第1話 選択肢を――
「アウター遺跡で暴れている魔物を、討伐してきてはくれまいか」
クラウスは、気付けばまたここに戻っていた。
思わず首に手をやりそうになるのを、全力で抑える。ここで勝手な行動を取れば、また首を斬られるからだ。
先程首が飛んだ感覚は、未だ生々しく残っている。騎士の腕は良かったが、やはり己の肉に食い込む刃の感触は恐怖の一言だ。
横を向けば、クラウスの命を刈り取った死神がこちらをじっと見つめている。皇帝近衛騎士の一人だ。彼も皇帝と同じで、自分達以外の命を命とも見ていない最悪な人間である。
つ、と背中を伝う汗が、やけに冷え冷えとしていた。震えそうになる体を叱咤し、またも浮かんでいる選択肢をぐっと歯噛みしながら見つめる。
『お任せを! 必ずや、討伐して参りましょう!』
『断る(GAME OVER)』
『はい! お任せください!(と言いながら絶対逃げてやる)』
いつもいつもいつもいつも。
この時、この瞬間、毎回同じ選択肢だ。
この三つ以外無いのか。そう罵りたくなる。
クラウスは、何故今までこの選択肢を疑問にも思っていなかったのだろう。
考えてみれば、今日は何を食べようかな、と思う時にまで、何故か選択肢が出ていることがあった。まるで、その選択でこれからの人生が変わると言いたげに。
そして、実際変わった。
その後に出会う人間が、本当に選択肢次第で変わっていたのである。
クラウスは、今まで選択肢に逆らわずに生きてきた。
そして、ある意味選択肢に翻弄されて生きてきた。
何故、選択肢を選ばなければならないのだろうか。
選択肢以外の選択だって、あるかもしれないのに。
食べたいものだって、その時は『トマトパスタ』『レモンパイ』『肉汁たっぷりビーフシチュー』の三択しかなかった。今思い返せば、選択肢が現れる前のクラウスは、その時は普通にかぼちゃグラタンが食べたかったはずだ。
それなのに、三種類から強制的に選ばされた。選択肢の料理は特段好きなものでもなかったのに、今考えれば業腹である。
クラウスは考えた。
どこまでも考えた。
だが、考えすぎて、また首を切られるのはごめんだ。
けれど。
ああ、けれど。
これ以上、勝手に押し付けられた選択肢だけを歩くなんて、まっぴらごめんだ。
何度結末を迎えても、何故かここに戻される。今までの人生全て、例外なくここから始まっていた。
幸福に終わっても、悲惨な結末を辿っても結局ここに戻されるのならば、それまでの人生は一体何だったというのか。
馬鹿馬鹿しい。――ああ、馬鹿馬鹿しい。
――もう、こんな自分の意思さえ感じられない人生を歩むなんてごめんだ。
だから。
「……承知致しました、偉大なる皇帝陛下」
深く頭を垂れながら、クラウスは死に物狂いで皇帝にへりくだる。
ほう、と目の前で感心した様な溜息が漏れた。
そう。この皇帝は、ちょろいほどにおだてられることに弱い。適当でも賛美の言葉を並べ奉れば、それなりに話を機嫌良く聞いてくれる。
それは、数えきれないほどの人生を歩んできた記憶を思い出した今のクラウスにとっては、簡単すぎる方法だった。
『お任せを! 必ずや、討伐して参りましょう!』
『断る(GAME OVER)』
『はい! お任せください!(と言いながら絶対逃げてやる)』
ぶん、っと音を立てながら目の前の選択肢が自己主張してくる。何故か、選択肢の枠みたいなものがブレ始めていた。
なるほど。クラウスが、選択肢以外の言葉を放ったからか。
ただ、このままだと、ただ単に一番上の選択肢の言葉を言い換えただけだ。
故に、クラウスは更に言葉を叩きつけた。――無駄に自分の命を散らさないために。
「偉大なる皇帝陛下に、僭越ながらご提案がございます。魔物を、確実に討伐するために必要なことと愚考致します」
『お任せを! 必ずや、討伐して参りましょう!』
『断る(GAME OVER)』
『はい! お任せください!(と言いながら絶対逃げてやる)』
またも、ぶぶんんっ! と、激しく選択肢が揺れる様に鳴ったが、クラウスは無視をする。
努めて平静に、頭を下げたまま皇帝に進言すれば、ふむ、と声が低くなる。
だが、不機嫌という感じではない。首の裏がちりちりと熱くなる様な感覚に震えそうになるが、クラウスは懸命に堪えて続きを待つ。
「よかろう。申してみよ」
「はっ。ありがたき幸せ。皇帝陛下のお慈悲に感謝致します」
ははー、っと更に深く頭を垂れれば、目の前の空気がぶわあっと明るくなった。とりあえず、ゴマすりは成功である。
『お任――! 必ずや、討伐し――りましょう!』
『断る(GAME OVER)』
『はい! お――ください!(と――――ら絶対逃げてやる)』
ぶぶぶん、ぶぶんぶぶぶぶぶぶぶっ。
目の前の選択肢が、今や文字が化けているのではと思うほどぶれて読めなくなってきている。いっそ憐れなほどだった。
それだけで、クラウスは確信した。
この選択肢は、クラウスの今の言葉を否定している。
クラウスが、己の頭で選ぼうとしている道に対して、異常なのだと。困惑しているのだと。そう、確信出来た。
だからこそ、続ける。
選択肢以外の道を、今、確実に選んでいるのだと信じて。
「遺跡に登場した魔物は、国、いえ、大陸を半分ほど吹き飛ばしてもおかしくない伝説の災厄の魔物だとお聞き致しました。もちろん、皇帝陛下の足元にも及ばないと存じてはおりますが」
「うむ。その通りである」
「この国以外では、災厄の魔物は出現すれば大問題、下手をすれば滅亡の危機として忌避されるべき存在。だからこそ、この栄えある帝国の頂点に立つ皇帝陛下が討伐に成功したとなれば、大陸の隅々にまでその栄光が轟くこととなるでしょう」
「うむうむ。その通りである」
「ですので、確実に、そして、少ない討伐回数で、討伐するべきだと考えます」
「うむ、その通りである! よく分かっているのである。褒めて遣わす」
「ははーっ! このクラウス・カイザー。その様な誉れあるお言葉を頂き、恐悦至極に存じます」
ちょっと腰を低くし過ぎかと考えたが、皇帝は全く気にも留めていなかった。
ただただクラウスの褒めちぎりに気分を良くしている。自慢の白髭をしきりに撫で、ほくほく顔だ。何ともお気楽で――頭の悪い皇帝である。
そして。
――ぴき、っと。ついに、垂れた頭の近くで、亀裂が入った様な音がした。
「それにつきまして、考えがございます。その偉大なる皇帝陛下の栄華の大躍進となる魔物討伐。確実に討伐するため、まずはその魔物の情報を集め、弱点を探したく。ご許可を得られないでしょうか」
「ふむ……。しかし、そうして時間をかけた分、魔物の討伐が遠のくのではないか?」
「いいえ。もし、このまま突撃し、魔物を万が一にも不用意に激怒させてしまった場合、下手をすればこの帝都を目指して直進してくるかもしれませぬ。皇帝陛下の御身は命を賭けてでも我らが騎士が、民が、守り抜きましょう。ですが、万が一にも皇帝陛下を危険に晒すことは絶対に避けねばなりませぬ」
「……ふむ。それは、確かに」
「ですので、一週間、いえ、五日でも良いのです。この卑小な身でお願いをするのは心苦しくはありますが、それでも。皇帝陛下に確実に、そして快き勝利を捧げるために、準備の期間を頂けはしませんでしょうか。さすれば、このクラウス・カイザー。必ずや災厄と呼ばれる魔物を、皇帝陛下の誇れる騎士団と共に討伐して参りましょう!」
ぐっと、拳を胸の前で握り、力強く断言する。
皇帝陛下にきらっきらとした眼差しをなるべく力を込めて注ぎ続けた。
皇帝陛下大好き、最高、貴方のために力になりたいんです。
そんな、反吐が出そうなほどの綺麗ごとも、クラウス自身が助かるためならいくらでも演技をしてみせよう。実際、実行した。まだ夢と希望に満ち溢れていたごくごく平凡だった少年時代を思い出し、その時の力強さを表現する。
正直、賭けではあった。
この皇帝と取引をしたのは初めてだからだ。
今までの選択肢には、そんな皇帝との頭脳戦など存在しなかった。ただ言われた通りに討伐に行くか、討伐に嫌気が差して逃亡に走るか。それしかなかった。
だが、それ自体がおかしいのだ。
今みたいに、作戦を進言する選択があったっておかしくなかった。
確かに、ただ単純に「それじゃあ駄目だ」「こうした方が良い」と正論だけをぶつければ、普通にまた人生は終わっていただろう。
しかし、皇帝はおだてに弱い。ちょろいほど、弱い。
それを利用して、上手く作戦を立てる方法もあったって良かったはずだ。
それなのに、無かった。
普通に考えたら、おかしくないだろうか。
同じ道を選ぶとしたって、やり方などそれこそ十人十色だ。どれだけ皇帝が恐くても、ゴマすりを持ってして何か提案をしたり、上手くおだてながら諫める家臣がいても不思議ではなかったはずだ。
それなのに、一度も無かった。
クラウスが「はい」と頷いた後は、すぐに討伐に出なければならなかった。
作戦を立てる者もいなかった。少しでも有利になる様にと考える者もいなかった。
そして、クラウス自身、ただただ武装をして言われるがままに戦地に赴くだけだった。
何て不気味な世界だろう。
誰もが決められた行動しか取らず、困難を打開しようともしないなんて。
クラウスはもう御免だ。
だからこそ、賭けに出た。ここで未来が、少しだけでも展望が変わらないかと足掻いてみた。今まで、他の者達が普通に進言して、普通に却下されていた以外の方法で、クラウスは皇帝に嘆願した。これで駄目ならば、本当にこの帝国は終わりだろう。
しかし。
「……よかろう」
賭けに、勝った。
――また、ぱき、っと。軽く、けれど大きく亀裂が入る様な音がする。
「そこまで言うのであれば、命を捨てる覚悟も出来ておろうな?」
「もちろんです、皇帝陛下。慧眼の持ち主である皇帝陛下が、災厄の魔物を倒せと仰せなのです。ならば、皇帝陛下の手足である我々が、どうして己の身を可愛いなどと思うでしょうか」
「ほうほう」
「必ずや、偉大なる皇帝陛下に吉報をもたらします。この身を賭しても、我らが皇帝陛下に勝利をっ!」
「……あい、分かった。許す」
満足そうに笑いながら、皇帝が許可を与えてくる。
その事実に、昂ぶりから震えそうになったが、当然死に物狂いで噛み殺した。ここで笑いを漏らしてしまえば、たちまち覆されるか文字通り斬られる。
「一週間やろう」
「――。……何と!」
「それで、万全なる備えをせよ。金や武器は己で何とかするが良い」
「ははっ! 皇帝陛下のどこまでも慈悲深いお心に感謝致します!」
相変わらずケチくさい野郎だ。
本音は当然厳重に胸の箱に仕舞い込み、クラウスは深く深く頭を垂れる。
これで、準備期間が出来た。しかも、最初に願った一週間である。
皇帝のことだから、もしかしたら期間を縮めてくるかもしれない。
だが、最初に提示しようとした『一週間』の許可をくれたのだから、大成功だろう。皇帝の横にいる騎士達も少し驚いた様な顔をしていたが、お手並み拝見といった風に高みの見物顔をしている。
本当に他人事だ。彼らは、近衛騎士と謳っているため、前線には出る気も無い。
恐らく、城に魔物が踏み込んで来ない限り、余裕の顔で無礼講などを開いているのだろう。彼らは現実を全く知らない。故の油断だらけの愚かな道化だ。
けれど、これで良い。
クラウスが助けたいと思う人間は、この中には一人もいないのだから。
そして。
――ぱきっ、べき、っと。次々と砕ける音が走っていく。
「下がって良い」
「はっ! 誠心誠意、務めさせて頂く所存です!」
皇帝に退室を促され、もう一度深く、床に額が付くくらいに垂れて立ち上がる。最後まで頭を下げて礼を欠かさず退室した。
背後で、重々しい轟音と共に扉が閉じられる音がする。ようやく、最も近い死の空間から断絶されたと心に羽が生えそうだ。
「――さて。ここからが勝負だな」
今までの人生が星の数近くあり過ぎて、正直全てを一気に思い出すのは不可能だ。
しかし、最初の頃の出来事は大体把握している。信頼出来そうな人間も目星がついていた。
そうだ。クラウスは、ここから自分の足で歩くのだ。
正直恐怖はある。今までは、何も全く己の頭で考えずに、ただただ決められた通りの選択肢を歩いてきただけなのだから。ある意味、地獄ではあっても楽な人生ばかりだった。
けれど、これが異様だと考えてしまった以上、もう今まで通りではいられない。
この目の前の選択肢では、零れ落ちるものが多すぎる。そう、未来を思い出して、知ってしまったからだ。
いつの間にか、目の前の選択肢はばきばきにひびが大量に入っていた。
先程から、クラウスが皇帝との交渉を進めるたびに、ぺき、ぱき、と少しずつ亀裂が入っていた。
今ではもう、文字を読むのも困難なほどに、亀裂が縦横無尽に駆け巡っている。これではもう、選ぶことすら出来ないだろう。
そして。
ばきん、と。遂に、弾ける様に砕け散った。
今まで毎回選んでいた選択肢が粉々に砕け、飛散した。
ぱらぱらっと、粉の様に落ちていくそれらも、床に触れると同時に煙の様に立ち消える。
さらさら、さらさら。
砕け散る音とは対照的に静かな音を立てながら、選択肢は端から綺麗に消えていき。
遂に、まっさらに消えてなくなった。
クラウスはこの日、初めて選択肢に逆らった。
それを実感し、大きく大きく息を吐き出す。
やってしまった。もう、戻れない。
だが、後悔はしていなかった。むしろ湧き上がる興奮と恐怖と武者震いで、いっそ清々しいほどである。
一歩を踏み出したからには、動くしかない。
例えどんな結末を迎えようと、己の道を歩いて行く。
強く決意し、クラウスはまず訓練中であるはずの騎士の訓練場へと足早に向かった。
クラウス「さらば、選択肢。もう会うこともないだろう」
選択肢「それって、フラグでは?」
クラウス「フラグをもぶち壊す!」
選択肢「……」
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