第4話 綱渡りの交渉は、一歩間違えれば極刑である
「偉大なる皇帝陛下にお目通り叶ったこと、心より感謝申し上げます」
数多の人生の記憶が甦って、二度目の皇帝への拝謁である。
クラウスは、正直もう二度とここには来たくなかったが、事情が事情なので仕方がない。
今回は、騎士団長であるセスリーンも一緒に来てくれた。流石に平民のクラウスに、ただ願っただけで皇帝が会ってくれるとは思わなかったからだ。
いくらおだてまくって好印象を残せていたとしても、彼は身分差別万歳思考。クラウスなどミジンコ以下でしかない。
「うむ、面を上げよ。……最近、討伐への準備も進んでいると聞く。団長に指名したわしとしても、誇らしいぞ」
「恐悦至極に存じます」
「して、今日はどうした?」
「はっ。部下であるクラウスが、皇帝陛下から栄えある任務を授かり、その進展の報告がしたいとのこと。私はただの付き添いにございます」
「ほう……あの時の。確か、クラウス、だったな」
「――。はっ! 顔と名前を覚えて頂き、この上なき誉にございます!」
一瞬固まりかけたが、クラウスは反射的に頭を下げた。まさか、このじじい――もとい残虐皇帝がクラウスの名前と顔を覚えているとは思っていなかったのである。
前の人生では、どの人生でも彼はクラウスのことなど微塵も覚えてはいなかった。反乱が成功して断末魔を残す時に、せいぜい恨みがましく睨まれたくらいである。
それが、まさかの記憶力。クラウスは、少しだけ彼を侮っていたことを反省した。
「お主は、わしの栄光を大陸の隅々にまで轟かせると約束した。その約束が本物か、見極めておるだけよ」
「もちろん、約束は必ず果たしてごらんにいれましょう! まずは、こちらをご覧いただけますれば。進捗にございます」
近くにいた近衛騎士に、一枚の古びた紙を渡す。
ごわごわした、本当に薄ぼけた紙だ。通常ならば、ここにいる団長以外、全員鼻紙にでも使ってゴミ箱に捨てそうな品である。
だが、これこそが栄光の一歩と言われれば、丁重に扱われる。現に、セスリーンが「上手いな」とぼそっと隣で零していた。ただ渡しただけでは破り捨てられていたと、彼女も知っているのだろう。つくづく、ここの国は腐っている。
「ふむ……、……。……これは」
「ご覧いただきました通り、災厄の魔物の情報にございます」
たった一枚。興味の無い人間には、ただの紙切れでしかない。
しかし、これは遺跡に現れたという災厄の魔物を倒すのならば喉から手が出るほど欲しい代物だ。
禁書から懸命に写し取った情報の紙を、クラウスは二時間ほどかけてまるで百年以上前から存在していた様に見せかけた。
作業工程は粉や液体、魔法も掛け合わせてかなり複雑ではあるのだが、これを見抜けるほどの腕は、今やクラウスに闇の全ての術を施した気まぐれのあの人くらいしかいないだろう。それほどまでに、精巧な造りになったと自負している。
セスリーンとランバートには非難されるかと緊張したが、意外なほどに二人は「悪用しなければいいんじゃない?」とあっさり見逃してくれた。
この二人は、柔軟性が過ぎるのではないだろうか。
それとも、全てが終わったら捕まえようという魂胆なのか。この人生で、初めてクラウスは二人に対して個人的に強い興味を抱いた。
とにもかくにも、皇帝達はこれが本物の古びた一枚の紙切れだと信じ込んだ様だ。回されて目にした近衛騎士達がざわついている。
「……これを、どこで手に入れたのであるか?」
「図書館です。……ですが、目録には無いものです」
「どういうことか?」
「実は、この本に隠されていまして。……しかも、本棚とは別の、隠し金庫ならぬ隠し壁の穴、というべきでしょうか」
「それについては、私からご説明を。我々は図書館に災厄の魔物の情報が載っている本は無いかと、必死に探しました。しかし、見つからず……諦めかけたところ、ランバートが、その、……足を引っかけて豪快に本棚を倒してしまいまして」
「ほお。あのランバートが。珍しいこともあるものよ」
「ええ。ですが、そのおかげで見つけることが出来たのです。……本棚が倒れ、思い切り壁にぶつかったおかげで、壁の小さな穴が現れたのですから」
セスリーンがおどけた様に肩を竦めるのを、皇帝はふむ、とまた一つ頷く。
クラウスが恭しく近くにいた近衛騎士に本を渡すと、「これに……」と微かに騎士が呟いた。どうやら、この本自体もかなり古いものだと認識してくれた様である。実際は、クラウスの本棚に眠っていただけの神話の本だが。――神話には奥付が無かったのが幸いした。奥付があれば、発行した年月日が書かれているので誤魔化し様が無くなるのである。
それはともあれ。
近衛騎士が皇帝に差し出すと、皇帝もどこか慎重に手に取る。まじまじと眺め、ふむ、とまたも一つ頷いた。
「これは、……古くから伝わる神話であるな」
「その通りでございます。その本の最後に、その紙切れが挟んでありました。……本当に、他に言葉はなく、それだけを」
「……」
「それが意味するところは、進言、だったのではないかと思われます」
進言。
忠告でも警告でもなく、そう表現したのには理由がある。馬鹿馬鹿しい歴代の皇帝に対する心に気を配るためだ。
案の定、皇帝の機嫌はそこまで下降しなかった。あっさりと処刑を促してくるこの皇帝との綱渡りは冷や冷やする。
「ただただ一般の目に触れるところにあれば、すぐに禁書として隠されてしまうのではと考えたのではないでしょうか。災厄の魔物についての書物はこの帝国では禁忌とされていると、前にお聞きしたことがございます」
「その通りである。栄えある皇帝よりも恐ろしいものが存在するなど許さぬと、遥か昔の先祖が記録を封じたと伝わっておる。実際は、取るに足らぬ存在であるがな」
「その通りでございます! 流石は偉大なる皇帝陛下。勇ましく、眩しく輝いております!」
「うむ」
「ともあれ、それを、別の国から来た旅人から偶然お聞きしました。災厄の魔物についての書物は、すべからく禁書にされ、地下に封じられている、と」
「なるほど……。……他の国まで口止めは、難しいことであるからな。まったく、低能な者達はいつの時代も嘆かわしいことよ」
嘆かわしいのはお前の頭だ。
そう喉元まで出かかった言葉は、当然胸の底の底の底に重しを乗せて封じ込めた。今失言すれば、即処刑だ。クラウスの命など、所詮は彼らにとってミジンコである。
セスリーンも笑顔を絶やさなかったが、空気が物騒になった。本当に微かにではあるが、クラウスは今までの数多の戦を潜り抜けた故に、肌で感じ取れた。
正直、あまりに寒々し過ぎて帰りたい。帰れないが、帰りたい。
閑話休題。
そう。
この帝国、何と災厄の魔物のことなど無かったことにしているのである。
世界中のどの国でも百年単位で何度も出てきている魔物なのだが、そのたびに無かったことにしていた。退治をするまでに大勢の死人を出したにも関わらず、それは『自然災害』として片付けられてきたのである。
理由は、ただ一つ。
皇帝を恐怖させた存在など、あってはならない。
何てくだらない理由なのだろうか。
だが、事実だ。当時の皇帝のちっぽけなプライドのせいで、魔物の情報については緘口令を敷かれ、禁書として見ることさえも禁止とされた。
故に、この帝国は他の国よりも遥かに、災厄の魔物が現れた時の損害は大きい。他国はある程度対策出来るが、それでもかなりの死者を出すことが多いのだ。それを対策も無しでとなると、推して知るべし、である。
「……この、紙きれを隠した者は、いざという時に皇帝陛下の力になりたい。そう思い、敢えて見つかりにくい場所に隠したのではないでしょうか」
方便である。しかも、犯人はクラウスだ。
壁の隠し穴に関しては、ランバートが開けた。そう。元々開いていなかった場所に、ランバートが良い笑顔で切り込みを入れ、細工をし、作り上げたのである。
本当はそれもクラウスが作ろうと考えていたのだが、企みを話した時、ランバートが挙手したのだ。嬉々として「オレ、こういうの好きなんだよなー」と。
その言葉通り、ランバートの手際はプロ並みだった。
この人、一体どういう人生を送ってきたのだろう。そう思えるくらいには、この悪巧みにノリノリだったのである。しかも、才能ありで。
そして見事、誰が見ても即席とは思えないほどに古めかしく作り上げられた隠し穴に、クラウスが作り上げた偽の古書を隠すことに成功したというわけだ。
「偉大なる皇帝陛下を脅かす情報を、人目に触れさせるわけにはいかない。しかし、その災厄が現れてしまった時、何も対策もせず、万が一、ほんっとおおおおおおおおおおおおおに! 万が一! そんな災厄の魔物程度で偉大なる皇帝陛下の治世に傷でも付いてしまおうものならば、死んでも死にきれない。私なら、そう間違いなく思うでしょう」
「……続けよ」
「そう考えたこの本の持ち主は、だからこそ考えたのです。かなりの賭けでしかありませんが、皇帝陛下を慕う者達によって、皇帝陛下をお助けする幸運を掴むことを。それが、この本が隠され、長い間誰の目にも触れなかった答えなのではないか、と」
「……」
「つまり。これは、偉大なる皇帝陛下が、更に大陸に名を轟かせるための強烈な一手のチャンス! こうして偶然にも幸運を掴めたことこそ、皇帝陛下があらゆる存在から賞賛されている証! そう、私は愚考致します」
頭を垂れてクラウスは待つ。もう、言うべきことは言った。
隣に控えていたセスリーンも、「これで駄目ならこの国は終わりだな」と声なく告げていた。何故か、クラウスには伝わった。無言なのに。セスリーンは何か超能力を持っているのかもしれない。
皇帝は少しの間黙り込んだが、命令を下した。立ち上がり、厳かに、声だけは威厳たっぷりのその傲慢な態度で。
「クラウス。並びに、セスリーン。お前達に、この情報をもとに討伐の準備を進めることを義務付ける」
「――はっ!」
「仰せのままに!」
「そして、勝利を必ず持ち帰れ。……この好機、決して逃がすわけにはいかぬ。我がギャザンク・アウトローの下に、世界に誇れる名誉を」
「「偉大なる皇帝陛下の導くままにっ!」」
そんなことはどうでも良い。
ただ、一人でも死人が出ない様に。
それだけを願って、クラウスはセスリーンと共に一礼し、玉座の間を後にした。
セスリーン「良いおだて具合だったぞ、クラウス!」
選択肢「せんたくせんたくせんたく」
クラウス「団長におべっかを褒められるこの複雑さよ(選択肢は当然無視である)」
少しでも「面白い」「先も読んでみようかな」と思われましたら、ブックマークなど応援お願い致します!
感想も、一言だけでもとっても嬉しいです!
更新の励みになります!




