の闘気ではなく、なぜかギラギラと眩しすぎる純愛のピンク色のオーラがバチバチと纏わりつく。
「おい、待て……その構えは……まさか……っ!?」
魔王は危険を察知してガバッと顔を上げた。歴代の勇者たちすら手こずったはずの「世界を滅ぼす暗黒波」の記憶が、本能的な警報を鳴らしている。
「いくぞ、聖女!『私を怒らせた罰』だ!!」
「受取りなさいよ魔王!私たちの『未消化だった初恋のエネルギー』を――!!」
二人が背中合わせから一転して踏み込み、手と手を固く(かつ恥ずかしそうに顔をそむけながら)握りしめ、そのまま渾身の力を込めて聖剣と神聖杖を振り下ろした。
詠唱などない。あったのは、ただの「照れ隠しと八つ当たり」だった。
「「爆誕・愛の聖剣クロスブレイクーーーーーーッ!!!!!」」
ドゴォォォォォォン!!!!!!!
黄昏の間は、物理法則と世界観のすべてを無視した「まばゆすぎる純愛の爆風」に包み込まれ、魔王城は盛大に、そして華やかに爆破四散した。
「ぐわぁぁぁぁぁぁぁっ……!?私の城がぁぁぁぁぁぁっ……!!!」
瓦礫の海と化した玉座の間で、全身を煤まみれにした魔王が崩れ落ちる。HPはまだ半分以上残っているというのに、彼の精神はすでに完全に砕け散っていた。
遠ざかる意識の中で、魔王は虚空を見つめ、遠い目をしながら最後の呟きを漏らす。
「俺は……世界を統べる闇の王だったはずなのに……なぜ……爆破寸前のホームドラマで奥さんに愛想を尽かされるモラハラ夫みたいな扱いで……散らなきゃいけないんだ……」
こうして、最強の魔王は物理的ダメージではなく「若者たちの痴話喧嘩に巻き込まれた精神的過労」により、静かに消滅していったのだった。
魔王城の瓦礫の上。世界を救った最強の二人は、奇跡的に無傷のまま、青空の下の岩場にぽつんと立っていた。
静寂が戻った世界に、吹き抜ける風だけが生温い。
「…………」
「…………」
さっきまでの爆発的な勢いはどこへやら。いまの二人は、お互いの顔をまともに見ることができず、数歩の距離を空けたまま、それぞれ別の方向を向き、耳まで真っ赤に染めて固まっていた。手をつなごうとしても、指先が触れ合うだけで「ひゃっ」と変な声を上げてお互いビクッと引いてしまう。中学生の初恋よりも初々しい、圧倒的な気まずさがそこに満ちていた。
だが、勇者は意を決したように、ごくりと喉を鳴らした。ぶるぶる震える手を無理やり伸ばし、震える声で呟く。
「で、では……その……そろそろ、帰るか?」
「…………そ、そうね」
聖女は俯いたまま、カチカチに硬直した顔でこくりと頷いた。そして、勇者が差し出したその大きな手に、自分の小さな手をそっと重ね合わせる。
「かっ、帰ったら……その……明日の朝は……」
「わ、分かってるよ!ハーブスープだろ!作るよ!お前の好きなハーブスープを毎日作ってやるよ!!」
「……もう、バカ……。でも、たまにはお肉も……食べてあげるんだからねっ……!」
世界を救った最強の二人は、顔を真っ赤に茹だらせたまま、どこまでも不器用で、どうしようもなく甘酸っぱい手をつなぎながら、夕日に染まる道をゆっくりと歩き出したのだった。




