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 第四章 ミカエラ砦の攻防

 ミカエラ砦ではにらみ合いが続いていた。魔王軍が挑発をくり返してもローゼンシュタイン軍は出て来ない。

 サウザーとしては訓練を積む時間ができて幸いだった。オークと鬼は相変わらず指示どおりには動かない。ゴブリンは完成度が増した。サウザーはアンデッドを指揮するためカーチスに積極的に語りかけた。ポツリポツリとカーチスが口を開きはじめた。カーチス自身がアンデッドのようでどうにか会話が成立するところまで来た。人見知りするが悪い男ではないとサウザーは判断した。

「ところでカーチス殿は死霊術が使えるのだろう? 今回の戦いでずいぶん死んだ。そいつらをすべてアンデッドにできないものか?」

「できる。だがそれをするといまいるアンデッドはすべて死体にもどるぞ。やつらは独立して動いてるのではない。私の魔力で操るいわばひも付きだからな。いまアンデッドにそそいでる魔力を断ち切って新たにアンデッドを作ることになる。そうなれば一から戦闘訓練をほどこさねばならぬ。いまいるアンデッドは半年ほど戦闘訓練をした。作ってすぐのアンデッドは剣が使えん。素手で戦うのはできるが戦闘力は低いだろう」

「なるほど」

 サウザーはがっかりした。アンデッドならいくらでも補充が効くと思った。だがそううまくはいかないらしい。

 そんな中でお目付役の吸血鬼ヨーゼフがサウザーの帷幕にもどって来た。

「車輪のついたヤグラと火のついた玉を打ち出す投石機が完成したそうです。ヤグラと投石機はゴブリンの輜重部隊が届けてくれます。到着まで半月ほどかかるということでした」

 魔王城の下働きはすべてゴブリンがこなしていた。兵站から厨房までだ。おかげでゴブリンの長のスーサイドは戦争どころではなかった。ちなみにオークの長のオーサは一日中酒を飲んでいる。オーサも戦争には無関心だった。

 半月後にそなえてヤグラ部隊と投石機部隊を作ると作戦会議で決まった。部隊長たちが退出した。最後に残った鬼の少女のジョシュがサウザーに寄った。ジョシュの手がサウザーの仮面にのびた。サウザーはハッとあとずさった。

「何をする?」

 ジョシュが舌をペロッとのぞかせた。

「いや。ちょっとね。仮面の下がどんな顔かなって」

 サウザーは考えた。ジョシュになら素顔を見せてもいいかもしれない。悪意は感じない。いや。秘密を知る者はすくないほうがいい。

「ひどいやけどの痕があるんだ。見ないほうがいい」

「でも気になるんだよなあ。ほんとにやけどかい? その仮面の下に人間の顔が隠されてるんじゃ?」

「えっ?」

 気づかれた? 

 サウザーは脂汗が吹き出るのを覚えた。ジョシュにバレたとて吹聴するとは思えない。だが何が起きるかわかったものではなかった。ジョシュの態度が変わるかもしれない。

 仮面の下の顔を知りたがっているのはジョシュだけではないだろう。ジョシュの態度から俺が人間だと知れわたるのではないか? 鬼たちはキリヤのひと声で収まるかもしれない。だがオークとゴブリンとアンデッドはどうだろう?

 ジョシュに知られたら口を封じるか? 腰の剣に手をかけた。

 にらみ合いがつづいた。

 ジョシュがふうと息を吐き出した。

「ふふふ。冗談だよ。怖い気配がだだ漏れだぜ。もっと気楽にいこうや。じゃあたしも部下たちに会議の結果を知らせて来る」

 ジョシュが去った。

 サウザーの肩から力が抜けた。ジョシュを殺さなくてすんだと安堵した。同時にそこまで思いつめた自分が恐ろしかった。魔王軍の軍師としての地位が居心地いいことに気づいた。命を狙われるのも怖い。しかし魔王軍を追われることも恐怖だった。

 仮面をはずすときはいま以上の用心をしようとサウザーは警戒心を強めた。


 ユリシス・ユーレシアは苦い表情でミカエラ砦のバリケードを築いていた。ユリシスは公爵の三男だ。家を継げない三男だからせめて皇国のためにと戦争に参加していた。親の七光と言われるのがいやで平兵士からはじめた。現在は五十人をひきいる部隊長だ。

「いまの皇帝はだめだ。獣人ぎらいだからといって獣人たちのメシを抜くなどひどすぎる。国のために戦ってたハルージャたちは主戦力だった。いわば英雄だ。それをむざむざ死なせるなんて前線司令官も何を考えてるんだか。モスリン砂漠で大敗をきっしたのはゼノム皇帝とピーター前線司令官のせいですよ。そう思いませんか隊長?」

 木材を組み合わせながら部下がぼやく。ユリシス隊とハルージャ隊は仲がよかった。ユリシスもユリシスの父も獣人ぎらいではない。

「まあそう言うな。前線司令官には前線司令官の考えがある。それに皇帝をけなすな。密告されたら不敬罪で逮捕されるぞ」

「ああ。そうでしたね。口をつつしむとしましょう」

 ユリシスは部下をなだめながらさらに苦い顔になった。皇帝と前線司令官が腐っているのはたしかだ。おまけに参謀も悪かった。突撃しろとしか命令しない無能な参謀のナイトモアも大敗の原因だったはずだ。

 ただナイトモアは無能のツケを払わされた。獣人部隊が全滅して予想外の魔王軍の勢いに最後尾にいたナイトモアの天幕まで戦乱の渦に飲まれた。ナイトモアはゴブリンの手にかかって死んだと聞いている。皇帝と前線司令官に交代はない。せめて次の参謀が有能であればいいが。


 ローゼンシュタイン皇宮の一室の戸を兵士がたたいた。

「姫さま。皇帝陛下がお呼びです。執務室までおこしください」

「お父さまが? 何の用でしょう?」

 皇帝ゼノムの娘のケイティが侍女のホーに顔を向けた。

「新しいドレスを作ってくださるんじゃないですかね? 来週は姫さまの誕生日ですから」

 ホーがケイティを部屋着から略式の礼服に着せ替えさせる。ケイティは十八歳でホーは十六歳だ。ホーが先に立ってケイティの手を引く。

 執務室にはゼノムと宰相のメインロビンがいた。

「お父さま。ご用って?」

「ケイティよ。フランプ・ブレッシュウッド公爵に嫁ぐがよい」

「えっ? フランプ・ブレッシュウッド公爵?」

「さよう。ブレッシュウッド公爵じゃ」

 ケイティの顔から血の気がうせる。ブレッシュウッド公爵はでっぷりと太った五十男だ。獣人ぎらいの貴族たちの筆頭でもある。ケイティと会うたびにいやらしい目でケイティの胸とお尻を見る男だった。

 つい先ごろブレッシュウッド公爵は正妃を斬り殺した。噂では正妃が浮気をしたせいだという。ケイティをそのあとがまにしようということらしい。

 ゼノムは皇帝になりたてで基盤が脆弱だ。ブレッシュウッド公爵にケイティを嫁がせることで獣人ぎらいの貴族たちを一気に陣営に引きこもうという腹だろう。

 ケイティは卒倒しそうなめまいの中でサウザーを想った。前皇帝一家の中でサウザーだけ遺体がなかった。父はサウザーも死んだと告げたがどこかで生きているのではないかとはかない希望を抱いていた。

 皇族として生まれた以上は政略結婚するしかないとあきらめていた。それでもブレッシュウッド公爵だけはいやだった。あんなガマガエルのようなあばた面の肥満男に抱かれると思うと死んだほうがましだった。

 侍女のホーも顔をまっ青にしていた。

 ケイティとホーが退室するとゼノムはメインロビンもさがらせた。ゼノムは喜色満面でこぶしを握り固めた。

「よし。これでやっと獣人どもを一掃できるわい。獣人用の収容所を作ってほうりこんでやる。なに。ひと月もメシを抜けば全員餓死するじゃろう。わが国から獣人どもがいなくなる日も近いというものよ。しかしブレッシュウッドのやつめ。あやつも獣人ぎらいのくせしおって収容所構想に難癖をつけおった。いまいましい。ケイティを差し出さねば収容所に賛成せぬだと? 足元を見おってからに。獣人を絶滅させたらあやつも始末するとするか。くはははは」


 そのころブレッシュウッド公爵は喜色満面で酒を舐めていた。

「ぐふふ。ついにケイティがわしのおもちゃになる。わしのことをさんざん汚物を見る目で見やがった小娘め。一糸まとわぬ姿でひざまづかせてわしに奉仕させてやる。泣きながらわしのものに舌を這わすがいい。そのあとすっ裸のまま股を開かせてやるぞ。辱めて辱めて殺してくれと哀願するまで責めて責めて責め殺してやるわ。ぐはははは」


 ミカエラ砦のローゼンシュタイン陣営では部隊の再編が行なわれた。モスリン砂漠で後衛まで攻め込まれたせいで頭の硬い老参謀が死に若い参謀の出番が来ていた。若き参謀トトにとって待望の舞台だ。隊長たちを前に次の作戦を披露する。

「ゴブリンは相手にするな。オークと鬼と戦闘しろ」

「どうしてだトト? ゴブリンが最弱だぞ? 弱い敵から倒して数をへらすべきだろう?」

 百人長が疑問を口にのぼらせる。

「モスリン砂漠ではその作戦を採用した。結果は大量の死者を出した。ゴブリンは最弱だが集団戦闘をするようになってる。いまの魔王軍で最も手こわいのはゴブリンだ」

「ではアンデッドはどうだ?」

「アンデッドは頭や腰骨を砕けば戦闘不能にできる。だが首を切っても止まらない。突いてもだめだ。魔法使いのファイアーボールなら燃やしつくせる。アンデッドは魔法使いにまかすべきだろう」

「しかし魔法使いの数はすくないぞ? アンデッドの数がはるかに多い。とうていアンデッドを全滅させられないのでは?」

「そのとおりだ。だが剣士がアンデッド一体を倒す手間よりオークや鬼がたやすい。オークや鬼だと首を切れば死ぬからな」

「胴を突いても死ぬか」

「ああ。方針としてはオークと鬼を狙えだな。ゴブリンとアンデッドは避けるべきだ」


 両陣営がミカエラ砦でにらみ合う中ヤグラと投石機が到着した。五台のヤグラを砦の壁に押し出して総攻撃がはじまった。

 ヤグラでゴブリン隊が壁を乗り越えて侵入する手はずだ。跳ね橋式の門を内側からあけさせなければ話にならない。

 ゴブリンのあやつる投石機から石が飛ぶ。ミカエラ砦の壁の上から矢と火矢が降りそそぐ。ヤグラを押すゴブリンたちはヤグラの影に隠れた。

 オークと鬼とアンデッドは門をあけるまで出番がない。矢の届くぎりぎりの外側からいまかいまかとジリジリしながら待機している。

 魔法使いたちがファイアーボールをヤグラにぶつけた。五台のヤグラが燃えあがる。その間にも石と矢がみだれ飛ぶ。

 五台のヤグラはいずれも壁に張りつく前に炎上しそうだった。

 サウザーはしまったとくちびるをかんだ。煙玉を投石機で壁にぶつけて視界をうばっておくべきだった。そうすればヤグラが壁に近づくのを気づかれなかっただろう。

 しかしいまさら気づいてももう遅い。ヤグラなしで壁を越える手はないか? 

 必死で知恵をしぼり出す。

 ああと吸血鬼のヨーゼフを思い出した。吸血鬼だから昼間は動けないが夜なら活動できる。

 ヨーゼフのテントに入って睡眠中のヨーゼフをたたき起こす。

「ヨーゼフ。きみ夜明け前に壁を飛び越えて門をあけられないか?」

 ヨーゼフが眠そうに目をこすった。

「無理ですね。私は魔王さまの魔力で動く分身です。この身はすでにほろびてます。いわば幻影に近い。力がほとんどありません。偵察や伝令はできますが荒事はできません。砦に潜入できても門をあける力がないのです」

 なるほどとサウザーは肩を落とした。吸血鬼は力自慢だと思っていたがいろいろあるらしい。

 何か手はないかと考えながらテントを出た。石と矢が飛び交っている。ヤグラは炎に包まれていまにも燃え落ちそうだった。押していたゴブリンたちも避難してヤグラは前進を止めていた。

 ふと思いついた。かたわらに立つカーチスに声をかけた。

「カーチス殿。石の代わりに投石機でスケルトンを飛ばすことはできませんかね?」

「スケルトンを飛ばす? 骸骨を飛ばしてどうするのかね?」

「アンデッドはすでに死体です。死ぬことはない。投石機の狙いは正確とは言えない。壁を越えて飛ぶ石もあれば壁に激突する石もある。生身のオークや鬼を投石機で飛ばすと壁の上に着地できればいいが壁を越えたり激突すれば死ぬ。死ななくても戦闘不能でしょう」

「ああ。わかった。骸骨なら壁の向こうに落ちても粉々にならないかぎり任務をまっとうできるってわけだな?」

「それに軽いからおそらく壁を飛び越えられる。オークや鬼は重いせいで壁にたたきつけられるでしょう」

「ふむふむ。やってみようか。壁に衝突しても骸骨なら平気だ。こちらに損はない」

「跳ね橋は左右にある巻きあげ機で開閉する仕組みです。スケルトンがその巻きあげ機のハンドルを回せますか? 複雑な操作は可能でしょうか?」

「訓練をしないとできないな。だが私が骸骨に乗り移ることはできる。五体までなら操れるから私が門をあけよう」

 スケルトンたちにひざをかかえさせて投石機に乗せた。カーチスが五体のスケルトンに乗り移る。意識をなくしたカーチスを帷幕に運びこんだ。

 矢の雨が降りそそぐ中ゴブリンたちが投石機でスケルトンを打ち出した。五体のスケルトンが壁を越えてミカエラ砦内に落ちた。

 うまく行ったとサウザーはこぶしを固めた。援護のために追加のスケルトンを投石機で送りこむ。あとから送るスケルトンはただの剣士だが混乱は誘えるだろう。

 ミカエラ砦のローゼンシュタイン兵たちに動揺が走った。まさかスケルトンが降ってくるとは誰も予想してなかった。

 いちはやく立ち直った参謀のトトが指示を飛ばす。

「魔法使い隊! ファイアーボールだ! あいつらを燃やし尽くせ!」

 魔法使い隊がかまえる間にも次から次へスケルトンが降ってくる。カーチスの乗り移ったスケルトンとそうでないスケルトンの見分けなどつかない。

 魔法使いたちがファイアーボールを連発した。カーチスの乗り移ったスケルトンにも命中した。五体すべてが燃えあがった。

 だが骸骨だ。熱さなど感じない。跳ね橋をおろすべく巻きあげ機のハンドルに取りついた。燃えながらハンドルを回しはじめた。

 追加で送りこんだスケルトンたちが剣を抜いてローゼンシュタイン兵たちと切り結ぶ。そのスケルトンたちに魔法使いがファイアーボールをぶつける。燃えてもスケルトンたちは動きを止めない。燃え尽きるまでは動きつづける。

 跳ね橋がギギギとすこしずつおりて来る。

 よしとサウザーはゴブリンたちに突撃の命令をくだした。

 ところがだ。オークも鬼もゴブリンを下に見ている。そのためゴブリンが先頭を切って手柄を独占するのを苦く思っていた。

 オーク軍を統括するチンドッサが鬼族の切り込み隊長であるジョシュに声をかけた。

「おいジョシュよ。このままで行くとまたゴブリンどもに手柄を独占されるぞ。それでいいのかよ?」

「よくない。だがサウザーの命令だぞ?」

「命令? そんなものはくそくらえだ。俺たちが先行して手柄を立てようじゃねえか。なあに手柄を立てちまえばこっちのものさ。あとからとがめ立てもできまい」

「なるほど。じゃそうするか」

 チンドッサとジョシュが先頭を切ってオークと鬼がゴブリンの背中を追いかけた。ゴブリンを押しのけてオークと鬼がおりて来る門になだれこんだ。

 一方で門があくのに気づいた参謀のトトは号令を飛ばす。

「兵たちよ! いったん引け!」

 あらかじめ用意しておいたバリケードの陣地に兵たちをもどした。

「弓隊一斉射撃!」

 降りつつある門のすき間から入りこんだオークと鬼に矢が集中する。盾は持っているがふせぎ切れなかった。

 チンドッサとジョシュはいちはやく状況を見てわきによけた。あとに続いたオークと鬼たちは足を止めて立ち往生するだけだ。そこへあとからあとからオークと鬼が侵入して来た。

 チンドッサとジョシュは指示を出すどころではなかった。先頭のオークと鬼を踏みつぶしてオークと鬼の集団がローゼンシュタイン陣地に殺到した。

 弓の通用する間合いではなくなった。木でできたバリケードを破壊してオークと鬼がなだれこむ。チンドッサとジョシュも参加する。

 乱戦になった。トトにとってはねがってもない展開だった。厄介なゴブリンとアンデッドは出遅れている。オークと鬼は集団戦闘をしない。われがちにかかってくるだけだ。個別に撃破すれば何とかなる。

 それでもオークと鬼の底力は人間より上だった。互角かローゼンシュタイン軍がやや押されるかというせめぎ合いになった。

 ゴブリンの女兵士ヤンバはゴブリンたちの先頭にいた。眼前はオークと鬼と人間の大混戦だ。魔法使いたちのファイアーボールが頬をかすめてスケルトンに命中した。

 ヤンバは剣を抜いた。仲間たちに声をかける。

「斬りこむぞ! 遅れずついて来い!」

「おうっ!」

 オークを五人がかりで斬っていた人間たちの背後から斬りつける。アンデッドたちも参戦して混戦に輪をかけた。

 トトが声をからして叫ぶ。

「ゴブリンの相手はするな! オークと鬼にしぼれ!」

 だが現場で斬り合いをしている者たちに選ぶ余裕はなかった。近くにいる敵に斬りかかるしかない。ゴブリンだろうがアンデッドだろうが選択の自由はなかった。

 はじめは互角の戦いだった。だがゴブリンとアンデッドが参加して均衡がくずれた。一度バランスがくずれるとオークと鬼も底力を発揮した。一気に魔王軍が押した。

「いったん引くぞ! 退却だ!」

 トトの指示でドラが鳴らされた。全兵士が波が引くように背中を見せる。

 バリケードの陣地を放棄して街道を皇都に向けて走る。魔王軍が追う。

 小高い丘が目の前に見えた。ローゼンシュタイン軍が妙な動きを見せた。何もない道のまん中を避けて道の端に分断して走った。

 最後尾から追っていたサウザーはまずいと直感した。

「道のまん中に踏みこむな!」

 声をかぎりに叫んだ。だが先頭にまでは届かない。

「うわあっ! なんだこりゃ!」

 オークと鬼の団体が踏んだ地面がドササッと音を立てて落下した。足の下に何もなくなったオークと鬼たちが穴の中に落ちて行く。穴の底には槍が埋められていた。先頭のオークと鬼たちが串刺しになった。その上にも後続のオークと鬼たちが落ちつづける。

 落とし穴だった。準備の時間は充分あった。参謀のトトの指示でローゼンシュタイン軍が街道に穴を掘っていた。

 いったん落とし穴を通り過ぎたローゼンシュタイン軍が弓をかまえて引き返した。

「一斉正射っ!」

 落とし穴に落ちたオークと鬼に矢をあびせる。先に落ちたオークと鬼のおかげで串刺しにならなかった者たちの頭上に矢の雨が降った。盾でふせごうにもギュウギュウづめで腕があがらなかった。血が生きているオークと鬼たちの足をすべらせて穴から脱出できない。

 落とし穴の中は悲惨な光景で満たされた。血の池地獄とはこんな情景かもしれないと思わせた。

 女兵士のヤンバが飛んで来る矢を盾で受けながら指示を背後に送った。

「落とし穴を迂回してやつらを追うぞ!」

「おうっ!」

 ゴブリンたちが落とし穴を避けてローゼンシュタイン軍を目指した。ローゼンシュタイン軍が逃げはじめた。

 サウザーは迷った。いったん行軍を止めるべきか追わせるべきか。迷っているあいだにローゼンシュタイン軍がまた不思議な動きを見せた。街道のまん中を避けて丘を駆けあがった。

 ヤンバは足をゆるめた。ローゼンシュタイン軍が端を走ったあたりまでおそるおそる足を進める。

 遠目に見ただけだからどの地点に落とし穴があるのかわからない。道の端に寄っておっかなびっくりで足を踏み出す。仲間たちも用心しながらついて来る。

 ゴブリン軍の速度が落ちた。

 サウザーは全軍停止のドラを鳴らさせた。

 落とし穴から生存者を引きあげさせる。その間にサウザーは先頭を行くヤンバたちの元に歩み寄った。

「サウザーさま。落とし穴に気をつけてくださいよ」

 心配したヤンバが声をかける。

 サウザーは地面に目をこらした。だが落とし穴があるようには見えない。剣を抜いた。土に剣を刺した。うまく刺さらない。

 用心しながら道のまん中まで剣を刺して行く。どこにも落とし穴がない。

 してやられたと悟った。一度引っかかれば次からは慎重になる。落とし穴がない地点でもまん中を避けて走ればこちらはまん中を走れない。どこに落とし穴が掘ってあるかわからないせいで足取りは遅くなる。その間に連中はゆうゆうと逃げ切れる。

 ここからの行程は落とし穴を警戒しての減速行軍になるだろう。

 サウザーは丘の上でテントを張ることに決めた。いったん軍を止めて負傷者の手当をしようとだ。

 カーチスのスケルトンたちが落とし穴の底に落ちた者たちを拾いあげてくれた。スケルトンは槍が刺さろうが気にしないせいだ。

「ジョシュ!」

 息のある鬼たちの中にジョシュがいた。キリヤがジョシュにすがりつく。ジョシュは腹を槍で貫かれていた。重傷だ。

 帷幕のテントに運びこむ。鬼の医者がジョシュの手当をした。

 医者がキリヤをテントに外に連れ出した。

「だめですな。長くはもちません。遺言があれば聞いてやるべきかと」

 キリヤが無言でくちびるをかんだ。ジョシュは子どものころから目をかけていた妹のような存在だ。可愛くてたまらない。キリヤから涙があふれた。

 テントの中はジョシュとサウザーだけになっていた。寝かされたジョシュの指が誰かいないかと周囲をさぐった。

 サウザーはジョシュの手を両手でにぎりこんだ。ジョシュが弱々しく目をあけた。

「サウザーか……。たのみが……ある……んだ……」

「なんだ?」

「仮面の下を……見せて……くれ……ないか……」

 サウザーは迷った。だが見せることでジョシュが持ち直すならと判断した。

 鼻から上をおおっている仮面とフードをはずす。

 ジョシュがニコッと笑みを見せた。

「やっぱり……。そう……だろうと……思った……。思い……残す……ことが……なく……なったよ……」

 ジョシュの手から力が抜けた。パタンと手が落ちる。

 キリヤがもどって来た。ジョシュの開いたままの瞳を見て一切を悟った。

「ジョシューッ!」

 キリヤの悲痛な叫びがテントをふるわせた。サウザーはジョシュのまぶたを閉じた。テントを出ようとした。背中にキリヤが抱きついて来た。

「このままでいさせろ」

 背中がキリヤの涙で濡れはじめた。背中につけたキリヤの頬が嗚咽で小刻みにふるえた。

 夜のとばりがテントの中までしのびこんで来た。

 負傷者を寝かせたテント以外では酒宴がにぎやかに持たれていた。ローゼンシュタイン軍の死者は百。魔王軍の死者は五十だった。籠城戦としては快勝と言っていい。

 嗚咽がおさまるとキリヤが涙をぬぐった。サウザーの手を取る。

「飲もう」

 サウザーの返事を待たずキリヤが手を引いた。一番さわがしいテントに足を運ぶ。

「おい。魔王さまからたまわった酒があったろう? あれを持って来い」

 キリヤが給仕のゴブリンに声をかけた。すぐにゴブリンふたりが酒樽をかかえてもどってきた。

 酒樽の栓を取ってコップにそそぐ。赤ワインだった。

「乾杯!」

 キリヤがサウザーのコップにコップをカチンと合わせた。テントの中がしずまりかえる。すべての鬼たちの目がキリヤとサウザーに向けられていた。

 サウザーは酒を飲んだことがない。特に酔っぱらって仮面がはずれるとまずいから自重していた。しかしこの空気の中では飲まざるを得ない。

 サウザーの仮面は鼻から上をおおっている。仮面を取らずに飲食できる。

 サウザーはグイッと一気にあおった。苦いと思った。

 キリヤがそれを見て自分も口にふくむ。だがすぐにペッと吐き出した。

「毒だ! 毒が入ってる! サウザー! 早く吐け!」

 サウザーはすでに飲み込んだあとだ。キリヤが仮面のサウザーの口に手を突っ込んだ。無理やり胃の中身を吐き出させる。

 サウザーは仮面のままゲーゲーと吐きながら呼吸が苦しくなりはじめた。のどをかきむしる。このまま死ぬと思った。

「医者だ! 医者を呼べ!」

 テントが騒然となった。宴会どころではなくなった。

 サウザーを帷幕に運び入れる。

「解毒剤を飲ませました。処置が早かったからこのまま回復すると思われます」

 医者が不思議な顔でキリヤに告げた。どうして最前線で毒なんかという表情だった。

 キリヤが酒樽を運んだ給仕のゴブリンふたりを呼んだ。ゴブリンたちは青い顔でキリヤの前に立った。

「私たちは毒なんか入れてません! 人間軍のまわし者なんかじゃありません!」

 キリヤが考えながらゴブリンふたりの顔をうかがった。嘘をついている目ではなかった。 

 調べさせたところ毒が入っていたのは問題の酒樽だけだった。人間軍のまわし者ならすべての酒樽に毒を入れるべきだろう。

 くだんの酒樽は魔王さまがくださった特別の酒だ。幹部しか飲まない。幹部だけを暗殺するのは有りだろう。

 しかし序列のかげんで最初に飲むのはキリヤとカーチスだ。カーチスは自身もアンデッドなので毒を飲んでも死なない。死ぬのはキリヤひとり。またはキリヤとキリヤが連れてきたサウザーだ。人間軍がキリヤとサウザーだけを暗殺するなどまずないだろう。

 キリヤは考え方を変えた。給仕をさがらせて代わりに酒樽を最前線まで届けた兵站係のゴブリンたちを呼ぶ。

「あの酒だがな。魔王さまからたまわったのはたしかなのか?」

「いえ。オークのオーサさまから受け取りました。魔王さまからの酒だとおっしゃって」

 オーサは魔王城で魔王の側近を気取っている。魔王の言葉をオーサが伝えることも多い。城のゴブリンたちはゴブリンの長であるスーサイドよりオーサにこき使われる日々だ。

 なるほどとキリヤは腑に落ちた。同じ四天王とはいえキリヤが目ざわりなのだろう。サウザーが勲章をもらったのもおもしろくないはずだ。

 キリヤの脳裏でオーサの高笑いが響いた。

「ははははは。証拠がどこにある? 俺が暗殺だと? そんなバカなことをするはずがないだろう。証拠を示してから追求してもらいたい。ははははは」

 落ち着きはじめたサウザーの寝息を聞きながらキリヤはギリギリと歯ぎしりをした。

「オーサめ! この戦争が終わったら目にもの見せてやる! 憶えてろよ!」

 テントの外は秋のはじめの風が吹いていた。春に始まった戦争は半年がすぎた。いつ終わると知れぬ戦争の裏でさまざまな画策がうずを巻いていた。


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