◇◆それからのみんなのお話(中)◆◇
会話多量回。
一人で数十体の魔獣を屠ったエレミアは学園内の浴場を使ったのち、シンプルな女性用のコタルディを身につけて謁見室に現れた。クラティウスの近衛騎士団はまだ完全に落ち着いていない様子も見られ、競技場はキメラとワイバーンの後始末、捕らえた魔獣召喚者達には尋問を行い。ブラートウルスト城が落ち着くにはかなり掛かりそうだ。
エレミアの隣に立つアルフレッドは今までクラティウス達ブラートウルスト勢に見せた事が無い冷たい笑みを浮かべつつも、エレミアを気遣う時はやはり見せた事の無い極上の微笑みを向ける。席に着いてもそれは変わらず、ブラートウルスト側から、今回の助力に対しての礼や今後の対応等の話をしても変わらない。
ブラートウルスト勢がエレミアに向ける視線は苦々しいものが多いのが、近侍となるイアンや、近衛騎士の一部、呼ばれた学園の教師陣の一部は目を輝かせて好意を全く隠さない。それに対してもアルフレッドが撥ね付ける様に不機嫌な表情を向けているが、マクシミリアンに態度の悪さを抑える様にと脇腹を突かれて更に不愉快になっていく。
「ブルーメン卿は如何にして武器を持ち込んだのですか?一般席にいらした様ですが、あそこに入る者は全て持ち物改を受ける筈です」
「バークレイ騎士団長殿、お久しぶりでございます。武器を持っておりませんでしたので、警備の方に問題はございません」
「しかし、細剣を振るっておられましたよね?」
「これは唯の樫の棒ですので。お見せしますので、ご確認下さいませ」
エレミアは両手を広げて見せたのち、ゆっくりと50センチ程の棒を取り出した。コタルディと下のワンピースの間、腰の両側に細工をして全部で6本の棒を収納出来る特殊仕様。よく見れば座った時、腰の両側が前方に向かって斜めになっている。動きやすさと武器の携帯しやすさを優先した結果の服装に対して、エンパイヤスタイルやロマンティックスタイルのドレスを見慣れているブラートウルスト陣にとっては違和感が大きい。
父親であるバークレイが矯めつ眇めつ棒を確認するのを、イアンが何とか自分も確認したいとぐいぐい寄っていくのを見たエレミアは、微笑みながら残りの5本を差し出す。
「護身用具を全部出すのは危ないですよ」
「平気ですわ。紅茶にスプーンも添えられておりますし。何かありましたら、アルフレッド様もきちんとお守りします」
「いつも言っていますが自分で守れます」
蕩ける様な笑顔を向けるアルフレッドにゆっくりと首を傾げるエレミア。スプーンも当然の様に得物と認識する抜刀グリズリーの上品な微笑みにひきつる者も多いが、35歳になったエレミアは健康的で忙しい毎日を楽しく送っているせいなのか若々しい上に、元々所作も完璧で悪評という先入観を引けば素晴らしい貴婦人が優雅に微笑んでいると言える。エレミアに好意的な教師達はその姿を見て満足気に頷きあった。
「本当に唯の棒ですね。しかし、戦っている時は魔法剣の様でしたが、どういう仕組みになっているのですか?」
「私にとっては数日身につけて素振りをすれば力が馴染んで魔力が纏える様になるのですが、どなたでも出来る訳では無いみたいです。使いたい魔法系統に合わせた魔法陣を刻むという方法がありますが、それも練習が必要とか」
「母上が幼い時から修練して身につけた技の一つです。かなりの能力を独学で身に付けられたので、説明しにくい事も多いのです」
「邪法では無いのか?それに、召喚師どもと内通している可能性も高そうだ。裏切り者の元王女は、今度は計略を用いて我が国から何を奪うつもりだ?」
「ヘルツ将軍、ブルーメン卿がいらっしゃらなかったら此度の凶事の被害が大きなものとなっていただろうが。失礼な事を言うではない」
「ヴェルリナ老は学園長としての責任を取るべきであって、ブルーメンの味方をされる立場では無いだろうが」
ブラートウルストの将軍ヘルツと、ヴルスト学園長のヴェルリナのやり取りに、ただでさえ良くない部屋の雰囲気が更に冷え込む。一瞬眉を顰めたガイストが、二人に向かって「今はその様な話はしておりません」と宥める。
「此度の訪問についての発言、宜しいですか?」
「ブルーメン卿の発言を許す」
「先ずは、ゲンヴァルデからの訪問者リストに私の名前が入っていなかった事を、ブラートウルストの皆様にお詫び致します。今回の訪問での私の立場は王太子妃殿下の護衛騎士となっております。リストにある騎士キルシュ・ゲンヴァルデが私です。現在の私の正式な名前は、エレミア・キルシュ・ゲンヴァルデ・ブルーメンですので、記載上の不備には当たらないかと思われます。その様にした理由ですが、ブラートウルストには私について色々と流言飛語がある様で、混乱を避ける為でした。何も無ければ留学生二人の見学をしたのち帰国する積りでしたが、今回多くの被害が予測されましたので、速やかに収束させるべく助力させて戴きました。護衛騎士である私が一般席に居た理由ですが、来賓席での観覧となればはっきり顔を出さねばなりません。ブラートウルストの重鎮の方々には私を良く知る方々が多数おられます。ですので、あちらに」
「委細承知した。ブラートウルスト王として、迅速な判断で多くの者を守ったブルーメン卿の行動に感謝している。ブラートウルストの者がブルーメン卿を咎めるのは、恩を仇で返す行為としてあってはならぬ。ゲンヴァルデ王太子妃にも我が臣下の無礼を両国の友好に免じて寛恕頂きたいが如何か?」
「勿論でございます。陛下の御心、このリンディしかと受け止めました。陛下と殿下にお伝えしますわ」
中断された大会について、クラティウスとマクシミリアン達で話す間、バークレイ騎士団長から召喚師達の尋問に同席する要請をされたエレミアは快諾して牢獄に移動した。
「バークレイ騎士団長、先程はお手間をお掛けしました」
「いいえ、ブルーメン卿がいらっしゃらなかったら、大きな被害が出ていた事でしょう。エレミア様とお呼びしても宜しいでしょうか?」
「勿論です。騎士団長に幼少の頃に手解き頂き、やっと形になって来た所です。御子息もご立派になられたのですね」
「いえいえ、留学されたお二人の優秀さに皆が驚愕しております。イアン、ご挨拶を」
「イアン・バークレイです」
「騎士団長と御子息には、2年前にも拝顔する機会がありましたが、今後はあの様な状況での邂逅はしたくありませんわ」
「エレミアと騎士団長はお付き合いが?」
「私が剣の修練を始めた時の先生です」
「未だ私も騎士になって然程経っておりませんでしたが、王女殿下に指導する役目を仰せつかり大変光栄でしたが、あそこまでお強くなられるとは思っておりませんでした。エレミア様を侮った事、お詫び致します」
「とんでもありません。「剣の修練は一生だ」とおっしゃってたではありませんか」
「いや、若い時は私も意気込んでおりましたから、お恥ずかしい」
2年前、この目で実際に目撃した悪鬼の如くブラートウルストの陣を切り裂き蹂躙したブルーメンの幽鬼。それが自分の父と笑顔で会話している姿にイアンは衝撃を受けつつも、今日のエレミアの言動に何か納得のいく気分になった。自分だって攻め込まれたら応戦するし、クラティウスが襲撃されたらなりふり構わず必死になるだろう。そして決して相手を許さないと思うだろう。けれど、エレミアはブラートウルストもゲンヴァルデも大切に思っていて、自分に刃を向けた相手も許す事が出来る人物。
姿を表せば面倒になるのが分かっているのに、自分を追いやった国の人間を守る為に無意識に戦える人物。確かに女性が前に出るという文化の無いブラートウルストでは忌避され、謗られ、貶められるだろうけれど。
「ブルーメン卿、貴女を誤解しておりました」
「そうですか?ありがとうございます?」
「イアン、急に何を言うんだ。エレミア様を驚かすな」
「そうですか、誤解ですか。何故誤解をするか良くわかりませんね。私の素晴らしい女神をどうすれば誤解出来るのか些か謎なのですが、頭を割って、少しかき混ぜたら正しく「アルフレッド様」そうですね、誤解が解けて良かったです」
イアン親子は思い出した。あの戦いの後、エレミアの居ない所でネチネチと嫌味を続けたアルフレッドを……。
ーーーーーー
エレミアとクラティウスはヴルスト学園のテラスにあるガーデンテーブルの上に置かれた書類に視線を向けつつ、紅茶を飲む。
クラティウスにとってエレミアは幼い頃から、母であるリアンナの仇であり、王女でありながら自国を裏切った外道であり、不当に国の土地を奪い取った悪魔だと言われていた存在だった。しかし、奪還戦敗北後に、それまでに聞かなかった話を聞いたり目を通していなかった資料等を調べ、色々と思い考える所があった。
その状況でリーフの初年度に合わせたリーフとリーファの留学で、仇敵でしかなかった二人がブラートウルストの気風には合わないものの、学ぶ事に懸命な努力家であり、奪還戦は終わったものとして自分達からは一切話題に出さず、嫌がらせを受けても大事にならない様に配慮している様子が見て取れたので、クラティウスの心は大きく揺れ動いた。
そうして今日、きちんと対面してゆっくりと話す機会を得られた。
「ブルーメン卿の見立ては?」
挨拶の後、クラティウスが武術大会での魔獣出現について話を振ると、エレミアがゲンヴァルデ勢が調べた資料を差し出す。
「術自体はドルイダス特有の組み方でした。現在、あちらからの留学生はいらっしゃらないと聞きましたが、観覧席に複数お見かけしました。留学を検討されたり、他国への士官もありますので、来賓がいらっしゃる事自体はおかしいものではありませんね。気になる様でしたら、こちらで調べた内容をお渡しします」
「その代わりに何を寄越せと?」
「何も要りません。ブルーメンの西はブラートウルストに、北西はドルイダスに接しております。以前から色々調べておりましたし、ドルイダスが不穏な動きを見せるのなら、それに合わせて行動しなくてはいけません。それに私は、難しい事を考えるのは苦手なのです」
真意を探るクラティウスに、目を瞬かせてから微笑むエレミア。
「韜晦しているのか?」
「まさか。そんな器用な事が出来たのなら、ここに座っていられませんわ」
「成績は残っていないが、全ての教科で首席を取り続けたと聞いている」
「座学の出来が良いのと、策を巡らせるのは別物です」
「兵法も学んだと聞いている」
「随分私の事をお聞きになったのですね」
やや離れたテーブルに着いたアルフレッド達ゲンヴァルデ勢とブラートウルストの将軍や大臣達が当たり障りの無い話をしつつ、こちらを伺っている。エレミアは姉弟に『気にしないで』といった様子で軽く手を振ると、満面の笑みで手を挙げかけたアルフレッドを苦笑いのマクシミリアンが止めた。
「折角の機会なので、直接質問をさせて貰えるだろうか?私の事を甥だと思っているのなら、忌憚無く答えて欲しい。ブルーメン卿、いや、我が伯母エレミア・テューリンガ・ブラートウルスト大公主、貴女はブラートウルストを恨んでおられるのか?」
「当然潰、ぎゅううう」「父様、余計な口を挟まないで下さい」「そうですよ、ここは静かに母上の話を聞くべきです」「坊ちゃん、黙っとけば女神の啓示を聞けるぞ」「そうだった!」「はっはっは、アルは40近くなっても可愛いなあ」「マックス兄さん、いい加減そういう」「坊ちゃん、女神の言葉を聞き損ないますよ」「皆静かに」「煩いのは父様」
通常運転のゲンヴァルデ勢に、やや呆れたブラートウルスト勢。2年前の攻防戦について、お互い思う所も遺恨もあるのだが、表面上は穏やかにしている。そこにクラティウスが石を投じたのだから、エレミアの返答如何によっては、唯では済まない。
「恨む気持ちは全く無くて、悲しかったですね。とてもとても悲しかった」
一度目を伏せ、口角を上げてからテラスから見えるガーデンの花に目を向ける。エレミアは小さく頷いて、クラティウスと視線を合わせた。
母と同じライラックの髪、母のサファイアの瞳より明るい紺碧の瞳。明朗快活な様子のエレミア、柔らかく儚げで庇護欲を唆るリアンナ。機嫌の良い時は天使の様だが、眉根を寄せて恨言を紡ぎ続けクラティウスに望みを託す母。対して、微笑みながら恨みは無いと断言する伯母。自分の聞かされた話はどこまでが事実でどこからが違うのか。
真剣な顔のクラティウスにエレミアはティーカップを空にすると、ティーポットからカップに紅茶を注いだ。
「私は3歳で陛下の「伯母上、甥であるクラティウスに話して頂きたい」、そうですか、ではその様に話しますね。貴方の父であるサフィニア卿と婚約を結びました。私は一目で幼い恋に落ちて考えたのです。将来ニュルンベルス辺境伯夫人に必要な力は何か?と。ニュルンベルスは鉱山と鉱泉が多く、魔獣が多数出現します。そこで一つ大きな間違いをしました。辺境伯の隣に並び立つ為には武芸に優れ、魔獣から領民を守り、辺境領から領主が王都に出仕している時は妻が代理で仕事をこなさねばならないと思い込んでしまったのです」
ふふふ、と笑うエレミアに話を聞いていて『女性が?』と驚愕の表情を浮かべていたクラティウスもつられて笑顔になった。皆が噂している死神の如きブルーメンの幽鬼と、この無邪気な笑顔を浮かべる伯母は結びつかない。
確かに、ニュルンベルス奪還戦の時にこの目で見たブルーメンの幽鬼は、槍の一薙ぎで多くの兵を倒し、その喉から出す咆哮は敵を慄かせ味方を鼓舞する戦姫であり、目の前にいる伯母と同一人物なのは確かだけれど、雰囲気が全く違う。武術大会でも雄叫びをあげて自分に魔獣を惹きつけ、狂乱したかの様に戦った後、怪我をした人を気遣い助けていた。
王女として淑女としてあってはならない行動をとって国を追われた元王女、幽鬼と噂される副師団長、侵攻して来た敵の王と交戦する領主、妹の息子に対する伯母、自分を追いやった国の国民を守る一武人、どれもエレミアという人だ。
「貴方の母であるリアンナに有力貴族か友好的な他国の王子殿下を女王配として迎える筈でした。実際、両陛下にそう言い含められておりましたし、体が余り丈夫では無く控えめで人見知りもある優しいリアンナが城から出るなんて有り得ないと思っていました。私が理想とした辺境伯夫人になる為に、毎日忙しくしている間、サフィニア卿とリアンナが会っているのは知っておりましたが、将来の義兄となるサフィニア卿が城内で過ごすリアンナと楽しく過ごす事は良い事だと思いましたし、リアンナの婚約者が決まればもっと賑やかになると思っておりました」
「伯母上は母上を信じておられたのですね」
「思い込みが強かったのです。そして、圧倒的に話をする時間が、相手を理解する時間が足りていなかった。それを取らなかったのは私の大きな過失です。後に知った話ですが、リアンナは私に虐げられ貶められ罵倒されたと皆に訴えていたそうですね」
「母上が嘘をついていたと?」
「私からすればその様な記憶はありませんが、リアンナからすればブラートウルストの淑女として完全に逸脱した状態の私の言動を間違っていると感じたのでしょうし、自分が心惹かれ慕うサフィニア卿と婚約しているにも関わらず、その地位に甘えて邪険に扱っていると感じてもおかしくありません。確かに『もっとサフィニア様との時間を取るべきだ』と忠告されましたし、それを聞いた私が『今は自己研鑽の時期だ』と返答したのは間違いでした。学園で傍若無人に振る舞ったと言われてた様ですが、実際女生徒が訓練場に出入りし、図書館の特別室を占拠して勉強し、教師の皆様に長時間指導して戴いておりましたので、その様に取られても仕方がありません」
「そんな…、伯母上は間違っておられません」
「唯の学生なら間違っていなかったと思います。しかし、王女であったのだからブラートウルストが理想とする人物であるべきでした。孝心を持ち慎み深く奥ゆかしく決して武勇などを誇ってはいけなかった。幼いうちから自分勝手な思い込みに囚われた私は、両親や妹の気持ちを慮っていませんでしたし、衝動的に動く私は家族と相性が最悪だったのですね」
少しずつ、話が進んでいくと共に、クラティウスの中の矛盾が氷解していく。決して相手を悪く言わないエレミアは、ブラートウルストに合わない気質を誤解されていた。そしてその誤解のまま、状況が縺れ、敵対してしまった。
「それは私の女が、ぎゅうう「父上、今大切な所なので」「坊ちゃん大丈夫です、過去の理想の話をしているだけであって、女神は女神です」私を坊ちゃんと「大切な話を邪魔する奴は子供だなー」ですが「坊ちゃん、黙って聞いていれば坊ちゃんの知らない姫様の可愛らしいエピソードが聞ける可能性があります」あっ!「トリスタン様、流石です」」
「マクシミリアン殿下、貴国は皆様の結束が強いのですね」
「いやあ、外から見るのと中から見るのは違うけれどな」
「武術大会でのブルーメン卿のご活躍に若い者達の中には憧れを抱いた者も多く、また、卿がブルーメンを発展させて行くのを見た我が国の大臣達の中には、能力の高い女性をもっと登用する道を考えても良いのではという意見を出しています」
「多くの人が適正に合った職業に付ければ良いのですけれどね」
不愉快な表情を隠さない者もいる中、歓談を始める見守り人達。
「少し抑えて話してくれないか?伯母上の話が途中だ」
「大きな声は幾らでも出ますが、そういう事ではありませんね」
楽しそうに話す人々に柔らかい視線を向けてから、エレミアは話を続けた。
「当時の私は自分の役割がわかっていなかった。一人で決めて相談しなかった。成果が出るのが嬉しくて、周囲を見ていなかった。サフィニア卿とリアンナに裏切られて悲しかった。でも、私は二人をまともに見ていませんでした」
「後悔されましたか?」
「そんな暇はありませんでした。地位も失って、捕まったらどうなるか分からないので逃亡しましたし、どうせ逃亡するのなら温泉で有名な隣国に行こう、と。移動中魔獣は出るし、山賊は出るし、商人達は襲われているしで、結局、出来る事をしていたら今の結果になりました」
再度、笑顔でゲンヴァルデ勢に手を振ってから、頬に手をあてて首を少し傾げるエレミア。
「収まる所に収まった、と思います。私がニュルンベルス辺境伯次期夫人になったとして、ブルーメンに侵攻するとなったら大反対したでしょうし、この性格ではサフィニア卿やニュルンベルス辺境伯とは上手くいかなかったでしょう。知らず知らず私という重石で苦しい思いをしていたサフィニア卿は、明るくて癒されるリアンナと結ばれたのは正しい結果だったと思います。貴方は向上心がありこれから更に伸びていけるでしょう。貴方がブラートウルスト王になったのは正しかった」
エレミアは手を組んで頷いてから、組んだ手をさっと離して人差し指を立て、真剣なでもどこか悪戯めいた表情をした。
「全く想像出来ませんわ。リアンナが辺境伯夫人になる事も私が王女配を迎える事も、今みたいにサフィニア卿を城にお迎えしたとして、私がおとなしくブラートウルストの何処かの家に降嫁する事も。女性が少々無茶をしても受け入れられるゲンヴァルデの辺境伯になった今となっては」
この時、エレミアに対して好意を持つ者も、嫌悪する者も、どちらも関係無く全員の心が一つになった。
『少々の無茶じゃない』と。『少々の定義を見直せ』と。
「ですので、ブラートウルストの皆様に謝罪致します。王女として期待に添えなくて申し訳ありませんでした」
「エレミアが謝る必要は、むきゅう「ですからっ、母上の話の途中ですから」「父様はそこで母様の表情を見て、声の音だけ聞いてうっとりしていて下さいっ」しかし、それ以上に酷い目に「変な所で話を切ったせいで、義妹ちゃんの為にならなくなったらどうするんだ?」わかりました……」
「伯母上が謝る必要はありません。私が伯母上の地位を復権致します」
「ふふっ、クラティウス陛下は思いやり深いのですね。ですが、大切な事を一人で決めてはいけませんし、自分が不利になる様な事を容易に口にしてはいけません。と言っても、私の謝罪も言質をとられるもので、同じ様に咎められる事ですけれど。どうであれ、弁明の努力もせず国を出た私が裏切り者である事は変わりませんので、お気になさらず」
「では、二年前の事は?」
「必要な事だったのでは?」
一瞬、エレミアは眉根を寄せ、軽く目を伏せ、翳りを帯びた表情を見せたが、直ぐにクラティウスと視線を合わせ、それまで浮かべていた微笑みを消した。
「13歳の即位が早すぎるとは思いませんが、本来ならもっと自由に過ごせる時期でしょう」
「伯母上は私よりも幼少の頃から様々な能力を伸ばされたのでは?」
「自分で選んで好きな事を学ぶのと、王となるべく学ばねばならないのは違います。しかも、貴方は父では無く、祖父から王位を継がねばならない分、教育も短時間で多く学ばねばならなかったでしょうね。当時、王位継承権を持つ男子は、第一位の貴方以外に私の叔父上とその息子がいましたが、叔父上の奥様と従弟の奥様は、いずれも他国の方ですから実質貴方一人と言った状況でした。ニュルンベルス家は外戚な上に侵攻戦を主導して敗北しています。幼かった貴方に掛かるプレッシャーは相当なものだったかと」
「それは地位に対して当然の事だ」
「それでも、辛い状況であったと思いますわ。先代王から、状況に合わせて相談する相手を教えられていたでしょうけれど、貴方にとって皆祖父世代ですから、話辛かったでしょう。大叔父と従叔父は奥様の出身国贔屓ですし、ニュルンベルス家は敗戦の件で強く出られない。ただ、話を聞いて貰うだけでも考えを整理するきっかけになるのですが、唯一王家の身内であるリアンナは政治の話は自分に一切関わりが無いという考え方ですから話そうとも思われなかったのでは?」
「そうだ、仲の良い幼馴染にも話せる事と話せない事がある」
クラティウスの視線の先のテーブルにはイアンとガイストが座って、移動してきたらしいリーファとリーフに『淑女とはどう在るべきか』という問答を持ちかけて、何やらわさわさと盛り上がっている。
二人が留学して来た時は嫌悪すら見せていたイアンとガイストが、同じ席に座って意見交換出来るようになるとは思わなかった、と呟くクラティウスに、話をする事はとても大切ですわねと呟くエレミア。
「とはいえ、貴方の父方であるニュルンベルス家の発言権を弱めた原因は、侵攻戦を止めたうちの一人が私ですし、もし二年前の王位継承後の親政が勝利していれば、王家の求心力が高まり父方の外戚の力も増した筈でしたが、それも私が邪魔をしましたわ」
「立場上当然だ。伯母上からすれば、攻めて来た敵を撃退しただけだし、少なくとも短期終結した事で被害も最小限で済んだとも言える。私の親政で力を見せようとしたのは間違っていたとは思わない。ただ、ここだけの話で言うのなら、戦う相手を間違えたと思う。侵攻戦の時点で、協定を結んでいる相手に仕掛けるのが異常だったし、その結果を逆恨みの形にしてしまったのも間違っていた」
「陛下という立場で『間違っている』とおっしゃるのは」
「それはしない。甥として、伯母上と話しているだけだ」
「それが宜しいかと。今ここにいる人達も聞かなかった事にしてくれますわ。ブラートウルスト国王陛下であれば、若くして王になり確かな地位を固める為に、元の領土を取り返そうとする行為は正しかったのです。その為の準備も二年掛けて行ったのでしょう?周囲もそれを望んでいた。結果は良くありませんでしたが、その後、相手の国の者を王立学園に受け入れる度量もあり、実際に私の話を聞いて色々考えている。私が17歳の頃は、勘違いしたまま、自分勝手に突っ走っておりましたもの」
「伯母上と話せて良かった。でも必ずニュルンベルスは取り戻します」
「そうですね、平和的な話し合いでの解決ならいつでも受け付けますわ。ニュルンベルスの北側はドルイダスと接していて、完全に狙われておりますし、私もあまり広い領地を治めるのは苦手ですの」
「ふっ、伯母上から苦手という言葉が出るとは思いませんでした」
「私は苦手な事が多いのですよ?気になった事は内容を纏めた後の作業は夫にお願いしておりますし、討伐等に率先して飛び出してしまいますし、情報を集めるのは好きですが社交は向いていませんし、思いついたら何でも一人でやってしまおうとしまって、周囲に心配を掛けますしね。親なのに自分の子供達にまで『子供っぽい』と注意されますのよ?」
「こんな話を聞けるとは思ってもいませんでした」
ふふっと笑うクラティウス。エレミアが両手を上げて、ぐっと体を伸ばす。首を左右に傾げたのち、ふと視線を止めて何度も瞬きをした。綺麗になでつけたプラチナブロンドを首の後ろで一つに纏め、憂いを帯びたエメラルドの瞳、クラティウスの父であるサフィニアが室内に続くフランス窓を開いて二人のテーブルに向かって近付く。
「サフィニア卿…」
「私が呼びました」
「陛下、いや、クラティウスとして話をしたのだな」
「そうです。父上から伯母上に何か仰る事があればと思いますが、如何ですか?」
「ブルーメン卿とお呼びすべきでしょうか」
「エレミアで結構です。サフィニア卿とリアンナの気持ちを蔑ろにしてしまった事は悪かったと思っている、とクラティウス陛下に話しました」
「そうですか。元を正せば、私とリアンナが誠実に事情を打ち明けなかった事が間違いだった。ブルーメンへの侵攻も」
「それも、大きな考えがあっての事。間違いではありませんでした。手段に対して思う所はありますが、鉱山を得て国力を上げるという目的は分かります。ですので、あの時言えなかった事とその後お伝え出来なかった言葉を今ここでお伝えします」
「恨言でも罵倒でも、何でも聞こう。不誠実な婚約者であった私を気が済むまで殴ってくれても良い」
「死ぬ気なの⁉︎」「死にますよ⁉︎」「許可も出たから最悪の事態になっても大丈夫だろ」「ダメです!エレミアの拳が汚れてしまう!」「そこは相手の首が折れるとこを心配すべきだな」「見えない所を狙うのが基本だ」
エレミアがゲンヴァルデ勢に向かって苦笑する。
「少し黙ってていただけませんか?サフィニア卿、いえ、サフィニア様、リアンナとの結婚おめでとうございます。お二人の気持ちに気付けなかった事、お詫びした上で、お二人の結びつきを心から祝福します。そして、若き勇猛な輝く獅子の誕生をお祝い致します。その若獅子が健やかに成長し、即位なされた事をお祝い致します。エレミア・テューリンガ・ブラートウルストは、サフィニア様と、リアンナと、クラティウス様の輝かしき未来をお祈り致します」
「エレミア様……。お祝いありがとう。貴女の努力が何の為か正しく理解出来なかった事、本当に申し訳なく思っている」
「もう大丈夫ですわ。私にも素晴らしい家族がおりますもの」
「そのようだね。サフィニアからエレミア様に、ご結婚のお祝いを申し上げる。令嬢、令息のご出産とヴルスト学園での活躍、ブルーメン辺境伯の今後の発展に祝意を」
サフィニアから出された手にエレミアが触れようとした瞬間、姉弟に解き放たれたアルフレッドが横入りしてがっしりと握手した。
「今後、ブラートウルストとゲンヴァルデの不可侵が守られる事を願います」
「アルフレッド様、何故間に入って来たのですか?」
「私の最愛の手を離した相手に、その手を再度とる権利は無い!」
「すみません、うちの父様は母様が絡むとおかしくなるのです」
「愛情深いのは良い事だな」
溺愛と崇拝と初恋拗らせを『愛情深い』と表現しても良いのかと姉弟が首を捻っているうちに、お互いにあった大きな確執をこれ以上蒸し返さないという事で話が纏まり、何故か武術大会のエキシビジョンについてといった話題で叔母と甥の話は終了した。
ーーーーーー
ヴルスト学園の武術系を選択している生徒にとって、優勝者となれば重臣に見守られ国王から表彰される栄誉を受けられる上、将来の道が開ける武術大会が取りやめになるのは大きな痛手となる。特に、最高学年の生徒は最後の機会が失われるのはと心配していたが、日を改めて第一試合からやり直しと発表されて大盛り上がりとなった。
そんな生徒達は再開催される大会に向けて鍛錬すべく、意気健康に訓練場に入って戦慄する事になった。あの日、大会が中断された競技場で複数の魔獣を剣のみで次々とぶちのめしたエレミアが、訓練場の端でリーファとリーフを訓練用の剣の側面でびったんびったん叩いていた。正しくは、優勝を目指す二人の稽古をしているだけなのだが、実力差による一方的な蹂躙になってしまっているのが悲しい。
姉弟は決して弱くない。弱くない所か、トーナメントを順調に勝ち進んでいた。一年生と二年の女生徒であるにも関わらず、破竹の快進撃と言っても良い様な活躍をしていた。そんな二人を同時に相手にしているのに、その場を動く事も無く、大きな動きをする訳でも無く、踏み込みがどうのとか、隙が大きい等と言いながら、剣と片足でびったんびったんのげっすげす。
魔獣が多く出現する領地を治める現役最前線の辺境伯にとって、成長著しいとはいえ13歳と14歳の二人を一度に相手にするのは然程の事でも無く、決して気を抜く事は無いものの、人とは違う動きをする複数の魔獣に比べれば容易くあしらえる。
そんな姿に吸い寄せられる様に、数名の生徒がふらふらと近寄って行く。『待て、お前ら死ぬぞ』という警告もあちこちから飛ぶのだが、そんな声を聞きながら『何故私が近寄る者皆殺しみたいに言われるのでしょうか?』という思いがエレミアに浮かび、そんなエレミアを見学エリアから乙女の祈りポーズで『女神最高』『女神大正義』『女神愛しすぎて死にそう』と、脳を発酵させながら眺めている四十前のおっさ、大人の魅力が滲み出ているアルフレッドが『慈愛に満ちた善良な女神を快楽殺人犯扱いする生徒達は、全員記憶に焼き付けて後程保護者に大抗議してやる!』と、要らないヤル気を出しまくっているのも、そういうものなのだから仕方が無い。
「ブルーメン卿、是非私にも指導をお願い出来ませんでしょうか?」「「「「「私もお願い致します」」」」」」
「騎士団の決まり事があるので、許可無く私が指導する訳にはまいりません。それだけでは無く、私は指導員には向いておりません。自身の鍛錬も我流ですし、適当に剣を振ったら何とかなると思っておりまして、皆さんの為になりません」
「フォルコン様やセーリア嬢と同じ内容で構いませんので」
「自主練習に規制はありませんから大丈夫です」
「ちょっと、母様に無茶を言わないでいただけますか?私達の指導時間が減りますでしょう?」
「リーファ、私は指導しているつもりはありませんよ。貴女とリーフが突っかかって来るのを避けているだけです」
「母上は「きちんとした指導を受けないと変な癖が着くから良くない」とおっしゃいますが、我々は指導だけなら素晴らしい父上に指南を受け、母上に実践しているだけです」
それでは練習試合を、と食い下がられたエレミアは「少しお待ち下さいね」と断ってから周囲を見回し、目的の人物を見つけて手招きした。
「エリィ、私を呼びましたか?呼びましたよね?呼ばれました!」
「母上が絡むと父上の能力が飛躍的に伸びる謎を解明したい…」
「出来たら私達の能力に磨きが掛かるわね」
「お願いがあるのですが、アールの指導法を皆さんにお伝えして欲しいのです」
「は?私が?何の得も無い、寧ろエリィを貶す様なブラートウルストの為に?」
「学生の方々とは確執がありませんよね?」
「いいえ、二年前に剣を交えた生徒もいるのでは?」
「それはもう片付いた話ですよね?私からのお願いを聞いていただけませんか?」
『ね?』と首を傾げるエレミアに、言葉を詰まらせるアルフレッド。引き攣る口元とぷるぷるする両腕は、二人の距離をゼロにしたいけれど、この場では不味いと理性大健闘中の結果だと思われる。
「あー、これはいつものパターンですよ」
「皆様、父に順番に訓練の様子を見せて頂ければ、効率的な鍛錬法をお伝え出来ます」
「父様は、実践はあれですが、理論と動体視力は優れておりますから、指導員としては最高です」
「良いんですか?」「大会までお願いしたい」「ブルーメン卿に練習試合を」「今まで侮っててすまなかった」「婚約しよう!」「いいや、私と結婚しよう!」「我が家は腕の立つ女性に偏見を持っていません!」「是非私と結婚を!」「先ずは恋人から」「一緒に出掛けませんか?」
謎の盛り上がりを見せる訓練場を離れた所からクラティウスが眺めていた。
「殿下、気に入らないのなら訓練場を関係者以外立ち入り禁止にしては?」
「いや、開かれた学園だからな。機密事項がある所ならいざ知らず、学生の訓練場に制限を設けるなどあってはならないだろう」
「あー、でも、ティス殿下はセーリア嬢にちょっかい出されるの嫌だろ?」
「は?何故だ?何で私がゲンヴァルデの銀毛猿を気にしていると思うんだ?」
「先日、ブルーメン卿とお話しされてから、お気持ちが良い方に整理されましたよね。それに、ブラートウルストの気風には合わないけれど、セーリア嬢の努力と実力はお認めになるとおっしゃっておられましたよ」
「それは事実だからな。あれらは成績も良いし、視野も広い。認めるべき所は正しく評価するべきだと思っているだけだ」
「それはそう聞いたけどさ、最近、良くセーリア嬢の事目で追ってるよな?」
「はぁっ⁈そんな訳がある筈ないだろう⁉︎あれは隣国の猿だぞ?」
「上の世代は反対が多いでしょうが、平和的に領地が返却される方法でもありますね」
「バカな事を言うなっ!」
「はいはい、じゃあ俺もブルーメン卿に一撃入れて来る」
エレミアに向かってダッシュするイアン。
「イアンの一撃は入ると思うか?」
「奇跡が起これば、あるいは」
「……」
「……」
「ダメだったな」
「奇跡は滅多に起きないから奇跡と呼ばれますからね」
「飛んだな」
「かなり飛びましたね」
「また向かって行ったぞ」
「セーリア嬢が間に入られましたね。中々良い打ち合いになっている様ですが。殿下?何やら機嫌が悪い様に見えますが?」
「煩い!全く、14歳のレディと互角に打ち合う17歳の騎士見習いとは、情けないな」
「殿下もブルーメン卿に指導戴いては?」
「王が隣国の王家に連なる者に指導を受けたと言った理由で、私が頼りない事にしたい連中が言い掛かりをつけてくる可能性があるから無理だな。卿も立場を考えて受けてくれぬだろう。それよりも、私は心から不本意だと思っているが、この後ゲンヴァルデの王子達とドルイダスの話をするからな。ガイストも付き合え」
「畏まりました。イアン!移動しますよ!貴方は陛下の護衛ですよ!」
ガイストがイアンに大声を掛けると、群がって来る生徒達をぺぺぺと払っていたエレミアが、笑顔で片手を大きく振った。