キリンジ
「一本! 勝者リエル!」
父の木剣を叩き落とし、喉元に切っ先を向けると、程なくして俺の勝利を告げる審判の声が道場内に響き渡った。
「お、おい。師範が負けたぞ……」
「まさか、救世の英雄があのように簡単に……」
暫しの静寂の後、道場の門下生達が俄かにざわつき始めた。
当の父は、俺の方を見て目を細めている。
「ふむ……見事だ」
その表情からは正確な感情は読み取れないが、少なくとも怒っているようには見えない。
真剣勝負と言われたからには、父の弟子達の前と言えど俺も手を抜く事は出来なかった。
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今から十数年前、当時冒険者だった父レオンは祖国グランデ王国に攻め入ってきた魔王軍を仲間達と共に撃退。
更には追撃を加え、遂には魔王国ディストリアにて魔王を討ち取った。
人類を救った英雄として、後に父とその仲間達は『救世の四英雄』としてその名を世界に轟かせる事となる。
それから二年後、俺は英雄レオンの長男として生を受ける。
幼少の頃より父から剣術や体術の指南を受け、かつての父の冒険者仲間で救世の四英雄の一人でもある母からは魔法の指南を受けてきた。
父曰く、俺は特に剣術の才に長けていたようで、指南を受け始めて一年が経つ頃には道場の大人達と普通に打ち合えるようになっていた。
この時の俺はまだ八歳だった。
周りからは神童やら、さすが英雄の息子等と持て囃されるようになっていったが、正直この程度でそんな風に言われるのかと、あまり腑に落ちてはいなかった。
時が経ち、十二歳になる頃には道場で俺に敵う大人は一人もいなくなってしまった。
そしてその頃から俺は父と打ち合うようになる。
さすがに父は強く、当時は一度も勝つ事は出来なかったが、打ち合いの中で少しずつ父の剣筋や癖などを読み取れるようになっていった。
十三歳を迎えた頃、俺は父に許可をもらって家の裏手にある山中で一人で修業をするようになった。
雄大な自然の中で己の剣と向き合い、朝から晩まで自問自答を繰り返しながらただひたすらに剣を振るう日々。
やがて一日に一万回が限界だった素振りも、一年が経つ頃には日が暮れるまでに十万回まで振れるようになっていた。
そして十四歳を迎えた今日、俺は突如として父親に真剣勝負を申し込まれる事となる。
結果は俺の勝利だった。
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道場での試合の後、俺は父の書斎まで呼ばれていた。
「お待たせ父さん」
「来たかリエル」
先の真剣勝負から一転、父は穏やかな表情で俺を迎え入れてくれた。
「先程は見事だった。いつかこの日がくるとは思っていたが、まさかこんなに早く負かされるとはな」
「父さんの指南のおかげだよ」
「それは最初の内だけだ。ここ一年は殆ど山で修業をしていただろう」
「まあ、それはそうだけど」
そんな会話をしながらどちらともなくソファに腰を下ろした。
最近は修行ばかりだったから、こうして父と面と向かって話をするのは久しぶりな気がする。
「それで……どうだった?」
「どうだった、とは?」
「俺と真剣勝負をしてみて、だ。率直な感想を言ってほしい」
父が真剣な眼差しで俺の目を射抜いてくる。
これはどうも嘘をつけそうにないな。
「……正直言って、勝つ事に苦労はしなかった。父さんの動きも剣筋もすべて見切っていた」
「ふむ、やはりそうか」
俺の率直な意見に対し、父は怒る事もなくただ一人思考に落ちた。
「……俺が救世の英雄と呼ばれている事は知っていると思うが、それは魔王を討ち果たしたからだ」
「知ってるよ。父さんは俺の誇りだ」
俺がそう言うと父は一瞬顔を綻ばせたが、すぐに表情を引き締め、一際鋭い視線を俺に送ってきた。
「では俺の感想を言おう。率直に言って、お前は既にあの時の魔王に匹敵するか、それに近い実力を持っている」
一瞬何の冗談かと思ったが、父の表情を見るにどうやら嘘はついてないようだ。
実際に戦った父が言っているのだからきっと事実なのだろう。
まさか自分があの魔王と匹敵とは俄かに信じ難いが。
「しかもお前にはまだ伸びしろがあるように見える。それは自分でも感じているんだろう?」
父の指摘に俺は小さな頷きを返した。
そんな俺の様子を見て、父はまた暫しの思案に暮れる。
「……この平和な世に、まさかお前のような麒麟児が現れるとはな」
「麒麟児だなんて、そんな……大袈裟だよ」
父はソファを立つと窓の方に向かい、暮れる夕日を眺めながら俺に訪ねてきた。
「ここからが本題だ。お前は来年で十五歳になる。世間では成人として扱われる歳だが、お前は今後の人生をどう歩んでいきたいと思っている?」
父のその問いに俺は直ぐに答える事が出来なかった。
将来の事を考えていなかった訳ではないが、幼少期から修行ばかりをしてきた俺に何が出来るのか、あまりにも漠然としていたからだ。
「……その様子だと特に決まっていないようだな」
「何となく、父さんの後を継いで道場の師範になるのかな……くらいにしか思ってなかった」
「ふむ……」
すると父は書机の引き出しから数枚の綴りになっている資料を取り出し、俺の前に差し出してきた。
「一つ提案だが、王都にある学園に通ってみるのはどうだ?」
「学園?」
「ああ、そうだ。俺と母さんも通っていた由緒ある学園だ。その学園に通いながら将来を考えてみるのはどうだ?」
父にそう言われ、俺は差し出された資料に目を通してみる。
グランデ王国の首都、グランデリオのほぼ中心部にあるその学園は、武術や魔法だけでなく商業や政治、はたまた給仕の作法や処世術等、様々な分野を学べるグランデ王国随一の学園の様だ。
「まずは外の世界を見て、その上で道場を継ぎたいと言うのなら、その時は喜んで師範の座を譲り渡そう。どうだリエル?」
「……少し考えさせてほしい」
「そうか、わかった。まだ時間はある。ゆっくり考えるといい」
父はそう言うと俺の肩をぽんと軽く叩いた。
それにしても学園か。
小さい頃に村の同い年くらいの奴らと一緒に教会で勉強会をした事はあるが、あれの延長のようなものか? いや、多分違うだろうな……。
父の書斎を後にし部屋に戻った俺は、渡された資料をぱらぱらと眺めながら一人思考に耽た。