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 第八章 ローゼンシュタイン皇宮での結婚式

 サウザーは旗艦をイルマル港に向けた。ローゼンシュタイン皇都がすぐ目の前に見える。

 イルマル港に着くと馬をおろした。キリヤとサウザーをふくめた二十人が馬にまたがる。内わけはキリヤ・サウザー・鬼九人・ゴブリンのヤンバ隊九人の合計二十人だ。目ざすは皇宮への抜け穴がある森だった。

 サウザーは馬を走らせながら考えた。ゼノム・ローゼンシュタインは皇帝になったばかりだ。家族は娘のケイティがひとりいるだけ。妻も側室もいない。いまゼノムとケイティを殺せば皇族が尽きる。

 ローゼンシュタイン皇国が平和なのは皇帝がいるせいだ。皇帝とその家族がいなくなれば獣人ぎらい派の貴族と良識派と呼ばれる貴族たちの内乱がはじまる。次の皇帝を決めるためにだ。

 特に強い貴族がいないせいでローゼンシュタイン皇国は戦国時代に突入するだろう。何年つづくかわからない戦乱の時代が幕をあけるはずだ。血で血を洗い親兄弟すら信じられない社会になる。夜盗が頻発し村々は略奪が日常茶飯事に変わる。

 そうなったところで魔王軍は困らない。むしろつけいるすきができて攻略が容易になるかもしれない。

 だがローゼンシュタイン皇国の民にとっては最悪だ。いつ殺されるかとおびえ続ける日々などたまったものではない。

 宰相のメインロビンは善良で頭のいい男だ。ゼノムとケイティが死ねば戦乱の時代が来るとわかっているはずだった。

 つまりゼノムとケイティを人質として拉致すればメインロビンは魔王軍の要求を飲まざるを得ない。魔王がこの戦争に求めるものはひとつだった。魔物を人間と同じあつかいにすること。ただそれだけだ。

 魔物を殺した者は殺人罪で死刑。傷つけたら傷害罪。

 人間の国にその法律を作らせるのが魔王の要求だった。最初は交渉で解決しようと試みられたが人間の国々はことごとく魔王の要求をはねのけた。そのために戦争になっている。

 いまでも魔王の望みは変わらない。人間の国と条約を交わして魔物に危害がくわわらないようにする。それだけだった。

 頭のいいメインロビンなら魔物に対する偏見などないだろう。ゼノムとケイティを人質に取れば条約に調印するにちがいない。

 それがサウザーのもくろみだった。二十騎の少人数でも皇宮に侵入さえすればゼノムとケイティを人質に取れるだろうと。戦いに行くのではなかった。ゼノムとケイティを拉致するだけだ。

 ゼノムは憎い。ゼノムとつぶやくだけではらわたが煮えくりかえる。殺してやりたい。しかしそれは私怨だ。魔王軍の軍師としてはゼノムを殺すわけにいかなかった。ただゼノムを眼前にして殺したい衝動をおさえ切れるかサウザーは自信がなかった。

 ゆれる気持ちを胸にサウザーは馬を走らせた。


 そのころローゼンシュタイン軍の部隊長ユリシスも馬を走らせていた。となりには伝令兵がやはり馬で並走している。

 ユリシスは皇都の生まれだ。幼いときからラモン河で泳いでいた。泳ぎは得意中の得意だった。戦場の混乱の中でも溺れなかった。

 ユリシスのふところには短剣が入っていた。

「……アリアス……ウルル……オースティン……キース……ケンブリッジ……ゴーガン……スクルージ……タンジェリン……」

 死んで行った部下たちの顔が頭から離れなかった。

「お前たちのかたきは必ず取ってやるからな!」

 ユリシスは決意を胸に馬を駆った。


 皇宮の玉座の間では結婚式がおこなわれていた。新郎はブレッシュウッド公爵で新婦はケイティだ。列席の貴族たちはみな獣人ぎらい派だった。

 神父が神の御名において誓いの言葉を求める。

「なんじは病めるときもすこやかなるときもこの者と寄り添うことを誓いますか?」

 新郎のブレッシュウッド公爵が答えようとしたとき玉座の間の戸が開いた。門番の衛兵が声を張りあげる。

「皇帝陛下。戦場より伝令兵がまいりました。入室させてよろしいでしょうか?」

 ゼノムが手をあげた。

「入室させよ」

 ゼノムは勝ちを確信していた。いまかいまかと伝令が来るのを待っていた。

 神父とブレッシュウッド公爵とケイティが玉座へつづくじゅうたんの上から身をどける。玉座の間の戸から皇帝ゼノムまで一直線の道ができた。

 伝令兵とユリシスが入室して来る。ゼノムは階段の上の豪華な椅子でふんぞりかえった。ゼノムの両脇にはふたりずつの護衛が剣を手にひかえている。

 伝令兵とユリシスが階段の一番下でひざまづいた。伝令兵が口を開いた。

「申しあげます。快勝でございました。魔王軍は全滅いたしてございます」

 オオッと列席していた貴族たちから歓声があがる。ゼノムがニヤッと頬をゆがませた。

「そうかそうか。では詳細を聞かせよ」

「はっ。魔王軍はわが艦隊に火矢を放ちました。わが艦隊はことごとく燃えあがりましてございます」

 ゼノムの顔が曇った。

「おい。それではわが艦隊が全滅ではないか?」

「いえいえ。そうではございませぬ。わが艦隊は燃えたまま魔王軍船に白兵戦をいどんだのでございます。魔王軍の船に乗りこみ水上の斬り合いに不慣れな魔王軍をことごとく斬り伏せました。燃やされたと見せたのは偽装でございます。魔王軍のゆだんを誘うためにわざと風下に陣取って火矢を受けたのでございました」

「なるほど。よくやった。わしが起用した参謀のデミッツの策じゃな?」

「さようでございます。デミッツ参謀の英知の勝利でございました。陛下の慧眼のおかげで快勝することができたのでございます。ただわがほうの艦船はことごとく水没いたしました。ですがわが軍は魔王軍の船を乗っ取って健在でございます。間もなくイルマル港に勝利の凱旋をいたしましょう。魔王軍の船だからといって攻撃をしないようにおねがいいたします。乗っているのはローゼンシュタイン兵ばかりでございますから」

「あいわかった。そのように申しつけるぞ。ところでとなりの兵士はなんじゃ? 伝令兵ではなかろう? 戦場から直接来たように見受けられるが?」

 ゼノムがユリシスに目を向けた。伝令兵が答えた。

「この者がひと足先に勝利を伝えてくれました。部隊長のユリシス・ユーレシアでございます」

「ユーレシア? 公爵家の三男か? 憶えておるぞ。かつて皇室主催の夜会で見たことがあるわい。わが娘ケイティとダンスを踊っておった」

「このユリシスは今回の戦闘の英雄でございます。ひとりで五十体の敵を斬り倒しました。のちほど勲章をさずけられるにふさわしい働きでございます」

「ふむ。皇帝殊勲賞を用意するとしよう」

「ありがたき措置に感謝いたします。つきましてはいまひとつおねがいがございます」

「何じゃ?」

「公爵家とはいえ三男でございます。陛下にお目どおりの機会はもうないかもしれませぬ。この機会に陛下に握手をたまわりたい。そう申しております。いかがでしょう陛下。この者のねがいをかなえていただけませぬか?」

「そんなことか。よいぞ。かなえてつかわそう」

 ゼノムが椅子から立ちあがった。護衛四人がゼノムの前にまわろうとする。ゼノムが手で制した。獣人ぎらい派の貴族たちが見守っている中だ。臆病な皇帝では舐められる。

 ゼノムが階段をおりてユリシスの前に立った。

「立ちあがるのをゆるそう。立ってよいぞユリシス・ユーレシアよ」

「はっ」

 ユリシスが立つ。ゴブリンの返り血のこびりついた右手を服でぬぐった。皇帝ゼノムと握手をかわした。

 そのとたんだ。ユリシスは左手でふところから短刀を抜き放った。ゼノムの心臓めがけて短刀で刺しつらぬく。血がユリシスの左手にドクドク噴きつける。

「……ど? ……どうしてじゃ?」

 胸に突き立った短刀を見ても何が起きたのか信じられないゼノムだった。

 ユリシスが高笑いをひびかせた。

「ハハハハハ! お前の起用したデミッツは能なしよ! お前が参謀をすげ替えたせいでローゼンシュタイン軍は全滅した! お前はこの国に必要ない! お前のような愚物の皇帝はここで死ね!」

 護衛の四人が階段を駆けおりる。

「陛下!」

 護衛四人はしくじったという後悔が怒りに変わって力まかせにユリシスに斬りつけた。四本の剣を受けてユリシスが倒れた。

「ふふふ。部下たちよ。かたきは取ってやったぞ。安心して眠るがいい……」

 こときれたその顔は満足だと語っていた。

 その間に宰相のメインロビンがゼノムを抱き起こした。

「誰か医者じゃ! 医者を呼べっ!」

 獣人ぎらい派の貴族たちは眼前の出来事に現実感を喪失してぼうぜんと立ち尽くしている。神父とブレッシュウッド公爵とケイティも意表外の展開に動けなかった。

 そんな中で伝令兵が青い顔で戸に走った。伝令兵はローゼンシュタイン軍が勝ったというユリシスの言葉を信じていた。公爵家の三男で活躍がめざましい部隊長だ。信じない理由がなかった。だが皇帝を暗殺した男を玉座の間まで連れこんだのは自分だった。暗殺の片棒をかついだと見られてもしかたがない。死刑になる前に逃げなければと。


 一方でサウザーは抜け穴から皇宮に侵入していた。四天王のキリヤと九人の鬼。女兵士のヤンバと八人のゴブリン。合計二十人が仮面とフードで顔を隠して剣を抜きながらだ。

 中庭に出た二十人は通りかかった侍女を捕まえた。

「皇帝はどこにいる?」

 キリヤの問いに侍女が歯の根の合わない口をふるわせた。

「殺さないで! 皇帝は玉座の間でケイティさまの結婚式に出席されてます! どうか殺さないで!」

 キリヤが侍女に当て身をくらわした。侍女が気を失った。

 サウザーを先頭に二階の玉座の間に走った。途中にいた兵士はキリヤとヤンバが斬り捨てた。

 玉座の間の戸の前でもふたりの兵を斬った。戸を押しあけて玉座の間に踏みこんだ。

 逃げるために走って来た伝令兵を何のためらいもなくキリヤが斬る。事前の打ち合わせでは抵抗する兵以外は斬らないと決めていた。だが実際は一瞬の判断で行動しなければならない。じっくり考えるひまなどない。無抵抗の一般人でもあやしい動きをする者は斬らざるをえなかった。

「全員動くな! 動けば斬る!」

 キリヤが声を玉座の間中にひびかせた。玉座の間にいた者たちがビクッとすくみあがった。

 護衛四人がキリヤに向かって走った。鬼たち九人がキリヤの前に出た。護衛四人と鬼たち九人が斬りむすぶ。あっという間に護衛四人が床に転がった。

 ブレッシュウッド公爵が声を張りあげた。

「なんじゃきさまら! ここをどこだと思っておる! 衛兵! 衛兵はどこじゃ! とっととこやつらを斬り捨てぃ!」

 ブレッシュウッド公爵をはじめ獣人ぎらい派の貴族たちは玉座の間に入るときに武器を取りあげられている。護衛を連れるのも禁じられたので武器を持っていたのは皇帝の護衛四人だけだ。

「うるさい! だまれガマガエル!」

 キリヤがブレッシュウッド公爵に斬りかかる。皇帝とケイティとメインロビンさえ斬らなければあとは誰を斬ろうがかまわない。そういう事前の打ち合わせだった。

「うぐぐっ! きさまぁ……」

 ブレッシュウッド公爵が肩から胸まで斬りさげられて絶命した。

 罵詈雑言を口にしようとした獣人ぎらい派の貴族たちがあわてて口をつぐむ。侵入者は容赦がなかった。ブレッシュウッドみたいに斬られてはたまらない。

 鬼たちとゴブリンたちが油断なく剣をかまえていつでも斬れる体勢で散開した。

 無音が玉座の間を包みこむ。

 サウザーは玉座の間を見回した。動こうとする者はいなかった。神父もケイティもメインロビンも動きはない。

 床に尻をつけたメインロビンのひざで横たわる皇帝ゼノムの胸が上下していなかった。ゼノムの心臓付近に短刀が突き立っている。床には血だまりが広がっていた。どういう理由だがわからないがゼノムは息絶えているらしい。

 そのふたりのかたわらにローゼンシュタイン兵が倒れていた。この兵士も死んでいるみたいだった。サウザーはその兵士の顔に見覚えがあった。だがどこで見たのか思い出せなかった。

 サウザーはケイティに目をやった。ゼノムを人質に拉致してケイティは皇宮に残してもいい算段でいた。女のケイティにヒスを起こされては厄介だからだ。だがケイティを拉致せざるをえないらしい。

 あやまってケイティを斬らせないようサウザーはケイティに近づいた。ケイティが騒ぎ立てれば鬼たちが斬りかねない。

 ケイティは青い顔ながら無言でくちびるをかんでいた。叫びたいのを必死でこらえているみたいだ。頬には涙がつたって乾いた痕が見えた。

 父を殺されたせいで泣いたのだろうとサウザーは思った。ガマガエルと結婚するのがいやで泣いたとは思わなかった。

 サウザーが近づくとケイティがビクッと身をちぢめた。

 サウザーはケイティの耳に口をつけた。

「ケイティ。何も言うな。俺だ。サウザーだ」

「えっ?」

 ハッとケイティがサウザーの顔を見た。だが仮面とフードで誰だかわからない。しかし声と雰囲気がサウザーで間違いなかった。  

「サウザー?」

 安堵の大波がケイティを襲った。どうしてこんなところにサウザーがあらわれたのかわからない。でもケイティはくり返し想像していた。このいやでたまらない結婚式の最中にサウザーが乱入して自分を連れ去ってくれるのを。

 いまその妄想どおりサウザーが来てくれた。緊張の糸がプツンと切れた。ケイティは意識が遠のくのをおぼえた。

 サウザーは自分の腕の中に倒れこむケイティを抱きとめた。呼吸は規則正しい。熱もないようだ。気を失っただけらしい。父が眼前で死んだわけだ。箱入り娘のケイティには耐えかねる刺激だったのだろう。そう納得した。拉致する立場にとっては騒がれないから都合がよかった。

 サウザーは女兵士のヤンバを指で招く。ヤンバにないしょ声で指示を与える。

「ヤンバ。ゴブリンたちで皇女さまを運んでくれ。絶対に傷つけるなよ」

「わかりました。絶対に傷つけません」

 ヤンバがケイティに縄をかけてゴブリン四人でかつぎあげる。

 サウザーは鬼たちにも獣人ぎらい派の貴族たちと神父を縛りあげさせた。次に宰相のメインロビンに寄る。皇帝ゼノムの首に指をあてた。脈は感じられない。呼吸もなかった。やはり死んでいる。

 あれほど殺したいとねがった相手が死んでいた。両親と弟のかたきだ。爽快感に包まれると思っていた。だがちがった。何の感慨も湧かなかった。あっけないなと思っただけだ。人はあっけなく死ぬ。殺すときはこの手で苦しめてやろうとたくらんでいた。なのにもういない。爽快感ではなく喪失感がサウザーの胸を吹き抜けた。

 メインロビンがサウザーに涙顔を向けた。

「医者を。医者を呼んでくだされ。おねがいじゃ」

 サウザーは首を横にふった。

「むだだ。もう死んでる」

 メインロビンがハッとした。

「陛下! 陛下ぁ!」

 メインロビンが泣きくずれた。

 サウザーはメインロビンが泣いている間に考えた。獣人ぎらい派の貴族たちをどうするかをだ。獣人ぎらい派の貴族たちが勢ぞろいしていたのは予想外だった。このまま解放すれば必ず魔王軍に刃向かおうとするはずだ。それぞれが私兵をかかえている。魔王軍一万二千にはとうてい届かないが二千人くらいにはなるはずだ。皇都に籠城されればうっとうしいことこの上ない。

 しかたないと判断した。捕虜として連行するかと。人質は多いほうがいいかもしれない。

 メインロビンが泣きやむのを待って切り出した。

「宰相メインロビンよ。皇女ケイティを人質としてあずかる。皇女を返してほしくば魔王国との条約に調印せよ。内容は以前に提示したとおりだ。変更はない」

 メインロビンが目を見開いた。侵入者たちは仮面とフードで顔を隠しているが体型から鬼とゴブリンだ。つまり魔王軍だった。ここにいる全員を殺して皇宮を占拠するのだとメインロビンは覚悟した。人質を取って条約の調印を迫るとは想像もしていなかった。

 メインロビンは素早く考えをめぐらせた。皇帝ゼノムは死んだ。残った皇族はケイティひとり。そのケイティが殺されれば次の皇帝争いで内乱の勃発は必至だ。内乱か条約か。ふたつにひとつの選択だった。

 条約は魔物と人間を同じにあつかうというものだ。魔物を殺せば死刑が適用される。つまりスライムを殺しても死刑だ。そんな法律を作れば民の反発は間違いない。反乱が起きても不思議ではなかった。

 メインロビンは悩んだ。確実に起きる貴族同士の殺し合いか不確実な民衆の一斉蜂起か。どちらも選びたくなかった。

「考える時間に一ヶ月やろう。一ヶ月後にまた来る。そのときまでに答えを決めておけ。徹底抗戦するなら皇都に火を放つ。皇都を灰燼に帰したくなければ籠城戦はやめることだな」

 サウザーが宣言した。だが徹底抗戦を選んでもサウザーは痛くもかゆくもなかった。放置すればいいだけだった。ほうっておけば貴族同士の内乱が起きて皇国は瓦解する。そのあとで占領すればいい。もはやローゼンシュタイン皇国は敵ではなかった。次の敵はグラディウス王国だった。

 ケイティと獣人ぎらい派の貴族たちを抜け穴から皇都の外へ連れ出した。

 イルマル港を魔王軍が占領して皇都が見おろせる丘にテントを張っていた。予想どおり戦闘が終わったあとで到着したらしいオーク軍のテントもあった。

 気絶したままのケイティを帷幕に寝かせた。獣人ぎらい派の貴族たちはまとめて営倉に押しこんだ。獣人ぎらい派の貴族たちは人質の価値が低いせいだ。殺すと遺族に恨まれるから殺さないにすぎない。

 オーク軍のチンドッサが自分をうかがっているのにサウザーは気づいた。文句を言いたいのに言えないらしい。酔っぱらって寝すごしたら戦場に着いたとき戦闘は終了していました。そんな報告をオーサにできない。サウザーがオーサの命令をことごとく握りつぶした件に抗議すると寝すごした件をオーサに密告される。

 チンドッサが口をつぐめばサウザーも口をつぐむとチンドッサは知っている。チンドッサはもどかして仕方がなかった。一方的にサウザーを追いつめられない。どうにかして自分は非難をまぬがれてサウザーだけを断罪する方法はないか考えた。もちろんそんな方法はなかった。

「ちくしょう! サウザーの野郎! いまに見ておれよ!」

 チンドッサはひたすら歯ぎしりをくり返した。

 サウザーは皇宮に兵を残さなかった。占拠するまでもないためだ。皇宮や皇都はメインロビンにまかせればいい。サウザーは次のグラディウス王国戦に全力をつぎこみたかった。

 この世界にはローゼンシュタイン皇国とグラディウス王国の二大国家がある。ローゼンシュタイン皇国を占領してもグラディウス王国に負ければ元も子もない。次のグラディウス王国軍に勝てばその他の弱小国家はみな魔王軍にしたがうはずだった。

 グラディウス王国はローゼンシュタイン帝国の南に国境を接している。ローゼンシュタイン皇都から真南に進軍するとグラディウス王国の国境がある。国境にはルーイン山脈と名付けられた高い山があり険しい一本道でグラディウス王都につづく。東に大きく迂回するとルーイン山脈は低くなるがひと月は余分にかかる。

 グラディウス王国に入ってすぐがタオルン谷だ。グラディウス王都に最短で侵攻するならタオルン谷を通らなければならない。タオルン谷は細く長い涸れ谷だ。特に南の出口はせまくなっている。どんな大軍だろうと一列にならないと通れない。罠を仕掛けるには最良の地だ。

 タオルン谷はグラディウス王国に属する。すでにグラディウス王国がタオルン谷に手を打っているはずだった。

 いかにタオルン谷を無事に通過するか。それがサウザーの課題だった。どう考えてもタオルン谷を犠牲なしで通りぬける方法が浮かばない。

 いっそ東に大回りするかとも思う。だがそれをすると兵站に問題が生じる。すでに魔王城を遠く離れている。一万二千の食糧を運ぶのが限界に近い。さらに兵站線をのばすと補給が破綻するのは間違いなかった。

 現地で調達すると必ずどこかにしわ寄せが行く。間もなく冬だ。村や下層民に餓死者が出るのはほぼ確実だった。一万二千の食糧がとつぜん消えうせるわけだ。一万二千の人間が死んでもおかしくない。魔王ニーナ・ムートシルトは一般人に死者が出るのをよく思わない。最終的に魔王が目ざしているのは人間との共存だ。人間の絶滅ではない。

 サウザーがそんな考えをめぐらせているとケイティが寝返りを打った。

「うーん」

 ケイティがのびをした。

「目がさめたのかケイティ?」

 ケイティが目を見開いてサウザーを見た。

「サウザー? ここどこ? わたしはどうしたの?」

 ガマガエルと結婚式の最中だったはずだ。見るかぎりテントの中だと思えた。

「ここは皇都の外だ。それよりケイティ。おじ上はどうなったんだ? 何があっておじ上は死んだ?」

 ケイティが思い起こす。

「そう。やはりお父さまは死んだの。公爵家の三男のユリシス・ユーレシアが短刀でお父さまを刺したのよ。お父さまが参謀を替えたせいでローゼンシュタイン軍が全滅したって言ってた。部下のかたきだって」

「なるほど。そういうことか」

 サウザーは思い出した。倒れていたローゼンシュタイン兵は旗艦でヤンバと斬り合った男だ。最後のひとりになって自殺するために河に飛びこんだと思っていた。あれは皇帝を殺そうと河に身を投げたわけか。参謀がトトなのに無策でローゼンシュタイン艦隊が撃って出たのが変だと感じていた。参謀が替わっていたからあんな無謀な出撃になったのか。

「ところでねサウザー。あなたどうして生きてるの? あなたといっしょにいたのは魔王軍でしょう? どうして魔王軍と行動してるわけ? 魔王軍に寝返ったの?」

 サウザーはどう説明するか苦慮した。きみの父に両親と弟を殺されて俺も殺されかけたとは言えない。結果だけ見ると魔王軍に寝返ったと責められても仕方がなかった。

「おどされてやむをえずだ」

「そう。魔王軍に両親と弟を殺されたくせにおどされたら協力するの? 恥知らず! 両親と弟のかたきを討とうとおもわないの! 意気地なし! 見そこなったわ!」

 枕が飛んで来た。サウザーは受け止めた。枕は痛くなかった。だが心が痛かった。

 ケイティがなおも投げるものがないかと見回した。サウザーはケイティの手首をつかんで止めた。

「やめろケイティ! 落ち着くんだ!」

「はなして! 裏切り者!」

 ケイティがあらがった。爪を立てようとする。サウザーはケイティの両手首をつかんでベッドに押しつけた。

 争う声を聞きつけたのかキリヤがテントに入って来た。

「何をしてるんだ!」

 キリヤから見ればベッドのケイティにサウザーがのしかかっているとしか思えない。

 ハッとサウザーは自分の姿勢に気づいた。ベッドに女を押し倒している好色漢にちがいない。

 サウザーは両手をはなしてベッドから飛びのいた。すぐにその行為そのものもうしろめたいところのある男の行動でしかないと気づいた。

 ケイティはキリヤのツノを見て衝撃を受けた。キリヤは仮面もかぶってないしフードもしていない。素顔だった。ケイティは自分が魔王軍に捕まったと気づいた。

 ケイティが深呼吸して乱れたえりを直した。その際に花嫁衣装のままだと悟った。意を決して声をかけてみる。

「あなた鬼よね? 悪いんだけど服を貸してもらえない?」

 キリヤがきょとんとした。

「服? 服ってなんだ?」

「服は服よ。花嫁衣装は窮屈だわ。動きやすい服を貸して」

 キリヤが一拍おいて笑いはじめた。

「度胸のいい女だな。いいだろう。あたしの服でよければ貸してやる。胸はあたしのほうが大きいから大丈夫だろうさ」

 ケイティがしぶい顔になった。胸の大きさで負けたと思ったらしい。

 身長もキリヤのほうが高い。キリヤは大女と言っていい。鬼は誰もが体格がいいがキリヤはとび抜けて大きい。もっとも貧弱では鬼の盟主に選ばれなかったはずだ。

「ところであなた名前は? わたしはケイティよ。ケイティ・ローゼンシュタイン」

「キリヤだ。メシはどうする? 食うか?」

 ケイティが思案した。魔王軍の食べ物を食べたくはない。だが餓死は苦しそうだ。

「食べるわ」

「じゃここに運んでやる。待ってろ」

 キリヤがテントを出た。

 ケイティがサウザーに顔を向けた。目が憎しみに満ちていた。

「わたしをどうしようっていうの?」

「人質だ。きみが死ねば皇族はいなくなる。そうなればローゼンシュタイン皇国は内乱状態になる。それがいやなら宰相のメインロビンは条約締結に賛同するだろうさ」

「条約? どんな?」

「魔物を人間と同じあつかいにする法律を作る。そう約束する条約だ」

 ケイティが考える。

「そんな条約を受け入れるはずがないわ」

「そのときはローゼンシュタイン皇国が内乱でボロボロになるだけだ」

 そこに吸血鬼のヨーゼフが入って来た。ケイティの姿を見て開きかけた口を閉じる。

 サウザーがうながした。

「皇女さまは気にしなくていい。グラディウス王国の状況はどうだった?」

「グラディウス王国は一万五千の軍を組織して王都を出ました。ローゼンシュタイン皇都を目ざしてる模様です」

 サウザーは計算してみた。グラディウス軍がローゼンシュタイン皇都まで来るのならルーイン山脈を越えさせてむかえ撃ってもいいのではないか? タオルン谷はグラディウス軍に通過させて魔王軍はルーイン山脈のふもとで対戦してもいいかもしれない。

 それでもグラディウス軍を殲滅したのちはグラディウス王都を攻めなければならない。その際にはタオルン谷を通ることになる。だがタオルン谷で最大の戦いをくりひろげるよりはましだろう。

 サウザーは腹をくくった。あした全軍をルーイン山脈に向けて進軍させようと。行軍速度を考えるとひと月後にルーイン山脈のふもとに着く。グラディウス軍はルーイン山脈を越える時間を合わせれば決戦にはひと月半かかるはずだ。半月あれば罠を仕掛ける時間に充分だろう。

 キリヤが服とメシを持ってもどって来た。

「ほらよ。さっさと着替えろ」

 ケイティが服を受け取ってサウザーに顔を向けた。

「裏切り者は出てって!」

 サウザーは苦笑いを浮かべて帷幕を出た。きらわれたらしい。

 サウザーはひらめいて女兵士のヤンバを捜しにゴブリンのテントに足を運んだ。

 サウザーがヤンバを連れてもどるとケイティは着替え終えて食事を口に運んでいた。服はダボダボだった。胸だけではなく全体に大きすぎた。

「ヤンバ。きみに皇女さまの世話を命じる。言うことを聞いてやってくれ」

「はい。わかりましたサウザーさま」

 ケイティがヤンバの全身をじろじろと値踏みした。かろうじて女だとわかるていどにしか胸と尻が発達していない。自分の胸と見くらべてケイティは安堵した。ヤンバよりはましねと。

「私はケイティよ。よろしくねヤンバ」

「はっ。こちらこそよろしくおねがいします皇女さま」

 ヤンバはよく気がつく。利発だからケイティとうまくやれるだろう。そうサウザーは考えた。


 翌日サウザーは魔王軍を南に旅立たせた。貴族たちの領地を通過することになる。だが無抵抗の者は殺さないと先ぶれを出せば抵抗する者はわずかだろう。

 馬を五十頭買い入れて馬車も購入した。馬車はケイティ用だ。馬に乗るのは幹部級の者だけだった。さすがに一万二千頭の馬は調達できない。ほぼ全軍が徒歩での行軍となる。

 ケイティは帷幕で寝泊まりさせて獣人ぎらい派の貴族たちは皇都に残した。獣人ぎらい派の貴族たちがうるさいせいだ。やれメシがまずいだの待遇をよくしろだのと一日中文句をわめいている。見張りのゴブリンたちもすっかりうんざりした。サウザーは少数の見張りをつけて置き去りにした。脱走するならそれもいいだろうとだ。

 魔王軍の進軍をローゼンシュタイン国民たちは遠巻きに見守った。町を通過するときは家にこもって出て来ない。抵抗する者以外は斬らないと宣伝させたものの信用できないのだろう。

 モンテグラント領の領都に近づいたときだ。五人の私兵が先頭を行くサウザーの馬の前に立ちはだかった。

「私たちはモンテグラントさまの使いでございます。総司令官はどなたでございましょう?」

 キリヤが馬を進ませて私兵たちと対面した。

「あたしだが?」

「領主のモンテグラントさまが幹部の方々を食事に招待したいと申しております。いかがでしょうか?」

 キリヤとサウザーが顔を見合わせた。こんな申し出ははじめてだった。ここまではさわらぬ神にたたりなしというあつかいばかりだった。

 サウザーは暗殺を危惧した。だがキリヤが深くうなずいた。

「わかった。その招待を受けよう。案内するがいい」

 モンテグラント館は大きくもなく小さくもなかった。モンテグラント伯爵は金持ちではないらしい。

 キリヤが二十人を選んで領主館に入る。オーク軍を統括するチンドッサとゴブリン軍の総司令ツイングムはもちろんゴブリンの女兵士ヤンバとケイティもいる。

 サウザーは暗殺がないかやきもきした。だがキリヤは平然と大広間の食卓についた。

 すぐに料理が運ばれてヒゲの中年男が執事を連れて入室した。

「やあやあ。よくおいでくださいました魔王軍のみなさま。私がハリー・モンテグラントでございます」

 キリヤがニヤッと笑った。

「魔王軍四天王のキリヤだ。どんな用件でわれわれを招いたんだ?」

 モンテグラント伯爵が頬を苦くゆがめた。

「そのお話は食事をしながらがよろしいでしょう。取りあえず乾杯をいたしましょうか」

 モンテグラント伯爵が給仕に酒をつがせた。自分のグラスにつがせたその酒瓶をキリヤのグラスにもそそがせる。モンテグラント伯爵が毒を入れてませんよと言いたげにグイッと飲みほした。

「乾杯!」

 キリヤもひと息でカラにする。

「乾杯」

 全員に酒が行き渡った。

 モンテグラント伯爵がすすめる。

「毒など入っておりません。みなさまどうぞ料理にも手をおつけになってください」

 ヤンバがまっ先に料理を食べはじめた。毒味役になろうというのだろう。キリヤも気にせず肉にフォークを突き刺した。キリヤは毒の耐性があるらしい。以前毒を飲んですぐに毒だと見やぶった。日ごろから毒を口にしていなければわからないはずだ。毒を飲んで耐性作りをしているにちがいない。

 サウザーはヤンバの様子を見守った。しばらくしても苦しみはしない。大丈夫だと見て料理を口に運ぶ。サウザーの仮面は鼻から上だ。料理を食べるのに仮面をはずす必要はなかった。

 サウザーとケイティは皇族だ。作法は子どものころから仕込まれている。魔物たちは作法などない。好き放題に口に入れるだけだ。

 サウザーとケイティだけが物静かに作法どおり食べている。そこにモンテグラント伯爵が気づいた。 

 モンテグラント伯爵がケイティを見ていぶかしげに目を細めた。

「失礼ですが皇女さまではありませんか? どうしてこんなところに?」

 ケイティが記憶をたどった。モンテグラント伯爵は一攫千金を夢見る小心者だったはず。魔王軍にこびを売っておけば商売になると思っているのでは?

「私のことなどどうでもよいではありませんか。モンテグラント伯爵。魔王軍にヘコヘコ頭をさげるなんて最低だわ。あなたにはほこりがないのですか?」

 モンテグラント伯爵の眉が一瞬だけあがった。

「これは手きびしい。ですが私にも事情がございまして」

 モンテグラント伯爵の顔にはこう書いてあった。ほこりでメシが食えるかと。

 モンテグラント伯爵がサウザーに目を転じた。ケイティに水を向けても手痛い言葉しか返らないと悟ったせいだ。

「あなたは魔界の貴族ですか? 人間界の作法におくわしいようですが?」

 サウザーはナイフを持つ手を止めた。

「俺は魔王軍の軍師だ。貴族では」

 そこでケイティが声を張りあげた。目が怒りでギラついている。

「お黙りなさい! この裏切り者! けがらわしい!」

 サウザーは口をつぐんだ。

 モンテグラント伯爵が目を丸くした。皇女さまは激しい気性らしい。

 食卓から音が消えた。気まずい空気を払おうと口を切ったのはキリヤだ。

「モンテグラント伯爵。われらを招いたのはどういう意図だ? ただ食事をともにしたかったわけではあるまい?」

 モンテグラント伯爵がもみ手をはじめた。よくぞ聞いてくださいましたというホクホク顔だ。

「さよう。魔界には人間界にないめずらしい品が数多くあると聞いております。わが領と取り引きをいたしませんか? わが領は高級果物と高級家具の生産が盛んでございます。魔界のお偉方にも気に入っていただける品質だと自負しておりますれば」

 キリヤが最後まで言わせなかった。

「わかった。だがわれらはただの兵士にすぎん。四天王とは言うものの商取引に関する権限は持たぬ。そなたがどうしてもと言うのであれば魔王城から文官を派遣させよう。それでよいか?」

「ははーっ。それでけっこうでございます」

 キリヤがモンテグラント伯爵の商談を封じたので会食は雑談とともに終わった。

 サウザーは久しぶりにまともな料理にありつけて満足だった。

 領館を出るときに執事がおみやげだと高級果物をくれた。サウザーは鬼やオークの味覚はどうなっているんだろうと疑問を抱いた。魔王軍の食事はゴブリンが担当している。うまくもないがまずくもない料理だ。ゴブリンは人間と同じ味覚らしい。

 キリヤがリンゴに似た果物をかじった。

「まあまあだな。魔王さまに献上するほどではあるまい」

 サウザーは聞きとがめた。

「魔王さまは果物を食うのか?」

「美少年の血が好物らしい。しかし魔王城ではあたしらと同じものを食べておられる。人間が近くにいれば人間の血を吸うのではないかな? 魔王さまについてはあたしもよくは知らんのだ。吸血鬼は数がすくないのでな」

「そんなものか」

「そんなものだ。力が強い。それだけでわれら鬼にとっては充分だ。魔王さまが何を食しようがそれは些末なことにすぎん」

 キリヤはケイティに目をやった。いまはヤンバと馬車に収まっておとなしくしている。

 キリヤは胸がモヤモヤするのを感じた。不吉な予感が脳裏にこびりついて離れない。

 ケイティはサウザーを裏切り者と怒鳴りつけた。それはサウザーが元々ケイティのがわにいたことを意味する。つまり人間のがわだ。

 サウザーは仮面とフードで顔を隠している。仮面の下にどんな顔があるか見たいと思っている者も多いはずだ。ジョシュも気にしていた。鬼もオークもゴブリンも大半の者がそうではないか?

 そのサウザーをケイティが裏切り者と呼ぶのはまずいのでは? サウザーが人間だと疑う者があらわれてもおかしくない。

 ローゼンシュタイン軍に勝てたのはサウザーのおかげと言っていい。これからサウザーにグラディウス軍も打ちやぶってもらわねばならない。

 いまサウザーが人間だとバレるとサウザーの言葉にしたがう者はいなくなる。魔王軍をたばかったとして最悪サウザーを斬らねばならないだろう。グラディウス軍を壊滅させたあとならいいがいまはまずい。

 キリヤはどうするべきかを考えはじめた。


 魔王軍はモンテグラント領を抜けてリセンブル領に入った。リセンブル領で人々は戸を閉ざして息を殺しながら通過を待った。

 リセンブル領から出る直前の村を通っているときだ。サウザーに石が飛んで来た。

 石は仮面にあたった。ケガはしなかったが痛かった。

「誰だ!」

 キリヤが周囲を見回した。

 次の石が来た。今度はキリヤの顔に向けてだ。

 キリヤが右手で石をつかみ止めた。

 石の来たほうを見た。男の子が石を手に怒りのまなざしでキリヤとサウザーを見ていた。

「父ちゃんのかたきだ! 死ね!」

 男の子が石を投げた。石はサウザーに向かって飛んだ。サウザーはよけた。

 鬼たちが馬をおりて一斉に剣を抜いた。男の子に走る。

 閉じていた家の戸が乱暴にあいた。女が駆け出て叫んだ。

「殺さないで! うちの子を殺さないで!」

 女が半狂乱で男の子を抱き寄せた。

 鬼たちが剣をふりかぶって女の頭におろそうとする。

 馬車の戸がバタンと開いた。ケイティが出て来た。

「サウザー! いい気味よ! 裏切り者にふさわしい仕打ちだわ! 石でよかったと思いなさい! 矢なら死んでたかもね! あなたにその子を殺す正当性はないわ! 鬼たちを引かせなさい!」

 抵抗する者は殺すと宣伝してある。子どもであろうが適用される。だがとサウザーは考えた。子どもを斬り殺せば抵抗運動が起きるだろう。いまのところ反魔王軍の動きはない。貴族はおそるるに足りない。怖いのは民衆だ。民衆が一斉に蜂起したら厄介に決まっている。

 鬼たちも女子どもを斬るのは抵抗があるらしく手を止めている。サウザーはキリヤに目くばせをした。

 キリヤがうなずく。

「みんな剣をおさめろ。子どものいたずらだ。目くじらを立てるほどのことじゃない」

 鬼たちがホッと息を吐いた。キリヤの命令でも女や子どもを斬りたくはなかった。

 女がなおも石を投げようとした男の子を引きずって家に連れこんだ。察するに父親が兵士として出征したにちがいない。今回の戦争でローゼンシュタイン軍は壊滅した。生き残ったのは負傷して後方に送られた者くらいだ。四万人近くの戦死者が出たはずだった。遺族はかなりの数にのぼるだろう。

 なんとも言えない思いにさいなまれながらサウザーは行軍を再開した。にくいかたきのゼノムが死んで怒りの炎が消えていた。これまでに殺したのは人間たちでこれから殺すのも人間だった。いまの男の子のような戦争遺児をまた量産することになる。

 魔王には恩も義理もない。命を助けてくれたキリヤにもすでに借りを返すだけの働きはしたはずだった。次のグラディウス王国には恨みも憎しみもない。なのに人殺しにならなければならない。

 苦い思いをサウザーは馬上で飲みくだした。


 ルーイン山脈のふもとに着いた。落とし穴などの罠を作るため設営を張った。

 ここでグラディウス軍を待ちかまえる。万全の準備をととのえてだ。雪が降る前に決着がつくだろう。

 グラディウス軍は一万五千人だと言う。魔王軍は一万二千だ。無策で激突すればまずいかもしれない。

 サウザーは周辺の地形を精査した。考えられうるかぎりの罠を仕掛けさせる。

 いそがしく一万二千の兵が動きまわった。

 そんな中でキリヤは思案していた。ケイティの態度はますます目にあまる。このままサウザーを裏切り者呼ばわりされればサウザーが人間だとバレる。すでに鬼やオークはサウザーに疑惑の目を向けていた。毎夜のようにサウザーが何者かという話題が酒の席で取りざたされていた。

 ケイティを殺しても内乱が起きるだけだ。条約の調印が何年か遅れるにすぎない。いまサウザーが欠ければ魔王軍は敗北するかもしれない。

 キリヤは決意した。ケイティを殺そうと。

 キリヤはもうひとつの要因に気づいてなかった。嫉妬だった。キリヤはいつの間にかサウザーを好きになっていた。だがサウザーの態度からサウザーの思い人がケイティだと悟っていた。ケイティがいるかぎりサウザーは自分のものにならない。だからケイティを殺す。

 それが隠れている動機だった。キリヤは四天王でありながら女だった。恋をしたことのない鬼だった。

 キリヤがふたりの鬼を自分のテントに呼んだ。

「皇女を殺せ」

「死体はどうすりゃいいんですかい?」

「そのままにしておけ。サウザーをののしる皇女にがまんができなくなった者が衝動的に斬った。そう思わせればいい。もしお前たちが姿を見られたらそう言い張れ。人間をひとり殺したとてたいした罪じゃない。訓告ですむ話だ」

「わかりました」

 サウザーはキリヤに鬼たちを借りようとテントの外まで来ていた。テントに入ろうとしたときキリヤの指示が聞こえた。ケイティを殺すだと?

 ふたりの鬼がテントの出口に近づく足音がした。サウザーはテントの裏にまわった。

 ふたりの鬼がテントを出た。腰の剣に手をかけてケイティのいる帷幕に向かう。

 サウザーはダッと走った。ふたりの鬼がふり返る間もなく斬り捨てた。

 剣をサヤにしまうとキリヤのテントに引き返した。なにくわぬ顔でテントに入る。

「キリヤ。話がある。いまいいか?」

「ああ。いいぞ。お茶でもいれよう」

 キリヤがいそいそと机を離れた。

 サウザーはキリヤの背中から心臓の位置を慎重にはかった。剣をしずかに抜き出した。お茶をいれはじめたキリヤの背中から剣で心臓をつらぬく。

「ぐっ! なっ! なにをする!」

 キリヤが刀を抜きはなった。背後から突いたせいで心臓をわずかにそれたらしい。

 サウザーとキリヤが向き合う。キン! 剣と刀が火花を散らした。

 斬りむすぶ。斬る。受ける。斬る。受ける。斬る。受ける。斬る。受ける。

 攻防が入り乱れた。どちらが攻めているのかわからない。斬りながら受ける。受けながら斬る。手数が多い。一瞬でもずれれば致命傷を負う。

 さすがは四天王だとサウザーは感心した。そのあいだにも攻防がつづく。

 サウザーは押されはじめた。力はキリヤが強い。技術もキリヤが上だった。

「どうしてあたしを殺そうとする?」

 余裕を感じたキリヤが斬りながら問いかけた。

 サウザーはじりじりと後退しつつ答える。

「ケイティを殺そうとしたからだ」

 力負けしたサウザーの頬をキリヤのきっ先が切り裂いた。血がタラリとしたたり落ちる。

「あんな小娘どうでもいいだろ。さっさと殺して内乱にしたほうがあとくされがないぞ」

 キリヤは変幻自在の軌道をあやつる。上段から来るかと思えば下段から斬りあげる。サウザーは翻弄された。

「ケイティを殺せばローゼンシュタイン皇国は戦国時代に突入する。それは魔王ものぞまないはずだ」

「魔王さまはあまいからな。魔王軍としてはローゼンシュタイン皇国が乱れてくれたほうがいい。余力があるままだと反魔王運動とかで盛りあがりそうじゃないか。人間同士で殺し合って疲弊すれば魔王さまにさからう者はすくなくなるだろうさ」

 キリヤがなぶるように刀身をひらひらと返しながら斬る。サウザーは幻惑された。浅い切り傷が全身にできた。

「それでケイティを殺すのか?」

 サウザーの問いにキリヤはふとおのれをかえりみた。本当に皇国を内乱にするために殺すのか? サウザーの正体がバレないようにするためか? いや。ちがう。サウザーをケイティに渡したくないからケイティを殺すのだ。

 キリヤはやっと自身がサウザーに惚れていることを自覚した。それと同時に嫉妬の炎が燃えあがった。サウザーはどうしてもケイティを守ろうとしている。このままではサウザーをケイティに奪われる。自分以外の女にサウザーを渡すぐらいならいっそサウザーを殺してしまおう。

 悪女の深情けだった。ケイティを殺すよりもサウザーを殺して永遠に自分のものにとどめたい。ここでサウザーを殺せばサウザーはほかの女のものにならない。それが最良だとキリヤは暗い情念の中で納得した。サウザーを殺す以外にあたしの幸せはないと。

「ふふふ。そればかりじゃないがね」

 お話は終わりだとばかりにキリヤが裂帛の気合いをこめた一撃をはなつ。サウザーは受けそこなった。左腕を深く斬られた。

「ぐっ!」

 とどめとばかりにキリヤが大きくふりかぶった。刀が真上からこれまでで最も速くふりおろされる。

 ガキンッ! サウザーは頭上にかかげた剣でかろうじてふせいだ。ひざをつくほどの衝撃がふって来た。

 格がちがうとサウザーは奥歯をかんだ。四天王はだてではないと。

 このままでは殺される。何か手はないかと知恵をしぼった。だが起死回生の手段が浮かばない。力対力では押し負ける。技でもキリヤが上だ。これまでか。

 あきらめかけたそのときだ。キリヤがよろめいた。

 サウザーはその刹那の時をのがさなかった。ここしかないと渾身の剣をキリヤの胴にはなった。

「うぐっ!」

 キリヤの腹に裂け目ができた。血が一気に噴き出した。

 それでもキリヤが刀をくり出す。サウザーは受けながらすきをうかがった。さっきまでのするどさがキリヤのきっ先から消えていた。

 流れ落ちる血がキリヤから体力をうばって行く。剣を合わすたびにキリヤの腕力が弱るが感じられた。

 キリヤが最後の力をふりしぼって刀を上段にふりあげた。サウザーはここだと感じて剣を腰だめに突進した。

 キリヤが刀をふりおろす。サウザーは刀をかいくぐった。キリヤの心臓めがけて剣を一直線に突き出した。

 今度こそキリヤの心臓を剣がつらぬいた。

「くっ! くそっ! これまで……か……」

 サウザーはキリヤの背中にまで抜けた剣を引き抜いた。キリヤが前のめりにドタンと倒れた。背中に大きなふたつの血の染みができていた。最初に背中から突いた傷といま正面から突いた傷だった。

 サウザーは悟った。キリヤがよろめいたわけを。

 最初の一撃で胸に穴があいていたわけだ。それを治療もせず暴れればいかに四天王とて具合が悪くなって当然だった。この最初の傷がなければ倒れているのは俺だったな。そうサウザーはキリヤの死体を見おろした。

 そこに鬼がひとり入って来た。斬撃の音がテントの外まで聞こえたらしい。

「何の音ですか? あっ! キッ! キリヤさまっ!」

 サウザーはその鬼も斬り伏せた。だが鬼は大声を出したあとだ。キリヤを殺したことはすぐに広まる。

 サウザーはテントから駆け出た。ケイティのいる帷幕に向かう。帷幕に踏みこんだ。

「サウザー! 怖い顔してどうしたの?」

 サウザーは全身血まみれだ。自分の血とキリヤの返り血で。

「だまって俺と来い!」

 サウザーは無理やりケイティの手を引いた。サウザーの左腕からは血がしたたっている。

「痛い! 痛い痛い! 何するのよ!」

「うるさい! いいから来い! いまキリヤを殺した!」

 ケイティがハッと息を飲んだ。

「キリヤを殺した? どういうこと?」

「いま説明してる時間はない! とにかく逃げるんだ!」

 サウザーはケイティをテントの外に引き出した。

 サウザーからケイティについていろと命令されていたゴブリンの女兵士ヤンバはそのやり取りを目を丸くして見ていた。何が起きたのかよくわからない。キリヤを殺した? たしかにそう言った。

 ヤンバがぼうぜんとしている間にサウザーは馬の綱をほどいた。ケイティを押しあげて自分もまたがる。

 鬼たちの怒号が聞こえた。

「キリヤさまが殺されてるぞぉ! みんな集まれぇ!」

「こっちでもふたり斬られてるぞぉ! 誰がやったぁ!」

 先に殺した鬼ふたりも発見されたらしい。

 馬にまたがるサウザーとケイティに鬼たちが走って来た。サウザーは馬の腹を蹴った。馬が走り出す。鬼たちの手はひと足遅れでサウザーに届かなかった。

「サウザーが皇女と逃げたぞぉ! キリヤさまを殺したのはサウザーだぁ! みんな追えぇ! サウザーを殺せぇ!」

 鬼たちがわれ先に馬をつないでいる縄に手をつけた。

 サウザーは北のリセンブル領に向けて馬を走らせた。

 サウザーに遅れて鬼たちが五頭の馬でサウザーたちを追って出た。

 ヤンバは呆然とした思いから立ち直った。

「サウザーを殺せですって? サウザーさまを殺させてなるものか!」

 ヤンバは帷幕を出ると馬に向かって走った。

 騒ぎを聞きつけたオーク軍を統括するチンドッサが四名の部下を連れて馬を求めた。

「サウザーのやつめ! 俺がこの手で殺してやるわ! ぐひひひひ!」

 サウザーのあとを鬼たちが追う。そのあとをヤンバが追う。さらにチンドッサたちが追った。

 そのさらにあとから鬼の集団が馬で野営地を出た。だがサウザーたちがどちらに向かったのかわからなくて四方に分散して馬を走らせた。


 馬にゆられてすこし落ち着いたケイティが前方から目を離さず口を開いた。

「どうしてキリヤを殺したの?」

 ケイティの背後に乗って馬を駆るサウザーが答えた。左腕の傷を布でしばりながら。

「きみを殺そうとしたからだ」

「キリヤがわたしを? どうして?」

 ケイティの声に意外さが混じった。キリヤとはうまく行っていると思っていた。殺されるおぼえはない。

 サウザーは馬をあやつりながら考えた。キリヤがケイティを殺そうとした真相を。内乱を起こすためにいますぐ殺すというのは変だった。いま殺さなければならない理由があるはずだった。

「おそらく俺を裏切り者とののしるのがまずいんだ」

「えっ? だって本当のことじゃない? あなた裏切り者よね?」

「俺が人間だと知ってるのはキリヤだけだった。人間だとバレたら誰も俺の指示にしたがわない。キリヤはそれを恐れたんだろう」

「人間のわたしがあなたを裏切り者と呼ぶことによってあなたが人間だと露見すると?」

「たぶんそうだ。これからグラディウス軍との戦いが待ってる。いま俺が人間だとわかると魔王軍の絶滅もありうる。魔王軍には軍師も参謀もいない。無策で突っこむだけの戦法しかないからな」

 キリヤが自分に恋をしてケイティに嫉妬したとは夢にも思わないサウザーだった。

 ケイティはサウザーが恥知らずにも魔王軍に協力しているのが許せない。ケイティにとってサウザーは幼いころから白馬にまたがった正義の騎士だった。

 ケイティは失望した。好きだった想いが反転して憎しみに変わった。許せなかった。サウザーといっしょに馬に乗ることさえいやだった。追っ手さえなければサウザーを突き落としたいとすらねがった。

 サウザーとケイティはふたりで一頭の馬に乗っている。ふたり乗りだ。ケイティは軽い。それでもふたり乗りにはちがいない。ひとりで乗るより速度は落ちる。

 一方で鬼は人間より重い。だがふたり乗りよりは軽い。ふたり乗りのサウザーに鬼たちが追いつくのは時間の問題だった。

 鬼たちが視界にサウザーとケイティをとらえた。

「見つけたぞサウザー! キリヤさまのかたき取らせてもらう!」

 五人の鬼が五頭の馬でサウザーに斬りかかる。

 サウザーは馬を走らせながらケイティも守らなければならない。五本の剣をふせぐので手一杯だった。鬼を斬り倒すどころではない。

 斬る。斬る。斬る。斬る。斬る。

 ふせぐ。ふせぐ。ふせぐ。ふせぐ。ふせぐ。

 その間にも馬は走る。

 キンキンと斬撃の音が荒野にこだまする。

 斬る。かわす。斬る。剣を合わせる。斬る。受け流す。斬る。受け止める。斬る。むかえ撃つ。

 限界だった。サウザーは腕があがらなくなった。ここまでかと観念した。

 そこに声が聞こえた。

「サウザーさまぁ!」

 ゴブリンのヤンバの声だった。ゴブリンは鬼より軽い。ひとり乗りのヤンバはこの中で最も速度が出せる。

 またたく間に鬼たちに追いついた。ヤンバが背後から鬼たちに斬りつけた。鬼のひとりが斬られて馬から落ちた。

 四人の鬼たちが目を見張った。

「何をする! 俺たちは味方だぞ!」

「サウザーさまを襲う者は敵だ! あたしが殺してやる!」

 ヤンバが次の鬼に斬りかかった。またひとり落馬して後方へ置き去りになって行く。

 三人にへって鬼たちはやっと事態を飲みこんだ。ゴブリンの女兵士が敵だと。

 鬼たちがかまえた剣をヤンバに向けた。

 サウザーはそのすきをのがさなかった。鬼のひとりの首を剣で突き刺す。血が噴き出して鬼が馬から転げ落ちた。

 残る鬼はふたり。

 だがサウザーの握力はそこまでだった。ポロリと剣が手からすべり落ちた。つかもうとした。しかし無情にも剣は流れ去った。握力の弱った指だけが剣をつかむ形で虚空をまさぐった。

 それを見てふたりの鬼は標的をヤンバにしぼった。サウザーに剣はない。剣を持つのはヤンバひとりだ。ヤンバさえ殺せばサウザーはなぶり殺しにできる。

 ふたりの鬼が交互にヤンバに斬りつける。ヤンバが剣を合わせながら叫んだ。

「サウザーさま! 逃げてください!」

 サウザーは必死で馬を駆っている。だが鬼とヤンバの馬のほうが速い。ふたり乗りだと思うように速度が乗らなかった。逃げろと言われてもすでに最高速だった。

 サウザーから一馬身離れてヤンバが走る。そのヤンバに左右から鬼たちが斬りかかる。

 右の鬼の剣を受け止めた。そのとたん左から剣先が飛んで来た。

 ヤンバが胸をつらぬかれた。

「ヤンバァ!」

 サウザーとケイティが同時に叫んだ。ヤンバが馬から転げ落ちて後方へ消えた。

 鬼ふたりが速度をあげた。左右からサウザーをはさみ討ちにしようと並走する。

 そこに声が飛んで来た。 

「殺せぇ! ぶち殺すんだぁ!」

 オーク軍を統括するチンドッサだった。四名の部下を引き連れて迫って来る。

 敵が七人に増えた。サウザーは剣もない。もはやこれまでかと天をあおいだ。

 サウザーとならんで走っていたふたりの鬼が馬の速度を落とした。剣をふりかぶった。チンドッサに斬りかかる。

「なっ! 何をするんだっ! 俺は味方だぞぉ!」

「信じられるか! ゆだんした俺たちを斬るつもりだろう!」

 チンドッサが必死で剣を合わせた。

 鬼ふたりは判断した。追いかけて来たゴブリンのヤンバは敵だった。オークたちも敵にちがいないとだ。昨日まで仲のよかったサウザーがキリヤさまを殺した。鬼たちは自分たち鬼以外は信じられなくなっていた。

 チンドッサの部下四人が鬼たちに剣をふりおろす。鬼たちも剣を交える。

 その間に先行するサウザーとの距離が開いた。

 鬼たちと交戦しながらなおチンドッサが説得する。

「俺たちは味方だ! サウザーを殺しに来たんだ! 剣をおさめろ!」

「だめだ! お前たちが先に剣をおろせ! でないと信じられない!」

 馬を走らせながら剣をふる。双方引く気はなかった。

 斬る。合わせる。斬る。合わせる。斬る。合わせる。斬る。合わせる。斬る。合わせる。

 鬼たちもオークたちも疲れて剣が持ちあがらなくなった。

 チンドッサがまたまた説得をこころみる。

「俺たちが殺し合いをしてる場合じゃないだろ? サウザーが見えなくなっちまったぞ。早く追わないと逃げ切られちまうぜ」

 ふたりの鬼がオークから前方に視線を移した。たしかにサウザーの姿がない。

「本当にお前たちは味方なのか? サウザーを殺しに来たのはたしかなのか?」

「ずっとそう言ってるだろ。疑り深いやつらだな」

「わかった。信じよう。だがサウザーを殺すのは俺たちだ。お前たちじゃない」

「ああ。それでいい。俺たちはお前らがしくじるのを待つとしよう」

 話がまとまりふたたびサウザーを追った。

 リセンブル領の南端ニルヴィスは門と壁に囲まれた町だった。サウザーとケイティを乗せた馬はニルヴィスの門が見える位置まで来た。馬も限界が近い。

 サウザーは仮面をふところに入れてフードをはずした。

 そこにうしろから声が来た。

「待てーっ! サウザーッ! 殺してやるっ!」

 チンドッサだった。部下たちを引き連れて鬼ふたりといっしょに走って来る。

 鬼ふたりが馬の速度をあげた。剣をふりかざす。

 門までまだ距離がある。門の両わきにいた門番が槍をかまえた。

 鬼ふたりの剣がサウザーのすぐうしろに迫った。サウザーに剣はない。追いつかれたら終わりだ。

 サウザーは最後の蹴りを馬の腹に入れた。馬が必死のふんばりを見せる。

 だが鬼たちの馬のほうが速かった。鬼ふたりがサウザーに並走する。剣をふりあげた。

 力をこめてふりおろす。しかし鬼たちが狙ったのはサウザーでもケイティでもなかった。馬だ。馬さえ殺せばサウザーは逃げられない。そう気づいたわけだ。

 右の鬼が馬の鼻面に斬りつけた。馬が痛みで全身をくねらせて前のめりに転がった。サウザーとケイティは投げだされた。

 地面に打ちつけられたサウザーの視界に影が落ちた。見れば馬上の鬼が真上から剣をふりかぶっていた。鬼たちふたりはほくそ笑んでいる。

「ふふふ。サウザー。これまでだな。キリヤさまのかたき。死んでもらうぞ!」

 遠巻きに見ているチンドッサもつばを吐いた。 

「ざまあねえなサウザー! 俺さまが殺せないのがつくづくも残念だよ! お前が死んだら皇女は俺がもらってなぐさみものにしてやる! あの世で歯ぎしりするんだな!」

 ちくしょうとサウザーは奥歯をかみしめた。ケイティがチンドッサに犯されるさまを想像するだけで全身から血が噴き出しそうだった。

 ケイティは身をちぢめてふるえるのみだ。逃げることすらできないらしい。

 鬼たちの剣がピクッと動いた。

 殺られる! サウザーは覚悟して目を閉じた。

「ギャアッ!」

 悲鳴が聞こえた。サウザーではなかった。ケイティでもない。

 サウザーは目をあけた。鬼の目に矢が突き立っていた。鬼が馬から転げ落ちた。

 その矢をかわきりに壁の上から矢の雨が鬼とオークに降りそそいだ。

「早く門に入れ! 鬼とオークは俺たちが引き受けた!」

 壁の上から声が落ちて来た。見あげると弓をかまえた兵士の一団がいた。

 盾を持たない鬼とオークはたちまちハリネズミのように矢の餌食になって落馬した。臆病者のチンドッサだけがかろうじて矢雨をかいくぐった。

 門番ふたりがサウザーとケイティを手招きした。サウザーとケイティは走った。ふたりが門をくぐると跳ね橋式の門が引きあげられた。

 いちはやく逃げたチンドッサが弓の射程外からニルヴィスの門をうかがった。魔物がニルヴィスに入る手だてはなさそうだった。軍をひきいてもどってもすでにサウザーは次の町にのがれたあとだろう。

「くそぉ! サウザーめ! まんまと逃げおおせやがった!」

 チンドッサは捨てぜりふを吐き捨てるとニルヴィスの町に背中を向けた。


 チンドッサはルーイン山脈のふもとの魔王軍陣営にもどった。オーク軍とゴブリン軍が総出で落とし穴を掘っていた。それを見てチンドッサは考えた。

「ふむ。グラディウス軍はすでにルーイン山脈の向こうまで来てるんだろ? ここで落とし穴を掘って半月待つのか? そんなことより手っ取り早くルーイン山脈を越えてグラディウス軍を討てばいいんじゃねえ? オーサさまも勝利のご報告を待ちわびてらっしゃるはずだ。キリヤもサウザーもいなくなった。ゴブリン軍の総司令ツイングムは俺の言うことにさからえねえ。俺が魔王軍の頂点だ。とっととグラディウス軍を全滅させてやろう」

 チンドッサは落とし穴を掘るのをやめさせた。キリヤのとむらいの準備をしている鬼たちには悔やみを述べた。サウザーのあとを追いかけた鬼たちももどって来た。

 キリヤの葬儀を終えるとチンドッサはルーイン山脈越えに着手した。


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