16、赤と、強き者
黒い風が吹いた。すべての命を飲み込むような、そんな恐怖を彼らに抱かせ、吹き飛ばす。
これは、自分たちが勝てるものではない。
そう理解させられても、強い眼差しを向ける冒険者たちがいた。兵士がいた。
守りたいものがあるのだと恐れに抗い、希望を捨てず、古龍へと挑むその勇気に、彼は笑った。
「――――――っ!!」
六歳の子供の喉から、龍に似た咆哮が放たれた。
我らの黒龍が、喜んでいる。戦うこともまた、生きるということ。愛しく思う命の輝きを、戦士たちの覚悟を見せられた以上、自分が手を出すのは野暮だなと少年は剣を下ろした。
カムラ、見てて。
そう言いたげな目を向けられてしまえば、微笑みしか出てこない。彼を悪魔扱いしたやつらには殺意しかないが、戦士として強者に挑むのならば敬意を払うのが礼儀だ。
相手を殺さないように刃を丸めていた魔力を解いて、剣を鞘へと戻す。
(……今日も、クロが可愛い)
手加減しながらも人間たちを蹴散らしていく。その姿を一秒も見逃したくなくて、じっと見つめた。まだ十二歳の体である自分は、前世と比べて男らしくない。それでもクロは、頬を染めてくれた。
――絶対に、あの男には渡さない。
自分を好きだと思ってくれてるのなら、全力で甘やかして俺だけを求めるようにしたい。そう考えてるカムラは知らない。もうとっくに、クロの番になってることを。
彼はずっと愛されていた。
あの日の戦いから、どれだけの月日が流れようと。クロは決してカムラを忘れなかった。
その身が滅び去ったあとも、生まれ変わっても。黒龍はカムラを選んだ。そして、なにも言わないことにした。ここにいる己は、今を生きてる。帝国に殺された時のことは、誰も知らなくていい。
「……終わりかな」
最後の一人が気絶したのを見て、体の力を抜いたクロは、自分を呼んだカムラに無邪気な色を浮かべた。そしてそのまま、番の胸へと飛び込む。
「クロ!?」
いきなりのことに驚いたのだろ。自分の匂いを擦り付けてから顔を上げたクロも、同じように固まってしまった。
あまり感情を見せない彼が、目を丸くしていたから。
その幼い雰囲気に呑み込まれた。
(……僕の番、ほんと可愛い)
かっこいいのに可愛いって、反則すぎる。これ以上僕を惚れさせてどうするんだよ……。
好き。君を心から愛してる。
この想いを伝えるためにカムラの両手を自分の頬へと当てた。
「……へへっ」
ふにゃりと笑う。
これも意外と恥ずかしいね。
「かっっ!」
「うん?」
耳まで真っ赤になってるカムラに首を傾げる。まだ子供であるクロのもちもち頬っぺが柔らかく形を変えて、余計に彼を動揺させた。
自分を見上げる瞳に、カムラはぐっと欲を堪える。
こんなところで襲ったら嫌われてしまう。というかまだ、自分は番じゃない。
ものすごく悔しいが、今はまだ抱きしめることしかできなかった。
✡ ✡ ✡
か、カムラが返してくれた! 僕のこととっても大好きだって、行動で教えてくれた。
うん、僕も愛してるよ!
カムラの体をぎゅっと抱きしめて、お互いの気持ちを強くする。
「それじゃあ、次に行こうか。サクラたちも頑張ってるから、僕らも派手にやらないとね」
「……そうだな」
ほんの少し名残惜しそうなカムラに、胸が弾む。この戦いが終わって精霊の国に行ったら、一週間くらいこもろうかな。まだ交尾できる体じゃないけど、二人きりの時間がほしい。
(ていうか僕、できるのかな?)
愛してることすら言えない恥ずかしがり屋が、お腹の中にカムラの一部を入れる。ちょっとだけその想像して、立ち止まった。
「クロ? どうかしたか?」
こちらを覗き込んだカムラの顔が、ものすごく近かった。今にも口付けができそう。自分から唇に触れようとして、我に返った。
「ご、ごめ――」
相手の許可を得ずに、キスしようとした。そのことを謝ろうとしたら、柔らかく塞がれた。
「……静かに。なにかが来てる」
カムラに手を引かれて、木の後ろへと隠れる。ウィル・クロノーズがこの国に来てることをアレクが広めてるので、追加の敵が来たのかもしれない。
とにかく派手に、たくさん倒してください。
そうアレクに頼まれてるため、次はどうしようかなと考えてると。懐かしい匂いがした。
「黒龍様」
(……アーリャ?)
耳へと届いた声は、もういないはずの少女のもの。精霊たちも騒ぎ始めて、カムラが「クロの知り合いか?」と聞いてきた。視界へと入った黄昏色に、目を見開く。
だって、ありえない。
なんで君が――。
「シズ!」
思わず飛び出してしまった僕に、彼女は驚いた顔を見せた。そしてゆっくりと、安堵の表情を浮かべる。
「……よかった。クロは、無事だった」
泥だらけの頬に、涙が流れて。シズはそのまま意識を失った。倒れてしまう前に抱きとめたけど、なんでこんなに傷だらけなの?
君のきれいな羽が、片方を失ってる。
ボロボロの服では体のほとんどを隠せてなくて、辱められた痕跡が肌に残っていた。
そして背中は、真っ赤に染まってる。今も血が流れてる。
――妖精の片羽を、無理やり引きちぎったんだ。
誰が? なんのために?
そんな理由すらもどうでもよくなるほどに、怒りが湧き上がる。
「大丈夫。もう大丈夫だよ、リーダー。僕は今も、君たちの仲間だ。冒険者の一員として、君たちも守るから。カムラも、シズも、ルアルも。人間たちには渡さない」
『どうすればお前らを、助けられるんだ』
あの夜の言葉、今も覚えてる。ほんとはね、すごく嬉しかった。化け物は排除するもの。そういう考えを、争いを、たくさん見てきたから。
僕はその優しさを、受け入れようとはしなかった。
とても難しいものだと考えて、自分が傷付くことを避けた。
なのに君は、よかったと言ってくれた。
とても酷い目にあったのに、僕が無事であることを知って心から安心してくれた。
だから僕は――怒るよ。君たちを傷付けた誰かを、絶対に許さない。
「カムラ」
「……ああ。クロの友人ならば、俺の友でもある。ひとまず拠点に運ぼう。ここでは危険すぎる」
背中の傷を布で押さえて、簡単な処置をしてからカムラの背中へと乗せた。本当は魔法で治したいんだけど、大切な羽を失ってるため、自然治癒に委ねるしかなかった。
残ってる羽に不可視の魔法をかけて、自分の唇を噛む。こんなことになるなら、最初から連れて行けばよかった。
ごめん、アーリャ。君の大切な人たちを、僕は守れなかった。