第九章 魔王との戦い
アキラたちはラダックの背にゆられていくつ目か忘れた砂の山をのぼっていた。山の頂点からオアシスが見えた。
「助かった。やっと水にありつける。見つからないかと思って心配したよ」
アキラはホッと長い息を吐いた。四方は砂また砂で方向などまるでわからない。太陽だけが方角を知る手がかりだ。このまま砂漠でひからびるのではないかとアキラは心細い思いをしていた。
オアシスでひと息ついてアキラたち五人は作戦会議をはじめた。いよいよあしたは魔王城だ。どうやって魔王を倒すか今日中に打ち合わせをしなければならない。魔王軍は現在ローゼンシュタイン軍を打ちやぶってグラディウス王国に進軍中だった。魔王城に残る兵はわずかだろう。すきをつけば魔王城に侵入して魔王を倒せると思われた。
「ところでさ。魔王ってどんな種族なの? キングオーク?」
アキラの問いにソネットが口を開いた。
「種族はわからないわ。オークじゃないそうよ。わたしは会ったことがないけど女性だってお父さまが言ってた。一度ローゼンシュタイン皇都で交渉したことがあるそうよ」
「女性? 女なの?」
「そうみたい。ベールで顔を隠して素顔は見せなかったって話だわ。オークと鬼とゴブリンが護衛についてたって聞いてるわよ」
「女を殺すのかあ」
「気が進まなくてもやるしかないわ。四天王のひとり鬼のキリヤも女だそうよ。ゴブリン兵も女が多いと聞いてる。女だからってためらってると簡単に死ぬわよ」
アキラは周囲を見回した。自分の仲間も女ばかりだ。この世界の女は強いらしい。
「じゃ最初に姿消しの魔法をかけて魔王城の門があくのを待つ。出入りする魔物のすきをついて侵入する。次にベールをつけた女を捜す。途中で会う兵士たちはこちらに気づかなければ素通りする。姿消しの効力が切れる前に全員で女を殺す。これでいい?」
「基本はそれでいいでしょうね。計画どおりに行くはずない気はするけど」
「ぼくもそう思う。四天王ってのに会ったらどうする? 戦う?」
「戦わざるをえないと思うわ。鬼のキリヤにオークのオーサにゴブリンのスーサイド。残るひとりは不明なの。アンデッドをあやつる死霊術師だという話だけどね」
鬼のキリヤと死霊術師のカーチスがすでに死んだとソネットは知らない。魔王城に残っているのはオーサとスーサイドと魔王だ。
そうだとアキラは思い出した。カバンから金属のメダルのついたペンダントを四つ取り出す。
「これみんなにプレゼントだよ。しばらく前に買ったんだけど渡す機会がなくてさ。受け取ってくれるとうれしいな」
帰れないかもしれない旅で贈り物などどうかとためらっていた。しかし全員が同じものを持っていることで魔王との戦いの力になるのではないかとも思う。最後の最後で力尽きる前のわずかな力の足しになればいい。そう思って大きめのメダルのついた首飾りを選んだ。胸の前で握りしめられるように鎖も長い。
ソネットが手を出してペンダントをひとつ取る。
「もちろんもらうわよ。ありがとう」
口々にありがとうと頭をさげてイレーヌとノーランとターニャも受け取ってくれた。アキラはホッと胸をなでおろした。考えてみれば女の子に贈り物をするなんてはじめてだった。
オアシスのわきに天幕をふたつ立てた。ひとつはアキラとイレーヌとソネットだ。もうひとつにターニャだった。ノーランはアキラたちの天幕の外で見張りにすわっている。
アキラは眠れない。あした死ぬかもしれないと思うと目が冴えてしかたない。
イレーヌとソネットも同じらしい。寝返りばかり打っている。
しばらくしてソネットがムクッと起きあがった。のそのそとアキラの上にやって来る。
アキラはソネットの意図を悟った。
「まずいよソネット。外にノーランが見張ってるんだよ」
「いいのよ。だってわたしたち夫婦だもの。あした死ぬ可能性が大なのよ? 今夜しかないかもしれないじゃない? 何のためにいつもひとつの天幕をふたつにしたと思ってるの? ねっイレーヌ?」
イレーヌもアキラの横に来た。
しかたがないかとアキラはあきらめた。
そこに天幕の外からターニャがやって来た。
「あのう。そのう。私も」
もじもじとターニャが腰をくねらせた。
アキラは顔を曇らせた。さすがにそれはまずいだろと。
「いや。ターニャとは結婚してないし」
「イレーヌとも結婚してないんでしょう? 私も結婚してなんて言わないわ。今夜だけでいいの。生きて帰れないかもしれないと思うとたまらなくて」
「でもぉ」
アキラはなおもためらった。しかしソネットがターニャの背中をアキラに押し出した。
アキラがターニャを受け止めるとソネットが天幕を出た。天幕の外で見張っているノーランの手を引いた。
「ノーランもいらっしゃい」
「えっ? ええっ? ひっ? 姫さまっ?」
「いいから来るの」
無理やりノーランを天幕に連れこんだ。ソネットがノーランもアキラに押しつける。
「わたしたちはパーティなんだから親睦を深めなきゃ。誰かひとりのけ者なんてだめよ」
「こういうのはのけ者って話じゃなくてさ。良識ってものがあるでしょ。いくら仲間だからって踏みこんじゃだめな領域ってあると思うんだ」
「ターニャはよくてノーランはだめなの? それって差別だわ。差別はだめ。王国の法律にも違反する」
「ええーっ? そんな法律があるの?」
「ちゃんとあるわよ。第二夫人第三夫人も正妃と同じ権利を有するって法律がね。ちなみに第五夫人まで認められるから大丈夫よ」
「ぼくは大丈夫じゃない」
「うるさい。妻の言うことにさからうな。夫はハイハイと言うことを聞いてりゃいいの」
アキラはあきらめた。どう抗議してもむだらしい。さすがは一国の元王女だ。わがままがきわまっていた。
ソネットがターニャとノーランの服をぬがす。
アキラはふと思った。あした魔王と対戦するってのにこんなところで消耗していいのかと。体力不足で息切れしないかな?
すべてが終わると全員が泥のように眠った。隠すことがなくなって心の重荷が消滅した感じだった。荒療治だけど全員が家族になった気がした。
翌朝アキラはすっきりと目をさました。見回すとみんな裸のままだった。服くらい着てから寝ろとアキラは苦笑いした。
オーク軍を統括するチンドッサの指揮で魔王軍一万二千はルーイン山脈を越えた。タオルン谷にさしかかった。
ここまで敵の姿はなかった。目の前に見える涸れ谷は左右が切り立った崖になっている。谷の先は細くせばまっていた。一列にならないと通過できそうにないせまさだ。
チンドッサは考えた。あそこはやばいぞ。罠があるとすればあそこだろう。斥候を出してさぐらせるべきか。
「行軍とまれ!」
谷に入りこんで進軍をやめさせた。休息がてら斥候をふたり派遣する。
チンドッサは床几に尻をおろして左右を見あげた。右も左も垂直の崖だ。崖の上から落ちたら確実に死ぬ。鳥でもなければあんな高所に行けないだろう。
そのときだった。左右の崖がドドドドドーンッドドドドドーンッと連続して地響きを立てた。あっと思う間もなく左右の崖の頂点が崩れはじめた。大きな岩々と大量の土砂が砂煙とともに落ちて来る。
「うわーっ!」
「ギャーッ!」
「助けてくれぇ!」
阿鼻叫喚が渦巻いた。
ドンッドンッドドーンッと岩が落下する。立っていられない地響きとともに次々と魔王軍の兵士たちがつぶされる。
ドサドサドサッと土砂が降りつもる。
左右にあった崖が形を変えた。頂点部分がきれいさっぱりと消えうせた。
モウモウと立ちのぼる土煙で何も見えない。土煙がおさまったときタオルン谷に動くものは何ひとつなかった。一万二千の魔王軍はことごとく土砂の下に埋もれた。
たったふたり助かった者がいた。斥候に出たゴブリン兵だった。
ふたりは背後をふり向いたまま硬直していた。立っているのがやっとの大音響の中で仲間たちを上から襲う大量の巨岩を見た。ゆっくりと落ちているように見えた。岩が地面に着いたと見えたあとは煙で何も見えなくなった。
ふたりは動けずにいた。見ているものが信じられない。たった今いた休憩地が煙で閉ざされている。自分たちが生きていることすら信じられない。
開いた口を閉じることすら忘れて煙を見ていた。
そのふたりをグラディウス軍の兵たちが取り囲んだ。抵抗すらできないゴブリンふたりをグラディウス兵たちが縛りあげた。
「この二匹のゴブリンをどうしましょうナツイーター将軍?」
「捕虜として営倉にほうりこんどけ」
遅れてあらわれた胸に勲章を五つつけた軍人が指示した。
そこに宮廷占い師のマーリンが走って来た。
「すごいですねえ。ここまでの威力とは思いませんでしたよ」
「きみの占いのおかげでもある。きょう魔王軍がタオルン谷の入り口で休憩を取ると教えてくれたのはきみだ。われわれは半信半疑で爆薬を仕掛けた。まさか魔王軍が全滅するとは思わなかったよ。王に進言してきみの給料をあげてもらうとするか」
「私の手柄じゃないんですけどねえ」
「いや。きみの手柄だろ。そもそもアキラという異世界人が魔王を倒すと占ったのはきみだ。アキラがいなければこの爆薬は作れなかった。だから功労者はきみだ。堂々と賃上げを要求すればいい」
「王ににらまれませんかねえ? 王は私の占いをまるで信じてませんよ?」
「見る目がないからなあ。うちの王は」
ハハハハハとナツイーター将軍が笑った。あとは残敵を駆除すれば終わりだった。大激戦を覚悟していたのにあっけなく終了しそうだった。
ナツイーター将軍は胸のしこりがなくなった。今夜からゆっくり眠れそうだった。
アキラたち五人は姿を消して魔王城の前で待っていた。魔王城の門にはゴブリンの見張りがふたりいた。門は閉じられていた。ゴブリンを殺して門をあけるのも考えた。だが誰かが出入りして門があくのを待つほうがいい。そう相談のすえ決まった。殺すのは最終手段だ。
待っているとオークがラダックに乗ってやって来た。門番に声をかける。
「オーサさまに前線からの伝令だ。あけてくれ」
「わかった。いつもご苦労だな」
門が開いた。いまだ! アキラたち五人はラダックに乗るオークのすぐうしろにくっついた。オークがラダックの腹を蹴って門に入る。アキラたちもつづいた。
門をくぐると中庭だった。木が生えていてラダックが六頭つながれていた。中庭の向こうに五段の階段が見えた。階段をのぼると城の奥に通じる模様だ。
オークが木にラダックをつないでいる間にアキラたちは低い階段をあがる。廊下が奥へと招いていた。進むと戸のない部屋があらわれた。厨房と食堂だった。厨房では数人のゴブリンが料理を作っていた。
次の部屋は兵士の詰め所だった。やはりゴブリンが数人くつろいでいた。
突きあたりに左右から二階にあがる階段があった。廊下は階段の下をくぐってさらに奥に続いていた。
廊下の奥からふたりのゴブリンが歩いて来るのが見えた。ふたりともエプロンをしている。
アキラたちは階段に身をよけた。
「オークの連中ってえらそうでいやよねえ」
「そうねえ。あたしらが給仕だと思っていばり放題だものね。スーサイドさまが釘を刺してくれればいいんだけど」
「だめよ。スーサイドさまは気が弱いもの。オーサが怒鳴りはじめたら飛びあがっちゃうくらいよ。告げ口するなら魔王さまね」
「でも魔王さまはねえ。近づきがたいからねえ」
「そうよね。魔王さまは怖いわ。ベールで顔を隠してるから怒ってるのか笑ってるのかわからないものね」
ゴブリンの女ふたりが通りすぎた。
アキラはフウと息を吐き出した。声を殺してソネットに問いかける。
「どうする? 一階をもっとしらべる?」
「二階に行くべきだと思うわ。玉座って一段高いところに作るものなの。偉い人ほど城の上を好むんじゃないかしら?」
「つまり魔王の私室があるとすればこの城のてっぺん?」
「わたしはそう思う」
五人で二階にあがった。階段は三階へとつづいていた。二階の奥が玉座の間だった。
興味に駆られて玉座の間をのぞきこんだ。石段の上にすえられた豪華な椅子に女がいた。肘かけに体重をあずけて寝ているように見えた。
「あれひょっとして魔王?」
「そうなんじゃない? 玉座の間にたったひとつある椅子で寝てるんだもの。下っ端とは考えにくいわよ」
「魔王って昼間っから玉座の間で寝てるんだ。そんなものなの?」
「うちのお父さまは執務室で仕事してるわよ。玉座の間は謁見のときにしか使わないわ」
殺すならいまかもしれない。アキラはそう思った。だが一方で卑怯ではないかとも思った。
どうするべきかと五人はひたいを寄せた。
アキラたち五人が玉座の間にたどりつくすこし前だ。オークのオーサは上機嫌で酒を飲んでいた。魔王城にもラモン河でのローゼンシュタイン軍壊滅の報が届いていたせいだ。オーサは祝い酒と称して酒びたりの日々を送っていた。
「次はグラディウス王国か。ローゼンシュタイン軍にくらべればグラディウス軍は弱いと聞いてるぞ。そろそろ俺さまの計画を実行に移す頃合いか」
まさかいまこの瞬間にタオルン谷で魔王軍が壊滅したとオーサは夢にも思わない。
オーサは自室の外に顔を出した。戸の前に立つ護衛のゴブリンに命令した。
「おい。スーサイドを呼んで来い」
すぐにメガネをかけたゴブリンのスーサイドがオーサの部屋に入って来た。
「何の用でしょう?」
「まあすわれ」
オーサがテーブルの椅子をスーサイドに示した。
「はい」
スーサイドが素直に腰をおろす。
オーサが壁に飾られた剣を手に取った。切れ味を見るように左目でさまざまな角度から剣をながめる。オーサの右目は古傷でふさがっていて見えない。オーサが剣を持ったままスーサイドの横に来た。スーサイドの鼻先に剣を突きつける。
「いい剣だろう?」
「ええ。よく切れそうです」
スーサイドは答えながらもけげんな表情だ。
オーサがスーサイドの腹に剣に突き刺した。スーサイドがメガネの下の目を見張った。
「なっ? 何をするのですかオーサ?」
オーサが剣を引き抜く。血が傷口から噴き出した。
「何をするだと? てめえをぶち殺すのよ。かねてから思ってたんだ。ゴブリンふぜいが俺さまと並ぶ四天王だと? ふざけるな! 四天王と呼ばれることすら腹立たしいわ!」
「やめっ! やめてくださいっ!」
オーサが怒りにまかせて剣をふった。剣がスーサイドの首に走った。スーサイドはその剣の軌道を見た。
スーサイドの脳裏を過去の情景が次々と通り抜けた。最初は四人家族だった。獲物の取り方を工夫した。木の枝を棍棒として使うことをひらめいた。隣の家族にも教えて十人で狩りをはじめた。そこからは倍々で人数が増えた。村になり町になり国になった。ニーナ・ムートシルトに声をかけられたとき国民のためにと立ちあがった。いい国主だったとわれながら思う。殺される覚えはまったくなかった。
メガネをかけたスーサイドの首がゴロリと床に転がった。血が部屋中を赤に染めた。
オーサが血のしたたる剣を手に部屋を出た。ふたりの護衛のゴブリンが目を丸くして剣についた血を見た。
オーサが護衛ふたりをも斬り捨てる。
オーサは足を玉座の間に向けた。昼のこの時間だと魔王ニーナ・ムートシルトは昼寝をしているのが常だ。魔王は力に自信がある。護衛は置かない。殺すなら眠っているあいだしかない。
足音をしのばせて玉座の間に入った。魔王は豪華な椅子の肘かけにもたれて熟睡していた。
しめしめとオーサは牙をなめた。魔王さえ殺せば俺が魔王だ。一万二千残った魔王軍も俺のもの。
オーサが細心の努力で足音を消して玉座にしのび寄った。心臓を狙いすまして背中から刺す。
ドスッと音がして剣先が椅子の木に達した。魔王の身体がビクンと跳ねて魔王が目を開いた。
「なっ! 何をするオーサッ!」
心臓を刺すのに失敗したらしい。オーサが剣を抜いてふりかぶった。
「お前を殺すんだよ! お前さえ死ねば俺が魔界の王だ! 俺は魔界も人間界も手に入れる!」
オーサが剣をふりおろした。魔王が爪をニュッと長くのばして剣を受けた。ガキッと音がして剣が止まった。
アキラたち五人はあっけに取られた。ひときわでかいオークが血のしたたる剣をさげてあらわれたと思えば椅子にすわる女を突き刺した。何が起きたのか把握しきれない。会話を聞いてやっとでかいオークがオーサで椅子で寝ていた女が魔王だと確信した。仲間われのようだ。
オーサの剣を爪で止めたまま魔王が首をかしげた。
「オーサよ。そなたは考えちがいをしておる。わらわが死んだらオークに協力する者などおらぬじゃろう。オークは繁殖力が弱い。たかだか五千では魔界も人間界も支配できまい」
「うるさい! 俺ならできる! 魔界も人間界も支配してみせる!」
「ふむ。わかった。話し合いはむだなようじゃ。力で答えを出すとしようか」
魔王がオーサの剣を爪ではねのけた。魔王の武器はその長い爪だけだ。剣は持ってない。
魔王が爪を剣のようにふった。オーサの太った腹を爪が横切った。オーサの服が切れて血が流れた。オーサの腹に五本の傷が刻まれていた。魔王の爪は剣なみに切れるらしい。
オーサがわめいた。
「ちくしょう! 卑怯だぞ! 剣でかかって来い!」
魔王の爪がフッとぶれた。ベールで顔がわからないが苦笑したみたいだ。
「悪いがここには剣がない。五人のお客人よ。よければ剣を貸してもらえまいか?」
魔王のベールでおおった顔が入り口にいるアキラたちに向いた。アキラはビクンと全身をふるわせた。姿はまだ消えている。見えるはずはなかった。
オーサも入り口を見た。だが誰もいない。
「なっ! 何を言ってんだ! 俺によそ見をさせてそのすきに斬りかかるつもりだな! そうはいかねえぞ!」
「ふふふ。オーサよ。落ち着いて嗅いでみよ。人間の匂いがせぬか?」
「人間の匂いだと?」
オーサが鼻をクンクンとうごめかした。犬ほどではないがオークも嗅覚が発達している。
「たっ! たしかに人間くせえ! だが誰もいねえぞ?」
「魔法で姿を消しておるのじゃろう。女が四人と男がひとりじゃな」
指摘されてアキラたち五人はゾッとした。
オーサが腑に落ちたという顔に変わった。
「なるほど。魔法か。しかしなんで人数までわかるんだ?」
「人間はわらわのエサじゃ。エサの匂いがわからぬでは獲物を狩れぬではないか」
「ふむ。そのとおりかもしれねえ」
すき有りと見てオーサが魔王に斬りかかった。魔王が余裕で爪を合わせる。
「剣はもう良いのか?」
魔王がオーサの剣を爪でさばく。オーサがひとしきり斬る。
オーサの剣速がにぶった。疲れたらしい。
魔王がオーサの剣を跳ねあげた。オーサがバンザイした。
その瞬間に魔王がオーサの腹めがけて爪で斬りつけた。オーサがあわてて剣で爪をふせぐ。魔王の爪が間断なくオーサにふりそそぐ。オーサが必死で受ける。
爪。受ける。爪。受ける。爪。受ける。爪。受ける。爪。受ける。爪。受ける。
オーサは防戦一方だ。魔王の手数が多い。踊っているように右から左から斬りかかる。格がちがう。まるで大人と子どもだ。
アキラはゾッとした。あんな化け物を殺せるのかと。
オーサが爪を受けそこねた。胸から腹にかけて斜めに服が裂ける。血がブシュッと噴き出した。五本の傷痕が裂け目から見えた。
オーサがよろめいた。とどめを刺す絶好機! そうアキラたち五人は思った。
しかし魔王はとどめを刺さなかった。魔王が軽い足取りで入り口に走った。
オーサを置き去りに魔王が向かって来たのでアキラはとまどった。魔王はぼくらを先に片づける気か? アキラは剣を抜いた。イレーヌは両刃の斧を握りしめた。ノーランとソネットとターニャは剣をそれぞれかまえた。五人はまだ姿が消えたままだ。
「逃げるか魔王!」
オーサが魔王を追って走りはじめた。
剣を抜いたアキラの頭上を魔王が軽々と飛び越えた。
えっとアキラは一瞬の空白に襲われた。かまえた剣のふるいどころがなくなった。だがすぐに気づいた。背後から斬りつける気だと。
アキラはクルリとうしろを向く。そこで姿消しの魔法が切れた。オーサの左目にもアキラたち五人が見えた。
魔王がクククと笑った。
「いいのか坊や? オーサがお前のすぐうしろに来てるぞ?」
ハッとアキラがまたふり向く。オーサの剣が自分にふりおろされるところだった。アキラはあわてて受けた。魔王とオーサのはさみ討ちかと冷や汗が噴き出した。
しかし魔王からの攻撃は来なかった。
「わらわは飽きた。人間たちよ。オーサの相手をしてやるがよい。そなたたちの戦い方を見せてもらおう」
笑い声に余裕があった。高みの見物がしたいらしい。
アキラは魔王の言葉の真偽を考えるひまがなかった。オーサがアキラたちを交互に斬りつけたせいだ。
魔王ほどではないがオーサも手数が多い。体力自慢なのだろう。
「お前の相手はぼくらじゃないだろ?」
魔王に斬りかかれよとアキラは剣をふせぎながら思った。
「うるせえ! わざわざここまで来るくらいだ! 俺や魔王を殺しに来たんだろうが! お前らも敵だ!」
そのとおりなので返す言葉がなかった。アキラは苦笑しながらオーサと剣を合わせる。
その間にイレーヌとソネットとノーランとターニャが横からオーサに斬りかかる。
だがオーサは乱戦に慣れているみたいでたくみにイレーヌたちの攻撃をよけた。四天王はだてじゃないらしい。
オーサの攻撃をアキラが受けるたびに魔王が手をたたいた。
「うまいうまい。酒を用意しておけばよかったのう。なかなか見ごたえのある戦いじゃ」
アキラはむかついた。はさみ討ちにされるより腹が立つ。だが魔王に斬りかかるひまはまるでない。オーサの剣技を受け止めるだけで精一杯だ。
しばらくして魔王が口をはさんだ。じれたらしい。
「反撃をせぬか。そんなことではわらわまで行き着かぬぞ? 受けるだけとは芸がないのう」
芸がないと揶揄されてもこちらから手を出す機会がなかった。アキラもソネットもイレーヌもノーランもターニャも必死だ。オーサの体力は無尽蔵だった。
しかしオーサも魔王から受けた傷のせいで本調子ではなかった。アキラたちを傷つけるものの致命傷は与えられなかった。五人いるのも踏みこみを浅くしていた。ひとりに深く踏みこむと他の四人から斬りつけられる。五人の斬撃を受け切る用意をしながら斬るせいでひとりにとどめを刺すまで深入りできない。
斬る。受ける。斬る。受ける。斬る。受ける。斬る。受ける。斬る。受ける。
アキラたちの体力が先に尽きて来た。肩で息をしはじめる。
オーサの剣がターニャを狙った。ふりおろされる。
アキラはターニャをかばった。左腕の肉をオーサの剣がそぎ切った。血がパッと散った。
「痛いっ!」
アキラは無意識に剣を持つ右手で左腕を押さえた。すきが生まれた。
オーサが剣を大きくふりかぶった。アキラにとどめを刺すならいまだと。
オーサの意識がアキラに集中した一瞬をついてターニャが呪文を唱えた。
「魔素よ魔素よ天地の精霊よわが命にしたがえ! いかづち!」
バリバリッと音がしてオーサの頭から足にかけて稲妻が走った。
やったとアキラは思った。だがオーサは体毛がこげたものの平気な顔をしている。くり出す剣が止まっただけだ。オーサは雷に耐性があるらしい。
魔王がまた手をたたいた。
「ふむふむ。狙いはよかったがな。オーサは脂肪がぶ厚いでのう。たいていの魔法は効かぬよ」
斬るか突くしかないらしい。そう考えたときアキラは気づいた。この魔法はどうか?
「魔素よ魔素よ天地の精霊よわが命にしたがえ! 閃光!」
ピカッと白光がオーサの左目を射た。オーサの右目は古傷で最初からふさがっている。
「くそっ! 見えねえ! なんだこりゃ!」
オーサが剣をめくらめっぽうにふり回した。目つぶしに成功したらしい。目には脂肪がないから閃光の魔法が効いたようだ。
「いまよ! みんな!」
ソネットの指揮でオーサに斬ってかかる。
ノーランがオーサの剣をかわして胴を斬った。
ターニャがオーサの胸に裂け目を入れた。
ソネットがオーサの腰を突いた。
アキラは剣をふり回しているオーサの指を斬った。四本の指が切断されてオーサの手から剣が飛んだ。
そこにイレーヌが両刃の斧をふりおろした。オーサの肩から胸までを深くたたき割った。
「ちっ! ちくしょうっ! 俺は魔王になるんだっ! こっ! こんなところでっ!」
オーサがズシンと地響きを立てて倒れた。大量の血が石の床にゆっくりと広がって行く。
パチパチパチと魔王が拍手した。
「あっぱれである。坊や。左腕の傷を手当てする時間をやろう。そなたもわらわと剣で対戦したいかや?」
ソネットがアキラの左腕を布で縛る。
アキラは考えた。魔王に剣を持たせるとどうなる? 爪より剣のほうがさばきやすいだろうか? 剣の重さがくわわるから爪よりはにぶくなるかもしれない。
「そうだね。剣がいいや」
「ふむ。あいわかった」
魔王がハッと両手を広げた。ふたたびアキラの頭上を飛び越える。オーサの落とした剣を右手で拾った。
アキラたち五人が魔王に向き直る。
魔王が剣の重さを確かめるように二度三度とためし振りをした。
「わらわはニーナ・ムートシルトじゃ。坊やたちはなんと言う?」
「ぼくはアキラだ。アキラ・朝倉」
「わたしはソネットよ。ソネット・グラディウス」
「イレーヌだ」
「私はターニャ・タンガニー」
「私はソネット姫さまの護衛のノーランだ」
「ふむふむ。坊やはアキラか。しかしのう。いかに戦争中とはいえ敵国の城に潜入して王を暗殺するなどいかがなものか? 騎士道にもとる行為ではないかな?」
アキラはハッと胸を押さえた。考えてみればそうだ。これでは冒険者ではなくて暗殺者だった。魔王討伐という大義名分にあざむかれて本質を見失っていた。
ソネットが苦しそうに答えた。
「わたしたちは騎士じゃない。冒険者だからいいの。だいたいあなたが諸悪の根元でしょう? あなたさえ死ねばすべてが丸くおさまるのよ。だから死んでよね」
「ふふふ。殺すか殺されるかか。単純でよいな。でははじめるとするか。かかって来るがよい」
魔王が剣をかまえた。アキラは渾身の力を袈裟斬りにこめた。魔王が軽く受け止める。
ソネットが魔王の胸めがけて突きをはなった。魔王が軽くかわす。
イレーヌが両刃の斧をふりおろす。魔王がガシッと剣で止める。
ターニャが下段から斬りあげた。魔王がヒラリと身をかわす。
ノーランが横なぐりに魔王の胴を狙った。魔王が一歩引いてノーランの剣を空振りにさせた。
そこからは乱戦だった。アキラたちは順番に魔王に斬りつけた。だが魔王はことごとく受け止めた。
アキラは勝てる気がしなくなった。仕方がないので斬りながら問いかけた。
「お前はなんだ? オークでもゴブリンでも鬼でもないだろう? ましてや人間でもない」
魔王がアキラの剣をさばきつつ笑みを浮かべた。
「わらわか。わらわは吸血鬼じゃ。もう二千年生きておる。二千年も生きると退屈でのう。生きる意欲が希薄になってかなわぬ」
「それじゃさっさと死んでくれよ」
会話のあいだにすきができないかとうかがいながら斬った。
「ふふふ。そうもいかぬ。わらわにはやらねばならぬことができた。ここしばらくは退屈がましなのじゃ」
すきどころか呼吸も乱さずに魔王が剣を合わせる。
「戦争をしてるからか?」
ソネットが斬りつけるが魔王がなんなくいなす。アキラはソネットの影に隠れて魔王に斬りかかった。
「戦争をしておるからではない。人間と交渉し駆け引きをしておるからじゃ。わらわには戦争はわからぬ。戦争は他人まかせじゃな」
魔王が剣では間に合わないと見て爪をのばして左手で受けた。
「卑怯だぞ! 剣で戦うって言ったじゃないか!」
「おや。これはすまぬ。つい手が出た。ふふふ。ちょうどよい。わらわの爪も受けてみるか?」
魔王が左手の爪でアキラに斬りかかる。アキラは間一髪で身をかわした。服が五すじのスダレ状に切り裂かれた。やはり剣より爪のほうが速い。アキラの脇の下を冷や汗が流れた。
爪はまずい。そう見たアキラは魔王の右手の剣を狙った。
「どうして戦争はわからないのさ? お前が指示したんじゃないの?」
魔王の右手の剣にキンとアキラの剣があたる。魔王が右手に力をこめて受け止めた。
「開戦はわらわが決断した。じゃが吸血鬼は数がすくない。この二千年でほとんどが灰になった。いまではわらわひとりが現役じゃ。わらわに集団を指揮する才能は皆無よ。わらわは個人の戦いしかできぬ。おそらく吸血鬼はすべてそうであろう」
イレーヌとノーランが左右から同時に魔王の肩を狙った。アキラはわずかにおくれて正面から魔王の胸に剣を突き出した。
「なるほど。吸血鬼って灰になるんだ? どうして灰になったわけ?」
魔王が剣と爪でイレーヌとノーランの攻撃をガッシリ受け止める。アキラの剣はベール越しに歯でかんで止めた。
「長く生きると生きる意欲が失せるのじゃ。吸血衝動もなくなる。吸血鬼とて生き物にはちがいない。何も食べずにいるとどんどん弱って最後は灰になるわけじゃ。わらわもここ百年ほど人間の生き血を吸っておらぬ。じゃがそなたはよいな。ひさしぶりに血が吸いたいと思うぞ。わらわが勝てばそなたの血を吸わせてもらうとするか」
ソネットとターニャが下段から魔王の下腹に斬りあげた。アキラは上段から剣をふりおろす。
「ところでさ。なんでベールをしてるの? 見せられない顔なのかい?」
魔王がソネットとターニャの剣を剣と爪ではじく。アキラの剣は顔をうしろにのけぞらせて紙一重でよけた。
「わらわは吸血鬼じゃ。太陽は苦手でのう。昼間はこうしてベールで光をさえぎっておる。鏡に姿が映らぬからわらわは自分の顔がどんなだか知らぬぞ」
アキラはどう攻撃すれば有効かを思案しながら剣を横なぐりに払った。
「吸血鬼の弱点っていろいろあるんだろ? 流水に弱いとかニンニクとか十字架とか?」
魔王が腹の前で剣と爪を交差させてアキラの剣をはさみ止める。
「流水はまずいかもしれぬな。泳いだことがないから溺れるのではないか? ニンニクも食べたことがないのう。人間の匂いを敏感に感じる鼻じゃ。ニンニクの匂いは苦手かもしれぬ。十字架はわらわに効果はなかったのう。じゃが信仰心はきらいじゃ。踏みつぶしたくなるわ。盲目的に神をあがめるやからにはイライラさせられてならぬ。天敵というやつかもしれぬな」
アキラは考えた。いまは昼間だ。城の外は太陽がサンサンと輝いている。城の外に引き出せば灰になるかもしれない。だがどうやって城の外まで魔王を移動させる? 玉座の間にも廊下から光が入っているがほの暗いだけだ。直射日光は中庭まで行かなくてはない。どう考えても魔王を陽光の下に引き出すのは無理だった。
アキラは太陽光作戦をあきらめて剣を魔王の足めがけてはなった。
「家族はいたの?」
魔王がヒラリと飛びあがった。アキラの剣は魔王の足の下を通過した。
「二千年前には両親がいた。わらわはひとりっ子でのう。その当時はほかにも吸血鬼の家族がいた。両親は千年前にあいついで死んだ。ほかの家族も五百年前には死に絶えた。いまいる吸血鬼はわらわの魔力で生きながらえておる影にすぎぬ。力はないしわらわが死ねばやつらも消える」
手づまりになったアキラはフェイントをかけた。腹を斬る剣を途中で引きもどして顔面を狙った。
「魔力があるの?」
魔王が剣で腹をかばい爪で顔に来た剣を受けた。
「あるとも。わらわも魔法は使えるぞ」
魔王の言葉に触発されてターニャが呪文を唱えた。
「魔素よ魔素よ天地の精霊よわが命にしたがえ! いかづち!」
ゴロゴロドーンッと魔王の顔から足まで稲光が走った。やったとアキラは思った。だが魔王は頭から湯気が出ただけでイレーヌの斧を受け止めた。
「雷か。残念じゃがわらわは雷に耐性がある。落雷しても死なぬよ」
どう斬りつけてもふせがれる。魔法もだめ。アキラはソネットたちに目くばせをした。みんなで一度にとだ。四人がうなずいた。
「ぼくもすこしは魔法を知ってるんだ」
魔法を使うと匂わせてアキラとソネットとイレーヌとノーランとターニャの五人で一斉に斬りかかった。
魔王が流れるような剣さばきで五人の攻撃にことごとく剣を合わせてふせぎ切った。
「つまらぬ。もっとおもしろい攻撃はないのか? わらわは退屈してきたぞ?」
アキラは苦笑を浮かべた。遊ばれている。
「魔素よ魔素よ天地の精霊よわが命にしたがえ! ファイアーボール!」
火の玉が魔王を襲う。しかし魔王が左手で受け止めた。魔王のてのひらで炎が燃え尽きた。魔王がてのひらを握ったり開いたりをくり返した。
「ふむ。多少あついがそれだけじゃな。ほかにはないのかえ?」
「くそっ! 魔素よ魔素よ天地の精霊よわが命にしたがえ! 拘束!」
魔王の全身が硬直した。
ソネットが剣を握り直した。
「いまよ!」
ノーランが魔王の胸を斬った。イレーヌが肩をくだいた。ソネットが腹を刺した。ターニャが右腕をひじから切り落とした。
アキラは首に斬りかかった。ズサッと音がして魔王の首がゴトッと床に落ちた。
各傷口から血を噴出して魔王の身体がグシャッと石の床にくずれる。
「やった! 魔王を倒した!」
アキラは左手を持ちあげてソネットの左手と合わせた。イレーヌとターニャとノーランも会心の笑みを浮かべた。
そのとき魔王の身体がモゾッと動いた。左手で落ちた首を引き寄せた。首を元の位置に据えた。次に右手を拾った。元どおりに右手をくっつけた。立ちあがる。
「ふう。いまの攻撃はなかなかじゃった。死んだかと思ったわい」
魔王が首をコキコキとふってくっつき具合をたしかめた。
アキラはがくぜんとした。
「なっ! なんで生きてるんだよっ! 首を切り落としたんだぞっ!」
「わらわはそういう生き物であるとしか言えぬ。そなたらも傷が治るであろう? わらわは治る速さがけたちがいなだけじゃ」
どうやってこんな化け物を倒すんだ? アキラの顔が血の気を失って青くなる。
ソネットたちも同じ思いのようだ。くり出す剣に勢いがなくなった。どこを切っても倒せそうにない生き物に斬りつけるだけ無駄だった。
魔王が剣を捨てた。
「戦う気がなくなったようじゃの。そろそろ決着をつけるとするか。魔素よ魔素よ天地の精霊よわが命にしたがえ! ブリザード!」
「あぶない! みんなよけろ!」
詠唱の問題点はそこだった。魔法が来るまでにわずかな時間がある。そのみじかいあいだに身をかわすことが可能だった。無詠唱だとよけられない。
五人全員が右と左にダッと全身を投げ出した。アキラは靴が氷のかたまりに変わった。頭の中で声がする。
『ブリザードを盗みました』
イレーヌは両刃の斧が氷漬けになっていた。ソネットは脇腹だ。ノーランは左手。ターニャは髪の毛。それぞれが凍っていた。
飛びのくのが一瞬おそければ全身が氷の柱に閉じこめられていただろう。
「ほう。全員が無事か。なかなかやるのう」
魔王が右手の爪をニュッと伸ばした。魔王がアキラに突進する。
魔王の伸びた爪はアキラの心臓を狙っていた。お遊びは終わりらしい。
「魔素よ魔素よ天地の精霊よわが命にしたがえ! 閃光!」
ピカッと白光がもろに魔王の顔を直撃した。魔王の足がピタッと止まった。ベールがあるから効かないかと思ったが効いたらしい。
「なんじゃこれは! 目が見えぬ! ええい! 仕方ない! 魔素よ魔素よ天地の精霊よわが命にしたがえ! ブリザード!」
だが何も起きない。魔王が手ごたえのなさにとまどったようだった。
いまだとアキラは思った。
「魔素よ魔素よ天地の精霊よわが命にしたがえ! ブリザード!」
魔王の腹から下が氷の柱に閉じこめられた。
アキラは間髪を入れずに魔王のふところに飛びこんだ。下半身を氷漬けにされて身動きが取れない魔王の心臓めがけて剣を突き立てる。つらぬき通せとばかりに渾身の力をこめた。血が魔王の胸から勢いよく噴き出した。心臓に命中したらしい。
吸血鬼の弱点をアキラはもうひとつ思い出していた。心臓に白木の杭を打ちこむというやつだ。白木の杭は持ってないから剣で代用した。これで魔王が死ななければ打つ手はもうない。殺されるのみだ。
心臓からの血の噴出がゆるやかになった。氷柱の中の足が灰になりはじめた。血が吸血鬼の弱点のようだ。血がなくなったところから灰に変わるのだろう。
やったとアキラはこぶしを握り固めた。
氷柱に閉じこめられたまま魔王が声を出した。
「ふふふ。まさか自分の魔法でしてやられるとはのう。そなたは盗賊であったか。わらわのブリザードを盗むとはあっぱれじゃ。アキラよ。最後にひとつたのみがある」
「なに?」
「この城にはゴブリンの非戦闘員が多数おる。連中は殺さずに逃がしてやってくれるとうれしいのう。この城の横にある大穴は魔界へと通じておる。ゴブリンたちをその穴から魔界に帰してやってほしいのじゃ。たのめるかな?」
「わかった」
灰が腹に達した。魔王の胸から上がドスンと石の床に落ちた。
「……楽しかったぞ。……最後によき戦いができた。……思い残すことはないのう……」
魔王の顔までが灰になりベールがペシャンと平らに変わった。
アキラの頭の中で声が聞こえた。
『レベルがあがりました』
アキラはソネットと顔を見合わせた。本当に魔王を倒せたのか自信がない。また復活するかもしれないと疑心暗鬼が首をもたげる。ソネットも同じ思いみたいだった。
「さっきみたいに生き返るんじゃないでしょうねこれ?」
「灰を集めて持って帰ろう。瓶詰めにして厳重に保管すれば大丈夫だよ」
イレーヌもターニャもノーランも顔に喜びがない。不気味さだけが表情にあらわれていた。
「誰かがその灰に血をかけたら……」
ターニャが懸念を口にした。
イレーヌがおぞけに身をブルルとふるわせた。
「やめてくれ! 考えたくねえよそれ!」
アキラは不思議な気がした。
「大女のイレーヌにも怖いものがあるんだ」
「こんな気持ち悪い敵ははじめてだぜ。ワイバーンのときは死ぬかと思ったけど怖くはなかった。こいつは斬っても斬っても死なねえ。夢に出て来そうでやってられねえよ。夜中にトイレに行けなくなっちまう」
ソネットとターニャとノーランも身をちぢめた。イレーヌと同じ感想らしい。
そのときアキラは玉座の間の入り口に気づいた。いつの間に来たのか玉座の間の入り口からドワーフとゴブリンたちが中をうかがっていた。
「オーサさまのかたき!」
一番うしろにいたオークが剣をふりかぶって走って来た。ノーランがふり返った。反射的にオークを斬り捨てた。オークの首が転がる。オーサに報告に来たオークみたいだった。
ゴブリンの兵たちも剣を抜いた。それをゴブリンの女たちが止めた。
「やめなさいよ。あなたたちのかなう相手じゃないわ」
ゴブリンの兵たちがお互いの顔を見た。うなずき合う。ゴブリンの兵たちが一斉に剣を玉座の間に投げ入れた。全面降伏らしい。
魔王の灰を袋に回収した。次にゴブリンの女たちに話をつけて城の中にいたゴブリンとドワーフ全員を外に出させた。ゴブリンとドワーフたちをアイギル火山にあいた大穴に追いやる。
無人になった魔王城と大穴に爆薬を仕掛けた。導火線に火をつける。導火線上を炎が走って爆薬に到達した。そのとたんドドドドドーンッと大音響と地響きが伝わって来た。土煙で何も見えなくなった。
土煙が風に流されたとき魔王城は石が崩れた廃墟になっていた。大穴は岩と土砂にふさがれてどこが穴だったのかわからなかった。
「ふう。これでやっと終わったね」
アキラが笑うと残りの四人も肩から力が抜けた。
イレーヌが思いついたという表情になった。
「あのよ。この爆薬ってすごい威力だよな? 筒詰めにした爆薬ももらってただろ? それを魔王に投げつけたらよかったんじゃねえ? 魔王はバラバラに吹き飛んだんじゃ?」
「ぼくもそれは考えたけどさ。でも導火線に着火させる魔道具がないんだ。火打ち石をカチカチやってるひまがなかっただろ? だから使えなかったんだ」
手榴弾とちがってスイッチがついてない。筒から導火線が伸びているだけだ。あの戦いの中で導火線に火をつける時間はどう考えてもなかった。
「なるほど。じゃ今夜は打ちあげだな。みんなで騒ごう」
「えっ? 酒は持って来てないよ? 飲まないで騒ぐのかい?」
女四人が恥ずかしそうに下を向いた。そういう種類の打ちあげらしい。
アキラはしまったと後悔した。昨夜は死ぬかもしれないと思ったからあんなことになった。無事に全員が生還するとあれはまずいに決まっていた。なかったことにしたいアキラだった。