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真夏の夜の妖精

 それは、特に蒸し暑かった真夏の夜のこと。俺はいつものように自室で酒に浸って、希死念慮を誤魔化していた。

 ふと、窓の外で何かがチラチラと光っているのが見えた。


「死にたすぎてついに幻覚まで見え始めたか……」


 まあ集合住宅とはいえここは一階なので、最初は気に留めていなかったが、今度は光ると同時に子供の声までし始めた。必死に助けを求める子供の声。

 これはいよいよ妙だなと思って、正体を確かめようと外に出た。


 妙に深い霧が、夜闇と相まって視界を狭めていた。

 裏手に回ると、そこは林になっていて、声はその奥から聞こえてくる。光が瞬いているのも見える。

 近付いてみてみれば、それは蜘蛛の巣に引っ掛かった蝶……のような何かだった。


「クソッ! クソッ! このっ、取れろよっ、このっ……!」


 アゲハチョウのように綺麗な羽を背中から生やした、小さな人間のような生き物が蜘蛛の糸と必死に格闘している。

 長い金髪で、金色の瞳で……それはなんというか、500mlペットボトルにすっぽりと収まりそうなサイズの美少女フィギュアといった感じ。


 必死にもがいた結果なのか、黒いドレスは粘着質な糸に絡め取られており、脱ぎ捨ててまで逃れようとしている。白い柔肌が肩やら背中やらと曝け出されていて、大変マニアックなことになっている。


「早く、早くしないと、アイツが来るっ……!」


 小さく柔らかい身体で形振り構わずもがいているが、糸から逃れられそうな気配は微塵も無い。恐らく、そのうち蜘蛛がやってきて食われる運命だろう。


 これも自然の摂理か。やはり現実は無常で、こんな世界に生まれた不幸を呪いながら、死ぬしかないのだ。この小さな人間と蜘蛛の巣は、俺と現実の関係に似ている。

 何をしたところで、どうにもならない。


「ちょっと、ちょっとそこの覗き魔。見えてるんでしょ。ボクのことを助けなさい」

「ついに幻聴まで聞こえてきた……早く死にたい……」

「なら代わってくれない? か弱い妖精を見殺しにするなんて醜悪な趣味をしている奴は、蜘蛛の餌に相応しいでしょ」

「生憎と安楽死以外では死ねない身体で」


 俺はそこで、ようやくこの妖精が俺に話しかけていることに気付き、驚いた。


「マジかよ、こんな科学の塊みたいなところに妖精が居るってのか……」

「そんなこと今はどうでもいいでしょ。緊急事態なんだよボクの。さっさと助けろ」

「いや、俺は自然の摂理に介入するほど傲慢では……」

「オマエ、ただの人間でしょ? ただの人間にボクが見えるってことは、オマエの理想と私の理想がお互いを必要としているってことなのよ。だからほら早く助けた方がオマエのためでもあるのよ。なんなら可愛いボクがオマエに素敵な夏の夜の思い出を作ってあげてもいいわ」


 あらこの妖精、交渉の仕方が下品だわ。


「俺の抱いていた妖精のイメージへのダメージがヒュージなんだが。というかここで助けたら俺がそういう目当てで助けたみたいになるのがちょっと……」

「男のクセに女々しいな……お願い助けて、もう苦しんで死ぬのは嫌だ……もう痛いのは嫌だよ……」


 最後の言葉が、少し胸に刺さった。

 そして思い出すのは、前世のこと。安楽死のない世界で死ぬには、どうしても苦痛と恐怖が伴う。

 高所から飛び降りようが、車に轢かれようが、溺れようが、焼かれようが、煙に巻かれようが……。


 そのせいか、少女が放つ死への怯えは、どうしようもなく放っておけなかった。


「ひゃあっ!?」

「うるさっ。助けてやるから静かにしててくれ」

「えっ……た、助けてくれるの?」

「そういえば、理想と理想は惹かれあうみたいなこと、クラウドが言ってたのを思い出した。もしかしたら俺の理想を叶える為のヒントくらいは得られるかもしれない」

「っ、ありがと……あいたたっ!? 羽はもうちょっと優しくしろっ! 下手糞! オマエはきっとレディの扱い方を知らない童貞だな!? おいっ、羽はデリケートだ身長にやれっ! 非モテ野郎っ!」


 注文の多いクソ妖精からの罵倒に耐えながら、なんとか蜘蛛の糸から解放する。

 自由を取り戻した妖精は、光る厘分を撒き散らしながら浮遊する。


「ふぅ、助かった……オマエ、よくやった。感謝する。じゃあな」

「逃がすか恩知らず」

「ぐわっ!?」


 俺は蜘蛛の糸を一本だけ妖精の括りつけて置いていた。

 逃げ損ねた妖精の下半身をむんずと掴む。


「きゃー! エッチ! スケベ! チカン! レイプマン!」

「やかましいこの詐欺師が。蜘蛛の巣に戻すぞ」

「いやジョーク、フェアリージョーク……私はフィクト。理想は世界で一番美しい妖精になること。オマエは?」

「俺は七篠ユーサ。理想は……安楽死だ」

「あんらく、し?」

「なんだ、また何か文句を言われるのか俺は。いい加減死にたくなってくる」

「あっ、いや、そういうわけではない。ともかく、本当に助かった。恩返しをしたいところだが、夜明けが近い。ボクは夜明けが来るとこの世界にいられないんだ。明日の夜に改めてオマエのところに行くから、場所を教え――危ないっ!」


 フィクトの指が示す方向を振り返った瞬間、俺より大きな蜘蛛がその足で襲い掛かった。





「そこで目が覚めた。そして手の平にはこの繭があった。クラウド、どう思う?」


 今となっては行き着けとなったバー・イエスで、俺は手の平サイズの繭を差し出す。

 クラウドは興味深そうに繭を観察すると、俺に返して問う。


「夏の夜の思い出にご興味が?」

「フェアリージョークやめろ。単純に、俺たちの理想の手がかりになればと思っただけだ」

「俺たち……」


 クラウドが少し俯き考える。変な勘違いでもしてるんじゃないだろうな。


「そっちの趣味もないぞ」

「いえ、そうではなく……良いものですね、友人というものは」

「友人……まあ、そうだな。」

「おや、前世で何か?」

「無いよなにも。本当の意味で何も、な。逆に聞くけど、死にたがりがわざわざ友人を作ると思うか?」


 クラウドはくすくすと笑った。


 友人が居ても居なくても、俺の人生が変わる訳でもない。俺にとって友人とはその程度の価値しかない存在だった。


 だが、クラウドは俺の人生を救うとまで言ってくれた。

 それで俺にとっての友人の定義が揺らいでしまうのが、少し複雑だ。


「ふふっ。では、これからは僕といい思い出を作ることも、救済の項目に入れておきましょう」

「友好を救済で括るのはちょっと風情がなさすぎるだろ」

「……それもそうですね。でも君が僕にとって特別な存在なのは本当だよ。僕だって、人に理想を庇われたのは初めてだ」


 微笑と共にクラウドは言う。ああ、この男は、どうしてこう……。


「お熱いことね、お二人さん」


 ふと、声がした。それから繭が少しずつ割れていき、妖精が……1匹? 1体? とにかく出てきた。


「こんばんは、強引な人。昨夜ぶりね?」

「こんばんは……なんか若干雰囲気変わったな」

「これが妖精ですか。ユートピアでは珍しい」


 纏うストレートな黒のドレスは肩が無く、大胆にも艶やかで張りのある胸の元を覗かせてる。

 ひらひらのフリルと交錯する、金色の長い髪は毛先が青色。

 大きく開いた背部からは煌煌と七色に輝く粉に彩られた黄色羽が生えている。


「昨夜は本当にありがとう。ボクの柔肌、触れたいの?」

「いらん。理想について教えてくれ」

「あら……正直な人ね。そんなアナタには両方あげましょう。飛んで火にいる夏の虫みたいに、燃えるような夜の中で語り合わない?」

「昨日とぜんぜんキャラ違うんだけど……」

「ユーサ、もういっそのこと肌を重ねたほうが早いのでは?」

「救世主が匙を投げるな。さて……」


 俺は妖精を見て、真っ直ぐに言う。


「俺の理想は安楽死。それ以外に何もいらない。むしろ煩わしい。食事も、睡眠も、性欲も、全て俺には不要なんだ。俺にはもう安らかに、楽に死ぬことしか残ってない。分かってくれないか、フィクト」

「……つまらないオトコだな。でも面白い。いいよ、恩人であるアナタにミルクとパン程度の恩返しはするとしよう」


 そう言うと、妖精は羽を動かし、輝く粉を飛ばす。

 そして、妖精は無表情の本性を現した。


「我が名はフィクト。霊性器官フィクトである。我が理想は、我が主の理想、生命を手離すことの成就である」


 まさかの、理想のブッキングだった。

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