第2話 年齢差のある異性との会話は難しい
「「……」」
大雨の中、高校生ではないだろう少女と、一つの傘を使って家に帰る。
他人からすると羨ましい状況なのかもしれないが、俺と少女の間には微妙に気まずい空気が流れていた。
(これくらいの歳の女の子って、どんな話をすればいいんだろうな……)
残念ながら、こんなにも年下の女の子と話した経験などない。
以前居た恋人との会話など参考にならないので論外だ。むしろ思い出したくない。
それでも、別れを告げられた時の「話が面白くない」という言葉が頭の中に響き、鋭い棘となって胸を抉る。
胸の痛みを堪えて少女の歩幅に合わせて歩いていると、隣から「……その」と小さな声が聞こえた。
「改めて、ありがとうございます。正直、困っていたので」
「気にしないでいいよ。さっきも言ったけど自己満足だし」
「それでも、ありがとうございます。えっと……」
少女が言いよどみ、俺を見上げる。
黒髪に隠れて顔はあまり見えないが、困っている気がした。
「どうしたの?」
「その、ですね。非常に申し訳ないんですが」
「うん」
「……あの」
「言いたくない事なら言わなくていいからね?」
元々声が小さかったのに、更に小さくなったので流石に助け舟を出した。
引っ越しの際に母親の後ろに隠れていた事や、現在肩を縮こまらせている姿からして気が弱いのだろう。
最近恋人に振られて気が滅入っていたので、つい同情してしまう。
俺の言葉に多少は肩の荷が下りたのか、少女がゆっくりと話しだす。
「…………貴方の名前を、知らなくて。というか引っ越しの挨拶をした際に聞いたはずなんですけど、その、忘れてしまいまして」
「ああ、そういう事か。俺も君の名前を忘れてたからお相子だよ。という事で改めて――」
年上の男にもう一度名前を聞くのは勇気が要るはずだ。
気遣いがなっていなかったと苦笑を零す。
「水樹瀬凪、大学二年生だよ」
「杠乃愛、中学二年生です。よろしくお願いします」
「よろしく、杠ちゃん――は流石に子供扱いか。杠さん、でいいかな?」
かなり小柄ではあるものの制服姿なので小学生は有り得ないとは思っていたが、中学生だったらしい。
となると、呼び方には気を付けなければ。
年下に「さん」付けは違和感があるが、かといって別の呼び方もない。いきなり呼び捨ては馴れ馴れしいし。
柔らかく笑んで尋ねれば、彼女が口元に小さな笑みを作った。
「水樹さんから見れば子供ですし『ちゃん』で構いませんよ」
「そっか。なら杠ちゃんで」
「それに、私は中学生の中でも小柄ですから」
「……まあ、それは、その」
苦笑気味の笑みからすれば、あまり子供扱いをされたくないのかもしれない。
けれど杠ちゃん自身、自らの体型を考えると仕方がないと思ったのだろう。
どう反応すればいいか分からず曖昧な表情をしていると、くすりと笑われた。
「ごめんなさい、水樹さんが気にする必要はありませんから」
「分かった。そうさせてもらうよ」
「……ふふ」
情けない姿を見せたと息を吐き出せば、楽し気な笑い声が耳に届いた。
「どうしたの?」
「いえ、水樹さんって大人だなと」
「……何がどうなってそうなったの?」
大人らしい対応など杠ちゃんに見せた事はない。
僅かに首を傾げると、黒髪の奥で目を細められた気がした。
「私を助けてくれましたし、私が話すのを待ってくれたので」
「話すのを待ってくれたってのは違うんだけど……」
単に話題が見つけられず、過去を引き摺っているせいで話し掛けられなかっただけだ。
賞賛を喜べなくて苦笑を浮かべると、杠ちゃんが僅かに首を傾げた。
「そうなんですか?」
「そうなんだよ。まあ、何だ、顔見知りを助けるのは普通じゃない?」
「いえ、そんな事はありませんよ。同じクラスの人達なんて、地味な女だって馬鹿に――すみません」
暗く沈んだ声が唐突に途切れた。
思わず口に出してしまったが、もしかすると暗い話はしたくなかったのかもしれない。
女性の見た目に口を出せるような男ではないので、途切れた話題に触れるのはナシだ。
「俺は杠ちゃんより少し長く生きてるだけの子供だよ。大学生になってもね」
俺が少し強引に話を戻したからか、杠ちゃんが僅かに頭を下げた。
「……そう言えるのは大人の証拠だと思うんですが」
「まさか。夜更かしもするし、馬鹿な事だってする。下手をすると、中学生よりも馬鹿な事をする可能性だってあるよ」
「あんまり想像出来ないです。例えば?」
「そうだなぁ……。二十歳になったからって飲み屋で騒いで怒られたりとか、大学の授業って単位を取れればそれでいいから、遊び惚けた結果、後で苦労したりとか」
「そんな事があるんですか。因みに実体験ですか?」
「残念ながら他人の経験だよ、未成年だし。まあ、俺は平々凡々な生活かな」
数少ない友人の実体験や、その友人の知り合いの実体験だが、確かに起こった事だ。
俺だって羽目を外す時はあるものの、あくまでも一般的な範疇に収めている。
それ以外はというとバイトに追われていたので、ぶっちゃけ平々凡々ではない。
しかし、ここで言っても杠ちゃんを困らせるだけだ。
つまらない男だなと自覚して肩を竦めれば、杠ちゃんが唇に弧を描かせる。
「ふふ、平凡って凄い事だと思いますよ」
「ありがとね」
「それに、水樹さんの雰囲気は話しやすくて好きです」
杠ちゃんからすれば大人に見える俺だからこそ、純粋に賞賛してくれたのだろう。
あまり素直に喜べないが、それでもストレートな言葉に心臓が拍動のペースを速める。
女性にこっぴどく振られ、未だに引き摺っている癖に、心は乱されるのだなと内心で溜息をついた。
「……そう言われたのは初めてかな。というか、杠ちゃんの方こそ話しやすくてびっくりしたよ」
杠ちゃんの声は小さいものの、決して聞き取れない程ではない。
また、彼女の物静かで柔らかな雰囲気のお陰か、同年代の女性に対する苦手意識は湧いて来ていない。
気まずい空気は既に霧散していた。
「そんな事はありませんよ。お母さん以外の人とこんなに話すのなんて久しぶりですし」
「へえ、意外だなぁ」
「意外どころかそれがいつもの私なんです」
自嘲気味な言葉とは裏腹に杠ちゃんは小さく笑んでいるので、気持ちが沈んではいないようだ。
少なくとも、俺との会話を楽しんでくれているのは嬉しい。
しかしそれも長くは続かず、マンションのエントランスに着いた。
「本当にありがとうございました。あ、水樹さんの服、濡れちゃってますね。ごめんなさい」
「肩が濡れた程度だし、気にしないでいいよ」
「気にします。何かお礼か、お詫びをしたいんですけど……」
「そんな事してもらう必要なんかないって。これからは会った時に話してくれたら、それで十分だよ」
最近まで様々なバイトを掛け持ちし、自由な時間が多く取れるようになってからは基本的に引き篭っていた。
なので杠ちゃんとは行動する時間が合わず、ほぼ顔を合わせていなかったのだ。
これからもそれは変わらないだろうが、会った時に気軽に会話出来る相手がいるというのは良い事だと思う。
俺としては大満足の提案なのだが、杠ちゃんは納得していないのか唇を尖らせていた。
「でも……」
「いいからいいから。ほら行こう」
強引に話を纏め、エレベーターを使ってお互いの家へ帰る。
家の扉の前に立ち、杠ちゃんへと笑顔を向けた。
「それじゃあね、杠ちゃん」
「えと、はい。また」
あっさり杠ちゃんと別れ、心地の良い溜息をつく。
久しぶりに友人以外の女性と話したが、充実していたし楽しかった。
それこそ、恋人と別れて沈んでいた心が軽くなる程に。
「いやぁ、お隣さんと話せるようになるって良い事だな」
杠ちゃんに内心で感謝し、家に上がるのだった。