総持寺徳利堂と化け狸
近畿には総持寺と名前のつくお寺がいくつかございます。そのうち、豊岡の出石というところの総持寺には、徳利堂というものがございまして、そこにはお堂の左右にまるで狛犬のように大きな徳利と杯が据えられた小さな祠がございます。
では、この徳利堂にまつわるお話をお一つ。
時は江戸徳川の時代でございます。そんな昔というものは、狸が化けて人をだます時代です。化け狐に化け狸、あるいはムジナと呼ばれた不思議なものが、あちらこちらで不思議なお話を残してまわったそんな時代です。
ここ近畿にも、そんな昔話に残る一匹の狸がおりました。
名を芝右衛門狸。化け上手のイタズラ狸でありましたが、時折山に迷い込んだ者を人に化けてふもとまで連れて帰ってやったりと、悪さもするが人助けもする気のいい狸でありましたので、不思議と誰にも憎まれない、そんな狸でありました。
この芝右衛門狸には好きなものが二つございます。一つがお芝居、人に化けて芝居小屋にこっそり入り、葉っぱの銭が入場料に混じっていれば、芝右衛門狸の仕業です。その末期の話にあるほどに、芝右衛門狸は楽しいもの好きの陽気な狸なのでした。もう一つはお酒、月の夜に調子の狂ったつつみの音がしたならば、それは酔っ払い狸の馬鹿騒ぎでございます。人に化けるうちに味を覚えでもしたのでしょうか、徳利傾け赤ら顔で、ぽんぽん腹のつつみで狸音頭を奏でるのが芝右衛門狸の幸せなのでありました。
ある時、芝右衛門狸は出石を訪れる事がありました。人に化けられるのですから、渡りの船に街道に、人に混じって旅をするなぞお茶の子さいさいでございます。
出石に着いた芝右衛門狸は、茶屋で軽く一息ついて、元より狸でございますから、当たり前の野宿の宿で原っぱにごろんと寝転がっておりましたが、それではわざわざ遠出をした意味がないと手持ちぶさたに思えてきて、ここは一つ評判の高い総持寺の千手観音でも拝みに行って、旅の土産話にでもしてやろうかと思い立ったのでした。
観音様に手を合わせて、紅葉混じるお寺の佇まいを眺めて旅の思い出をしたためていた芝右衛門狸でございましたが、ふと困った性根が顔を出します。
お酒が飲みたくなったのです、それもたくさん。
いい景色を眺めていると、なぜだかそれを肴にお酒が飲みたくなる。酒好きの困った性分でございます。
芝右衛門狸はあたりを見回しますが、当然境内にお酒を出す店などある訳ありません。しかし、あきらめ悪く境内を歩き回っていた芝右衛門狸はあるものを見つけます。
それは蔵でした。そこには、寺領から納められた年貢米や種々の雑品に混じって村々で醸されたお酒の樽がいくつも積まれておりました。
しめしめと思った芝右衛門狸ですが、考えなく手を出す訳にもいきません。勝手に取れば泥棒です、騒ぎになればお寺で修行するお坊さんたちが飛んできて、イタズラ狸にきついお仕置きをするでしょう。
ですから、酒樽をちらちらと盗み見ながら、芝右衛門狸は何か良い手はないものかと知恵を絞るのでした。そして、一つ妙案が浮かんで、これはいいぞと腹のつつみをぽんと打つのでした。
辺りは暗くなってきて、間も無く夜がやってきます。逢魔が刻の時間です。人を化かすにも実に丁度いい頃合いです。
境内の掃除をしていた小僧さんの耳に小さな声が聞こえます。
こっちこっち、こっちこっち。
声は明らかに小僧さんを呼んでいて、不思議に思った小僧さんが声のする方に行きますと、お寺に祀られている小さな塚にたどり着きます。
こっちこっち、こっちこっち。
小僧さんの見たところ声はその塚からするようです。
「何か用か」
小僧さんがどこからともなくする声に大きな声で応えますと、いい子いい子と、不思議な声はそれに応えます。
「怪しいやつだ、叩き出してやる」
小僧さんはほうきを野太刀のように肩担ぎにしてそう意気込みます。昔のお寺というものは、僧兵というものもございますように、武門ともそう縁遠いものでもなく、古来より武士の倅の預け先でもありましたので、血気に盛るやんちゃ坊主も珍しくはございません。この小僧さんもそんな怖いものなしの若者の一人なのでありました。
すると、祠からする声は姿は見せずともとたんに慌てふためいたようになります。
「待て待て待て!、ちょっと待て。相手も見ずに知りもしないで打ってやろうとは何事だ。わしゃお前に打たれる理由が何もない!」
「うるせえ、ここは寺の敷地だ。勝手に入り込んでるだけで、打たれるぐらいに怪しいわい」
小僧さんは袖をまくって祠ににじり寄ります。そして、そこに潜んでいる何かを探ります。
「ここにいちゃ怪しいか」
「おうよ、怪しい。覚悟しな」
「わしが誰でも怪しいか」
「怪しいな。寺にいて怪しくないやつはおいらたち坊主ぐらいなもんよ。だが、お前の声には覚えがねえ」
「他にもおるぞ」
「いるもんか」
「いいや、いる。祀られている仏がいる」
「はあっ?」
「わしはこの塚に祀られている仏じゃ」
「はあっ?」
苦し紛れにしては妙に堂々とした言葉に小僧さんはあっけにとられます。でも、確かにその不思議な声は祠の方から聞こえているようです。
「仏様でありますか」
「うむ、お主らが日々拝んでおる仏様じゃ」
「なるほど、なるほど、仏様。そうおっしゃるか。ならば、ちょいとその面をあらためさせてもらおうか!」
小僧さんはさっと走り出して、声のする祠の裏側をのぞきます。でも、そこには誰もいません。
「どうじゃ、少しは信じたか?」
不思議な声は勝ち誇ったように言います。
「まだまだ!」
小僧さんは声を追いかけ祠の周りをぐるぐると駆け回ります。ですが、どれだけ駆けても仏様を騙る不逞な輩の姿はありませんでした。そして、そんな小僧さんを嘲笑うように、どうじゃ、どうじゃと不思議な声だけがするのです。
終いには、小僧さんは息を切らして祠の前で立ち止まってしまいました。追いかける度に、小僧さんの視界のはしに何かふわふわとした毛の玉のようなものがちらついてはいたのですが、この暗がりではそれが何かどころか、見えている事にも気がつく訳もありません。
「ど、どうじゃ。これで信じたか。この声は天より語る声なのじゃ」
不思議な声はそうは言いますが、なぜだか息苦しそうな様子が声のはしばしに現れています。
「分かったよう。もう、仏様って事にしておいてやるからよ、おいらに何の用なんだい。手短に言ってくれよ。あんまり掃除が遅いと年長の兄様方になまけていると叱られんだよ」
小僧さんも走り疲れてひいひい言いながら、もう祠の前に腰を下ろしています。
「うむ、実はな、こうしてお前の前に現れたのも頼み事があるからなのだ」
「もったいぶるなって言ったろ。おいらもう行くよ」
「待て待て待て!、待てったら。仏の話も腰を据えて聞かないなんて何事だ。仮にも仏門の一員が何でそうまで仏をないがしろに扱うのか」
「仏様の天罰よか、兄様方の怒鳴り声とげんこつの方がよっぽど身近で痛えし怖えからよ。そんじゃ、もう行くよ」
「そこ!、まさにそこ!、そういう所!」
不思議な声は機を逃すまいとまくし立てます。
「わしがこうしてお前を呼びつけたのはそういう所だ。小僧よ、お前観音様の祀られた立派な本堂とこの祠を見比べてどう思うよ」
「しょぼいなあって思う」
「お前、もっとこう心配りとか、ほら、あるだろう。まあいい。わしがこうして天よりお前に訴えたいのはそこの所なのだ。わしだって仏なのだ、そりゃ観音様には遠く及ばんが曲がりなりにも仏だぞ。それなのに、わしもまた御仏のひと柱であるにも関わらずだ、一方はお供え物がたくさん供えられた立派なお堂、もう一方は寂しい小さな祠が一つきり、これじゃああんまりじゃないか」
「仏様がぜいたく言っちゃいけねえよ。あんた本当に仏様?」
「程度ってもんがあるって話だ。清貧は徳だが、だからといってひどい扱いでいいって事じゃない!仏だって悲しむ気持ちがあるんだぞ」
「じゃあ、どうしろってんだよ。だいたいおいらはただの小僧だぞ、出来る事なんかお寺の小間使いがせいぜいだよ。たいそうなお願いなら住職様にしておくれ」
「あー、チクショー、小僧なら素直に話を聞いてくれると思ったのに・・・。人選間違えたかなあ、はあ」
不思議な声はぶつぶつと小さな声でつぶやきます。
「もういいかい?」
「まあだだよ」
「もういいかい?」
「まーだまだ!」
不思議な声の粘り強い説得は続きます。
「ええい、多くは望まん!立派なお堂は望まない、小さな祠で十分だ。でも、お供えもないのなら誰にも見向きもされていないみたいで寂しいんだよ。分かるかい、寂しいの。そこが問題なの。だから、わしはお供え物が欲しいの。それでいいから!それだけだから!もうそれだけで満足だから!それだけで仏様の面子と気位は守られるんだぞ、安いだろ!簡単だろ!小僧にだって簡単だ」
「気位の安い仏様もいたもんだ」
「いるんだからいいじゃないか!だから、何とかしてくれよ。お前坊主なんだろ、仏様に仕えてんだろ」
「仕えちゃいるが修行のためさ。都合のいい道具になってやる道理はねえよ」
「お前、小僧のくせにえらく大それた気風だなあ」
「まあ、いいや。確かにぽつんと祠が一つきりじゃあ格好がつかないのはおいらにも分かるよ。どれ、本堂からまんじゅうの一つでもくすねてきてお供えしてやるよ、それで満足だろ」
「待て待て待て、人にも物の好みがあるように仏のわしにだってちゃんと好みというものがある。わし甘いのちょっと苦手」
「おいおい、あんた仏様だろ、修行を積んで身につけたはずの清貧はどこいったのさ」
「でもな、小僧よ。お前にだって好き嫌いくらいあるだろう?修行を積んでえり好みはなくなったとしても、貰って嬉しいって気持ちと、ああがっかりって気持ちはなくならないだろう。修行を積んで、そんな気持ちとうまく付き合っていけるようにはなるだろうが、気持ちが心の中に湧いてくる事だけはなくなりはしないもんだ。それを間違いだというのなら、それは心に見て見ぬ振りをしているだけで、なおさら克己にはほど遠いものではないのかな」
「清貧だからってひどい扱いでいいってわけじゃないって事かい」
「そうそう、偉いぞ小僧。話が分かるじゃないか」
「じゃあ、仏様は何をお供えしてくれればうれしいのさ」
「よくぞ聞いてくれたな、小僧。ここまで本当に長かった、いや、本当に何でこんな苦労をせにゃならんのやら」
「長ったらしいのならもう行くよ」
「徳利ぃ!とっ、く、り!徳利ー!」
「何だい、変な仏様だ。徳利なんか欲しいのかい?でも、ここにいる人はみんなお酒は飲まないからなあ。お客様の御入り用のためのものならたぶん台所のどこかにあるかなあ」
「こらこら小僧、なぜ空の徳利を持って来ようとする。徳利が空っぽじゃあ用をなさないだろう」
「じゃあ井戸の水でも入れようかい?」
「徳利に水入れるやつがどこにいる」
「ここにいるだろ」
「ぐぬぬ、何と手強いやつじゃ」
「でもなあ、おいらただの小僧だぜ。銭は持ってないし、坊主に酒売る不心得者なんかいやしないよ。出来る事を頼んでくれなくっちゃあ、おいらだって困るよ」
「出来ん事を頼んじゃあいないよ。蔵に行ってみるといい、お酒の樽がたんまりあるさ。そこからちょいと徳利に中身を注いで来ればいいのさ、簡単だろ。あ、あと杯も持ってきて来れよ、直飲みなんて無作法でいけないや。あ、あとあと、徳利は大きいのがいい、めい一杯大きくな。あ、あとあとあと、杯も大きけりゃ色づいた紅葉でも浮かべて風雅が楽しめるってもんだ。うん、こいつはいいね」
「何だ、何だ、頼めると思えば欲出してらあ。これじゃあ三下の仏様でも納得だね」
「何とでも言えばいいさ、仏になったってそこからがまた仏らしくなるための修行の道さ。終わらない修行に疲れちまってちょっと弱気になった仏だっているもんだよ」
「そんなに嫌なら辞めればいいのさ」
「嫌になってもぽいっと投げ捨てられないものもある。小僧、お前にだってそのうち分かる」
「分かりたくもねえや、そんなもん。でもさ、坊主はお酒飲んじゃいけねえって教えられてるんだけどさ、あんたそこの所はいいのかい」
「おお、小僧詳しいじゃないか。ちゃんと修行しているんだな、感心、感心」
「こびても無駄だぜ。やっぱりあんた偽物だな」
「待て待て、確かに戒律には戒められてはおる。だがな、古い戒律にはこうも書いてあるんだぞ。人に勧められた酒は飲んでもよいってな。なぜだか、分かるかい?」
「知らねえよ」
「仏門の修行なんて言ったって元はそれだけで褒められたもんじゃない。自分が仏になるためにあくまでの自分の勝手でやっている事なのさ。それでも、今お前のような小僧が寺のお務めばかりして食べていけるのはなぜだと思う」
「そりゃ、お布施やご寄進があるからさ」
「そう、つまり坊主の修行をありがたがって助けてくれる人たちがいるからなのだ。そして、古来から酒というものは人をもてなす道具として使われてきた。要するに、人から勧められる酒とはそんな私たちを大事に思ってくれる人たちの気持ちを形にしたものなわけだよ。それを要らないと言って地べたにぺっと捨てたなら、気持ちを一杯に込めてを差し出してくれた人はどうなるかね」
「腹は立つわな」
「お酒を頂くのは良くない事だ。だが、人の好意をその身に頂くという事はそれにも増して大事な事だ。今は坊主に酒を勧めるような者はあまりおらんが、今ほどに仏の教えが行き届いていない大昔にはそれは珍しい事では無かったわけだ。つまり、お前がどうぞとお供えしてくれるなら、それを頂いてもいいわけだ。わしが飲むのはお酒じゃなくって、お供えしてくれた人の気持ちだからなあ」
「なるほど、それも道理だなあ。でも上手いこと言ってるのがますますあやしいや。やっぱ、一発ぶん殴った方がいいかな」
「おい、ちょっと待て!何でそうなる。何が悪いの?何でそんなに殴りたいの?もうこの子何考えてるか分かんない!」
小僧さんはほうきを青眼に構えて祠に近づきます。
「この祠に祀られているのなら祠もろとも打つまでよ。妙なものがついてるというのなら、なおさらこんな祠ぶち壊してしまう方がいいってもんだ」
「お願いだから止めてくれ!どうすれば信じてくれるんだ、わしお前が怖い!」
小僧さんはほうきの先を刀の切っ先のように祠に見据えて言います。
「簡単な事さ、姿を見せな。あんた仏なんだろう?、立派な身分じゃあないか。だったら何をはばかる事がある、堂々と姿を見せればいいじゃないか。そもそも、そこをはぐらかしているようだから、どうにも化かされているように思えちまうのは当然だろうが。ほら、出てこいよ!早くしないと祠を叩きつぶしちまうぜ」
小僧さんはほうきを上段に構え力いっぱいに振り下ろそうとします。
その時、ぱあっと辺りが明るくなります。そして、その後光を背中に負って現れたものがありました。
そのお姿は、まさしく本堂の観音様にうり二つ。尊い御仏の姿そのものでございます。
その様に、ほうきを振り下ろそうとした小僧さんは思わずその手を止めてしまいます。
「これでどうか?小僧よ」
「ああ、うん。確かにな、確かに仏様に見えるなあ」
確かに小僧さんはほうきを振り下ろす手を止めはしましたが、なぜだか考え込むような仕草です。
「でも、お前、狸じゃねえか?」
「な、何を言うか!、こうして姿を見せただろうに、疑うのも大概にせえ」
「でもなあ・・・、しっぽ。しっぽ生えてる」
小僧さんが指差す仏様のお尻には確かに狸のしっぽが生えています。
「こ、これは!違うぞ!わしは仏だぞ!本当なんだぞ!」
「まだ言うか。悪さするやつにはげんこつだ、この寺のしきたりさ。お前もここに入ったのだから守ってもらうからな」
「あわわわ」
小僧さんは一発がつんとやってやろうと仏様にじわりじわりと近づきます。
「ぶ、ぶ、仏性ー!」
仏様は叫びます。
「仏になれるのは人だけか、あるいはその他のものも仏になり得るのか。世の万物はそもそも仏の御心の内に生み出されしものばかり也。ゆえに、世のありとあらゆるものはだいたいちょっと仏様なのだ。だから、人に限る事もなく、万物が仏道に励むならば必ず仏になり得ると思うべきもの也。で、あるならば、狸とはだいたいちょっと仏である!そして、仏とはだいたいちょっと狸でもあるのだ!つまり、仏様に狸のしっぽが生えていたって何もおかしい事はない!仏様というものはだいたいちょっと狸なのだからな。そして、仏様はだいたいちょっと狐であって、だいたいちょっと猫であって、だいたいちょっと犬でもあるのだ。仏様とはつまり万物の源にあるものであるわけなのだから、そこから枝分かれしたものたちの姿が混ざっていたとして、何の不都合があるものか!」
そう叫ぶと、仏様は狸しっぽを狐しっぽに変え、狐しっぽを猫しっぽに変え、猫しっぽを犬しっぽに変え、馬しっぽに牛しっぽ、小僧さんが身近に見た事があるであろう動物のしっぽに変えて見せてから、どろんと消してしまいました。
見るからに悪あがき。苦し紛れの屁理屈でございます。
しかし、小僧さんは迷ってしまいました。あんまりにもおびえる上に、出て来いと言われて素直に出て来たものを、それ見たことか打つのはあんまりにもひどい事のようにも思えたからです。
だから、小僧さんはしばらくうーんと考えてから、おびえる仏様を残してすたすたとどこかに歩いて行きました。そして、それからしばらくして、大きな徳利と大きな杯を仏様の前に無造作にぽいと置いて、何にも言わずに本堂の方に帰って行ったのでした。
仏様はと言いますと、脂汗をだらだら流し、がくがくと震えながら祠の前にへたりこんでいる始末です。
はい、みなまで申すまでもなく、この仏様こそが芝右衛門狸でございます。仏様に化けて酒をせしめてやろうとしたものの、世の中そんな都合のいい事なんかあるわけもなく、とんだ肝を冷やす思いをする事になったのでした。
とはいえ、徳利になみなみと注がれた酒はまぼろしでも何でもなく、ぐすぐすと情けなく鼻をすすりながらも秋の月夜の紅葉酒だけはちゃっかりと楽しんだのでございました。
しかし、これで事は終わりません。一つ嘘をついたなら、後々その尻拭いに追われるものでございます。
それからほどなく、徳利堂には小僧さんの兄弟子たちが、祠についたという仏に対して夜な夜な問答を仕掛けてくるようになったのです。ある者は化けの皮はいでやると意気込んで、ある者はちょっとした遊び気分で、徳利一杯の酒をひと勝負の賭け金のように祠に供え、あれやこれやの難題を芝右衛門狸にふっかけて来たのでした。
これに対して芝右衛門狸も負けません。念仏は人真似でございますが、化かし合いなら狸の本領です。坊主さんたちが芝右衛門狸に仕掛ける問答の内容を、天井に、床下に、こっそり潜んで盗み聞いて、時にお寺の蔵書を読み漁り、時にご住職などの偉いお坊さんに教えを請うて、勝負を仕掛けてくるお坊さんたちをのらりくらりとやり込めていったのでした。全ては徳利の酒をせしめるために。
そしていつ頃からか、このような徳利堂に現れる仏様の話が巷にも知られるようになって、徳利をお供え物にして、たくさんの人が徳利堂の参拝に訪れるようになりました。
総持寺のお坊さんたちにも思うところはありましたが、訪れた方たちがみんなしてこれもお寺のお坊さんたちの功徳のおかげだなあなんて口々に申しますものですので、事の真偽はさておいて、そう言われるとまあ悪い気はしないものです。
そうして、いつの間にかうやむやに徳利のお供えされる不思議な祠というものがお寺に出来上がったのでございます。
さて、それからしばらくしたある夜の事。三日月と星だけの暗い夜、お寺のお坊さんたちもみんな寝静まった丑三つ刻。芝右衛門狸はいつものようにお供え物の徳利酒をいい気分でくいくいとやっつけています。そんな、芝右衛門狸の元に一人のお坊様が訪れました。
お坊様は杖を手に持ちくたびれた旅装束、俗世に下り諸国を遊行する聖様でございます。
聖様は徳利堂の前に音もなく現れると、お堂の前で手をついて地に深々と額をつけて申します。
「このような夜更けに大変なご無礼をお許しください。巷に流れる噂にて、こちらのお堂にありがたい仏様が顕現なさると聞きまして参りました。私は他門に学びその後の遊行の中、御仏のお側に寄りたらんと願いましたるものの、いまだに悟りに至るにはほど遠く、世に迷いし身の上にございます。ですので、このような我が身が至らぬのが何故かと日々悩むばかりでございます。故に、仏の教えをお修めなされた先達に我が本願に至るためのお教えをご教授いただきたく、こうして参りました次第でございます。どうか、どうか、私の声を聞こえましたるようでありましたら、徳利堂の仏様、そのお姿を私にお見せ頂けませぬでしょうか」
聖様のお言葉を聞いた芝右衛門狸でしたが、夜も遅いし、いい気分に酒もまわっていたので、めんどくさいし知らん顔をしてやり過ごそうと思ってはいました。しかし、闇夜でよくは見えませんが、顔を上げました聖様が情けなくもぐすぐすと鼻をすすり、涙の光がほろほろ落ちるのを見て、いたたまれない気分になってきます。
芝右衛門狸はこの頃には夜な夜なやって来るお坊さんたちの難題をことごとくやり込めてきた結果、いわゆる調子に乗っているという程度に気が大きくなっていました。ですから、よしちょいとこの面倒臭い坊主もいつものように化かしていい気分にでもさせてやれば、満足して大人しく帰るだろうなんて考えたのでございます。
「夜も深いでな、手短に話そうぞ。規則正しい生活も立派な修行だで」
なんて、知ったような事を口にしながら芝右衛門狸は祠に隠れて声だけで応えます。
一方で、芝右衛門狸の声を聞いた聖様は、ああありがたやありがたやと大そうに感じ入る様子であります。
「面をお上げくださいな。仏の道は人をかしずかせるためにあるわけではございませんでしょう」
芝右衛門狸はそう言いますが、聖様はなぜかいっそうに顔を地に向け隠すようにします。
「醜き面相故に、どうかご容赦を。どうか、どうか」
聖様はそう仰ってほつれはあるが金糸の縫い込まれた絹の頭巾を目深にしていっそうに顔を隠そうとなさります。
「では、気を置かず楽になさればよろしい」
芝右衛門狸はそうは言いますが、何か奇妙なものを感じます。夜闇に隠れてはいるとはいえ、ところどころにのぞく聖様のお顔はひどくしわがれているように見えるからです。およそ、人の生気の通った色艶のある皮膚とは思えません。
「一口に仏門の修行といっても色々あるものでございますでしょう。あれでなければ駄目だとかこれをしろとかいうものでも無い。だから、教授と申されるがこうしろああしろと言ったところであなたの悩みに応えられるものでも無いかもしれん。ですから、まずはあなたがなされた修行を聞いて、その至らぬところを共に考えようではありませんか。あなたはどのような修行をなされたのです」
芝右衛門狸はにわか仕込みの知識のくせにふんぞり返って知ったような事を言います。
「はい、主に木食行を行いました」
木食行とは、摂食の制限による修行で、穀物や肉食を断ち、調理もしない野生の草木や果実のみを食べる修行です。
「私は必死に取り組んだのです、本当に死もいとわぬという気持ちで取り組みました。ただ悟りに至らんがために全てを投げ打ったのです」
聖様のお言葉にはどことなく鬼気迫るものがそこはかとなくも漂います。
「目指しましたところは即身による入定でございます。この身を捨てずに時を過ごし、遠い未来に訪れまする弥勒菩薩様の救世に馳せ参じまするが私の望み。そのための修行は大変に苦しいものでした。食を改める事によって体を作り変える必要があったからです。何せ、健康なままに入定すればたちまちに肉が腐り、虫に食われてしまいますので」
「お、おう」
何やら難しい言葉がたくさん並んで芝右衛門狸は面をくらいます。それに聖様の仰っている事は何だか奇妙な所があります。
「穀断ちはいたしましたがそれでも全く足りません。体に肉があってはならないのです、文字通りに骨と皮だけにならなければなりません。そのため、穀断ちの後も果実や木の皮などで食をつなぎはいたしますが、それも少しずつ減らして体の滋養となるものを削ぎ落としていく必要があります。これにはどうしたって時間がかかります、だってがまんだとか気持ちの問題をなんとかするものでもございません。少しずつ、少しずつ、私の体が細っていく事に付き合いながら、それでも命は繋ぐのです。どこか背反しているようではありますが、それを成してこその修行であります」
袈裟のすき間から見える聖様の手足は確かに骨と皮しかありません。そこには脂肪も筋肉も一欠片もありません、本当に骨と皮だけです。それに皮膚も何だかおかしいのです。乾き切ってまるで干物のような質感です。
「終いには、水と塩だけで一月ほどを過ごします。それでようやく入定の準備が出来上がります。それからは、虫が内から食わぬように漆の入った茶を飲んで腹の中を洗ってから、土の中に埋めました石室に入ります。そこで深い深い瞑想の時間を過ごします。石室の闇の中、読経、ただ読経であります」
「そ、そいつはすごいな。出た時はそりゃすっきりするだろうね」
芝右衛門狸は気圧されて尊大な言葉使いがどこかに行ってしまいます。
「出ません」
「はっ?」
「石室からは出ません、そのままです」
「そのままって、それじゃあ死んじゃうじゃないか」
「いいえ、死にません。入定ですから」
聖様があんまりきっぱり言いますので、芝右衛門狸もあんまり詮索できません。知らない、分からないという事は、化けの皮のほころびの最たるものです。
「この段階ではもう水しか飲みません。ふたがされて土も盛られておりますから、外との関わりは空気穴の竹筒を通しまして行われる、時折様子を見に訪れる弟子たちとの鈴の音でのやり取りと私の読経の声だけでございます。次第に読経の声も出せなくなっていきますから、声がまったく止みますと、弟子たちが外から竹筒も取り除き石室を完全に埋めてしまいます。後は、数年ほど石室をそのままにします、そうやって体を乾かすのです。それから、頃合いを見て弟子たちが石室を掘り起こし、私を取り出す事で修行は完成するのです」
そこまで言ってから、地に伏すような格好の聖様は静かに体を震わせ始めます。
「修行は完成です。確かに、完成したはずなのです。私は全身全霊でもって修行に取り組んで、修行をやり遂げたのです。でも、やり遂げたはずなのに、そのはずなのに・・・。私が悩みましたる所はそこなのです。私は修行をやり遂げたはずなのに、なぜ、なぜに、・・・私は仏になれていない。なぜ、私は人のままなのだ」
聖様は地に伏せましたまま、くっくっと苦しげにうめくような泣き声をもらします。
困ってしまいましたのは芝右衛門狸です。何だか大変な事になってきたぞとは思いますが、もう適当に言い逃れる事もできません。
「そりゃ苦しかったろうねえ、がんばったねえ」
芝右衛門狸が言えたのはこんな気のない慰めの言葉ぐらいです。
「苦しかった。辛かった。それでも、仏になって人の救いになれるならばと思うからこそ頑張れました。もう私には何もない。今さらに間違いがあったと言われても、もうやり直すことなどできはしない。なのに、なぜ、なぜ私は仏になれなかったのでしょう。こんなにも、こんなにもただ懸命であったのに、なぜ、なぜ・・・。お教え下さい、仏様。私は何故に仏になり損なったのでしょう。どれだけ考えてももう私にはそれが分からないのです。お願いします、仏様、お姿を顕して下さいませ。ただ、考えを巡らしてばかりでは私には何が至らぬのか分からないのです。ですから、一目でいい。一目でもあなたのお姿を拝見し、我が身に何が足りぬのか知りたいのです。もう取り返しがつかずともせめて納得だけはしたいのです。お願いします、・・・お願いします」
軽い気持ちで聞いた聖様のお話があんまりにも重苦しかったので、芝右衛門狸は逃げ出したくて仕方ありませんでした。しかし、ここで半端に逃げ出せば、なぜだか聖様から地獄の果てまでも追いかけてきそうな気迫を感じて、どうにもおっかないのです。
どろんと芝右衛門狸はいつものように観音様の姿に化けます。どうにも気乗りはしませんが、聖様の懇願に気力負けしたような形です。
ぱあっと後光差す姿ばかりの観音様に、聖様はおおっと感嘆の声を漏らされます。
「ああ、ありがたい。ありがたい」
聖様は地べたをはいずって芝右衛門狸の元に近づきます。まるで、救いを求め、すがりつく地獄の亡者のようです。
「ひっ」
芝右衛門狸はぞっとしたような声を漏らします。芝右衛門狸の体に触れる聖様の手にまるで人肌の温もりがなかったからです。そんな芝右衛門狸の様子もお構いなく、聖様は触れて確かめるように芝右衛門狸の体のあちこちに手をはわせます。
「ありがたい、ありがたい」
そして、聖様は芝右衛門狸の体にへばりつくかのように寄りかかりながら、ずっと闇の中に伏せられていたそのお顔を上げられました。
「ぎゃあぁぁぁぁぁぁぁ!」
芝右衛門狸は恐怖の悲鳴をあげます。それもそのはずです。闇の中から浮かび上がった聖様のお顔はどくろに乾いた皮膚が張り付いただけの亡者顔。目玉はしぼみ切って眼底骨まで空っぽの暗いくぼみ。鼻はそげ落ち鼻腔の二つの穴が残るだけ。唇の肉もなくむき出しの歯茎には栄養足りずに抜け落ちたまばらな歯が数本ばかり。そんなぞっとするお姿の聖様がおおおと息づかいもなくどこからか聞こえてくる声を漏らしながら、ひたひたと体の至る所に皮膚が張り付いただけの骨の手をはわしすがりついてきます。
聖様は即身仏でした。
即身仏とは日本のミイラと紹介される事もある今は禁じられた修行に身を捧げられたお坊様でございます。エジプトのミイラのように、その体を朽ちぬミイラにする事で衆生救済を果たそうとするものでございます。
しかし、エジプトのミイラと大きく違う所は、エジプトのミイラは死後遺体の加工によって保存処理を施すのに対して、即身仏は僧がまだ生きたままにミイラになるための準備を修行として行う所にございます。乾燥したエジプトの気候とまるで違い、日本は多湿でございます。普通にはミイラなどできません。ですから、不自然の極みのような体の変化を修行として自らに課し、その上で半ば自死に近い最期によって修行を完成させる苦行、荒行の極致なのでございます。
つまり、聖様は屍霊なのでございます。極限の苦行の末に最期を迎えられはしたものの、なお仏に至れない無念が、苦悩が、心残りとなりまして、朽ちぬ屍となったそのお体に取りついてお動きになられていたのでした。そして、救いを求めて現世をさ迷い歩き、芝右衛門狸の偽物の仏様の元にたどり着いたのでございます。
聖様のお姿にびっくりした芝右衛門狸にはもうなりふりもへったくれもありません。どろんと化けの皮がはがれると、元の狸の姿をあらわにして、夜闇の先のいずこかに一目散に逃げて行ったのでございました。
残された聖様は徳利堂の祠の前できょとんとしています。
「ありゃりゃ、ありゃ狸じゃあないか。わしゃ騙されとったんかいな」
聖様はぽつんと一人きり。芝右衛門狸はとうに逃げ去って、きっともうお寺に近づきもしないでしょう。
やがて、聖様の乾ききったまぶたからほろりほろりと涙がこぼれます。でもそれは、もう悲嘆の涙ではございません。喜びの涙でございます。
「ああ、なるほど。なるほどなあ。物事の見目にばかり心を奪われて、本質というものがまるで見えていないじゃないか。確かにこれでは仏なんてほど遠い」
聖様はありがたい、ありがたいとつぶやいて、徳利堂に手を合わせます。
「ああ、なんてありがたいのだろう。あの狸は気がつきもしないだろうが、きっと徳利堂の仏様がさ迷う私を見かねてこのような形でお導きを与えてくだすったのだ。ああ、ありがたい。御仏の慈しみのお心はなんてありがたいのだろう。私のような愚か者にも仏様はお導きを与えてくださる」
そして、聖様は、ありがたい、ありがたいなあと喜びの声を漏らしながら歩き出し、そして浮世とも幽世とも区別のつかぬ暗闇の中へと姿を消されたのでした。
そして、総持寺には大きな徳利と大きな杯が供えられた不思議な祠だけが残ったのでした。
これが徳利堂にまつわるお話でございます。
さて、唐突ではございますがこの話、まったくの嘘っぱちでございます。
そもそも、総持寺の徳利堂が出来ましたのは1980年ごろでございます。当然ですが、芝右衛門狸のいた時代には影も形もございません。
しかしながら、一つ方便を言わせていただけるというのならば、世に起きる事ごとの、何を嘘として、何を真とするのかという事は、人それぞれの思う所によるものだというそんなお話でございます。