第27話:しじまの中の告白
書庫の扉が閉まる、かすかな音がした。
風はなく、外の庭に咲く白梅が、静かに、ひとつ、またひとつと花弁を落としていく。深いしじまの中、リンは卓に向かい、紙を広げたまま筆を握ったまま、ただ黙っていた。
不思議なことに、彼女の手元にあるのは、禁書ではなかった。
ただの、白紙だった。
けれど、彼女には書けなかった。
「おまえが書かないなら、俺が書くが?」
誰の気配もない書庫の奥、その背後から低い声が落ちた。振り返らずとも、誰かは分かる。
「……王弟殿下。もう、隠れるつもりはないのですね」
「隠れる必要が、どこにある」
現れたのは、あの“仮面の男”——今は仮面を外した、第二王子・ヨウカだった。表情は穏やかだが、眼差しには翳りがあった。
「禁書の一件、すべておまえが仕組んだことかと、皆は言うでしょう」
「そう思わせておいたほうが、便利な時もある。が、真実は少し違う」
「違う?」
「俺が焚きつけたのは確かだが、“あの方”が火種を撒いたのだ」
“あの方”。
リンは思わず息を呑んだ。
「それは、つまり……第一王子様のこと、ですか?」
問いには答えず、ヨウカは机に近づくと、白紙の一枚を手に取った。そして、筆を取り、さらさらと何かを書きつける。
「……?」
「おまえが書けぬのなら、俺が書く。——これは、遺書だ」
「は?」
「この騒動の幕引きをつけるには、死人が一人いると都合がいい」
「冗談を……!」
「冗談なら、こんな顔はしない」
彼は穏やかな顔のまま、筆を置いた。そこには、すでに署名がされていた。
「王弟・ヨウカ、すべての陰謀の責を負い、自害する」
筆の痕は濃く、もはや修正の余地などない。
リンは思わず立ち上がる。
「やめてください。……それでは、本当の黒幕は逃げ延びるだけじゃありませんか」
「そうだな。だが、王族とはそういうものだ。影を背負う者が、明るみに出てはならぬ。だから俺が、“影”になる」
ヨウカの声は静かだった。
だが、そこに込められた覚悟は本物だった。
「……」
リンは言葉を失った。
この男は、たしかに腹に一物ある狡猾な人物だと思っていた。だがそれだけではなかった。自らを犠牲にしてでも、王家という枠組みを守ろうとする、その姿勢は——まるで、王そのものだった。
「……ならば、私も沈黙はしません」
リンは言った。自らの胸に手をあてて。
「王弟殿下が影になるなら、私は、その影に光を当てる役になります」
ヨウカが、わずかに目を見開く。
「おまえ……」
「私にだって、書けることがある。この事件の記録。真実。誰が誰のために、何を守ったか。そのすべてを、書庫に残す。表には出せなくとも、誰かが読むかもしれない。百年後でも、千年後でも」
「——それが、書庫番の仕事か」
「はい」
リンは深くうなずいた。今、ようやくわかったのだ。自分の役目が、なぜ“書庫”だったのかを。
「誰にも知られなくとも。誰にも読まれなくとも。真実を、書き留める。消えないように、埋もれないように。——それが私の戦いです」
風が吹いた。
白梅の花びらがひらりと入り込み、白紙の上に舞い落ちる。遺書は、その花びらの下で、すっと消えていった。
「……では、頼むぞ。書庫番」
ヨウカの微笑は、どこか寂しげで、どこか誇らしげだった。




