第28話 怒涛の一日の終わり
「よし、これで終わりだ」
「ありがとうございました。すっごく気持ち良かったですよ」
「いや、俺の方こそありがとうだ。偶にでいいから、またさせてくれないか?」
「ふふ。そんな事言われると、偶にじゃなくて頻繁にお願いしちゃうかもです」
「それは俺にとってご褒美だぞ」
「瀬凪さんは優し過ぎますよ。ホント、ありがとうございます」
乃愛の髪を乾かし終えると、その後は完全にお任せだ。
会話しつつも彼女は洗面所から持ってきた何かを長い黒髪に塗ったり、髪の毛先をチェックしている。
その光景を眺めていると、乃愛がほんのりと頬を染めて俺を見た。
「その……。ジッと見られると流石に恥ずかしいです」
「す、すまん。何というか、手間が掛かってるんだなって思って」
「この長さですからねぇ。手間が掛かるのは仕方ありませんよ」
そう言いつつも髪を切ろうとしていないので、本当に自慢なのが分かる。
だからこそ、入念に毛先をチェックしているのが気になった。
「……やっぱり乾かし方が駄目だったか?」
「そんな事ありません! これは私の髪質の問題なので気にしないで下さい!」
黒髪が大きく揺れる程に乃愛が首を振る。
お世辞を言われていた訳じゃないようで、ホッと胸を撫で下ろした。
「そっか。念の為に言っておくけど、駄目だったら駄目だって言っていいんだぞ?」
「ホントに駄目じゃないですって。私の髪って毛先が荒れがちなので、こうしてちゃんと見ておいた方がいいんです」
「へぇ、そうなのか」
「はい。なので、私が自分で乾かした後も同じ事をしてるんです」
チェックは終わったらしく、乃愛が片付けをし始めた。
すぐにそれも終わり、ソファで寛いでいる俺の隣にぽすりと腰を落とす。
それだけならいつも通りなのだが、今日は今まで以上に距離が近い。もう少しで肩が触れそうだ。
風呂上りの乃愛の良い匂いが香り、心臓がざわめく。
「それでは、どうぞ」
そう言って乃愛は黒髪を一房掴んで差し出してきた。
それが何を意味するのか、分かり切っている。
「……いいのか?」
「勿論。というか好きに触って良いって言ったでしょう? 実は触りたくなかったりしますか?」
「いや、そんな事無いぞ。むしろしっかり触ってみたい」
不安に満ちた顔で尋ねられたのですぐに本音を告げた。
すると乃愛の表情が一瞬で笑顔に変わり、蒼と黄金の瞳が楽し気に細まる。
「じゃあ遠慮しないでくださいな」
「了解。それじゃあ、失礼させてもらうよ」
手玉に取られたと分かったが、怒りは沸いて来ない。
むしろ乃愛がじゃれてくれたように思え、くすぐったい気持ちになった。
一応の断りを入れて、乃愛に手渡された黒髪に触れる。
極上の絹糸のような髪の触り心地は滑らかで、指が引っ掛かかる事などない。
「おぉ……」
「そんなに喜んでもらえるなら、頑張って手入れしてるかいがありますね」
「いやホント、こんなに触り心地が良いのは乃愛が滅茶苦茶頑張ってるからだよなぁ」
一房の髪を触りながらの労いでは足りないと、今度は彼女の頭に触れる。
今までと違って後頭部に向かって梳くように撫でれば、蒼と黄金の瞳がとろりと蕩けた。
「それ、すっごく気持ち良いです……」
「お気に召したようで良かったよ」
「お気に召し過ぎて嵌っちゃいそうなくらいですよ」
目を閉じて撫でられるがままになる乃愛。
暫くすると、彼女はうっすらと瞼を開けた。
「因みにですけど、瀬凪さんの好みの髪の長さは?」
「その人に合うのなら短くても長くてもいいと思うけど、こんなに綺麗な髪なら切るのは勿体ないかな」
「じゃあ今まで通り伸ばしますね」
「ありがとう、乃愛」
「いえいえ」
俺の好みの長さにしたいと言う乃愛。
乃愛に意見を押し付けはしないけれど、伸ばしたままの方が良いと口にした俺。
両方の願いを汲んだ現状維持に、くすくすと笑い合う。
「満足した。また触らせてくれ」
「ん……。もう止めちゃうんですか?」
名残惜しくはあるが手を離すと、物欲しげな表情を向けられた。
幼げな顔でおねだりされると、罪悪感が凄まじい。
「このままだと辞め時を失っちゃいそうだからな」
「辞め時を失ってずっと触っててもいいんですが」
「今日は終わり」
「む。そうですか」
僅かに頬を膨らませた乃愛が、俺の肩に頭突きをした。
全く痛くないので好きにさせていると、彼女はぐりぐりと顔を肩に押し付けてくる。
「ふふ。私、今すっごく幸せです」
ぽつりとリビングに響いた呟きは、言葉通り幸福に満ちていた。
肩に押し付けられていた顔は、今は触れ合いを求めるように寄り掛かってきている。
「好きな人の一番近くに居られて、好きなだけ我儘出来ちゃってます」
「乃愛の我儘は我儘じゃないけどな。返事は、その、ごめん」
「まだ一日も経って無いんです。これで瀬凪さんの恐怖を無くせるとは思ってませんよ」
「そっか。まだ一日も経ってないのか」
乃愛に本心を打ち明けて、唐突に告白されて。
その後は交互に風呂に入って、その際に髪を乾かし合って。本当に怒涛の一日だった。
しみじみと呟けば「そうですよ」と穏やかな声が耳に届く。
「だから、ゆっくりでいいんです。焦る必要なんかありません」
「……」
「ま、私はすぐに全力でアピールしますけど。むふー」
「雰囲気が台無しだよ!!」
何を口にすべきか迷ってる間に、そもそもの流れをぶった切られてしまった。
思わず突っ込みを入れると、乃愛が俺の肩に触れたまま楽し気な笑い声を漏らす。
「瀬凪さんが悩んでるような気がしたので。……大丈夫です。私は、貴方の一番近くに居ますから」
「そう、だよな」
「だから今日は瀬凪さんが帰るまで、このままで居させて下さい」
「……勿論だよ」
いくら言葉で想いを伝えても、簡単には変われない。信じられない。
今度は大切にしようと決めて、実際に行動へ移しているのに、心の奥底の恐怖は消えないのだ。
それを分かっているからこそ、乃愛は急かさないでいてくれる。
とても中学生とは思えない大人びた考えに甘え、代わりに乃愛の我儘を許す。
ぽんと乃愛の頭を叩くと、小さく、けれど嬉しそうに彼女が笑うのだった。




