第23話:仮面を継ぐ者と声なき証言
一
書庫の夜は、音が吸い込まれるように静かだった。
灯りの下、リンは一通の手紙を見つめていた。差出人は記されていない。
《仮面は今も動く。声を殺された者に会いたければ、北庭の銀杏のもとへ来よ》
筆跡は整っており、あまりに冷静すぎて、かえって“人の気配”が感じられない。
けれど、その文面に漂う冷ややかさは、あの仮面の“無機質な沈黙”とどこか似ていた。
「これは、罠かもしれないわ」
「行くんですか?」とユエが聞く。
「ええ。もし相手が“演者の後継”なら、話を聞けるのは一度きりかもしれない」
二
夜半、王宮の北庭。
石畳の先に広がる銀杏の並木は、風もなく、凪いだ水面のように静止していた。
そこに、ひとりの女が立っていた。
背は高く、軍服のような衣を身につけている。
だが、顔には――あの“無表情の仮面”。
いや、それは完全な模倣ではなく、“簡略化された新たな仮面”だった。
目元だけが透かし彫りで、口元は閉じたまま。
「……あなたが、仮面を継いだの?」
女は何も言わない。
しかし、手を掲げると、その掌に小さな文字が書かれていた。
《わたしは“語ること”を禁じられた。声を出せば、契約が破られる》
リンは、その言葉に息をのんだ。
「それは、誓約……?」
女はうなずく。そして、懐から小箱を取り出し、リンに差し出した。
中には、一枚の古い布切れと、火で焼かれかけた文書の断片。
《沈黙の儀。仮面を被る者は、王命により“口を封じられる”。死者の記録を語らぬために》
──沈黙の儀。
それは、「亡き者の真実」を語らせないための、王家の封印だった。
三
「あなたは、演者の血縁?」
女は首を横に振った。そして再び掌に文字を書く。
《血ではなく“言葉”を継いだ。あの人の意志を》
「意志……?」
《『真実を語るには、まず“語れない者”になれ』。それが、演者の最後の言葉》
リンは、胸の奥がじんと痛むのを感じた。
語ることを放棄し、沈黙の中に真実を託す。
それは、極めて悲しく、けれど確かな覚悟の表れでもあった。
だからこの女は、“口を封じられることで”真実を保ち続けてきたのだ。
四
女は仮面を外した。
下から現れたのは、意外にも若い、まだ十代の少女だった。
その顔には、焼けただれた痕が薄く残っている。口元にかすかに、痛々しい傷が走っていた。
「その傷は……?」
少女は最後の掌文字を差し出す。
《これは“代償”。誓約の印。声を封じるため、焼かれた。――でも、私は、生きている》
そして少女は、空の掌をそっとリンの手の上に重ねた。
声なき“証言”。
その手の温もりに、リンは震える唇で小さく囁いた。
「……もう、あなたがひとりで沈黙を背負わなくてもいい」
銀杏の葉がひとひら、音もなく舞い落ちた。
五
夜が明け、書庫に戻ったリンは、ユエに手記を一冊手渡した。
「これは“記録されないまま消された人々”の記録よ。仮面、演者、沈黙の契約――」
「……書いてしまって、大丈夫なんですか?」
「ええ。ただし、“名前”は一つも書かない。その代わり、“手に触れた誰か”が、それを“自分の話”として読めるようにする」
それが、リンなりの“記録のやりかた”だった。
語れぬ者の言葉を、書くことで継ぐ。
沈黙の演者が遺した意志は、いま、静かに物語になろうとしていた。




