表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
2/17

◇◆アルフレッド・フォルコン・ゲンヴァルデの恋(後)◆◇

 女神だ。女神が目の前にいる。ライラックの髪はスカーフできっちり隠されているが、煌めく紺碧の瞳、綺麗な輪郭、日焼けしているが瑞々しい肌、血色の良い頬、紅い唇。神に選ばれた男装の令嬢。

 私は早鐘をうつ胸に手を当て、逸る気持ちをぐっと抑えて、エレミア姫の下宿、浴場リリーアイボリーの談話室でお茶を飲んでいる彼女のテーブル正面に座った。


「貴女がフェイスクラッシャーのミアさんですか?」

「はぃ?名前の前に付いているのは何でしょう?それと、ご自分のお名前を名乗らない方と話す時間はありません」

「有名ですよ、女性トラブルや町のトラブルを解決する際に、悪人の顔を握りつぶすって」


 警戒されない様にやや失礼な言葉掛けをすれば、プイッと横を向く。その横顔も彫刻の様に美しい。胸に手を当てたまま頭を下げる。このまま心臓が破裂して死ぬかも知れない。いや、ここで死んでなるものか。ずっと憧れていたエレミア姫とやっと堂々と話が出来るのだから。


 私はミドルネームを使いアルフレッド・フォルコンと名乗った。幼い頃と変わらない観察力を持った姫は、ちらちらと私の動きと店のドアに視線を走らせる。

 警戒されたか?疑われて逃げられたら死ぬ。私の心が。幾らトリスタンとアレックスが外を固めてくれていて、後から誤解が解けたとしても、一度でも此の人に疑われたくない。どう話を持って行こうかと考えていると、店に男が飛び込んで来て、町外れに魔獣が出たと叫んだ。


「失礼しますわ!」


 一瞬にして真剣な表情に変わって走っていく彼女を追う。力の弱い私が逆流してくる住民に流されかけるのを、トリスタンが道を開き、アレックスが私を持ち上げる様にして進んでいく。


「坊ちゃん、もうちょっと力付けないと」

「アレックス、アルフレッド様は頑張っていらっしゃいますよ」

「知ってる。ちょっと離れたとこでお嬢さんの戦い方を見せて貰おう」

「ミア嬢が怪我をしたらどうするんだ⁉︎」

「アルフレッド様が近くにいた方が戦いづらいと思いますよ」


 確かに。


 離れた所から見ていると体術と木の棒で黒妖犬ブラックドッグを叩きのめし、彼女の周囲で苦戦している者の方向を大声で指示すれば、流れる様に対処してくれる。

 退治が終わって助けられた者達に次々に礼を言われると、あの時小さなお嬢さんに向けた笑顔で「いいえ、皆さんが引き付けて下さったから安心して倒せました」と答えている。

 可愛い。もうどう言っていいか分からないくらい可愛くて愛らしくて凛々しくて美しくて女神で……。


 危なくそのまま彼女を見送ってしまいそうになる私の背中を、トリスタンがポンと叩いた。そうだった!何としても彼女を保護するんだった!

 仕事内容を話し、辺境軍という事を隠して勧誘する私に迷惑そうな顔をするエレミア姫。私はマックス兄さんが使った必殺技を繰り出した。


「天然温泉付き、いつでも入浴出来て専属の職員が清潔に保っています」

「見学してみますわ!」


 マックス兄さん、いつも揶揄って来るけど今日は感謝します。極上の笑顔を見られました。


ーーーーーー


「温泉は素晴らしいけれど軍だとは思っていませんでした」


 可愛らしく頬を膨らませ文句を言いつつも、軍に入って直ぐに効率的な編成案を出してくれたり、領主のいないブルーメンに向いた施策を考えたり、直ぐに辺境軍のアイドル的存在になったエレミア嬢。

 立場を利用して私が師団長の第二師団の副師団長になって貰い、必死に口説いたり手を取ったりデートに誘ったりと頑張ったのだけれど、「褒めていただけるのは嬉しいのですが、私は全く女性的ではありませんので」とか「手を封じてからの組み手ですか?」とか「買い物ですか?武器なら軍の備品庫に充分ありますわ」と振られまくった。

 これも、彼女の女性としての魅力を否定した見る目の無いブラートウルストの連中と、真心を踏みにじった辺境坊ちゃんと甘ったれた妹のせいだ。エレミア姫は武術や知識については正しい自己評価を下すのに、見た目や性格については卑屈になってしまっている。

 彼女と仲の良い街のお姉さん達お嬢さん達に頭を下げて、彼女自身が自分の魅力に気付く手助けをして欲しいと願えば、物凄く生温かい視線が突き刺さる。そしてあのニヤニヤ笑い、私の家族が私に向けるニヤニヤ笑いをするのだ。もう揶揄われてもニヤニヤ笑いを向けられても、私は引かない。両思いにならなくても良い。ただ、エレミア姫が大切にされる価値のある素晴らしい女性だとわかって貰えれば良い。

 泣きそうだけど。一人の時は泣いても良いよね。


「坊ちゃん、もう現実のお姫さんがいるんだから、絵姿を抱えて泣くのはやめた方が良いと思うぞ」

「アレックス、殿下の趣味を邪魔してはダメだ」


 趣味では無い!断じて趣味では無い!


 そうして過ごして約半年。私にちょっぴり筋肉がついて、私に向いた戦い方を手を取り足取り教えて貰い、時に組み手で投げられ、時に刃が潰されている筈の練習用の剣で服を切り裂かれ、兵法や陣展開で議論を戦わせ、ブルーメンのこれからについて話し合い、といった夢の様な生活を送りつつ、実際のエレミア嬢が思っていた以上に努力する天才だとわかった。

 早朝から鍛錬、街を一回り。朝食、午前の鍛錬、師団での仕事、街の食堂で昼食を取りながら女性相談受付、街を一回り。午後の鍛錬、師団での仕事、リリーアイボリーで自分の座学をしながら希望する住民に無償で読み書きを教える。街の食堂で夕食を取りながらの女性相談受付、街の警備と問題解決。基本的な生活の合間に困っている人に頼まれた問題を片付けたり、暴力を振るう夫を吊り上げたり、街の外の魔獣を倒したり、街の外から流れ込んで来て揉め事を起こす連中を釣り上げたり、稀にこっそりダンスのおさらいをしたり。


 基本自分に厳しく他人に優しいけれど、自分で何もしないで頼ろうとする相手に対しては「先ずここまでやってから再度相談して」とはっきり言いつつ、いつでも助けられる様に目くばりを忘れない。

 何なの?神なの?そうです、女神です。


 そんなエレミア嬢の前に座り、必死に笑顔を作りながら現状を説明する。信頼関係を築いたつもりだけれど、彼女の実力なら私の話を聞いて街を出る事だって簡単だから。

 姑息にも私の瞳の色のガーネットを散りばめた髪の色を変える魔道具を差し出して、彼女が少しでも気負わない様に、普段から彼女にしている巫山戯た口調で彼女を好きだと告げる。鬱陶しいと思われていたら、他に好きな人が居たら、今もあの愚かな男が好きだとしたら。本当は本気でずっと好きだった事を伝えたいけれど、この後彼女にとって嬉しくない話をしなくてはいけない。だから、少しでも気楽に聞いて欲しい。そんな私の告白に。


「わ、私を油断させて殺す気ですか⁉︎」


 信頼関係、成り立って無かった。私の無能。

 エレミア嬢の立場と才覚なら、最悪の事態を想定しながら結論を出すのはわかっていたのに、もっと信じて貰える様に出来なかったのか…。

 彼女との話し合い決裂、逃亡防止の為に部屋の端で座って待機しているトリスタンがそっと目を逸らし、アレックスが腹に手を当てて笑いを堪えている。主人が悲しい思いをしているのに、泣くぞ。いや、まだダメだ。頑張れ、自分。それに、拒否された訳じゃ無い。その証拠に、少しだけ頬が紅くなっているじゃないか。……。天使か?天使なのか?死ぬのか?お迎えが来たのか?いやまだ死なない。死ねない。街を守り、ブラートウルストの連中をやり込め、堂々とエレミア嬢に交際を申し込むまでは死ねない。


「どうしてそうなったか分かる気がするのが悲しいのですが、少しは動揺して下さった様ですし、訓練以外で愛らしい頬が上気する所を見られたので、今日はここで引き下がります。それでですね、ミアさんにプレゼントをするのは唯の好意ではありません」


 これからする話は決して外に漏れてはいけない。

 私は、エレミア嬢の出自を知っている事、ニュルンベルスが魔獣を操ってこちらに送り込んでいる事、そのニュルンベルス主導でブラートウルストが国境を侵しここブルーメンを奪おうと近く侵攻があると推定される事、それらを踏まえて、どうしたいのかを問いかける。

 エレミア嬢の前に跪き、騎士の礼をとって見上げると微笑んで口を開く。


「もう王女ではありませんが、私の身元を知って利用されるのであればそれはそれで構いませんわ。例え王女の称号を剥奪されていても、私の首でも死体でも其れなりの効果はありますもの。国を追われた時から覚悟はしておりますわ」

「違います!私がエレミア様の追放を知った時、本当にショックだったんです。私はずっと鍛錬を続けても今の体を維持するのが精一杯。そんな中、隣の国の王女は日々努力研鑽をし、文武両道で将来の夫である辺境伯子息を支える為に全ての苦労を厭わない高潔な方だという情報を聞きました。貴女の絵姿を手に入れ、憧れ、目標として過ごして来たのです。そして目の前に貴女が現れた時、女神が降臨されたと思いました」

「ええと、それは、随分と美化されていると思いますわ。私は悪魔だの男女だのと評判が悪かったですし、結局、婚約者も可愛らしい妹と想いを通じてしまいました。それに私はもう王女ではありません。平民のミアです」


 凛々しくも柔らかに微笑んでる彼女の瞳から美しい雫が溢れていく。今の私にはそれに触れる権利は無い。けれど、彼女を思う気持ちだけは伝えないと後悔する。


「私にとってミアさんはずっと憧れていたエレミア様です。そして、今、エレミア様は私の前にいらっしゃる。心を捧げた相手に裏切られ辛い想いをされたのに、こんな事を言うのは貴女の真心を貶めてしまうかも知れません。そうであれば私を嫌っても憎んでも今すぐ切って捨てて下さっても構いません。どうか、私にほんの少しでもエレミア様の心を預けて頂けませんか?」

「先ずは、私の身元を知っても何事も無く付き合っていただけたのをお礼申し上げます」


 ふわりと立ち上がり美しい淑女の礼、そして私の手が取られ引き上げられる。思わずぎゅっと握ると雫を湛えた紺碧の宝石が瞬く。このまま時が止まれば良いのに、と思う気持ちを必死に抑え、断腸の思いで握った手を離してハンカチを出して彼女に差し出す。


「一つお聞きします。エレミア様はブラートウルストに戻りたいですか?このままではニュルンベルス殿や学生時代の同窓生と戦う必要が出るかも知れません。戻りたいのなら、私が全力でお力になります」

「ふええええ。今の方が幸せです。ふええ。ええと、でも、聞かせていただけますか?両親は、妹は、サフィニア様は幸せですか?真実を教えて下さい」


 こんな時にもあの連中の幸せを気にするなんて……。単語が出るだけでも殺意が湧くが、私の女神の安寧の為に微笑みを崩さず、最低カップルが結婚した事と、エレミア嬢の捜索を我が国が実際にあった魔獣の襲撃を利用して死亡偽装して連絡した事を告げると、襲撃された者達の安否を気遣う女神っぷり。 


「どうされますか?最後にもう一度聞きます。ブラートヴルストに戻られますか?エレミア様では無かったと訂正すれば」

「帰りません。魔獣を操ったり、人を害したり、利益の為に手段を選ばないなんて許せません。サフィニア様と縁が無くなったのも、今は良かったと思えます。攻めて来たら、私が責任を持って迎え撃ってやります!」


 最終確認の言葉への返事に一安心して大きく息を吐いてから、私にとっての最大課題を告げるべく心を決める。

 アレックス、何故ここで眉根を寄せて大量のハンカチを用意する?トリスタン、何故ここで同情に満ちた表情で何度も頷く?いや、大丈夫、信頼感が、いや待て、さっき殺意を疑われた。ダメかも知れない。


「まだ何かありますか?」

「あの、もう一つ、それなりに重要な事があるのですが、怒りませんか?」

「怒る様な事ですか?私の為に色々骨を折って下さったのに?もし怒ったとしても受けた恩がありますもの、張り手一回で許しますわ」


 再度跪いて目を瞑る。張り手だろうが吊り上げだろうが、何だったらエレミア姫の決意の様に首だって差し出す。私は彼女に自分の身分を偽り騙していたのだから。ただ、少なくとも、エレミア姫は、私が身分を黙っていた事を不快に思ったとしても、公平な判断の出来る女神だ。私が嫌われても、この地域の住民は守ってくれる。後は真実を告げるだけだ。


「フォルコンは私のファミリーネームではなくミドルネームです。正式な名前は、アルフレッド・フォルコン・ゲンヴァルデです」

「ゲンヴァルデ…。ゲンヴァルデ⁈アルフレッド・ゲンヴァルデ様、知っております」

「でしょうね。アルフレッド・フォルコン・ゲンヴァルデ。ゲンヴァルデ王国第五王子です。四人も兄がおりますし、この空いている領地をどうするかという課題を父から受けております」


 エレミア姫は柔らかく微笑んで小さく頷いた。


ーーーーーー


 ブラートヴルストの侵攻は、彼の国の多くの兵士に恐怖を残して終結した。

 開戦して直ぐに騎士の単騎突撃を受け、弓の一斉射撃で撃沈して指揮を高めようとした所、交わされ叩き落とされ、当たったと思ったら怪我には至らず、その騎士が死んだ筈の自国の元王女だと分かり、将軍や騎士達が恐慌に落ちいる。

 指揮系統が狂いかけた本陣すぐ側で、恐慌の原因である元王女が騎士にチャージ攻撃を成功させて、そのまま馬上からの槍ランス攻撃に移行。本来刺突攻撃用の重い槍を軽々と振り回し、馬首を返しながら周囲の兵士を薙ぎ倒していき、序でに逃げようとする騎士を穂先に引っ掛け引きずり倒す。


 その中で抜刀灰色熊だの、死霊ナッツクラッカーだのと言いながら、汚い涙を垂れ流して逃げ惑う騎士を見て、ブラーヴルストの士気が急落、ゲンヴァルデの士気は急上昇。特に第二師団は敬愛する副師団長を愚弄する者はすり潰すという殺る気っぷりを発揮した。

 その様な状況で一番大変だったのは、その第二師団副団長であるエレミア嬢を何度自陣に引き戻しても突撃してしまう事だった。本人は「国にいた時は立場上、余程の事が無ければ後方に控えたけれど、今は副師団長とはいえ入団して間もありませんから一兵卒と一緒ですし、あれだけ驚いて下さるのなら効果的じゃありません?」と可愛らしく頬に手を当て首を傾げつつ、言うので、私もつい『女神絶対正義で可愛い』と気を取られてしまい、その一瞬の隙を突かれて再突撃を許してしまうという情けなさ。

 でもですよ、世の中の誰だって、自分の最愛が目の前で可愛い姿を見せてくれながら何か言ったら、それが間違いでも一瞬は間が開くと思うんですよ。平均的な女性であれば一瞬で目の前から消失しないと思いますが、私の最愛は女神なので消えます。馬上槍突撃で。


 結局、ブラートヴルストの指揮系統が瓦解し戦闘不能で投降。戦闘中に逃亡した兵士も多数。中央部から派遣された侵攻軍の将軍と騎士団員、ニュルンベルス辺境伯親子を捕虜とする事が出来た。

 親子は捕獲後直ぐにエレミア嬢に会わせろと大騒ぎし、特にアレな息子は真実の愛がどうとか、僕らの愛の形がどうとか、エレミア嬢の広く深い愛を信じているとか、王都にいる甥が可愛く無いのかとか、元々敵国に通じていたのかとか、自国の愛する民と戦えるとはそれでも王女かといった世迷言を垂れ流していたので、改めて絶対許さないという気持ちを固めて捕虜用の牢にぶち込んだ。

 世迷言の中の『エレミア嬢の愛が広く深い』については同意する。だが、一年弱前にエレミア嬢が城を出てからニュルンベルスのアレと常識知らずの妹の結婚準備を開始した筈なのに、王都に甥がいるのか。あれか?人非人同士だから、生まれるまでの時間が人と違うのか?はははははは。


「では、補償はニュルンベルスの土地の切りの良い部分、我が国が指定した地図を元にして譲渡という事で宜しいですね?」


 交渉を任された第三王子ローラシア兄さんが私の隣でニコニコと人の良い笑顔をブラートヴルスト王に向ける。今まで二国間の交渉はマックス兄さんが行っていたけれど、今回はロア兄さんたっての希望で代表にななった。見た目厳ついマックス兄さんと違って、優男風のロア兄さんは底意地が悪い。今回も「捕虜多数あり、優秀な姫を落籍させる馬鹿相手」と大喜びだ。

 苦々しい表情で頷いたブラートヴルスト王が必要書類にサインした後、どう見ても作り笑顔にしか見えないものを浮かべた。王の後ろに控えていた宰相が媚びた顔で口を開く。


「話は変わりますが、本日、エレミア殿下は御同行されていらっしゃるのでしょうか?我が王も姫を手放される気は無かったのでございます。状況と言葉に誤解と行き違いがありまして、この様な状況になってしまった事をブラートヴルスト全体で憂いております。今回の交渉にいらしたゲンヴァルデの皆様の歓迎の宴を再会の場とさせていただき、エレミア殿下の第一王女の地位を」

「それは無理ですね。今回はエレミア嬢は色々とお忙しく同行されていらっしゃいません。それにエレミア嬢はブラートウルストの王籍から完全に離脱されてますから、今更再会を望まれないのでは?」

「そんな事はありません」

「ありますよ。エレミア嬢が我が国に亡命されて来た際、きちんと調査させていただきました所、ブラートウルストの王籍が国教会の名簿から抹消されていましたよね。その日付入りの写しを複数頂きまして、周辺国にも状況をお知らせしておきました。それに、捕虜になられた皆さんはご存知ですけれど、既に我が国で騎士爵を受けておられます」


 唖然としたブラートヴルストの連中の顔を見て私の溜飲が少しだけ下がる。けれどこれだけで済むと思うな。ここから帰ったらもっと悔しがらせてやる。今回受け取ったニュルンベルスの土地はブルーメンと併合して、エレミア嬢に辺境伯をお願いすると決まっているのだから。

 お前らの手放した女神は今頃、出国後の国内を心配して私の護衛と一緒に王都で情報収集中だ。自分を馬鹿にした連中の心配をする女神だからな!ずっと支援していた孤児院や学校も見に行くって言ってたから、お前らがきちんと対話していたら、動きも読めたかも知れないがな!


 戦後処理に敗戦国から歓迎されても、いつ寝首を掻かれるかわからないので、表向きはこちらもブルーメンの処理があるからと断って王都をたった。ロア兄さんの悪辣な交渉で糧食もかなり手に入れたので、もしブラートヴルストが今回の負け分を取り返したくても、それを支える兵糧は無い。体制の立て直しに少なくとも数年は掛かるだろう。

 帰路、折角なのでエレミア嬢の逃亡ルートを確認したが、報告にあった崖は完全に切り立った崖だった。どうやって登ったのか聞いた次の瞬間「指と爪先に力を入れれば登れますわ」と実行、あっという間に手の届かない場所から「ではこの先の街で合流しましょう」という声が降って来て、つい崖を登る美しい姿に見惚れていた私を見ながらロア兄さんが笑い転げていた。

 その後合流するまでの二日間、私は食事も喉を通らず、睡眠も取れず、再会を約束した街で発見した時に少々距離があった為、勢い良く走って抱き締めようとして喉を締め上げられた。


 国内に戻ってから、エレミア嬢は気がかりだった施設に指針を出せたとスッキリした顔をしていた。トリスタンの報告によれば、彼女は匿名の篤志家として援助していて、毎月の援助をあてにしていた施設はどこもかなり困窮していたらしい。正直な所、特定の施設に肩入れしすぎるのは良くないし、施設は追加援助を受けなくても最低限の運営が出来るべきだ。

 エレミア嬢は今後の援助が無理な事を告げ、公的な支援申込先、施設毎の自活方法を説明して来たとの事。それに対して、それまで同様の補償と空白分の補填を求めた施設が多かったそうだが、エレミア嬢の正体を知ると黙ったらしい。流石に、それ以上のゴリ押しをする程、厚顔無恥な者はいなかったと言いたいが、その際、同行したトリスタン達が後ろで殺気を放ちつつ剣の柄に手を添えていたと。

 エレミア嬢には施設の人間を威嚇していたのでは無く、不意の襲撃に備えていたのですと伝え、それで納得して貰えて本当に良かったと思う。言い訳が効かなかったら「アルフレッド殿下の命令です」という予定だったと。女神に誤解されたら、例の崖を女神と逆の方向に飛ぶ一択だ。


 その後、ブルーメン辺境伯となったエレミア嬢に接触するのが怖いブラートヴルストから、私宛に連絡が数回来た。ロア兄さん宛は一切無かったそうで、私なら与し易いと思われた様だ。実際、私とロア兄さんだった私の方が楽だ。女神は譲らないけどね!

 ブラートウルストの使者も、短慮な夫婦も、きっちり面会してお断りして差し上げた。


 見上げれば空は何処までも青く、祝ってくれる人達の笑顔に囲まれ、目の前の女神の紺碧の瞳は煌めき、その姿全体が輝いている。


「我が女神、エレミア姫、私の一生の愛」

「私は人ですよ」


 王城の前の式典広場で、純白のドレスに身を包んだエレミア嬢が跪いた私の手を取って微笑む。その手はレースの手袋の下に努力の結果の固さを持ちつつ、とても優しい。

 ブルーメン領主館に「貴女の全てを愛しています。結婚して下さい」と日々訪問して口説いたら「フォルコン殿下はきちんとお仕事をされてますの?」と返され、鍛錬の合間に口説いたら「会話をすると筋肉が緩みますよ」と腹を打たれ、新たに増えた領地の視察という名目で誘えば私にメモ係を任せて領民との会話に終始し、アクセサリーを贈れば「今は他にお金を使いたいのですが」と渋られ。

 最終手段でリリーアイボリーのお姉様方にエレミア嬢との関係の進行具合を相談して、何とか結婚に漕ぎ着けた。情けない気もするが結婚式を迎えられたので大丈夫です!


「私は捨てられた人間ですが、私を必要としてくれる人達と幸せと苦労を分かち合いたいと思います。一緒に未来を切り拓いていただけませんか?」

「は、はいっ!喜んで!」


 あれ?


 おかしくないかな?何で私の指先に女神が祝福を?何でマックス兄さんの「エレミア嬢、我が義妹ならそこでアルを抱き上げろ!」という指示に、女神が従ってるのかな?何で私が宙に浮いてるのかな?


「あれええええええ?」


 誰か感じて!違和感を!ここは私が愛する姫を!抱き上げるとこだよね⁉︎


「流石私の義妹ねっ!」

「そのまま祝福してくれている皆んなに見える様に一回転だ!」

「あははははは、回った回った!面白いねえ!」

「流石我が義娘!でかしたぞ!よし、祝儀としてブルーメンの税収は今後三年免除だ!」

「陛下、そこはきちんとしないといけませんよ。免除は新たなブルーメンの領地だけになさいまし」


「アルフレッド殿下、ゲンヴァルデの結婚式は変わっておりますのね。新郎を抱き上げられる腕力を持たない新婦の場合はどうなさっているのですか?」

「あのですね、エレミア嬢、通常は抱き上げません」

「はい?」

「揶揄われただけです」

「えっ?私は殿下に大変失礼な事を」


 そっと私を降ろしてくれた後、真っ赤に染まった頬に両手をあてて瞬きを繰り返す。可愛すぎて死ぬ。


「やだ、義妹が可愛すぎる!」

「よし、今度はアルが持ち上げろ!出来るならな!」

「筋肉は重いからなあ」

「煩い!!!」


 頬を染め困った顔を私に向けるエレミア嬢の両手を取って、私は必死に微笑んだ。気を緩めたら心停止しそうだから。


「愛するエレミア嬢、お互いを理解し高め合える事を誓う、で如何ですか?私には貴女が必要です」

「はい!それでお願いします!」


 甘い言葉なんかこれから幾らでも言える。下手な事を言って式場から逃亡されたくない。

 女神は人となり私はその婿になった。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
[一言] ものすごいですね……。 ものすごい勢いで初恋を拗らせて拗らせて複雑骨折の上に捻転し脱臼がクセになりまくっている有り様ですね……。 姫から見た王子はそれなりにキラキラしく胡散臭かったのに、ドウ…
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ