5、夢のような日常風景
クロノーズ王国。それは、黒龍を殺した帝国の血によって作り上げられた国だった。青龍のアグナ、白龍のバレンティアは。友を殺めた人間たちを決して許さなかった。
帝国の血を引く者は、罪人として生きることを古龍たちに誓い。クロノーズ王国で、今も先祖の罪を償っていた。
(……マジか)
自分が生まれた国だからと、軽い気持ちでクロノーズ王国の歴史を聞いたら。かなり酷い内容だった。衝撃を受けて固まった僕に、アーリャが「精霊様?」と首を傾げた。
なんでもない、と首を振るけど……。まさか、そこまで怒ってるとは思わなかった。
「キュ?」
襟から出てきたサクラの頭を、優しく撫でる。少しだけ、大きくなったかな? 現実逃避をしつつ、親友たちとの思い出を振り返った。
僕たち古龍は、世界から世界へと渡るもの。
群れとして動くことはあまりなく、こうしてずっと一緒にいるのは珍しいことだった。いろんな世界を巡ってきたから、彼らのことはよく知ってる。
それに僕らは、尊き命を愛する種族。永遠を生きる古龍だからこそ、無意味なことは決してやらない。
少しだけ苦しそうに息を吐いたアーリャに、シズが声をかけた。優しく背中を撫でて、休憩する? と聞いてきた彼女に、アーリャは首を振った。
(……そうだね。今日中じゃないと駄目っぽい)
儚い花を見つめて、どう動くべきなのかを考えた。きっと彼女は、拒むんだろうなぁ。
「無理なら、俺が背負う」
「はっ、そんなの駄目! ルアルが背負ったらあんたの背中にアーリャのあれが!!」
「……うるさい。シズは黙って」
「酷い!」
私はあなたを心配して……と喚くシズに、ルアルは頭が痛いという顔になった。そんな彼らを眺めていると、サクラが指を舐めた。あと少しで、ギルドがある街へと到着する。
そしたら、この着物ともさようならだね。
甚平に似てるから、懐かしいと思ったけど。いつまでも贄の装束ではいられない。
この世界での贄は、罪人という意味になる。
冒険者として人間に関わっていくなら。この服は、さっさと手放したほうがいい。
(カムラに再会できたら、またあの世界に行こうかな)
妖と人が、手を取り合って生きていた世界。こちらの人間たちとは違う彼らを思い出して、会いたいなぁと懐かしい気持ちになった。
(あ、でも、あの陰陽師には会いたくないかも)
研究に必要なんだと、毎日のように鱗を取りに来た男の顔が浮かび、ブルッと震えた。
「精霊様、寒いの?」
「ちょっとだけ。でも大丈夫だよ。サクラがあったかいから」
ごめんね、翅宮。どうか次の輪廻へと行ってくれ。君の子孫たちに会ったら、ひとまず話は聞くと約束するよ…………。
「あ、シズさん。ルアルさんたちもお帰りなさい。そちらの子は?」
「精霊様」
門のところに立ってた四十代くらいの男性に、身分証を見せたシズが。僕の手を引いて、街へと突撃した。
「ちょっ、待って!」
六歳の子供と、十八歳くらいの女性では歩幅が違いすぎる。転びそうになるのを耐えると。
「ごめん! ちょっと強すぎた!」
いや、早すぎるんだよ。ようやく足を止めてくれたうっかり屋さんから、自分の方へと引っ張ったアーリャが街のことを教えてくれた。
「あっ、ちょっとアーリャ! それはリーダーである私の仕事だよ!」
「精霊様、服屋はあっちだよ」
「……クロは男だぞ」
ぽつりと呟いたルアルの表情に、嫌なものを感じた。なんか、ものすごく不穏だ……!
「キュー?」
試着をするため、サクラをルアルに預けた僕は。今ものすごく死んだ目になってる。
「んー、やっぱりクロには黒かな?」
「精霊様には真っ白が似合う」
「でもこれだと、外に出る度に汚れが目立つよ? 魔獣の血で真っ赤になったら、殺戮の悪魔になっちゃうよ」
(……悪魔、ね)
殺戮で思い出すのがカムラだから、そのあとに続いた言葉に不快感を抱いた。彼は悪魔じゃない、戦いの王様だ。この僕に勝つことができた、ただ一人の精霊だ。
なのになんで悪魔って言うんだよ。
カムラはあんな、弱い生き物じゃない。
「精霊様は汚れない。魔法でそういうのを消せる」
そうでしょ? とこちらを見たアーリャは、なにがなんでも白い着物を纏わせたいようだ。この世界に着物があることに驚いて、きっとバレンティアが普及させたんだろうな、と、着物を見てたら。女の子二人が、交互に着物を持ってきて――。
まるで着せ替え人形のように、僕の纏うものを変えていった。
「でも黒には黒だよ!」
「クロには白」
お互いに譲れない戦いを、僕の横でやるのやめて。あとシズ、クロが黒になってること、気付いてる? ルアルに助けを求めたけど、死んだような目で顔を左右に振られた。
なるほど、君も犠牲者か……。
今纏ってる着物に魔法をかけて、右側の肩と胸の部分を真っ黒に染めた。これだけだとバランスが悪いので、青い花の柄を生かすように、他のところも黒くする。
知り合いの猫又が好んでたやつを参考にしたので、そんなに酷くはないと思う。
「これなら、いいでしょ?」
「うん!」
アーリャの笑顔が眩しい。
着物のお金は、シズたちに借りた。新人冒険者としてたくさん稼いだら返して、と言われたので。今日中には返す予定だ。
「それじゃあ、次はギルドだね」
「資格を取るのって、けっこう難しい?」
「ううん。黄色なら書類を書くだけでもらえるよ。難しくなるのは赤からだね」
なるほどー。
精霊に成りすましてるけど、一応人外なので大丈夫。嘘にはならない……と思いたいかな。
「あら、あーちゃんじゃない」
「アティおばちゃん!」
目を輝かせたアーリャが、優しそうな嫗へと駆け寄った。
「ギルドで働いてるアティリアさんだよ」
「シズちゃんたちもお帰りなさい。その子は、新しい子かしら?」
「初めまして」
色合いが柔らかな白髪を一つにまとめて、灰色の瞳に優しさを見せるその女性は、人だった。
「彼はクロ。依頼の途中で出会った、私たちの新しい仲間だよ」
「アティおばちゃん、精霊様だよ」
「あら、そうなの? 私はアティリアと言います。このギルドで働いてる年寄りよ」
「クロです。冒険者の資格を取りに来ました。それとシズたちから、大切な報告があります。偉い人はいますか?」
まだ呪いのことを話せてないので、彼女たちとはここで別行動になる。パーティーに加入する書類は、あとでシズが書いてくれるそうだ。なので僕はさっそく、依頼を受けることにした。
「あ? なんでここにガキがいるんだ?」
受付嬢のサリャとアティさんに、赤の資格を取るための条件を聞いてたら、後ろで変な声がした。誰かが喧嘩してるのかな? シズたちの気配ではないので、僕には関係ないか。
「赤を取るには、百の依頼をこなせばいいんだね? 冒険者の実力次第ではもっと早くに取れるとなると……」
「チッ」
後ろからなにかが飛んでくる。なので障壁を作ってサクラと着物を守った。今の僕は人間だけど、存在が古龍と重なってる(というか生まれながらの呪縛がある)ので、衰弱してなければある程度の攻撃は無効になる。
たくさんの生き物に踏まれてる世界にとって、一人の蹴りなどまったく痛くもないってことだ。
この特性があったのにも関わらず、カムラは僕を追い詰めた。ほんとに、すごい伴侶だよ。
後ろで派手な音が響いて、サリャの顔が青くなった。
まだ二十代の女性にこんな顔をさせるなんて。ここら辺の冒険者は、本当に質が悪いようだ。シズたちがのんびりと休めれるように、溜まりに溜まった依頼を、すべて片付けることにしよう。
「それじゃあひとまず、行ってきます!」
魔法で作った踏み台を消して、僕はそのまま外へと飛び出た。
僕が加入するパーティー、フェアリーは。現在、青の資格を持つ冒険者だ。なので僕もさっさと青のペンダントを手に入れて、みんなと一緒に上を目指したい。
受けた依頼は、全部で二十。これが終わったら、また二十の依頼を受けるつもりだ。
「キュウ、キュキュ、クゥ!」
サクラが楽しそうに歌ってる。僕の気持ちが伝わってるのかな? 歌に合わせて体を揺らす。黒龍は歌も好きだよ。
「僕が引き受けたのは、バラバラ。簡単なやつもあれば、青以上じゃないとできないやつもある」
みんなが呪いの対処で忙しいから、こういうのが残ってしまうそうだ。暇になった冒険者に、次々と回していくらしいけど。僕は人じゃないから、無理にお願いして受けさせてもらった。
「そういえば、なんで塒を移したんだろ」
――クロノーズ王国は、僕の領域の中に。バティリアン王国はバレンティア。精霊の国はアグナの領域にある。だから本当なら、とっくに会えてるはずなんだよね。
だって領域の中で魔法を使ったんだ。あいつがそれを、見逃すとは思えない。だからバレンティアは今、違う場所にいる。
北にある島国から、西に広がる大陸へと来たので。もし探すのならこのまま南下して、アグナの領域に行くべきかな? 中心にも島があるけど、あそこには誰もいない。
いてはいけない場所だ。
「……カムラ、好きだよ。早く君に会いたい」
サクラを懐へと隠して、近付いてくる気配に狙いを定める。新鮮な魔獣の肉を三十。畑を荒らす小型の魔獣討伐と、正体不明の影の調査。その他いろいろ。
さっさと終わらせようか。
✡ ✡ ✡
バレンティアの塒で、とんでもないことを聞いた。
黒龍が、死んだ?
しかも人間に、殺され……。
「……あ、失礼。人間ではなく人でした。いえ、まぁ、どっちも同じですが。四百年前、帝国は黒龍を殺した。なのでその時に帝国を滅ぼし、彼らの血を引く者たちに王国を作らせたのです。人と人間の子供も、人間になるとは限りませんから」
静かに語る白龍は、真なる者のことを思っているようだった。だが、そんなのはどうでもいい。
「黒龍は、彼は生まれ変わるのか?」
「おそらくもう、転生してますよ。わずかですが、呪いが反転してるような気配がある」
「……そうか。そう、か」
目が熱くなる。こぼれそうになる涙を必死に堪え、バレンティアの話を聞こうとした。最後まで聞くと、約束したから。黒龍を探すためにも、早く聞かなくてはいけない。
「つ、続きを……」
「カムラ」
ふっと吹かれて、赤い前髪が後ろへと流れた。穏やかな緑色の瞳に、小さな子供の泣き顔が映る。ボロボロと落ちていく涙に気付いて、不安と嬉しさがぐちゃぐちゃになって。
――感情のままに、泣き叫んでしまった。
「精神が大人でも、その体は子供。我慢する必要などありませんよ」
バレンティアの姿が、真なる者に似た形へと変化した。白い前髪が、視界を覆い。頭の横に生えた鋭い角が、古龍であることを告げる。黒龍も、こんな姿をしてるのだろうか?
「帝国は、人間を嫌っていました。人間を滅ぼすために、呪いを抑える黒龍を殺めたのです。ワタシにもその気持ちは分かりますが……黒龍を殺したことを許す気はない」
それでも、思うのですと彼は言った。
「作られた生命に、罪はないのだと」
✡ ✡ ✡
「あー、やっと終わった!」
「……長かった」
疲れた様子で二階から降りてきた彼らを、少し離れた場所で眺めた。酒を飲んだりしてる冒険者たちがうるさいけど、ここでも十分にシズたちの声を聞けた。
「黒龍の呪いだから、もう私たちとは関係ないね。あとは聖職者たちの仕事だー」
「……あいつらは、鬱陶しい」
「こら、ルアル。そういうこと言わない」
「精霊様は?」
フードを深く被り直したアーリャが、きょろきょろと周りを見て。壁側にいた僕に気付いた。
「精霊様!」
「……はっ? 精霊?」
駆け寄ってきたアーリャと手を繋いで、シズたちのところに移動する。近くで誰かの声が聞こえたけど、記憶にないので無視した。
「……クロ、その色」
「驚いた? たった半日で青になったよ!」
ペンダントを見せたら、シズがものすごい顔で叫んだ。
「すごい! すごいすごいすごいすっごーいっ!!!」
うん、耳が痛い。間近でそれを聞いてしまったルアルが、眉間に皺を寄せて辛そうな顔になった。
「……シズ、少し黙れ」
「うごっ!」
ルアルの拳が、シズの頭へと落ちた。
「精霊様、すごい。どうやったの?」
「ただひたすらに、溜まってた依頼をやったんだよ。サリャたちが困ってた高難易度も消化したら、一気に青になった」
「クロちゃん、本当にすごいのよ」
アティさんにも褒められて、こそばゆい気持ちなった。僕はただ、できることをやっただけ。それなのに、こんなにも喜んでもらえる。それを懐かしいと思えるほどに、関わりを絶っていたのかな。
「……精霊様。楽しかった?」
「うん。とても」
心からそう伝えたら、アーリャが嬉しそうな顔で笑った。その姿をしっかりと記憶して、そっと目を伏せた。彼女にとっては、これも日常の一つ。この風景が大好きだから、僕にも見てほしかったのだろう。
「クロ、またあとで」
「……うん」