12、言葉にできない気持ち
古龍は、世界から世界へと渡る救済装置。そのことを知っているものは少なく、どの世界からも必要とされていた。
「なぁ、マジでここにいるの?」
「いるしかないでしょうが。黒龍がそう決めたのだから」
仲がいいとは言えないバレンティアの言葉に、ちょっとだけイラついたアグナはそのまま口を閉じた。
住み慣れた土地を離れ、次の旅へと出た彼らが降り立ったそこは、本当に酷すぎるところだった。自分だけここに残って、違う場所へ逃がそうと思ったのに。ほんと嫌なやつだよな、白龍は。
(ハゲればいいのに)
頭の鱗だけが落ちて、みっともない姿になったバレンティアを想像して、吹き出した。
「……なにやら屈辱的なものを感じるのですが」
バレンティアからの殺気に、一瞬で愉快さが消し飛んだ。
「うん? どうしたの?」
いきなり後ろへと飛んできたアグナに、黒龍は首を傾げた。きっとまた白龍を怒らせたんだなと気にしないことにして、死にかけている星を反転させていく。根本的な解決にはならないが、なにもやらないよりはマシだった。
「黒龍。後ろにいる馬鹿をもらっても?」
「……こ、黒龍」
尻尾を足の間へと入れて、完全に怯えてしまってるアグナに。「ワタシは、許すつもりはありませんよ」と、それは笑っていた。後日、邪龍のようだったと口にしたアグナの姿が三日ほど消えたが……おそらく大丈夫だろう。
青ざめた顔で戻って来たから、気にしてはいけない。黒龍は、空気を読める雄だった。
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「……黒龍、に?」
「ああ。だから悪い。しばらくの間、お前が守ってくれ」
カディムは驚いた顔のまま、「それは大丈夫だが……」とまったく気にしてない様子で、本当に挑むのか? と目で聞いてきた。
彼は穏やかという言葉をそのまま精霊にしたような男だが、俺の次に強い守り人だ。何度か代わろうか? と言ってくれた友なので、なんの不安もなく任せることができる。
「死ぬつもりはない。黒龍も、そこだけはしっかりとしてるはずだからな。素晴らしい手合わせついでに、愛を叫ぶだけだ」
「……そうか。なら、止めるわけにはいかないな」
にこりと笑った彼が、「頑張ってね」と言ってくれた。
破滅を破壊する、抑止の仕事。それがどれだけ過酷なものなのかを知っていながら、自分のために友へと押し付けた。
その我儘を……。
「……怒らないのか?」
「うん? それは、どうして? 同胞が素敵な人……いや、龍かな? 自分の運命を見つけて、一緒になりたいと願ってるのに。どうして怒る必要があるんだ? こんなにも嬉しいのに」
一瞬だけきょとんとしたカディムの、温かな祝福に。俺は深く、頭を下げた。
「カムラ、負けるなよ」
「ああ。絶対に、勝ってみせる。これでも、殺戮の王だからな」
拳をぶつけ合って、精霊の国を出た。
きっと彼は、ものすごく強い。
俺なんかに勝ちを譲るような龍ではないはずだから、全力で挑みたい。
最強へと届く一撃を、死ぬ気で出したいと思った。
――我ら精霊が守る存在、黒龍。その姿を見たあの日のことは、今もはっきりと思い出せる。初めて感じた気持ちに、心が震えて。美しすぎるその姿に、嫌なものがすべて洗い流された。
自由に空を飛ぶ。ただそれだけのことが、美しすぎるほどに神秘的で。ずっとそこにあってほしかった。
たった一度だけの奇跡。明日も見たいと思ってしまった俺を、彼は愛してくれるだろうか?
あの黒に触りたい。俺のそばにいてほしい。
――殺戮の王。おそらくこの名前は、彼の興味を引くはずだ。黒龍は力比べを楽しむと聞いた。
ならばきっと、俺と戦ってくれる。
彼に勝つことができれば――。
「精霊が来るなんて珍しいね。お話かい?」
「殺し合いを望みたい」
……もっと他に、言い方があった気がする。なぜこの口は愛を紡げないんだ。
いや、でも、戦いに来たのは本当だ。
嘘ではないから、大丈夫。焦ってしまう自分を深呼吸で落ち着けると。石造りの塔に座っていた黒龍が降りて来た。
「いいよ。それじゃあ、本気の力比べをしよう!」
嬉々とした様子で咆哮をする彼に、気付けば俺も笑っていた。
自分よりも遥かに大きい、最強の古龍。漆黒の鱗に覆われた体は太陽の光に触れ、この世のものとは思えないほどの美しさを見せていた。
きっとあの日も、今と同じように輝いていたはずだ。
(――ああ、すべてが愛しい)
本能が死を感じて肉体の動きを制限しても、熱く燃え上がった魂がその恐怖を打ち消した。
「今のを避けるか。すごいな」
(しなやかな尾。きっと手触りもいいはずだ)
止まらない。もっと俺を感じてほしい。
衝動に身を任せて、黒龍に切り込む。生きるということの意味を感じるように、ブレスへと剣を振るった。黒い炎を一振で消し飛ばした俺に、黒龍が驚いた。
目を丸くしてる姿も愛らしくて、甘すぎるほどに胸の中が震える。
これが、この感情が。
恋と呼ばれるものなのか!
魔法を使い分けることで相手の動きを止め、傷を負わないようにした。治癒する魔力も、時間も、無駄でしかないからだ。黒龍が笑ってる。楽しんでくれてる。もっと、いろんな表情を見たくて――。戦うことにすべてを注いだ。
その時の気持ちは、ずっと忘れていたものだった。
忌々しい生き物に殺戮の王と呼ばれ、殺しに狂った精霊だと貶められた俺は、いつしか戦うことが嫌になっていた。
人間たちが犯した、数多の罪。その後始末をしなかったら、もっと多くの被害が出て。黒龍たちにまで害が及ぶ可能性がある。だから俺は、嫌でも抑止力で在り続けた。
俺は、戦うことが好きなんだ。殺すことよりも、自分のすべてを使って勝利へと駆け抜けるのが大好きだから。ずっと、剣の鍛錬をしてきた。
「楽しそうだね、カムラ」
「……ああ」
ようやく、本当の自分になれた気がした。黒龍、俺はお前がほしい。たとえお前に番がいたとしても、俺は諦めたくない。刃を届かせるために、何度も踏み込んだ。
黒龍の爪が肩へと突き刺さったが、剣を強く握りしめた。
(悪いが、俺が勝つ!)
こちらへと飛んできた尻尾を弾いて、体を捻る。これならばもう、逃げれないはずだ。魔法を放つ様子もない黒龍に、鈍い銀色を突き付けた。これでようやく、好きだと言える。
「俺が勝者だ。だから俺の……嫁に、なってほしい」
……頼む。なぜ俺は、そういうことしか言えないんだ。
嫁になってほしいのは本当だし、なにも間違ってないのだが……。もう少し、違う言い方があったはずなんだ。
「……誤解されそう」
「うん? なにをですか?」
夢から起きた俺の、過去の後悔。
なんとか愛してることを黒龍に言えたが、やっぱり言葉が悪すぎた。
「なんでもない……」
「そうですか。ならさっさと、行きますよ」
「どこに?」
いつの間にか立ち上がっていた白龍に、首を傾げる。龍の姿で、フルリと体を揺らした彼は、不思議そうな顔で俺を見た。
「黒龍が見つかったので、今から会いに行きますよ。言ってませんでしたっけ?」