柘榴石
BLではないですが、それっぽい雰囲気があります。
夏休みに入って2週間経った日、僕は学校へ向かう電車に乗っていた。地上数十メートルを行く電車は今にも落ちそうなほどガタガタとゆれている。高所恐怖症の人にはつらいだろう。
久しぶりに着た制服のセーラーシャツからは、樟脳の匂いがしていて恥ずかしい。心なしか、座った時に隣の人が離れていったような気がする。気のせいかもしれない。
3つ上のいとこから貰ったお下がりの緩い半ズボンをサスペンダーで留めて、腰には紺色のカーディガンを巻いている。茹だるような暑さで、連日最高気温を更新しているようなこの時期に、カーディガンはいらない気もしたが、夜のことを考えて持ってきた。なんといっても今日は友達と彗星を見るのだ。お父さんの書斎から勝手に拝借してきた銀色のラジオで、彗星の情報を聞く。イヤホンからは少しノイズの混じったアナウンサーの声が聞こえた。なんでも六十年に一度のこの彗星は20時から21時かけてみられるらしい。普段は門限は18時と厳しい親も、今日は夜遅くに出かけることを許してくれた。代わりにお父さんのスマホを持たせられたが。
天文部の先輩は、学校の近くにある高台へ巨大なカメラやビデオを持ちだして撮影会をするらしい。天文オタクばかりの部活は少しやりづらい。口を開けば星、惑星。うんざりしながら、本を読んで話を合わせたが、知識の差がかなりあって追いつけない。ただ夜空を見上げるのが好きだから入ったのにこんなんじゃ嫌いになってしまいそうだ。
そんな事情もあって、僕も撮影会に誘われたが、友達と二人でみる約束をしていると断ってしまった。高性能な望遠鏡は少しだけのぞいてみたかったが仕方ない。天文オタク達はそんな僕を信じられないような目でみた。もしかして、彼女ができたのかと問い詰められた。友達の鹿野はもちろん男だ。
鹿野は学校の色んな抜け道や秘密の場所を知ってる。普段は生徒が入れない温室や、中庭からボートを使って行ける絶景スポット、今は使われない理科準備室など僕たちだけの秘密基地が学校にはいっぱいあった。今日の彗星はその秘密基地の一つである南棟の屋上でみようと誘ってくれた。南棟は理科室や音楽室など特別室が入っている棟だから、教室がある北棟と違って放課後は人の出入りが少ない。しかも、南棟の屋上は随分前に閉鎖されてしまっていたから、鹿野がこっそり鍵を持ち出して合鍵を作っても気づく人はいなかった。
晴れた日に、屋上でお弁当を食べたこともあったが、南棟に向かう僕を怪しんだクラスメートに変に追求されて面倒だった。それから二人で特別な時以外は使わないことを誓った。
久しぶりの電車には、同じ学校の生徒も何人か乗っていた。話したことはない子だったので、軽く頭を下げて終わり。望遠鏡を持ち寄ってはしゃいでいる下の学年の子や、お父さんから借りた立派なフィルムカメラを自慢する同級生。話し声が聞こえたが、学校へ忍び込んでみようという子はいないみたいだ。みんな学校の近くの高台か、海岸にある見晴らしの良いベンチでみるらしい。ぼくは特別な気分になった。
学校のある駅に着くと、降りるのは僕だけだった。強い日差しを避けて、待合室のベンチに座った。壁に、送り火のポスターが貼ってある。天井からモヤのよう立ち込めているミストで冷やされながら、そうか今日は迎え盆かと思い至る。
月岡と呼びかける声にふりむくと、鹿野が立っていた。鹿野はこの暑いのに長袖のセーラーシャツに、裾の広がった紺色の長ズボンをはいて、首からラジオを下げている。
「ラジオ直したんだね。」
「ああ、音もちゃんと聞こえる。」
ラジオは彗星の情報を流していた。内容は電車の中で、イヤホンから流れたことの繰り返しだ。
学校へ向かう坂道には僕達しかいない。夜まで図書館で時間を潰そうと思っていたが、空いていないかもしれない。でも鹿野となら話し足りないかもなとワクワクした。
ある放課後、下校時刻にはまだまだ時間があったが、教室に居たら先生に追い出されてしまうので、二人では秘密基地の一つである温室のソファーに座ってむかいあって話していた。話は夏休み中に鹿野家が泊まった別荘の宝石のような星空や、僕がお父さんに連れて行ってもらった博物館の大きな隕石など次から次へと話題は変わっていった。最終的にお互いに見せたいから一緒に行こうという冒険の話になってしまう。
鹿野はきっとその星空をみて世界一喜んでくれるのは月岡だとわかっていたし、月岡もこの大きな隕石が地球にぶつかった時の太古に世界一興味を持つのは鹿野だとわかっていたから、二人でみにいこうねと約束するのだった。去年も一昨年も、鹿野家の旅行先は月岡との冒険予定地となったし、月岡の行く博物館は鹿野が喜んでくれそうな場所をピックアップして下見をしてくるという目的があった。二人はそんな風に将来の冒険に想いを馳せて、ずっと二人でいようねと約束したのだった。
19時になると、見回りの先生の車が遠ざかる音が聞こえた。二人で温室を出ると外は少しひんやりしていて風が吹いていた。ずっと話し込んでいたので僕はトイレに行きたくなり、鹿野に先に屋上へ行ってて!と伝え、南棟三階のトイレへと駆け込んだ。勿論、電気なんか付いてなくて真っ暗闇。一人で行くのは怖かったが、怖がりだと思われたくなくて一人で行けるアピールをしたかった。鹿野がそれでも付いてきてくれることを期待したが鹿野は先に行ってしまった。
電気を点けても暗いトイレはとても怖くて、考えないようにしていてもお化けの話を思い出してしまう。色んな怖い話を思い出していた中で、ふと、去年この学校を卒業した従兄弟の話を思い出した。
「お盆に彗星が来るとね、一緒によくないものを連れてきてしまうんだ。ただでさえお盆こっちとあっちとの境界が曖昧だから。彗星に乗っているやつは、お盆の時期だけ、星から飛び降りて地上に降りて来られるんだって。でも、大丈夫。お化けも妖怪も無闇矢鱈に害をなす訳じゃない。ただ、一つ気をつけなくてはいけないのは、、、」
そこから先は思い出せなかった。僕はきっとそんなの嘘っぱちだと決めつけてまじめに聞いていなかった。
鹿野の元へと急ごうと、廊下へ出てみると、三階の廊下だというのに、開いた窓から大きな枝が伸びてはいってきていた。枝についた葉は青く光ってアクアマリンのように綺麗だ。葉の間にはキラキラ光るガーネットのようなザクロや淡く輝くブドウなどがなっている。それらがあまりに綺麗に輝いていたのでどんな味なのだろう?と気になった。あまりに異常な状況だが、ただ綺麗だと思うだけで、何も疑わずに手を伸ばしてしまった。一つザクロを取って、その一粒を透かしてみるとやはり小さなガーネットのように綺麗だった。口に入れると酸っぱさがはじけた。それはただのザクロと変わらない味だった。特別美味しくないんだなとわかるとザクロやブドウへの興味が失せてしまい、屋上へと急いだ。手に持ったザクロからはぽたりと赤い汁が垂れていた。
屋上へと登る階段は真っ暗で、絡みつくようなじめっとした空気がただよっている。いかにも“なにか”がでそうである。一段一段階段を登る自分の足音がコツンコツンと響く。
コツン…コツン…コツンコツン
ふと、自分の音以外の音が聞こえたような気がして、足を止める。背中につーっと自分の汗が流れたのを感じた。
誰かいる?
一度気づいてしまうと、今まで感じなかった気配が背後にあるのがわかった。
「鹿野?」
呼びかけるが返事はない。このまま屋上まで駆け上ってしまいたいが、その存在を確認しなくてはいけないような気がした。どっどっと自分の心臓の音が大きく聞こえ、足元が震えた。
(でも、振り返らなくちゃ)
ぎゅっと手を握りしめて一気に振り返った。
そこには、僕と同じくらいの歳の少年がいた。何かおどろしいお化けがいると思っていたので、少し安心したが、みたことの無いリネンシャツの制服を着ている少年に戸惑う。
「君は?」
「…しまったね?」
「えっ?」
「取ってしまったね?」
少年は口元にかすかに微笑みを浮かべている。暗闇でも何故かくっきり見える顔に僕は少年が人では無いことを悟った。
「ひどいな、君は」
手元を見ると、赤いザクロの液体が垂れている。
「あ、ごめんなさい」
素直に謝る。
「それは俺の弟の頭だよ」
突然そう言われたのでえっと小さく驚いて固まる。聞き間違いかと、質問する前に少年は笑った。
「ルールを知らないのかい?」
「ルール?」
少年は月岡の手にあるザクロを指差した。
「壊したら代わりを差し出す。」
「代わり?」
その時、ふわっと頬に風を感じた。目の前の少年は、僕がザクロをみた一瞬の間に消え失せていた。
「大丈夫だよ。ずっとここにいるから。」
代わりのものを持ってきてねと風に紛れて声が聞こえた。
月岡がトイレに行くと言ってから10分以上が経ってしまっている。さすがに長すぎる。もしかしてトイレで気絶しているとか?まさか、怖がりなのは知っていたがそこまでではあるまい。心配しながら待っていると屋上のドアが開いて月岡が入ってきた。
「月岡!!さすがに待たせすぎ…」
怒ってやろうとその顔を見ると貧血のように血の気が無い。
「どうした?」
「あ、ああ、鹿野。待たせたよね、ごめん」
月岡はぼんやりとした様子だ。
「何かみたのか?」
「あ、、いや、なんでもないよ。」
「その様子で何でもないは無いだろう。」
「ほんとに、、何でも無いんだ。」
月岡は無理矢理笑みを浮かべたが、明らかに様子が変だ。しかし、何故か追求してはいけない感じがしたので話を逸らした。
「それより、さすが屋上はよく星がみえるな」
うんと頷く月岡は星なんて見ていなかった。
代わりに何かを。
僕は鹿野の真っ赤な目を見つめた。
いやいや、そんなことできやしない。
頭を振って嫌な考えを振り払おうとするが、一度浮かんだ事が頭から離れない。
「ねぇ、月岡。その様子じゃあもしかしたら気づいてしまったのかい?」
鹿野は、じっと自分の目を見つめて固まってしまった僕の様子に、何か勘違いしたらしい。
「話そうと思っていたんだよ。本当に」
何かを告白し始めた鹿野に、うまく反応できずに固まる。
「謝ろうと思ってたんだ」
思いがけない話題に、怖くなる。
謝るってなんだ?
「でも、君は嫉妬しそうだから」
僕の恋人に、という鹿野の言葉がやけにぐわんぐわんと歪んで聞こえた。
僕はガーネットのように赤いそれを持ってさっきの少年のところへと向かう。差し出したそれを見て、少年はさも楽しそうにあはははと笑った。
「君って馬鹿だなぁ」
少年はそれを受け取って、太陽に透かすように片目で眺めている。
「これで帰してくれる?」
僕は校舎の外に出られなくなってしまったことに気づいていた。鹿野が見上げていた星空は、僕には真っ黒な闇でしかなかった。
「帰る?」
少年が首を傾げた。
「うん、だってさっき代わりがいるって」
だから持ってきたのだ。僕にとっては柘榴よりもガーネットよりも美しく見えていたものを。少年は一つため息をついた。
「今の子ってヨモツヘグイ知らない訳?」
突然興味を失ったように僕が渡したそれを放って言った。
「食べてしまった時点で君は帰れないのに」
あははははと暗い校舎に少年の笑い声が延々と響いた。
数時間経って、空が開けてきても鹿野は、明るくなったことがわからないようだ。血溜まりの上で呆然と一人立ち尽くしていたのを、見回りの先生に見つけてもらうまで、ただじっと虚空をみていた。
昔書いたものを書き直したら結構いい感じになった気がします。
久しぶりの投稿で勝手を忘れてしまったので、何かあったら優しく教えてください。