6、長い夜の始まり
初めから、分かっていた。知っていながら、なにもしなかった。もしそれを、罪だと言うのなら。
――黒龍は、その罪を背負うだろう。
彼女の願いのために。
「アーリャ」
こちらに背を向けていた少女は、黒い空の月を見上げていた。
いつかの夜のように。
彼女は、黒龍へと向き合った。
優しい夢で満ちたギルドの屋上にあるのは、冷たい現実だけ。
そう告げるような青白い月明かりが、フードを下ろした彼女に降り注ぐ。
「お久しぶりです、黒龍様」
なにも見せない瞳を、黒龍は悲しく思った。シズたちと出会った少女は、諦めていた。これからも、みんなと生きていく未来を。でもそれは、人として生きるためだった。
命には必ず、終わりがある。その終わりを反転させ、長い時間を手に入れても。きっと彼女は、笑わない。嬉しいと思わない。自分の命を全力で生きたという実感。それこそがきっと、アーリャが求めてる報酬だから。なにもやらない。君の最後を、見届ける。
「あなたを殺した、戦闘人形です」
先ほどよりも感情が消えた。冷たい声だった。アーリャという少女が死んだような気がして、嫌な気持ちになる。
「戦闘人形って言葉は、あんまり好きじゃないかな。作られたものとはいえ、君も愛すべき生命だ」
「……あの時も、同じことを言ってくれたね」
「アーリャ」
「うん、もっと呼んで」
望まれた通りに、繰り返した。嬉しそうに笑ってくれる彼女に、人間としての心を感じて。黒龍は、震える息を吐いた。
とても酷いことを、幼い命にしている。
壊れることなく、この瞬間まで生きてきた彼女は――手遅れなほどにその存在を歪められていた。覚醒に近い生き物だから、彼女の周りに霧が発生する。
始まりの魔法使いが呪ってる。
「……もう、聞こえてるのかい? 妖精王の声が」
黒龍がこの世界へと降りた時、彼はすでに死んでいた。絶望と贖いだけが、残されていた。
「この四百年、私は凍結されてた。呪いに満ちたところにいて、私が霧を呼ぶの」
「……君のせいじゃない」
「人の抗いは、まだ終わってない。マスターには、愛した人がいた。なのに人紛いが奪ったの。殺して、罪深くて、だから許さないで……!!」
アーリャの声に、少年のような声が重なった瞬間。誰かの意識が、黒龍へと流れ込んだ。――始まりの魔法使いは、言いました。愚かな民たちを見て。醜い者たちを知って。殺された愛しき人を抱きしめて。許さないで、と。
『ムイは、無意味な命なのです』
無表情にそう告げた少女を思い出して、黒龍は現実へと返された。精霊の目を借りてるような、浮遊感。強い眠気のようなものが残る頭で、アーリャへと顔を向けた彼は――。
なにも、間に合わなかった。
「っ、あ……?」
少女の口から出た、困惑の声。胸から突き出た刃が、黒龍の視界へと入り。とても愚かな選択を、世界へと見せつけた。
「お前が……。お前が呪いの原因だったのか! この化け物が!!」
魔力の流れ。あれは、人間だ。この世界に存在する人の紛い物で。かつて妖精だったもの――が。
飛んできた短剣に頭を刺され、倒れた。
「アーリャ!!」
いつから、そこにいたんだろ。アーリャに駆け寄ろうとしたシズの腕を、強く掴んだ。
「ちょっ、離してクロ!」
「君は駄目だよ。君はルアルと違って妖精よりの人間だ。……呪いで死ぬことを、彼女は望まない」
「呪いって……。霧なんかどこにも」
「……黒龍、様」
苦しそうな声が、彼女たちへと届いた。
「ごめん、なさい……」
背中から突き刺された胸から、赤黒い液体が落ちた。「助けられなくて、ごめんね」真っ黒な霧が、無慈悲にアーリャを包み込む。離してと暴れるシズを、呆然としてるルアルに投げ渡した。
「呪いの開花。君は、帝国のホムンクルスだから。覚醒した妖精とは異なる存在。
――刻む名は、滅びの導き手」
「あは、アハハハハハハハハ!!!!」
呪いの子が生まれた。完全なる闇へと変化してしまった彼女は、純黒のドレスを纏って罪人たちを嘲笑う。美しい光のような金色も、冷たい白へと変わって。その瞳を、黒い布で覆っていた。
「紡ぐは言の葉。願うは滅びの歌。我らが王の願いを、叶えましょう!」
白い髪の少女が、死を呼び寄せた。
腐敗の霧が、大切だったはずの街を包み込む。
もう誰も、生き残れない。奪われた未来を、多くの妖精たちが嘆くだろう。けれどそれも、仕方ないこと。
彼らは最初から、贖うことができない罪を背負っていた。