-6- 戦闘
異臭が鼻を突く。
照らしつける日の光を浴び、ヌラヌラと体表を鈍く光らせる。
今しがた湖から飛び出したソレは、二足で大地に立ち、ぎょろりとコブシ大の目玉をこちらに向ける。
匂いの元であろう粘着質な液体が四肢から垂れ落ち、気味の悪い音を立てる。
幾許かの知性を有するのか、こちらの様子を伺っているように見えなくも無い。
時折、口元から空気を含んだ水分を吐き出す。
「デ、デックさん…。これって……?」
及び腰になりながら、ルルはデックの背後にその身を隠そうとする。
彼には備わっていないが、危機センサーが音を大にして警鐘を鳴らしている錯覚を覚えた。
汗をかく筈の無い自分が、冷や汗を感じる。
決して、物理的に汗をかいている訳ではないが、ルルにはそう感じられた。
背にしょったバックパックから、小ぶりなナイフを取り出そうするが、
入り口に柄が引っかかって上手く取り出せない。
「ッ!このっ!」
強引にソレを引っ張り出し、構える。
一瞬、先にいるモノの目が細くなった気がした。
刹那。
腰から崩れ落ちるルル。
気がつけば、地面にペタリと座り込んでいた。
カラン、と軽い音を立てて、ナイフが手元から逃げ出す。
駆動系のチェック103から2583まで。応答ナシ。
緊急回避シーケンス。動作不能。
呼吸が、荒い。
ナゼ?自分はアンドロイドなのに。
循環器官系の異常?エラー。
視界が、霞む。
ナゼ?自分はヒトでは無いのに。
視覚センサーの異常?エラー。
頭が、軋む。
ナゼ?なぜ?何故?
エラー。error。えらー。
強制終r
「ルルさん。」
突如。
視界に入る漆黒。
気がつけば、先程のエラー項目が解除されていた。
ジャリ、と鈍い音を立てて、立ち上がる。
駆動系のチェック103から2583まで。問題ナシ。
戦闘用システムデータ起動。動作確認。
「大丈夫ですか?」
そう言って、こちらに笑みを浮かべながら尋ねる彼に、ルルは答える。
「はい!」
全システム、正常稼動中。
迎撃モードへ移行。
ルルの中の歯車が、敵を威嚇するように、唸る。
□
(…驚いた。)
ルルの様子を視界に捉え、また、彼から発せられる魔力を肌で感じ、驚きの念を持つ。
先程までの彼ではない。
戦闘モードの、ルル。
何が違うかと聞かれて、正しく理解できる者はそうはいない。
見た目は、普通の人間。
決して、強くはない。
むしろ、彼くらいの年の平均では、少し弱い部類に入る。
同年代で、輝かしい功績を修める者をデックは何人も知っているし、実際に会合したこともある。
彼等は、ある種特殊だが、異常ではない。
だが、目の前の彼。ルルはまさしく異常であった。
アンドロイドの身でありながら、魔力を宿す。
いかなる英知の結晶か。
はたまた禁忌の科学か。
ぞくり、うなじの産毛が総毛立つ感覚を覚える。
(…実際に、目の当たりにすると、堪えますね。これは。)
ルルに向けた笑顔を、眼前の敵に向き直して一人ごちる。
「ルル君。いけますか?」
内心の葛藤を押さえつけ、尋ねる。
彼のポーカーフェイスを敗れる者は少ない。
当然、ルルもそれに気付かずに答える。
「はい!大丈夫です!
さっきはいきなりでびっくりしちゃいましたけど、いけます!」
言いながら、足元のナイフを拾い上げ、再度構える。
ぎこちなくはあるが、一応の形になっている。
眼前の敵は、まるで何かに縫いとめられているかのように動かない。
どこか、苦しそうな表情にも見えるが、気のせいであろう。
「分かりました。ルル君は5級の魔法は大体?」
デックも大振りのナイフを胸元まで掲げ、腰を落とす。
いつでも駆け出せるように、自然な動作で半身を引く。
「はい。」
短い、肯定。
「では、左方向へ、身体強化を付与しつつ中距離攻撃を。
私はその隙に右方向から挟撃をかけます。」
口早に告げる。
若干、後方へと体重移動をしたのが分かる。
「参りましょう。」
静かに、しかし力強く。
まるで、魔法のように響く。
ルルは、自身の体が軽くなる錯覚を覚えた。
飛び出すデックに対し、一拍遅れてルルが飛び出す。
対象が二手に分かれたことにより、戸惑いが生じる。
先に飛び出たデックに、一瞬気を向けるがやめる。
体躯の小さいルルを狙った方が良いと判断したらしい。
どうやら、やはり多少の知恵は持ち合わせているようだ。
「我が身を駆けろ血潮!」
敵がルルの方へと意識を向けた瞬間、彼の術式が展開される。
駆け込みながら叫ぶ彼の周りに、淡い光が集まる。
やや発光しているような状態のルルに、若干及びながらも飛び込む。
既に、ルルのほうから敵に近づいていた為、その距離はルルにしておよそ5歩。
敵は先程のルルの倍近い速度で接近する。
大きく振り上げた右腕が、異様な音を立てて膨らむ。
一足で距離を詰められたルルに対し、風を切る音を上げて振り下ろされる拳。
空気の壁を突き進みつつ、ソレが着弾する。
轟音。
弾けたつぶてと、大量の土砂が空中に舞い上がる。
改心のソレに対し、答えるのはルルの声。
「我が前の敵を焼け。」
振り下ろした己が拳の先に得物がいないことに気付いた彼は、
囁かれるように聞こえるソレに目を向ける。
眼前を覆うは白。
光が目を焼き、次いで体皮の液を蒸発させる。
着弾を知らせる音が爆ぜる。
辛うじて生き残った片方の目が最後に捉えたのは、
笑顔のまま、得物を振り上げた人間の姿だった。
辺りに、血風が舞う。
湖畔からの風が、静かにソレを散らしていった。