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 第二章 第一皇子は魔王軍四天王に拾われる

 ローゼンシュタイン皇国の第一皇子サウザー・ローゼンシュタインは逃げていた。夜の森はざわめいている。風が強い。嵐が来るのかもしれなかった。

 三人いた護衛はもはやひとりになっていた。追って来るのは近衛騎士団長のミルハと叔父のゼノム・ローゼンシュタインだ。

「サウザー! いいかげんに観念しろ! 逃げても無駄だ! 獣まじりのお前に行くところなどあるか!」

 ゼノムの怒鳴り声がすぐうしろに聞こえた。

「皇子。私がここで食い止めます。皇子は逃げてください」

 護衛のコンダーセが足を止めた。サウザーも止まる。ふたりとも肩で息をしていた。

 すぐに近衛騎士団長のミルハとコンダーセが向かい合う。両者とも剣をかまえた。ミルハは左利きだ。コンダーセは右利き。左利きとの対戦経験がすくないコンダーセが圧倒的に不利だった。特に近衛騎士団長とは格が違う。すでにサウザーの両親である皇帝と皇妃と弟も近衛騎士団長に切られていた。

 どうしてこんなことになったのかわからない。翌日に十九歳の誕生日をひかえて親子だけの団らんを楽しんでいただけだった。とつぜん急用ができたとゼノムとミルハが入ってきた。よくあることなので警戒はしなかった。

 特にいまは魔王軍との戦争の最中だ。皇帝はいそがしい。父のヘンドリックはいつもの弟に向ける目でゼノムをむかえた。そこへいきなり近衛騎士団長が切りつけた。皇帝ヘンドリックは声を出す間もなく絶命した。

 何が起きているのか理解がおよばないうちに母と弟も切られた。五人の護衛のうちふたりがミルハに対峙した。残りの三人はサウザーを室外に押し出した。

 すぐにミルハとゼノムがサウザーたちを追って来た。護衛ふたりはミルハの敵ではなかったらしい。

 サウザーたちは皇宮の抜け穴から森へと脱出した。しかし護衛がひとり減りふたり減りついにコンダーセひとりになった。

「コンダーセ! すでに皇帝はわしだ! 皇帝が命令する! 剣を捨てよ!」

 ゼノムが切れた息で叫んだ。

「私の主はサウザーさまです! その命令は聞けません!」

 コンダーセがミルハに切りかかった。だが剣先に威力がない。格がちがうのもある。それ以上にゼノムの言葉が正しいと知っていた。皇帝一家の生き残りはサウザーだけだ。次の皇帝は皇弟のゼノムしかいない。ここで抵抗したとて命が数秒ながらえるにすぎない。かしこい選択とはいえない。

 それでもコンダーセはサウザーを引きわたせなかった。殺されても護衛の任務をつらぬく。それがコンダーセの矜持だった。

 万全の状態でもミルハにかなう剣士は皇国にはいない。まして迷いがある剣ではミルハに届くはずがなかった。あっけなくコンダーセが切り伏せられた。

「……サウザー……さま……お逃げ……くださ……い……」

 逃げろと言われても一度止まった足はもう動かなかった。ミルハの剣がサウザーに迫る。

 左利きのミルハの必殺技は袈裟斬りにして返す剣で心臓をつらぬく。父も母も弟もその剣技に倒れた。俺も心臓をつらぬかれて死ぬのか。

 ここまでかと思ったそのときだ。どこからともなく声が聞こえた。

「人間同士でも殺し合いをするのか。おもしろいものよな」

「誰だ!」

 ミルハがハッと周囲を見回した。だがゼノムとサウザーがいるだけだ。

 頭上で木の葉がゆれた。あっと思う間もなく人が降ってきた。落ちざまにミルハの頭を両断した。血がゼノムとサウザーにもふりかかる。

 フードで顔を隠した女だった。豊かな胸がかすかにゆれている。女は何ごともなかったかのように刀をゼノムに向けた。

「うわああああっ!」

 ゼノムが絶叫とともに逃げだした。女は一瞬追うべきか迷ったみたいだった。だが追わずにサウザーに向き直った。

「助けてやったんだから礼くらい言えばどうだ?」

「あ。ありがとう。でもあなたは誰?」

「それを聞けば引き返せなくなるぞ。それでもいいのか?」

 サウザーは思案した。すでに引き返せなくなっている。皇宮にもどったところで居場所はない。かといって行くあてもない。

「あなたはどなたですか?」

 フードの下の口がクフフと笑った。フードをはずした。ひたいに二本のツノが生えていた。

「ま……魔族……」

「怖がらなくてもいい。いますぐ殺すつもりなら助けはしない。あたしは魔王軍四天王のひとりキリヤだ。どうして殺されかけたのか教えてもらえるか?」

「俺はサウザー・ローゼンシュタイン。この国の皇子だ」

 精一杯強がってみた。だが心細いにもほどがある。ここで魔族に殺されるか皇宮にもどって叔父に殺されるかの選択しかないと思える。しかたなくわかっているかぎりを話した。

「なるほど。お前の祖父が獣人の側室を持ってた。お前の父はその獣人の子だった。おもて向きには皇国に獣人差別はない。だがきらってる貴族や聖職者も多い。お前の叔父も獣人を差別するひとりだったってわけだ」

「おそらくは。俺の外観は人間そのものだが獣人の血が混じってる。それと叔父は正妃の息子だ。年上ということで俺の父が皇帝を継いだが自分こそ正統だと思ってるんじゃないだろうか。いまなら魔王軍との戦争中で何もかも魔王軍のせいにしてしまえる。それで今夜だったんだろう」

 キリヤが考えこんだ。

「ふむ。お前は魔王軍との戦争についてどのくらい知ってる? 現状がどうなってるか把握してるか?」

「いいや。まったくと言っていいほど知らない。知ってるのは戦争をしてるという点だけだ」

「そうか。そもそもの発端はアイギル火山の噴火だった」

「火山の噴火?」

「ああ。五年前にアイギル火山が噴火して大穴があいた。われら魔物の国は地下にある。大穴がわれらの国と地上をつなげた。その穴から冒険者たちが来るようになった。魔物は知ってのとおり魔石を持つ。冒険者たちは魔物を殺せば殺すだけ儲かる。魔物の国と言うが王もいなければ貴族もいない。魔界と言うほうがいいかもしれない。魔物たちは思い思いに暮らしてるだけだ。小競り合いはあるが戦争はなかった。そこに人間が入りこんで魔物たちを手当たりしだい殺した。その状況を憂いたのが魔王さまだ」

「あれ? 王はいないと言わなかったか?」

「そうだ。われら四天王がそのお方を王にまつりあげた。人間をどうにかせねばならぬとわれら四天王をまとめて軍を作ったお方だからな」

「なるほど。人間が入りこまなければ魔王は生まれなかった?」

「そのとおり。われらもまた四天王だと名乗りはしなかっただろう。オークをたばねるオーサ。アンデッドをひきいる死霊術師のカーチス。ゴブリンの頂点のスーサイド。それに鬼族の盟主のあたしキリヤ。その四人がかの人を魔王と認めて魔王軍を結成した」

「魔王軍ってオークとアンデッドとゴブリンと鬼しかいないのか?」

「基本はその四族だ。ドワーフや吸血鬼もいるが戦闘には参加しない。魔王さまは吸血鬼の真祖だが弱点が多い。太陽は特に苦手であらせられる」

「そんな弱点の多い魔王でいいのか?」

「一対一の戦いで魔王さまには誰も勝てぬ。あたしもこてんぱんにのされた。弱点をおぎなってあまりある強さを持っておられるのが魔王さまよ。その魔王さまの指示でアイギル火山のふもとに魔王城を建てた。魔王さまの居城であるとともに軍の拠点だ」

「アイギル火山とローゼンシュタイン皇国のあいだにはモスリン砂漠が横たわる」

「そのとおり。二ヶ月前のことだ。われら魔王軍は四万の軍勢で魔王城を出発した。対する人間も四万の軍をローゼンシュタイン皇国に集結させた。決戦地はモスリン砂漠だった。魔物と人間ではどちらが強い?」

「はあ? 魔物と人間ではどちらが強い? 魔物が強いんじゃないか?」

「一対一なら魔物が強い。だが人間は束になって魔物を倒す。われらは人間軍を簡単に撃破できると思っておった。だが最初の一斉攻撃でわれらは二万の兵をうしなった。人間軍も二万死んだ。そのまま戦闘をつづければわれらも人間も一兵たりとも生き残らぬ。しかたなく双方が軍を引いた。いまはオアシスをはさんで小競り合いをくり返しておる。双方ともに決め手が欠けるわけだ。あたしがこんなところにいるのもあわよくば皇宮にしのびこんで皇帝を暗殺しようと思ったからでな」

「この森に皇宮への抜け穴があると?」

「そう。たいていの城は非常時の抜け道を作ってある。脱出先はこの森だろうと踏んだわけだ。しかし」

「しかし?」

「皇帝を暗殺しても戦争は終わりそうにないな。すぐに代わりの者が皇帝に就いて戦争を継続するにすぎん。そこで考え直した。魔物は個人主義だ。ドラゴンなどは魔王さまより強いかもしれん。だが他者の言うことは聞かん。戦争に協力しろと言っても聞く耳を持たん。スライムなど意志の通じない魔物も兵士にはできん。そんなわけで全種族が戦争に参加はしていない。団体行動のできるのはごくかぎられた魔物にすぎん。われら魔王軍が全滅すれば人間は魔界を蹂躙しほうだいだ」

「ふうむ。個々の魔物としては人間より強いけど戦争のできる種族はごく一部だと?」

「そうだ。あくなき個人主義が魔物の本質だからな。ドラゴンほどではないがあたしの配下たちですら連携はせん。そこでだ。お前が人間の戦い方をわが軍に教えてくれんか? 魔物が束になって戦えば人間よりはるかに強かろう。お前は人間だ。人間の戦い方を知っておろう」

「お? 俺が?」

「さよう。できぬと言うなら話はここまでだ。お前を殺してあたしがここにいたことを知る者をなくしておこう」

「俺に選択肢はない?」

「ないな。お前が生きる道は魔王軍の指導係としてあたしと来ることだけだ」

 サウザーは考えた。だが考えるまでもなかった。逃げたところで行くあてなどない。そもそも近衛騎士団長のミルハを一撃で殺す魔王軍の四天王だ。逃がしてくれるはずはない。

「わかった。お前と行こう」

「それはよかった」

 キリヤが刀をさやにおさめた。


 オアシスの最前線をにらむテントでゴブリンの女兵士ヤンバは剣をみがいていた。暗い目だった。どうしてこんな戦いに参加したんだろうと思う。両親や妹を食わせるために兵士になった。それはたしかだ。軍に入っても自分が死ぬと実感したことはない。

 だが人間との戦争で死はすぐとなりで牙をむく存在になった。朝飯のとき談笑していた戦友が昼には冷たくなって砂に埋もれた。かたきを討とうにも混戦の中では相手の顔すら憶えられない。

 右の敵に斬りかかっていると左から剣がふりおろされる。いま生きているのはたまたまだ。剣が当たらなかったから生きている。

 敵味方あわせて八万の雑踏の中でヤンバはたったひとりで剣をふるった。誰も助けてくれず孤独だった。周囲に味方は山ほどいたが誰もが自分の身を守るのに手一杯だった。

 ヤンバもまた自身が死なないように敵を殺すしかできなかった。戦友が人間に囲まれていままさに斬られようとしていても助けに行けなかった。三歩はなれたところで死んで行く戦友を見ながら敵と剣を斬りむすぶしかなかった。

「ヤンバ。早く寝ろよ。あした出撃があるかもしれないぞ」

「わかった。もうすこししたら寝る」

 同僚に返事をしながらヤンバは思った。明日はあたしが死ぬ番かもしれない。死ねば何も残らない。砂に埋もれて忘れ去られるだけだ。

 どうしてここから逃げないんだろう? 逃げればいいじゃないか。

 だが逃げないのをヤンバは知っていた。逃げられないのではない。逃げないのだ。

 両親と妹のためか? 女兵士としての矜持か? どちらでもなかった。得体の知れないしがらみがヤンバをして戦場から逃がさなかった。死神にみいられていたのかもしれなかった。または人間を多数斬り殺した剣が妖刀になってヤンバを引き留めたのかもしれない。

 ヤンバは漆黒の泥沼で足をとられながら進むように剣をみがき続けた。


 サウザーはキリヤと決戦地に向かう。砂漠に入ってラクダのような獣ラダックの背にゆられながら幼なじみのケイティのことを思いつづけた。ケイティは叔父ゼノムのひとり娘だ。ゼノムについては思い出すたびに歯がきしむ。父と母と弟のかたきだ。殺したかった。しかしケイティに憎しみはない。

 もしゼノムを殺すと自分はケイティにどんな目で見られるだろう? 親のかたきと血走ったまなざしでにらみつけられるだろうか?

 ケイティはおない年ながらおませな女の子だった。結婚の約束をさせられたこともある。大きくなったら結婚しようねと指切りをした。サウザーはこの歳になっても自分の結婚相手はケイティだと思っていた。

 オアシスに近づくにつれて折れた剣や矢が砂に刺さって風に吹かれているのが見えはじめた。魔王軍は四天王それぞれの配下ごとにかたまって野営していた。

 サウザーはキリヤから鼻から上をおおう仮面とフードを与えられた。人間だとバレると確実に殺されるからだ。キリヤはその仮面とフードでローゼンシュタイン皇国各地の門を通過していた。

「キリヤさま。偵察ご苦労さまでした」

 帷幕のテントに入ると鬼の少女がキリヤをむかえた。

「ジョシュこそ留守中よく勤めてくれた。大きな損失もなく戦線を維持してくれて助かった」

「ほめられることではありません。どちらも本気で戦わなかっただけですから」

「本気で戦えば双方消耗戦にしかならないか。ジョシュよ。突然ですまないがこの男を軍師として雇った。サウザーという。以後こいつの指示どおりにしてもらいたい」

 キリヤが仮面とフード姿のサウザーをジョシュに押し出した。ジョシュがいぶかしげにサウザーの頭の先から足までをながめた。

「キリヤさま。お言葉ですがこんな得体の知れない男が軍師ですか? 味方と言うにはあやしすぎませんか?」

「ふふふ。たしかにあやしい。だが役に立つか立たないか試しに使ってみてはどうだ?」

「わかりました。おい仮面の男。外に出ろ」

 ジョシュがサウザーを帷幕の外に押し出した。剣をサウザーに投げた。

「かかって来い。腕を見てやる」

 ジョシュが剣を抜いた。キリヤが本気でやれとばかりに腕を組んだ。しかたがないとサウザーも剣をさやから放つ。

 ジョシュが切りかかる。剣で受けた。重い。力は強い。だが我流だった。サウザーは正統皇国流の剣術だ。ただ切って来るだけの剣なら対処はできる。

 ジョシュが上段から切る。サウザーが受ける。横からなぎ払う。やはり受ける。下段から切りあげる。受けずにかわす。すこしひやっとした。

 はたから見ればジョシュが一方的に押している。しかしそれがサウザーの策だった。剣はふるえばふるうほど疲れがたまる。

 わずかずつジョシュの剣速が落ちた。切る。受ける。切る。受ける。切る。受ける。切る。受ける。ジョシュが肩で息をしはじめた。

 そろそろ頃合いとサウザーは見た。剣先でフェイントをかけた。ジョシュの剣を持つ右手が一瞬ちゅうちょで止まった。

 サウザーはそこをのがさなかった。剣の腹でジョシュの右手を殴った。疲れで握力の落ちていたジョシュの指から剣が飛んだ。あとは剣先をのど元に突きつけるだけでよかった。

「勝負あった。サウザーの勝ちだ」

 キリヤが拍手をした。ジョシュはくやしそうに下を向いている。遺恨を残したかとサウザーはあやぶんだ。

「で。具体的にどう軍を立て直すつもりだ?」

 テントにもどるとキリヤがサウザーに向いた。ジョシュはくちびるの端をかんだままだ。

「五人ひと組の班を作ります。その班で人間ひとりを取り囲んでめった切りにします」

 ジョシュのひたいに青すじが浮いた。

「五対一だと! そんな卑怯な!」

 サウザーは肩をすくめた。

「戦争に卑怯などない。貴族の決闘じゃないからな。人間はその戦法で魔物を殺してるはずだ」

 なるほどとキリヤがうなずいた。

「目には目を歯には歯をというわけか? だがそううまく行くかな? わが軍の兵士は多かれ少なかれジョシュと同じ反応をするぞ?」

「そこはキリヤさましだいでしょう。キリヤさまが卑怯ではないと説得されれば兵士もそれに従うかと」

「あたししだいか。責任重大だな」

 さっそく鬼たちを集合させた。紹介されたサウザーが作戦を説明した。鬼たちがいっせいに不満の声をあげた。

 キリヤがニヤリと口の端をゆがめた。予想どおりと。

「だまれ! 二ヶ月前には一万いた鬼が五千になってる。以前と同じ戦い方では次の二ヶ月でゼロになるぞ。お前たちは全滅したいのか? サウザーの策はあたしの命令だ。サウザーにさからう者はあたしにさからうのと同じと思え!」

 しぶしぶながら全鬼が五人ひと組の班を作る。班長を決めさせた。

「人間軍も班長がいるはずだ。できればその班長から倒すといい」

 サウザーは五人で移動する陣形や斬りかかる順番などこまごました説明をはじめた。皇子だったせいで軍略も家庭教師から習っていた。まさか自国にそれを使う羽目になるとは思わなかったが。

 キリヤの提案でオーク軍とゴブリン軍とアンデッド軍にも同じ説明をすることになった。魔王のお目付役である吸血鬼のヨーゼフにその旨を話した。

「かまわないでしょう。魔王さまは現状を憂いておいでです。勝つ方策があるなら積極的に採用なされるはずですよ。ですが念のためにおうかがいを立てておきましょう。あす朝に返事を持ち帰りますのでまたあした」

 夜になるとコウモリに身を変えて魔王城に飛ぶらしい。昼間に野外活動のできない吸血鬼の欠点といえた。鬼とオークとゴブリンは夜に寝る。アンデッドは寝ない。昼でも夜でも活動できる。

 翌朝にはヨーゼフがもどっていた。魔王の返事はよきにはからえとのことだった。

 アンデッドの陣営からおとずれた。四天王のひとりカーチスがお茶を飲んでいた。かたわらには一体のスケルトンがお盆に茶器を乗せてひかえていた。

 キリヤがカーチスにサウザーの案を持ちかけた。カーチスはやせて顔色の悪い中年男だった。四天王と呼ばれるオーラは感じない。酒場に行けばどこでも会える中年男にしか見えない。

「ふむ。わかった」

 それだけだった。あとは無言だ。本当にわかったのかあやしいものだった。だが四天王にしつこく念を押すのも失礼なので辞去した。そもそもアンデッドがどれだけ複雑な命令を実現できるのかも疑問だった。

 オーク軍のテントに入った。キリヤの説明にオーク軍を統括するチンドッサが苦い顔をした。

「いかに四天王のキリヤさまといえどわれらはオーサさまの軍だ。オーサさまの命令なき策にはしたがえん」

「魔王さまの許可は取ってある。きさまは魔王さまにさからうとでも?」

 チンドッサがヨーゼフを見た。ヨーゼフがうなずく。チンドッサが肩を落とした。

「しかたがない。私の権限でその策を採用するとしよう」

 ゴブリン軍の総司令ツイングムの反応はちがった。喜色が浮かんだ。

「そうか。そんな手があったか。さすがはキリヤさまだ。さっそく全軍に採用させよう」

 ゴブリンはスライムとならぶ最弱の魔物だ。そのせいで魔王軍のお荷物になっていた。非力さを数でカバーできるならそれにこしたことはない。卑怯という発想そのものがないらしかった。サウザーの手ごたえではゴブリン軍が一番役に立ちそうだった。


 そのころローゼンシュタインの皇宮の執務室ではゼノム・ローゼンシュタインが指示を出していた。

「最前線に獣人が二千人いるだろう? そいつらに食い物を与えるな」

 かたわらの宰相メインロビンが聞きとがめた。

「獣人二千人に何ですと?」

「メシを食わすなと言ったんだ。ただでさえ二万人分の食糧の調達に苦労しておる。獣人ごときに食わすメシなどない」

「しかし皇帝陛下。獣人二千人がわが軍の主力ですぞ? その彼らから食糧を取りあげれば最前線が持ちますまい」

「ええい! うるさい! わしが皇帝じゃ! わしの言うとおりにすればよい!」

「は。はい。ではそのようにはからいましょう。獣人二千人にわたす食べ物をゼロにしろ。そういうことですな?」

「そのとおりじゃ」

 部下に指図するため宰相が退室するとゼノムはワイングラスを手にした。

「わが皇国に獣人などいらん。国内にいる獣人どもも収容所にでも放りこもう。まったくけがらわしいやつらじゃ」

 ゼノムは布告を出させた。サウザーの両親と息子ふたりは魔王軍の刺客に暗殺された。近衛騎士団長もその際に殉職したとだ。そうしてゼノムが皇帝位に就いた。獣人ぎらいの貴族たちの支持をあらかじめ取りつけておいたため就位はとどこおりなく終わった。

 民衆は前皇帝の死を悲しんで魔王軍を倒せと激昂した。最初の消耗戦で厭戦気分だった民意が一気に燃えさかった。ゼノムはほくそえんだ。これで皇国をおのれの望む最強の国にできるとだ。先代までの誰もできなかった大陸統一をこのわしがやってみせると。


 二千人をたばねる獣人の部隊長ハルージャは英雄と呼ばれていた。初戦で二十体の魔物をほふったせいだ。身体も大きい。

「食糧係。どうして晩メシがないのだ?」

 食糧係がしれっと答えた。

「輸送中の食糧を魔物に襲われたからでございます。次の食糧が着くまでお待ちください」

 一日がたち二日がすぎてもメシは出て来なかった。返事はいつも次の食糧が着くまで待てだ。食糧といってもたいしたものではない。キャベツ・ニンジン・干し肉・乾パンにすぎない。水はオアシスからくんで来た。しかし何も食べないのはつらい。

「部隊長。ひもじいです」

 部下たちが口をそろえた。だが砂漠のまん中だ。狩ろうにも動物がいない。植物も食べられる種類はない。輸送隊の使うラクダに似た獣のラダックを食べようかとまで思ったほどだ。

 ラダックは足が遅い。走れないが頑健なので荷物を積むには適している。肉は硬くてすくなく食用ではない。それでも飢え死によりましだ。しかし現在ラダックは十頭いるだけだった。とうてい二千人の食糧にはなりえない。幹部だけが食べれば反乱が起きるだろう。

「まあ待て。食糧が着くまでのしんぼうだ」

 五日がすぎた。屈強な獣人たちが目に見えて弱った。

 前線司令官のピーター・オドネルが決断をくだした。獣人二千人が飢え死にする前に総攻撃をかけると。

「ハルージャ部隊長。魔物どもは兵站線を徹底して狙ってる。このままでは飢え死にしてしまう。そうなる前にやつらを撃破するのだ。本体に打撃を与えれば遊撃隊どころではあるまい」

「つまりこの戦闘が終わったら食糧の配給を受けられるのか?」

「まず間違いない。最悪はやつらの食糧庫を襲って食糧を奪えばいい。やつらの食ってる物が何かはわからないがオークとゴブリンと鬼だ。人間と変わらない物を食ってるだろう」

 なるほどとハルージャはうなずいた。飢え死に一歩手前での戦闘はつらいがこのままでは確実に死ぬ。それよりは打って出るほうがいい。

 ピーター・オドネルは獣人ぎらいの貴族の息子だった。ピーター自身は獣人がきらいではない。しかし積極的にかばう気はなかった。獣人はけがれた存在という父の言葉がピーターの奥底にこびりついていた。

 今回の措置も獣人ぎらいの貴族が仕組んだことだと推測していた。飢えた獣人たちを最前線に押し出して全滅させるのが自分の努めだと。ピーターは上からの命令に忠実な頭の悪い軍人だった。獣人を全滅させれば自分がどうなるか理解がおよばなかった。


 サウザーはゼノムの顔が脳裏に浮かぶとローゼンシュタイン皇国をほろぼしてやると思う。だが一方でケイティの顔が浮かぶと人間を殺したくないと思う。

 その葛藤に攻められながらサウザーはゴブリン軍の教育に力を入れた。オーク軍と鬼軍は反応がにぶかった。いやいや従っているのが見え見えだった。アンデッド軍にいたっては話を聞いているのかさえわからない。首領であるカーチスが指示したときだけ動きをみせた。サウザーの号令ではかたつむりほどの速度でしか動かなかった。

 結果としてゴブリン軍が最も優秀だった。自分たちが弱いと知っているから強くなろうと必死で訓練をした。

 ゴブリン軍五千が使い物になったころ最前線が動いた。

 獣人二千人による一斉攻撃がはじまった。サウザーはゴブリン軍五千を迎撃に出した。ゴブリンの女兵士ヤンバもその中にいた。だがヤンバはもう孤独ではなかった。斬りかかってくる敵を五人でむかえ撃つ。一対五でめった斬りにする。

 うしろから斬りかかってくる敵はとなりの仲間が剣を合わせてふせいでくれた。ヤンバ自身も仲間に斬りかかる敵を剣で阻止した。五人ひと組の戦いがいかに心強いかヤンバは知った。軍師のサウザーに対して神への信仰に近い尊崇を抱いた。

「サウザーさまのためにこのいくさ勝つぞ!」

「おう!」

 ヤンバはわれ知らず叫んでいた。仲間の雌ゴブリンたちも声を合わせた。戦場全体のゴブリンに檄が波及した。有象無象だったゴブリン軍が一匹の生き物と化した瞬間だった。


 ローゼンシュタイン皇国の獣人たちはこれまで以上に必死で戦った。しかしだ。いかに力自慢の獣人といえど何も食べてない状態では力が出ない。そのうえゴブリン軍は集団戦闘の達人の域に達していた。

「ちっ! こいつらこれまでと戦い方がちがう!」

 ハルージャはゴブリンをなめていた。オークや鬼にくらべると明らかに弱い。腹がへっていてもゴブリンなら楽勝だと。そのゴブリンが人間式の戦闘で互角以上の奮闘を見せた。

 次々に討ち取られていく獣人たち。

「部隊長! 腹がへりました! 無念です!」

 部下たちの断末魔の声はことごとく空腹を訴えるものだった。

「うおおおおっ! どうしてこんなことになったんだあ! メシさえあればゴブリンになど負けはしないのに!」

 ハルージャが悲痛な声をあげながらゴブリンの首を刈る。ゴブリンたちも集団でハルージャに群がる。倒されても倒されても次から次へと追加のゴブリンが殺到する。ついにハルージャもゴブリンの手にかかった。

 部隊長が果てると獣人たちは動揺した。ゴブリンに背中を向けた。ゴブリンたちはここぞとばかり獣人たちに襲いかかった。

 砂が獣人たちの血を吸った。

 主力の獣人部隊が全滅したことでローゼンシュタイン皇国軍は浮き足だった。この機をのがさずサウザーは全軍を投入した。皇国軍一万八千はこの攻勢を受け切ることができなかった。

 最前線が崩れるとなだれを打って敗走がはじまった。

「引け! 引け! 撤退だ!」

 前線司令官のピーター・オドネルが指示を出す。だがそれ以前に全軍が足を皇国領に向けていた。戦えとピーターが叫んでも聞く者はいなかっただろう。

 乱戦のなか魔王軍が皇国軍を追う。背中を見せた敵を撃つのはたやすい。

 追い討つ魔王軍の損失は五千。追われる皇国軍は一万の兵を失っていた。


 ゴブリン軍の大活躍に皇国軍は皇国領のミカエラ砦に逃げこんだ。高くそびえる壁に取りつこうとした魔王軍は弓矢の洗礼を受けた。

 被害の拡大をおそれたサウザーは兵を引かせた。ミカエラ砦に対峙する魔王軍は一万五千。皇国軍は八千人強。

 しかしミカエラ砦は堅牢に見えた。そもそもは関所だ。谷間に作られている。ミカエラ砦の左右は垂直に切り立ったハゲ山だった。足場が砂のため登るのは不可能だ。ミカエラ砦の石造りの壁をどうにかしないと攻略できない構造になっていた。籠城するにはもってこいの砦だった。

 サウザーは考えた。だが名案は浮かばない。結論としてはいまの魔王軍では手が出ない。それはたしかだった。

 そこに魔王城から呼び出しが来た。ゴブリンの伝令が伝える。砂漠の戦闘の勝利をねぎらうため指揮官たちは魔王城にもどれとだ。

 兵士たちをミカエラ砦に対峙させたままキリヤを筆頭に部隊長たちが魔王城に急ぐ。サウザーもキリヤのかたわらにいた。

 魔王城はアイギル火山を背景にして勇壮に建っていた。火山の石を切り出して作ったらしい石造りの城だった。城のすぐ横には地底へとつづく大穴がまっ黒い口をあけていた。

 ひっそりと静まりかえった城内を四天王のキリヤとカーチスを先頭に進む。

 二階の廊下の突きあたりが玉座の間だった。一番奥の高台に装飾をほどこした椅子がすえられていた。小柄な女がすわっていた。顔はベールで隠されて見えない。手には手袋をしていた。

 入り口から椅子へとつづく絨毯のわきにひときわ身体の大きいオークが立っていた。右目は切り傷でふさがっている。たけだけしい顔をしていた。こいつがオーサだろうとサウザーは踏んだ。

 オーサの横には貧弱な身体をしたゴブリンがいた。メガネをかけている。温厚そうだ。こいつとは気が合うかもしれないとサウザーは直感した。

 玉座の女が立ちあがった。ひざまづこうとした一同を止める。

「ああ。楽にするがよい。そなたらのこのたびの働きはまことにあっぱれであった。些少ではあるが褒美も用意した。それぞれのちほど受け取るがよいぞ。特に新参の軍師とゴブリン軍が活躍したと聞いておる。軍師およびゴブリン軍の長スーサイドと総司令ツイングムに勲章をとらせる。三名は前に出よ」

 女の手に横から燕尾服の吸血鬼が勲章を乗せた。メガネのゴブリンとツイングムが女の前に進み出る。サウザーはキリヤに背中を押された。フードと仮面はかぶったままだ。不敬ではないかといぶかった。もし仮面とフードを取れと言われたらどうするか? 人間だとバレると命はないだろう。

 サウザーははずむ心臓を押さえながら女の前に足を運んだ。するとオーサが大声を出した。

「おーお。なんか人間くせえ。気のせいかな? そこの仮面の男。無礼であろう。魔王さまの前だぞ。仮面を取ってフードもはずせ!」

 ビクッとサウザーの足が止まる。どうするべきか? 冷や汗と脂汗が止まらない。心臓はますます強く打っている。仮面を取るべきか? 手を仮面にのばした。

 そこに声がかかった。魔王だった。 

「取らずともよい。仮面の軍師もおもむきがあるではないか。わらわとてベールをかぶったままじゃ。陽光には弱いのでな。そなた名は? わらわはニーナ・ムートシルトである」

「サウザーと申します魔王さま」

「ふむ。サウザーとな。どこぞの国の皇太子にも同じ名があったような」

 サウザーはヒヤッとした。玉座の間に沈黙が落ちた。針が一本落ちても聞こえそうなほどの静けさだ。全員の視線がサウザーに釘づけになっている。どう言いつくろえばいいのかわからない。オーサが糾弾の声を放とうと口をあけた。

 しかしニーナが手を止めずに勲章をサウザーの首にかけた。オーサが顔を横向けてチッと舌打ちをした。サウザーが気にくわないらしい。

 ニーナが玉座にもどるとキリヤがくわしい報告をはじめた。

「魔王軍の現勢力は一万五千。皇国軍は八千人強でしょう。しかし皇国軍はミカエラ砦にこもって出てきません。ミカエラ砦は頑強で一万五千の魔王軍では歯が立たないと思われます」

「さようか。さてサウザーよ。そなたに妙案はあるか?」

 サウザーは道中で考えていた構想を口にした。

「ドワーフが味方にいると聞きました。そびえる壁を攻略するための設備をドワーフに作っていただけないかと」

「ほう。具体的にどのようなものか?」

「車輪のついたヤグラなどいかがでしょう? それと火のついた玉を打ち出す投石機も」 

「なるほど。ヤグラで壁を乗り越えるということじゃな?」

「そうです。内部に侵入できましたら門をあけることができるでしょう。あとは数で押し切れば制圧が可能です」

「ふむふむ。わかった。さっそくドワーフにそれらを作らせよう」

 会見はそこまでだった。燕尾服の吸血鬼が全員に退席をうながした。


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