第16話 信頼の証
「すぅ……」
他愛ない話をしながら乃愛ちゃんの頭を撫でていると、気持ち良かったのか寝てしまった。
今日は体調が悪いのだから、ゆっくり休んで欲しい。
その間に一度自分の家に帰り、風呂の支度を済ませて杠家へ戻った。
風呂を終えて時間を確認すれば、もうすぐ晩飯時だ。
「さて、やりますか」
乃愛ちゃんが寝る前に、キッチンの使用許可はいただいている。
冷蔵庫から長ねぎ、白菜、しめじ、豆腐を取り出し、適当な大きさに刻む。
次に豚ひき肉をボウルに入れ、混ぜてから丸めてタネを作る。
鍋に水と鶏がらスープの素を入れ、煮立ってから作ったタネを投下。
再び煮立ったら切った野菜類を投入し、しょうがとごま油で仕上げだ。
「完成と。春の終わりでちょっと暑いけど、そこは勘弁してもらおうかな」
自分なりに上手く出来たと笑みを零し、鍋をリビングへ持っていく。
小皿等の準備を終え、乃愛ちゃんの自室に入った。
彼女はまだ寝ているものの、俺が傍から離れた時よりか顔色が悪い。
このまま寝かせたくはあるが、腹を膨らませてからの方がいいだろう。
「乃愛ちゃん、ご飯だよ」
「……ぅ」
「これで起きてくれたら良かったんだけど、駄目か。……仕方ない」
俺の声にむずがるだけだったので、意を決して華奢な肩に触れた。
「乃愛ちゃん」
「……ぁい。せな、さん?」
流石に肩を揺さぶられたら眠ってはいられないようだ。
長い睫毛がふるりと震え、その奥が見えるようになった。
とろみを帯びた蒼と黄金の瞳は宝石よりも美しく、ずっと見ていたいとすら思う。
とはいえ乃愛ちゃんの体調を考えると、そんな事は出来ないのだが。
「おはよう、乃愛ちゃん。食欲はある?」
「おぁようござぃます……。おなか、すきました」
「なら良かった。ご飯出来たから食べようか」
「あ、すみません。ありがとうございます」
ようやく意識がハッキリしてきたらしい。
小さく頭を下げ、乃愛ちゃんがベッドから降りた。
一緒にリビングに行くかと思ったのだが、何故か彼女は動きをぴたりと止める。
「あの、本当にすみませんが、ちょっとだけ待っててください」
「いいけど、もしかして実は腹が減ってなかったりする?」
「そういう訳では。女性としての、なけなしのプライドがありますので」
「…………了解」
寝起きの姿のまま、リビングに行けないのだろう。
以前アニメを見た時にも寝ていたのだが、あれはノーカウントなのだろうか。
あるいは、場所や寝ていた時間が関係しているのかもしれない。
俺にはいまいちよく分からないものの、女性のプライドと言われると余計な事は言えなかった。
そうして乃愛ちゃんの部屋から退散してほんの少し経つと、彼女が部屋から出てきた。
「お待たせしました」
「待ってないから大丈夫だよ。さ、食べようか」
乱れていた髪が元に戻っているだけのような気がするが、流石に口には出せない。
乃愛ちゃんを促し、二人で鍋をつつき始める。
「さっぱりしてて、美味しいです。出汁は鳥と生姜ですか?」
「流石だね。こういう日は体を温める方がいいんだって。後は野菜や豆腐、肉もそれなりに良いみたい。だからこれにしたんだよ」
「成程。自分の体の事なのに、あんまり食べ物に関しては調べてなかったです」
「そうなの? 食べ物とか、乃愛ちゃんはしっかり調べそうなのに」
「……こういう日はやる気が起きないので、適当に済ませてたんです」
意外だと声を発すれば、乃愛ちゃんがぷいとそっぽを向いた。
拗ねるような仕草が可愛らしくて、頬が緩んでしまう。
「なら、今度からこういう時は俺が作るよ」
「……甘えて、いいですか?」
こちらの様子を窺うような上目遣いは、反則的に可愛らしい。
こんなおねだりをされなくても応えるつもりだったが、より一層応えたくなる。
「勿論」
「ふふ、ありがとうございます」
花が綻ぶかのようなふんわりとした笑みからは、体調の悪さなど見えない。
この笑顔を見られて良かったと思いつつ、会話に花を咲かせる。
「そう言えば鍵を預かったままだったね。後で返すよ」
「いえ、それは瀬凪さんが持っていてください」
「……流石にそれは不用心じゃないかな?」
大学生の男が女子中学生の家に好きに入れるようになるのだ。
信用の証としての鍵と言えば聞こえはいいだろうが、やりすぎではないか。
遠回しに俺を信頼しない方がいいと告げても、乃愛ちゃんは微笑を浮かべている。
「こうして一緒に居るようになって、二週間以上経ってるんですよ? 瀬凪さんの何を用心すればいいんですか?」
「勝手に家に入って、変な事したりとか。というか彩乃さんに確認を取った方がいいと思うんだけど」
「お母さんには後で伝えておきます。まあ、大丈夫だと思いますよ。そもそも、変な事するんですか?」
「絶対にしない」
「じゃあいいですよね」
本心を口にした結果、言いくるめられている気がする。
とはいえここで『変な事する』と嘘を吐きたくないし、そもそもそれは犯罪なので口が裂けても言わない。
この状況を楽しんでいるように目を細める乃愛ちゃんの姿に、がっくりと肩を落とす。
「……大切に使わせてもらうよ」
「はい。というか私って基本引きこもりですから、瀬凪さんが勝手に入ってきて変な事をしても気付きますよ」
「それもそうか」
引きこもり、という言葉を自信満々に言うのでつい頷いてしまった。
とはいえ俺も最近は大学とバイト以外は引きこもりなので、人の事は言えない。
「という訳で、遠慮なく戻ってきてくださいね」
「そうさせてもらうよ。ありがとう」
杠家に行くのではない。この家に帰ってくる。
乃愛ちゃんの言葉にそれを実感し、笑みを零すのだった。
「はふ……。すみません、片付けを任せてしまって」
声がしたのでソファの背もたれから体を起こし、ちらりと脱衣所を見る。
すると、風呂上がりで頬を火照らせた乃愛ちゃんが脱衣所からやってきていた。
「やるって言ったのは俺だからね。気にしないで」
彼女は晩飯の後片付けをやりたがったが、ここまで来たのなら最後まで責任を持ちたい。
なので、乃愛ちゃんが風呂に入っている間に片付けを済ませたのだ。
「ふふ、ありがとうございます」
「体調はどう?」
「結構楽になりました。やっぱり、食べる物は選ばないとですね」
微笑を浮かべた乃愛ちゃんが隣に座る。
凄まじく良い匂いが鼻をくすぐり、心臓の鼓動を乱した。
意識する訳にはいかないと、必死に鼓動を抑えて平静を取り繕う。
「なら良かったよ」
「でも全快とはいかないので、その、甘えても、いいですか?」
「も、勿論だよ」
僅かに身を寄せられ、シャボンの香りに動揺してしまった。
言葉を詰まらせたのだが、乃愛ちゃんは気にせず歓喜に満ちた笑顔を浮かべる。
「ありがとうございます。それじゃあ、失礼しますね」
そう言って乃愛ちゃんは体を横に倒し、俺の膝に頭を乗せる。
アニメを見た時は俺から行ったが、今回は彼女からだ。
突然の膝枕に固まっていると、不安を宿した蒼と黄金の瞳が俺を見上げた。
「ダメ、でしたか?」
「ダメな訳じゃない。ちょっとびっくりしただけだよ」
「驚かせてごめんなさい。前に膝枕してもらった時は全然楽しめなかったので、もう一度してもらいたかったんです」
「そういう事か」
あの後、膝枕に関して特に何も言われなかった。
怒られなかったので流していたのだが、意外にも高評価だったらしい。
可愛らしいおねだりに頬を緩め、黒髪に手を伸ばす。
風呂上りの僅かに湿った髪の感触が心地良い。
「ん~、最高ですぅ。毎日やってもらいたいくらいですよ」
「これくらいなら喜んでだよ」
「ホントですか? じゃあいつも――は流石に図々しいので、偶にやって欲しいです」
「仰せのままに、ってね」
毎日でも構わないのだが、乃愛ちゃんは気に病んだらしい。
もっと甘えてもいいのにと思いつつ、彼女の頭を撫で続ける。
ご機嫌な様子で撫でられていた乃愛ちゃんだったが、暫くすると様子を窺うような視線を俺に向けた。
「どうしたの?」
「その、ですね。あんまり聞かれたくない事なんだろうなって思ったんですが、気になってしまって」
「……出来る限り質問には答えるよ」
これまで乃愛ちゃんと過ごしていて露骨に話題を逸らしたり、踏み込まれないようにした事はあった。
それを察して彼女が踏み込んで来なかったため甘えていたが、流石にそうも言っていられないらしい。
情けない姿を知られたくなくて予防線を張ると、気遣うような微笑が向けられた。
「それで構いませんよ。……早速ですけど、恋人、居たんですか?」
「どうして、そう思ったの?」
乃愛ちゃんの質問に、どくりと心臓が跳ねた。
どこまで話すべきかと、必死に思考を巡らせる。
「私の体調について凄く詳しかったので。詳しいって事は、昔そういう経験があったのかなって」
「そうだね、居たよ。もう別れたけど」
別れた事を話すのは、意外にも胸が痛まなかった。
おそらく、失恋した事そのものにはある程度心の整理がついているからだろう。
口元を僅かに緩めると、形の良い眉がへにゃりと下がった。
「すみません、辛い事を聞いてしまって」
「乃愛ちゃんが謝る必要なんかないよ。別れ話なんてよくあるんだから」
恋人と別れたのが辛いのではない。変化が怖いのだ。
人は変わる生き物だ。良くも悪くも。
そして、好きな人が変わっていき、俺から離れていくかもしれない。
そんな情けなく弱い考えが、未だに俺の心を縛っている。
「まあでも、経験しておいて良かったかな。乃愛ちゃんの力になれたし」
「確かにそれは、凄く助かりました。私、結構重いみたいなので」
「……それはこういう日にしっかり食べないからなんじゃないかな」
体を動かすのが面倒だからと手を抜いた結果、余計に体調を崩してしまう。
そんな悪循環に突っ込みをいれると、乃愛ちゃんがむっと唇を尖らせた。
「それはそうですけど、瀬凪さんだって私が晩ご飯を作るまでは、手抜きの日が多かったんじゃないですか? 人の事は言えないと思います」
「乃愛ちゃんには悪いけど、俺は男だからね。手抜きの日が多くても問題なかったよ」
「うぅ……。そうでした」
俺と乃愛ちゃんでは状況が違うと諭すと、負けを認めて口を噤んだ。
とはいえ完全には納得していないらしく、ぐりぐりと腹に顔を押し付けられる。
いつも以上の甘えっぷりに、唇が弧を描くのだった。




