出発の朝
父と将来の話をしてから程なく、俺は学園に通う事を決めた。
母と妹からは寂しいという理由で猛反対されたが、最終的には納得してくれた。
学園に通う為には、まず入学試験に受かる必要がある。
実技に関しては問題無いと父からお墨付きをもらったが、問題は筆記試験の方だ。
はっきり言って俺はあまり頭の良い方では無い。
教会での勉強会でも、他の子どもに比べてだいぶ出来が悪かった記憶がある。
なので、この一年は修行の合間を縫って試験勉強をする事になったのだが……
「おいプリム、何故ここにいる」
「いいじゃない別に。それより兄さま、勉強なんてやめて私の修行に付き合ってよ」
「いや、お前は母さんが教えてくれてるだろう」
「たまには兄さまと一緒にしたいの。特にここ一年くらいは全然構ってくれなかったんだもの」
妹は眉を吊り上げ、顔を膨らませながら俺の脇腹を突っついてくる。
妹のプリムは剣術や体術はからっきしだが、その分母親の才を色濃く受け継いで、魔法の扱いに特化している。
俺とは見事に真逆だな。
ちなみに母も魔王を討ち果たした救世の英雄の一人なのだが、攻撃魔法と回復魔法を同時にこなす、所謂ダブルキャスターだ。
母も母で規格外で、並みのダブルキャスターなら初級魔法を同時行使するのが精一杯なのだが、母は攻撃と回復、両方の上級魔法を同時に行使し、更にそれを連発できる変態だ。
そして妹も齢十三歳にして、母との魔法勝負で、勝てないにしろ引けを取らないまでに成長している。
たまに俺とも勝負するのだが、未だ俺の負けは無いにしろ、何度も危ないと思わせられる場面があった。
「……兄さま、本当に学園に通うの?」
「ああ。だから勉強してるんだろう?」
「じゃあさ、学園に通ったら彼女とか作るの?」
「……は?」
先程まで怒っていたプリムが一転、今度は泣きそう顔で俺にそんな事を聞いてくる。
妹は昔から俺にべったりではあったが、真剣にそんな事を聞いてきたのは初めてだった。
当の俺はというと、別に異性に興味が無い訳ではないし、きっと人並みにはあるのだと思う。
「……さあ、どうだろうな」
「あー! 否定しないんだ! ひどーい!」
何が酷いのかはわからないが、プリムはさっきよりも怒った顔で俺の肩辺りを殴りつけてくる。
「……決めた。私も二年後に学園に入る」
「おいおい、そんな簡単に決めていいのか?」
「簡単にじゃないもん! 兄さまのバカちん!」
二つ結びにした母親譲りの亜麻色の髪を揺らしながら、妹はぷいっとそっぽを向いてしまった。
だが一向に部屋から出て行こうとしないので、きっと本気では怒っていないのだろう。
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昨日に引き続き、俺は自室で試験勉強をしている。
今日は妹ではなく母が横にいる。
母であるマリアは、妹と並ぶと姉妹に間違われる程若く見えると近所で評判、と自分で言っていた。
実際まだ三十五歳だからそう見えても不思議ではないかもしれないし、息子の俺から見ても母の外見は相当に若い。
「……ねえリエル、本当に学園に通うの?」
「なんだか昨日もこんなやりとりがあったような気がするんだが……」
「王都は誘惑が一杯よ? 可愛いリエルに悪い虫がつかないか、母さん心配で心配で……」
「いや、その王都の学園に母さんも通ってたんだろ?」
「母さんはほら、最初から父さん一筋だったから」
うちの両親は学園で出会ったのだが、お互いに一目惚れだったそうだ。
昔酒に酔った父親が聞いてもいないのにそんな話をしていた。
「……でもそうね、可愛い子には旅をさせろって言うものね」
「いや、旅じゃなくて学園に通うんだが?」
「同じようなものよ。私にとっては」
母はそう言うと俺の腕に抱きついてきた。
豊満な母の胸の感触や熱がダイレクトに伝わってくる。
自分の母だから特に何も思わないが、これは他人の男だったら理性を失ってもおかしくない状況なのかもしれない。
「リエルが学園に通うまで、この時間をたっぷりと堪能しておくわ」
「いや、頼むから勉強させてくれ……」
こうして俺はほぼ毎日のように母か妹に邪魔をされながら試験勉強をする羽目になったが、何だかんだ一年という月日はあっという間に過ぎていった。
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「荷物は……よしっと。暫く帰ってこれないからな」
忘れ物が無いか入念にチェックした俺は最後に自分の部屋を見渡す。
生まれた時から過ごしてきたこの家を離れるのは、やはりまだ実感が湧かない。
二度と帰ってこれなくなる訳ではないのだが、やはり少し寂しい気持ちにはなる。
部屋を後にし一階まで降りると、既に家族達が玄関の前で待っていてくれた。
「遂にこの日が来たか。寂しくなるな」
「そうだね父さん。まあ試験に落ちたら直ぐに戻ってくるんだけど」
「はは、さすがにそれは無いだろう。筆記が多少悪くても実技の方でカバー出来るさ」
「そうだと良いんだけどね」
「ふふ、私は落ちてくれた方が嬉しいかも」
「私も!」
母と妹がそう言いながら俺の腕に手を回してくる。
この二人はちゃんと子離れ、兄離れが出来るのだろうか……それが一番心配だ。
そんな事を憂慮していると、眼前の父が大き目の革袋と一つの指輪を差し出してきた。
「これは俺からの選別だ。革袋には旅費と学園の受験料や入学金、あとは寮に入るまでの宿泊費と当面の生活費が入っている」
革袋を受け取ると、ずしりとかなりの重さが手に伝わる。
隙間から中を覗くと、そこには大量の金貨や銀貨が入っているのが見えた。
「いや父さん、これだいぶ多いように思うんだけど……」
「そりゃ多めに入れといたからな。寮に入れば食う寝るには困らんが、休日に学友と遊びに行く事もあろう。遠慮はするな」
「ふふ、大丈夫よリエル。うちはほら、お金だけは無駄にあるから」
俺が戸惑っていると母が横からそう促してくる。
そういえば昔、父が酒に酔っている時に聞いた事がある。
魔王を討伐した褒章として、家名と勲章、あとは人生を十周は遊んで暮らせる程度の金品を貰ったと。
本当は受爵もされる予定だったのだが、貴族なんて柄じゃないし面倒臭いからとやんわり断ったそうだ。
そんな理由で受爵を断るのって不敬になるのでは……と一瞬思ったが、まあ実際父さんが貴族をやっている姿はあまり想像ができないな。
「……わかった、受け取っておくよ。ありがとう父さん」
「うむ。では次にこの指輪をつけてみろ」
もう一つの餞別であろう指輪は、何やら見た目特殊な装飾が施されている。
これはどう見ても普通の指輪ではないな。
とりあえず、父に言われるがまま右手の中指に指輪をはめてみる。
すると大きさに余裕のあった指輪が、しゅるしゅると音を立て勝手に俺の指の太さまで縮まった。
え、何これ怖い。
「おお、さすがクラウスの魔道具だな。いつ見ても何がどうなっているのかさっぱりわからん」
父が口にしたクラウスという人物は四英雄の一人で、どんな戦況下においても的確な戦術と指揮で戦闘を有利に運び、同時に付与魔法を駆使し仲間を強化する、まさにチームの大黒柱の様な人物だ。
更に彼は付与術師としてだけではなく、魔道具制作のスペシャリストという側面も持ち、武具のみならず、人々の生活に役立つ魔道具を数多く作り出し、それを世に広めている。
小さい頃に何度か会った事はあるが、様々な偉業を成し遂げているにも関わらず、全く偉ぶらず、非常に温和な性格をしている。
偉人とはまさに彼の様な人物を指すのだろう。
俺が父以外に尊敬をしている人物の一人でもある。
父曰く、研究に没頭すると人が変わるとの事らしいが、研究者とは総じてそんなものだろうと俺はそう思っている。
「その指輪はウェポンリングという特殊な魔道具でな。最初に身に着けた人間を主人と認識する」
「ウェポンリング?」
「物は試しだ。指に魔力を通しながら『イクイップメント』と言ってみろ」
俺は父に言われるがまま、指に魔力を通してみる。
魔法を得意ではないが、全身に魔力を循環させる程度なら出来る。
そして『イクイップメント』と口にした刹那、指輪が激しい光を放ち、その形を変えていく。
時間にして数秒程度だっただろうか。
光が収束すると、元々指輪だったソレは、俺の手の中で一振りのロングソードに形を変えていた。
恐る恐る鞘から抜いて感触を確かめてみるが、まるで何年も使い込んでいるかの様に手に馴染んでくる。
さすがクラウスさん自作の魔道具、父と同じで何がどうなっているのかさっぱりわからないが、これは凄い。
……いや、凄いのだが……
「……ねえ父さん、何でこの剣こんなに真っ黒なの?」
顕現した剣は多少の装飾はあるものの、鞘から柄、更には刀身まで見事なまでに漆黒だった。
昔読んだ冒険小説でちょっと言動が痛い主人公がこういう黒い物を好んで使っていたが、そういうのを『チュウニビョウ』と呼ぶんだったか。
「……さあ、わからん。まあクラウスの趣味だろう。だが刀身はミスリル鋼を使っていると聞いた。切れ味は本物だろう。ああ、元に戻す時は『リムーヴ』な」
「わ、わかった……」
俺が『リムーヴ』と口にすると、剣は再び光を帯び、指輪に形を変えて俺の指にすっぽりと収まった。
クラウスさん、素敵な餞別をありがとう。
本当にありがとうだけど、ほんの少しだけ尊敬値のメーターを下げておくよ。
何故か妹のプリムだけは漆黒の剣を見て「格好いい!」と目をキラキラさせていたが、それは見なかった事にしておこう。