初戦
ぼくらは一旦更衣室に戻り、揃いのジャージに着替えた。
「ん?」
ポケットに入れた瞬間、携帯電話がブルっと振動した。
「着信?」
「あ、わたしもです」「おれもだ」
「待って、みんな、着信を確認する前にまずは亜紀ちゃんと合流しよう」
慶次君が着替え終わるのを待って、4人揃って更衣室を出ると、廊下には携帯電話を握りしめた亜紀ちゃんが立っていた。
「てっちゃん、携帯、見た?」
「いや、これからだ。みんな揃ってから確認しようと思って……」
「見たことないアイコンが追加されてる」
亜紀ちゃんが差し出した携帯電話の画面には、黒っぽい文字で「La」を象ったアイコンが表示され、右肩に「2」という小さい文字が浮かび上がっている。
「よし、みんな、アイコンをタップしてアプリを開いてみよう」
『2万アンが支給されました。内訳:ミッション1 健康診断クリア報酬』
『指令:チーム17Sは、事前登録者6名中5名が健康診断をクリアしたため、ラビリンスへの参加が認められました。最寄りの階段又はエレベーターを使用し、地下1階の職業斡旋所に至急移動してください』
「みんなも同じメッセージ?」
「そのようですね」
「じゃあ、ここにいる5人がラビリンスに参加できるっていうことで……」
「お父さんはやっぱり失格ってことか」
「くそ、やつらお父さんをどうしやがった?監督、お父さんがどうなったかわからねえのか?」
修がいら立ちも露わに詰め寄ったが、南監督は首を振るばかりで何も答えることができない。
「てっちゃん、電話は?パパに電話してみたら?」
そうか、その手があった。着信履歴からパパの番号を探して、発信ボタンを押した。
「ん、いや、だめだ」
呼び出し音すらもならず、携帯電話は沈黙している。
「圏外、いや、電波が妨害されている?」
みんなも慌てて携帯電話を操作し、それぞれが外部への連絡を取ろうと試みた。
「わたしもだめです。妻や松山君に電話をしてみましたが、やっぱり発信できませんね」
「おれたちもだ」
「このアプリケーションが、電波を発信できないように妨害しているのかな?」
「その可能性はあるわね」
「うーん、外に連絡できないっていうのが、このゲームのルールなら、仕方ないか。パパはしぶといから、多分、自分でなんとかするよ」
「そうね、てっちゃんのお父さんなら大丈夫だよ。今頃一人で家に帰ってのんびりしてるかも」
「よし、わかりました。そうと決まれば、わたしたちはこの5人でゲームをクリアするしかありません。早速、地下に行ってみましょう」
普通の建物なら、2階分に相当するほど階段を下りたところで、ようやく広い部屋に到着した。
「地下、駐車場?」
地面は頑丈そうなコンクリートで舗装されていて、外気が流れ込んでいるのだろう、空気はちょっとひんやりしている。どこかで発電機が回っているような音がする。
「あ、あそこ、人がいる」
5mほど前方を見ると、暖色系の照明に照らされたカウンターの中に、一人の女性が立っている。年は20代半ばくらい。ぼくらより少しだけ年上ってところだ。
「お待ちしておりました。17Sの皆様ですね」
「はい、でもなんで……」
「申し訳ございません。皆様の携帯電話の位置情報は、全て運営で把握しております。また、ラビリンスやこの建物の内部には多数の監視カメラとマイクが設置されております。撮影、録音されたデータは全て配信される可能性があることをご了解ください。ただし、お風呂やトイレの中にはカメラもマイクもございませんので、ご安心ください」
ゲームの性質上、全てが配信されるのは覚悟の上だ。
「はい、わかりました」
「皆様には、ここで簡単なルール説明を受け、職業選択、着替えをしていただいた後に、ラビリンスに向かっていただきます」
さあ、いよいよだ。みんなが真剣な表情で耳を傾ける中、お姉さんは淡々と説明を続けた。
「ご存じの方も多いと思いますが、ラビリンスのクリア条件は、最終ボスを倒すこと。敗退条件は、アンを全て失ってしまうか、参加者によるギブアップの意思表示です。ギブアップした場合も、そこまで手に入れたアンは全て没収となります。そのほか、ほかの参加者に暴力を振るった場合やラビリンス内の物品を破損した場合は、レッドカードが提示され、その時点で敗退となります」
「最終ボスってどうやって倒すの?」
「それは皆様で考えていただくこととなります。ただし、最終ボスが「参った」と言えば、それで倒したことになるようです。
ラビリンス内では、一般参加者同士でのバトルも発生します。そのバトルに勝利した場合は、報酬10万アンが支給されます。そのほか、重要な拠点は中ボスが守備しており、中ボスとのバトルに勝利した場合は、難易度に応じたボーナスが支給されます。どちらのバトルにおいても、敗北した場合は、10万アンが没収されることとなります」
「じゃあ、所持金が10万アン未満の時は、バトルができないってことなの?」
「いいえ、皆様が1アンでも持っていれば、バトルに挑戦することはできます。ただしその状態でバトルに敗北すると、全ての所持金を失い、即敗退ということになります」
「ふうん、10万アン以上持っていれば、勝負に負けてもやり直しがきくってことね」
「それでは皆様、Laアプリをご覧ください。こちらのアイコンをタップすると、バーコードが表示されます。ラビリンス内の各店舗のレジでバーコードを読み取ることにより、決済を行うことができます。つまり、アプリに登録されたアンを使用して、ラビリンス内でお買い物やお食事を楽しんでいただくことができます」
「よかった。ラビリンスにもパン屋さんとかレストランとかがあるんだ!」
「次にこちらのアイコンをタップしていただくと、職業登録画面になります。皆様にはこれから職業を選択し、職業に合わせた衣装に着替えていただきます。
職業には大きくわけて、RPG系とリアル系の2種類があります。就職してから、その職業で一定の成果をあげると熟練度が上昇し、熟練度に応じたスキルを身につけることができます。ただし、どの職業でどのようなスキルを身につけられるかは、事前に知ることはできません。また、一旦職業につくと、熟練度が100%となるまでは、ほかの職業にかわることはできないので、職業の選択は慎重に行ってください」
「よし、ミーティングで決めたように、攻撃系2人と、回復系2人、そのほか1人だ。おれは、この「武士」になるぜ。一回、この大鎧ってやつを着てみたかったんだ」
「わたしは魔術師を選択します。これでも若いころは、ピッチの魔術師とか卓上の魔術師とか呼ばれていましたからね」
「は、卓上ってなに?」
「え、いや、それはおっさんの事情というやつで……」
「ぼくは住職、亜紀ちゃんはナースだったよね。てっちゃんは、どこに就職するか決めてきた?」
慶次君に聞かれたが、ぼくは将来何になるか、どこに就職するか、まだ決めることができない。このゲームは、将来の職業を疑似体験できるまたとない機会なんだけど……
「ねえ、お姉さん、ぼくたち来年は就職活動をしないといけないんだけど、ぼくは自分が何になりたいのか、全然わからないんだ。ぼくは、初対面の人と話すのがあまり得意じゃないし……」
「あなたは、哲也様、平峰大学法学部の3年生ですね。そうですね、普通だったら公務員とか、企業の総合職を目指すんでしょうけど……対人に自信なし、っと。あ、ありました」
お姉さんは携帯電話を操作して、職業紹介のページを表示した。
「法学部出身の方で対人能力に自信がない場合は、行政書士や司法書士などの資格を取って、事務所開設を目指すこともあるみたいですね」
「ああ、そういう手もあるのか。じゃあそういう場合、このラビリンスではどんな職業が該当するの?」
「ええっと、例えば、この学者はいかがでしょう?大学を卒業したあとも研究室に残って、いろいろと高度な研究をする方もいるようです」
「ああ、松山さんみたいな大学院生のことかな?わかりました。ぼく、とりあえず学者になります」
ふう、問題を先送りにしただけのような気もするけど、まだ焦る必要はない。とりあえず今日からぼくは学者だ。
「てっちゃん、わたしのナースの衣装、白とピンクどっちが可愛いかな?ってちょっと待って、なにこれ?」
亜紀ちゃんが表示している画面には、黒いミニのワンピースに白のフリルがついたエプロンを着けた……
「コンカフェ嬢?いや、メイドさんかな?」
え、慶次君、なんでそんなこと知ってんの?
「わたし、これがいい。メイドさんになる!」
「え、だって亜紀ちゃん、回復役もいないと……」
「ラビリンスって、結局はクイズやゲームで戦うんでしょう?フットサルじゃないんだから、ケガして治療する必要なんてあんまりないよ」
「う、言われてみればそんな気もするけど」
「わたしが疲れて帰ってきたみんなを癒してあげるから」
「わかった。じゃあメイドさんでいいよ」
「申し訳ありません。慶次様」
ん?今度は慶次君が深刻そうな顔つきでお姉さんと話をしている。
「残念ですが、住職の衣装は3Lまでしか準備しておりません」
「え~、じゃあ、5Lの衣装があるのは……」
「そうですね、こちらの格闘家ですとか、警察官ですとか……」
そうだ、パパも言っていた。DBは服とか靴を買う時、デザインや値段より先にサイズを確認しないといけないって。
「格闘家はどんな衣装なの?」
「そうですね。プロレスラーのショートパンツか力士のまわしでしたら準備しております」
「ええ、そんな恰好で動画配信されるのはちょっと……でも、なんで警察官の制服にはそんなに大きいサイズがあるの?」
「わたし、聞いたことがあります。警察では機動隊要員として柔道や剣道の有段者を毎年何名か採用しているって」
「ああ、なるほど。確かに機動隊の人って、すごくごついイメージがあるなあ。じゃあ、ぼく、警察官になるよ」
そうか、体形で職業の選択肢が少なくなることもあるのか……ぼくもあまりDBやむきむきになりすぎないように気をつけよう。
当初の予定通りにはならなかったが、なんとか5人の職業が決まり、着替えも完了した。
並び順は、鎧兜をまとった「武士」の修を先頭に、警察官の制服を着た慶次君、3Lサイズのタキシード姿でシルクハットをかぶった「魔術師」南監督、ぼくはノーネクタイでよれよれのスーツの上に白衣を着けた学者。しんがりに銀のお盆を抱えたメイドの亜紀ちゃんと続く。
「それでは皆様、こちらの扉の向こうがラビリンスでございます。どうかお気をつけていってらっしゃいませ」
「うん、お姉さん、いろいろありがとう」
「絶対、最終ボスを倒してくるね」
修と慶次君が重そうな両開きの扉を開いてくれた。ぼくらは恐る恐るラビリンスに続く階段を上り始めた。
ぼくらは幅3mほどの石造りの階段を上り続けた。所々にかがり火が焚かれているから、なんとか足元は見ることができるし、空気も温められている。
ほんとだったら、周りはしんと静まりかえっているのだろうが、後ろからは亜紀ちゃんが履いているヒールの足音がかつかつと響いてくるし、前方では修の着ている鎧がガチャガチャとにぎやかな音を立てている。
「ねえ、修、その鎧、重くないの?」
早くも息を切らしはじめた慶次君が、気を紛らわすように問いかけると
「いや、見た目ほどは重くねえな。本物だったら鉄板で作られてるんだろうけど、これは多分、プラスティックとか、チタンとかでできてるな」
「見た目は古そうだけどね。いつの時代の鎧なのかな?」
「うーん、あまり詳しくないんだけど、多分、源平合戦の頃なんじゃね?
ほら、あの頃の鎧武者って、弓矢で攻撃することもあったみたいだから、腕が動かしやすいようになってんだよ。那須与一とか聞いたことねえか?」
「え?弓矢、那須与一?ひょっとして、よいちのゆみのこと?」
「おお、多分それだよ」
「じゃあ、ひょっとして修が着ているのって、源氏の鎧ってこと?兜は源氏の兜で、籠手は源氏の籠手?」
「ええっと、まあ、当時のものだったら、二分の一の確率で源氏の鎧、でなかったら平氏の鎧ってことかな」
「じゃあ、あとは源氏の盾を手に入れたら、源氏シリーズコンプリートってことだね」
「ん、盾?この時代の鎧武者が盾を持ってたって、あまりイメージがわかねえな」
「え、そうなの?」
「ほら、さっきも言ったけど、この頃の鎧武者は、弓矢を撃ったり、馬に乗ったりして戦うこともあったから、多分、盾を持つことはできなかったはずだ」
「じゃあ、源氏の盾だけは実在しないんだね」
慶次君たちの話を聞きながら歩いていると、道が二つに分かれている場所にたどり着いた。分岐点には、肩まで伸びた白髪に、羽織袴をまとった70歳くらいの男性が杖を持って立っている。
「う、あれが中ボスか?」
「ようこそ17Sの諸君。ここでわしが諸君に一つ問題を出す。諸君はその問題を解き、正しいと信じる道を進むのじゃ。正しい道を進めば、諸君は報酬を得、目的地にたどり着く。誤った道を進めば、諸君は資金を失い、敗退となる。制限時間は1分間。出題後、1分の間に全員がどちらかの道に進まねば、そこで自動的に敗退となるぞ」
「これが最初のクイズってことですね。わかりました。ご老人、出題をお願いします」
「よし。では問題じゃ。
長谷川氏が実在し、藤枝氏は実在しない世界において、秋山氏は実在するか?
実在すると思うならわしの右手側の道を、実在しないと思うならわしの左手側の道を進むがよい」
「え、なに?長谷川し?地名?人の名前?ええっと……」
だめだ、亜紀ちゃんは混乱している。
「藤枝市はなんか聞いたことがあるけど、確かサッカーが強い高校があったよね?え、でも藤枝市は実在しないって……」
慶次君も混乱している。もちろん、ぼくもなんのことだかさっぱりわからない。
「長谷川……町子?マッチ?長谷川……京子?キョンキョン?藤枝?秋山?ロバート?いや」
ぶつぶつとつぶやいていた南監督が何かに気付いたようだ。顔を上げ、自信満々に叫んだ。
「わかりました!答えは……」