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異世界恋愛短編

病弱で可憐な幼馴染を優先する婚約者のリアリストな弟が、怒りを露わにした結果

作者: 録宮あまね
掲載日:2026/05/11

 僅か十歳で婚約が決まりました。

 そしてその日に、婚約者のセドリック様がこう仰いました。

「貴女に紹介しておきたい女性がいます」


 不安な面持ちでセドリック様を見上げると、彼は緩く笑っております。


「心配しなくても大丈夫です。幼馴染の女の子で、体が弱くて外に出られないから、定期的に彼女の邸に行って遊んであげているのです」


「お友達……ですか?」


「はい。友人ですが、三つ年下で僕にとっては妹みたいな存在です」


「わたしもセドリック様より年下ですが」


「貴女はしっかりしているし、妹には思えません。だって僕たち、婚約したんですよ?」


「……そう……ですね」

 政略結婚ですが、と言いそうになり、すんでのところで止めました。


 セドリック様は名家の侯爵令息。わたしは伯爵令嬢。家柄的に釣り合いがよく、父親同士が有益になるという理由で結ばれた婚約です。

 でも、不満などは全くありません。彼の温和で優しい性格は、好ましいと思えました。

 幼いながら、この方のために尽くそうと心に決めたのです。



 数日後、わたしは言われるがまま、セドリック様とともに彼の幼馴染に会いに行くことにしました。

 彼の幼馴染は、男爵家の一人娘です。

 邸のメイドに案内してもらい、彼女の部屋の前まで移動すると、苦しそうな咳の音が聞こえてきました。

 セドリック様は慌てて部屋に入ります。


「ケホッ、ケホッ……」


「大丈夫ですか、ルー」

 そう言って、彼はベッドの上で咳き込む彼女の背をそっと摩ります。


「……大丈夫よ。ごめんなさい。いつも心配をかけて」


 彼女はセドリック様に弱々しく微笑み、それからわたしに視線を向けました。


「あなたが彼の婚約者のライラさんですね。わたくしはルーシー・スミスです。ライラさんは、見たところとても健康そうで羨ましいですわ」


 見た目も声も可愛らしいルーシーさんですが、口調は八歳の割に大人びています。


「ルーシーさん、初めまして。わたしのことはセドリック様から?」


「ええ、勿論。わたくしがこんなだから、あなたに迷惑をかけてしまってごめんなさい。セディのこと、どうかこれからよろしくお願いします」

 彼女はそう言って、わたしに頭を下げました。


 セディ…… 。

 幼馴染なのだから、愛称で呼び合っていてもおかしくはないのですが、なんだか少しだけ胸が痛みます。


「はい。ルーシーさんはお体を大切に……」

 わたしは微笑し、そう返しました。








◇◇◇

 そうして、八年の歳月が過ぎました。

 まだ結婚はしておりませんが、侯爵家に馴染むようにと、わたしは頻繁に侯爵邸に通わせていただいております。

 本日も侯爵邸で、セドリック様と夕食をともにしていました。

 執事が急にやってきて、彼に耳打ちします。


「ライラ、申し訳ありませんが、ルーのところに行ってきます」


「ルーシーさんの具合がよくないのでしょうか?」

 わたしはナイフとフォークを置き、彼に尋ねます。


「そのようです」


「分かりました。どうぞお気をつけて。ルーシーさんにも、お大事にとお伝え下さいませ」


 彼は頷き、急いで席を立ちました。

 ほとんど手をつけていない目の前の彼の料理のお皿を見つめて、わたしは小さく息を吐きます。

 ルーシーさんに初めて会ったあの日から、こんなことがずっと続いているのです。


『わたくしがこんなだから』


 不意に、彼女の言葉を思い出しました。

 では、彼女が病弱じゃなかったら?

 セドリック様はそれこそ彼女を選ぶのではないでしょうか。妹のような存在だと仰いましたが、本当は……。


 わたしは慌てて首を左右に振ります。

 疑うなんて、彼を信じていない証拠です。



「食事中に百面相……。兄さんはまたルーシーのところ?」


 側に呆れた顔をしたクライド様が立っていました。

 クライド様はセドリック様の弟君で、年齢はわたしより一つ下です。


「ええ。セドリック様はルーシーさんのところへ行かれました。クライド様、今日も遅かったのですね。お帰りなさいませ」


「ただいま。と言っても、少し前からいたんだけどね」


「お仕事、お疲れ様でした」


「別に。好きでやってるんだから、疲れたとか思わないよ」

 上品で綺麗な顔立ちをしている割に、口調は案外ぞんざいです。


 彼は王立院の研究所で、わたしが理解できないような細胞の研究をしています。

 この若さで研究員として働いているのは、特例らしいです。


「ああ、お腹すいた。俺も一緒に食べていい?」


「はい」


 メイドがセドリック様のお皿を下げ、新しい料理を運んできました。


「このスープ、美味しいね。そら豆? こっちの鶏肉にかかったソースも美味しい。先に蒸したのか、柔らかいね」


 クライド様はブツブツ言いながら、美味しそうに食事を口に運びます。

 それはもう見ていて、気持ちがいいくらいの食べっぷりで。

 おかわりまでしています。

 わたしも慌てて食事を再開します。




◇◇

 数日後、訪れた侯爵邸のエントランスで、セドリック様にぶつかりそうになります。


「セドリック様? 慌ててどうされたのですか?」


「ああ、すみません。ルーに呼び出されてしまったので、今から行ってきます。お茶会に招いておきながら、本当にすみません」


「いえ、大丈夫です。気をつけていってらっしゃいませ。それでは、わたしはこれで失礼します」


 一礼して邸を去ろうとしたわたしを、セドリック様は驚いた表情で引き止めます。


「何故ですか? 折角来たのですから、中でお茶を飲んで行ってください。もうお菓子も用意していますから」


「でも……」


 彼がいないお茶会なんて、また暗い気持ちになってしまいそうです。

 気が進みません。


「遠慮しないでください」

 セドリック様は笑顔でそう言うと、わたしを邸に促しました。

 そして、ご自分は馬車の方へ行かれました。



 本当に急に呼び出されたのでしょう。

 部屋に入ると、お茶会の準備は整っていました。


 テーブルの上には、焼きたてのスコーン、三色クッキー、木の実のパイ、つやつやのチョコレートケーキ、フルーツサンド、エトセトラ。お花も飾られています。

 メイドがすぐにお茶を入れてくれました。

 お茶は温かく、とても美味しい。けれど、自然と瞳が潤んできます。


「今日は一人でお茶会? 一緒してもいい?」


 顔を上げると、クライド様がまた側に立っていました。


「はい、勿論です」


 わたしは気づかれないよう俯き、急いで目を擦りました。


「……えっと、クライド様は、今日はお休みですか?」


「そう。少しは脳を休めないとね」


 彼はメイドから直接ティーカップを受け取り、カップに口をつけます。



「昨日さ、雨が降っていたでしょ。雨が上がった直後に、小さな雨蛙が窓から研究室に飛び込んできたんだよね」

 クライド様は、急に脈絡のない話を始めました。


「雨蛙、ですか?」


 彼は頷き、話を進めます。


「丁度実験体が欲しかったから、あまりのタイミングのよさに驚いたよ。可愛らしい天からの恵みだな、と。本当にありがたい話だよね」


「え?」


 わたしは彼を凝視したまま固まります。


「何? そんなに青褪めた顔をして」


「だって、可愛らしい雨蛙を解剖するなんて……酷いです」


「解剖するなんて、一言も言ってないよ。投薬の実験で、その薬も別に害のあるものじゃないし」


「あ、ああ……そうだったのですね。よかったです。実験だと聞いて、早合点してしまいました」


「ははっ。今度は顔が真っ赤だ。つまらない話なのに、君はいつも反応が面白いね」

 クライド様は破顔しています。


 彼と話をしているうちに、涙もどこかへ吹き飛んでしまいました。





◇◇

 数週間が経ちました。

 本日は、セドリック様とクライド様と三人でランチの予定です。

 天気がよく、薔薇が美しいので、広い庭園でちょっとしたパーティーを開くことにしました。


 準備が整うまで談笑しながら待っていると、執事が慌てた様子で駆けてきます。

 嫌な予感がしました。

 執事は小声で何かセドリック様に伝えています。


「ルーがまた発作を起こしたようです」

 そう言って、セドリック様は俯きました。


 やはり予感が的中しました。

 わたしは、微笑みながらいつもの台詞を返します。


「分かりました。気をつけて行ってらっしゃいませ」


「兄さん、ランチは?」

 クライド様が瞠目して尋ねます。


「ルーが苦しんでいるのに、ランチなんてとっている場合ではないでしょう」


「あ、そう。兄さんは優しいね」


「貴方はいつもそう言いますね」

 セドリック様は微かに笑います。


「……ずっと嫌味で言ってるんだけど」

 クライド様は、彼に冷たい眼差しを向けました。

 そして言葉を続けます。


「あのさ、いつも思ってたんだけど、兄さんがルーシーのところに行って、どうなるっていうの? 酷なことを言うけれど、病弱な幼馴染を優先したって家のためにはならないよ。大体、ずっと兄さんに尽くしてきた婚約者(ライラ嬢)を放置して、一体どういうつもり? ルーシーを妾にでもするの? 体が弱いんだから、彼女では家の跡取りとなる子供を産むことはできないよ」


「そんなつもりはありません。貴方は、頭はいいですが情がなさすぎます」


 セドリック様の言葉を聞いたクライド様は、ゆっくりとわたしを見ました。


「そうかな。健康的で優しい婚約者の彼女が蔑ろにされて、病弱で我儘なただの幼馴染が優遇される。そっちの方がおかしいよね。ライラ嬢はルーシーの元へ行く兄さんをいつも笑顔で見送っていたけど、見えないところでは泣いていた。可哀想なのはどっち? 兄さんは少しも優しくなんてないよ。無神経だ。そんなに幼馴染(ルーシー)が大事なら、この家を出てずっと付ききりで彼女の側にいたらいい。いっそのこと、家を捨てて彼女と一緒になったら? 家は俺が継ぐよ。ライラ嬢も俺が貰う」


「何を……。僕は家を出るつもりなんてありません。大体貴方は次男でしょう。家を継げても爵位は継げません」


 クライド様は返答せず、セドリック様を鋭い眼差しで見つめています。こんなに感情を露わにしたクライド様を見たのは初めてです。

 聡いクライド様ですから、ご自分が侯爵の爵位を継げないことなど百も承知でしょう。

 わたしのために発言してくださったのだと、すぐに分かりました。

 わたしは大きく息を吐きます。



「セドリック様、わたしは今この時をもって、セドリック様、そして侯爵家との縁を切ろうと思います」


「え?」

 わたしの言葉に、セドリック様は驚きの声を上げます。


「セドリック様もクライド様も、わたしのことを思いやりがあり、優しい女性だと思っていたのでしょうけれど、そうではありません。そう思われたくて、自分の感情を表に出さなかっただけです。人並みに、いえ、人並み以上に心の中は不満でいっぱいでした。婚約はこちらから破棄いたします。セドリック様にも非があると思いますので、慰謝料を払う必要はありませんよね。寧ろ八年もの歳月を無駄にして、こちらが払っていただきたいくらいです」


 淀みなく、言葉は驚くくらいすらすらと出てきました。

 ずっと、はっきりとこう言ってやりたかったのだと、言葉に出して初めて気づきます。


「待ってください。僕は貴女を愛しています」

 セドリック様がそう言って、わたしの手に触れました。


「触らないでください。いつもルーシーさんに触れている手で」


 わたしはセドリック様の手を払います。


伯爵(お父上)が困りますよ。勝手にこんなことをして、一体どう思われるか……」

 セドリック様は、慌てて言葉を紡ぎます。


「父にはきちんと話します。勘当されても構いません。幸い、貴族学校でたくさんのことを学ばせていただきました。帳簿をつけたり計算したりすることは得意ですから、町に出れば、きっと働き口はあると思うのです」


「そんな、そこまで……」

 セドリック様は呟き、項垂れます。


「クライド様、正直な気持ちを伝えるきっかけをいただき感謝しています」


「俺は自分が思っていることを言っただけだよ」

 彼はいつもの軽口で返します。


 わたしは再びセドリック様に向き直ると、笑顔で彼に最後の言葉を告げました。


「どうぞお気をつけて、ルーシーさんの元へ行ってらっしゃいませ」


 そうして、晴れやかな気持ちで深々と頭を下げ、侯爵邸を後にしました。




 自邸に戻り、父にこれまでのことや自分の気持ちを正直に話しました。

 意外なことですが、父は分かってくれて、婚約は正式に破棄されることとなりました。


 実は父の両親も政略結婚だったらしく、長年二人の冷めた関係を見てきて、愛のない生活がどれだけ辛いか理解していたようです。

 もっと早くに相談していればよかったと、ただそう思いました。





◇◇

 それから、数週間が経ちました。

 侯爵家とは縁を切ったというのに、クライド様はなぜか頻繁に我が家を訪れてきます。


「わたしはもう大丈夫です。ですから、同情や心配は無用です」

 わたしは彼にはっきりと、そう伝えました。


「同情なんかじゃないよ」

 クライド様は不快そうに目を細めます。


「あの時言った、俺が貰うって言葉は本気だから」


「え?」


「ずっと、君のことが好きだった。君は自分のことを優しくないと思っているかもしれないけれど、そんなことはないよ。君はいつだって自分より他人の気持ちを優先していた。それは絶対に偽りなんかじゃない。侯爵夫人になるために、兄さんのために、ずっと努力していたことも知っている。物心がついたころから、君は兄さんの婚約者だったから、姉になる人だと自分に言い聞かせて、俺は自分の気持ちを押し殺してきた」


 クライド様は、熱のこもった瞳でわたしを見ています。

 驚きました。


「わたしはクライド様をそういう目で見ていません」


「うん、分かってる」

 彼はそう言って、わたしの手に触れます。


「クライド様?」


「嫌?」


 わたしは左右に首を振ります。


「顔が赤い。体の方が正直だよ。あのさ、もうすぐ博士号が取れるんだ。陛下から爵位も貰えると思う。侯爵家(あの家)は継げないけれど、俺じゃダメかな。何年でも待つから」

 クライド様はそう言って、わたしの頬に口づけました。


「ひゃあ!!」


「ひゃあって……」

 クライド様は笑っています。


「なんで? 今、キス? 何年でも待つのでは?」

 わたしは頬を押さえたまま抗議します。


「不快?」


「………いいえ」


 やはり体は正直なのかもしれません。

 触れられた頬は熱く、恥ずかしさで俯いたまま顔を上げられません。






◇◇◇

 二年後、既に博士号を取得していたクライド様は、研究の多大な功績が認められ、仰っていた通り、国王陛下から伯爵の爵位を賜りました。

 わたしはクライド様と結婚して、幸せな生活を送っています。



 セドリック様は、わたしが去ってからお酒に溺れ、体を壊したようです。

 手が震え、文字を書くのも難儀しているとか。


 体を壊したセドリック様と、度々発作を起こすルーシーさん。

 子は持てなくとも、二人の間にあるものが愛だと認め、共に生きていけばいいと思います。

 ベッドを並べ、最期の時まで……。

 今でしたらお似合いの二人だと、心から祝福してあげられます。

お読みいただきありがとうございました。

評価やリアクション等いただけましたら、大変嬉しいです。

今後の執筆活動の励みになります。

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― 新着の感想 ―
「家を継ぐこと」と「爵位を継ぐこと」ご別であると、他の方の感想返しにありましたが、本文中にある通り長男が爵位を、次男が家を継いだ場合、長男一家は新興貴族家ということですか? ※家は継いでいないので…
婚約破棄後、セドリックはヤケ酒し身体を壊すくらいだから、見舞いにも行かなかったでしょうね。多分少しは、幼馴染を恨んで、幼馴染に暴言はいたりもしてそうです。 隠れ幼馴染ざまぁと私は想像しました(笑)
一応、婚約者を愛してはいたのか?サイコパスに多いけど、たくさんの女を同時に愛せる人は存在するからそっち系かな? こっちは結婚する女、こっちは浮気相手、こっちは恋人、こっちは財布。みたいな
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