11、不審者は語る
青龍のアグナは、精霊と呼ばれるものを心から愛していた。彼ら古龍は、世界から世界へと渡る生き物であるため、ずっとその場所にはいられない。
二度と帰られないこともある。
だからこそアグナは、今できることを大切にしていた。
いつかはいなくなるから。
こうしておけばよかったという後悔を嫌った。
――黒龍が精霊に恋をした!?
バレンティアから教えられた情報は、まるで隕石のような衝撃をアグナの頭に与えた。過去に何度か、落ちてきた星を頭突きで割ったことがあるアグナがそう思ったのだから。
本当に、信じられないことだった。
あいつが恋をした。たった一人の精霊――おそらく守り人を愛してしまった。精霊に詳しい俺が、幸せな結婚までの道を作らなくては!! と、勢いよく飛び立ってしまった青龍に、白龍は大きなため息をついた。
「……龍の話は、最後まで聞くべきですよ」
黒龍が愛したカムラは、彼を守るために命を落とした。もう、終わっていたのだ。自分たちにできることは、なにもない。
ただここで、番の転生を待つ黒龍を守ることくらいしかできなかった。
けれどそれも、儚く破れた。
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守り人と呼ばれる精霊たちは、いろんな場所を渡り歩く。だからアグナは、安全に休むことができる休憩所を各地に作った。
――聖域、白亜の洞窟。
僕らが歩いていた山にも、守り人の休憩所があったみたいだ。だから妖精が嫌がったんだな、と納得する。
アグナは、人間が嫌いだ。
元からあんまり好きじゃないから、人に紛れ込んでる妖精のことをかなり嫌っていた。
精霊を傷付けるもの、悲しませるものは半殺しにする。
そう宣言してる古龍なので、シズのことが少しだけ心配になる。あいつは今、深い眠りについてるけど。いずれは目を覚ますことになる。
バレンティアの反応も怖いけど、アグナにも注意しなくてはいけない。
でも今は、あいつだよな……。一生懸命に泥を落としてる銀髪の青年を見た。
僕が歩いていた道は、服を汚さないために凍らせていた。なので普通にお湯へと入ったけど。アレクの場合は服も洗う必要があった。
「キュー……」
サクラが溶けてしまいそうだ。逆上せる前に、温泉を囲う岩へと避難させた。
白い洞窟の奥深く。外からの音はなく、人も妖精も拒絶されたアグナの聖域というだけで。こんなにも警戒心を解くなんてね。
お前はすごいなぁ、とサクラの頭を撫でた。
「さてと。アレクが入るよー」
満面の笑み。でも僕には、無表情にしか見えない。まったくなんの変化もなく、彼は湯の中へと沈んだ。
「……はぁ。生き返る」
ルアルと同じくらいに鍛えられた体。背丈も、たぶん同じ。ルアルが演技していた、と言われても。まったく驚かない気がする。
でもルアルは、あまり笑わない。
笑ったとしても、こんな不気味さはなかった。
まるで双子みたいだと、アレクを見つめた。
「キュ……」
お湯に入って、元気になったはずのサクラが僕を呼んだ。頭を撫でてほしいのだろう。
兵士と冒険者を撒くために、かなりの無茶をした自覚がある。
なのでしっかりと、サクラを労わった。
「……精霊は、世界の意思」
ぽつりと呟かれたそれに、視線を向けた。
「世界の一部として存在する彼らは、自分たちを助けてくれる古龍をとても大事にしている。もしもなにか、大きな災いが起きた時。この星は自分たちよりも、古龍の命を優先するだろう。たとえそのせいで滅んだとしても、精霊たちは古龍を守らなくてはいけない」
そうだろ? とこちらを見たアレクが、「クロッラは出て行くのかい?」と聞いてきた。
「……僕はクロだよ」
違う名前にしないでほしい。黒龍と名乗れないから仕方なくクロっていう名前を持ったけど、名無しのほうが好きなんだ。
「ムフッ。クロッラさん、クロッラさん、クロッラさーん!」
「……わざとだろ」
睡眠不足のせいか、苛立ってしまった。自分よりも遥かに年下な子供相手にと、少しだけ恥ずかしくなった。
「狭間とやらで見る世界は、どういうものなんですか?」
一瞬で真面目な顔にならないでくれ。切り替えが早すぎる。
「……大樹だよ。世界という形が、大樹になってるんだ。たくさんの星を内側に宿したそれは、僕らよりも大きくて。簡単に壊れてしまう」
「なるほど。たまごのようなものなんだね。なんですね、かな? 敬語の方がいい?」
ごめんけど、黒龍には反応する元気もないよ。
「疲れた顔だね。生きてるなら楽しむべきなんだけど、子供にはキツいか。それでは抱っこの時間だよー!」
「うわっ」
「なにこの子、めっちゃ軽い! アレクの弟になる? あっ、アレクは私のことだよ?」
知ってるよ。アレクに抱えられたまま、温泉から出た。それを見たサクラも、岩から飛び下りて。アレクの横を歩いてる。まだ魔獣の赤ちゃんだけど、二週間後には大人になりそうだ。
お湯で洗い、風で乾かした着物を纏う。アレクから簡単な食事をごちそうされたので、その恩に似合うなにかを返さなくてはいけない。
「君が求める対価を聞いてもいいかな? 僕にできることであれば、なんでもやってあげるよ。できないことは断るけどね」
「うんうん、さすが黒龍。やっぱり話が早いねぇ。ルアルの弟にならない? っと、今は駄目ですね。しっかりしろよアレク。私が君に求めるのは一つだ」
姿勢を正したアレクの、次の言葉を待った。
疲れていた体を温め、腹を満たした子供の体は。十分な睡眠を僕に求めていた。なのでさっさと話し合いを終わらせ、ゆっくりと眠りたい。
「黒龍よ、どうか私と一緒にカムラを殺してほしい」
「…………はっ?」
眠気がぶっ飛んだ。なにを言われたのかを理解した本能が、勢いよく魔力を放出した。
風となって暴れるそれに、サクラが怯える気配がした。でも、抑えることができない。龍の威圧を間近で浴びてるにも関わらず、平然としてるアレクに殺意が膨れ上がった。
「自分がなにを言ったのか、自覚があるのか?」
ないのなら殺す。あっても殺してやる。番を害するものはすべて排除する。もう絶対に、死なせたりはしない!
「――あるよ。私は今、君の逆鱗に触れた。でもね、それを向けるべきは私じゃないんだよ。それに、私は言ったはずよ。この星は、古龍を大事にしてると」
なにも感じさせない静かな瞳に、違和感を抱いた。
……違う。こいつは、敵なんかじゃない。
ゆっくりと怒りをおさめた僕に、それは嬉しそうな目をした。
「同胞のために怒ってくれたこと、心から感謝する。あの子はとてもいい伴侶を見つけたようだ」
「……君は。いや、君たちはなんなの?」
魔力の流れは人だ。精霊ではないはずなのに、カムラのことを同朋だと言った。アーリャのようなホムンクルスでもないし、ルアルとの血も繋がってる。
考えられるとしたら、ミコかな?
覚醒した妖精は呪いへと属するけど、人から半精霊になったミコは守り人に近い存在となる。
でも、なんとなく違う気がした。
「精霊が肉体に入ることで、死にかけている者を助ける場合がある。それも一種の婚姻に見なされるんだけど……」
「それはまた今度。アレクはまだ、寝てるんだ。その話は、彼が起きてからにしてほしい」
つまり、それは……。
「……うん。僕こそごめんね」
すっかり怯えてしまってるサクラにも謝る。
気持ちを落ち着けるため、大きく息を吐いてから。アレクへと顔を向けた。
「では、話を続けようか」