七篠ユーサの救い
「ところで、ユーサはどうして安楽死を?」
「えっ?いやぁ、俺はそんな重い過去とか大それた動機とかないからさ……」
「でも、この世界に流れ着いたということは、それほど安楽死への想いが強いということ。あのユートピアの異能さえ退けるほどに」
別に話してもいいけど、さっき話あとにするのキツいな。死にそう。
「そりゃまあ、譲れるものってわけでもないし……」
「っ……あまり詮索するのもよくありませんでしたね」
「あーいや、言う。言うけどさ、クラウドの話聞いたあとだとしょーもないというか……」
「人の理想を下らないなどと切って捨てるような人間に、救済者を名乗る資格はないと、僕は思いますね」
このイケメン、どこまでイケメンなのだ。
「俺の前世は、なんていうか……ひたすらに地味だったな」
産まれて、育って、老いて、死ぬ。
それは誰もが通る道。よほどの不幸に見舞われなければ、生まれたなら、誰もがそうなる。
じゃあ、俺の人生は幸福だったかと言えば、口が裂けたってそんなことを言うつもりはない。
俺の生まれた環境は、適度に貧乏だった。
一家まとめて賃貸で暮らし、家賃を払い、身体を壊さない程度に働き、安い娯楽で心を誤魔化しながら、死ぬまでそれを延々と続けていくのだ。
相続できる遺産など1円たりともありはせず、むしろマイナス。
俺が幼少の頃から暴力的だった父は時が経つにつれて馴れ馴れしく。
俺を幼少の頃から傀儡扱いした母は酒と煙草に溺れては寝たきりに。
そんな環境から脱するためには金が必要だったが、人間社会の労働には適応しきれず、程なくして心にガタが来た。
それからは細々と働き、細々と暮らす人生が延々と続いた。
心から楽しめていた娯楽は、やがて現実の苦痛を誤魔化すための麻酔に変わった。
気が付いた時にはもう、俺には何かを楽しむことより、いかに人生を楽をして苦痛を和らげるかしか重視できなくなっていた
生きるということが、人生そのものが苦痛なのだと気付くのに、そう時間はかからなかった。
「幼少の頃は暴力に晒され、働けるようになれば家を追い出されないために搾取され続け、おまけに老後の介護までやらされる。ははっ、いま思い出しても余裕で死ねるわ……でもな、そんな俺でも、心から求められるものがあったんだよ。なあ、クラウド」
「しかしユーサ、今はその親もおらず、この世界は働かずとも充足を得られる理想郷です。前世で失ったあらゆる幸福を、この世界でなら取り戻せるとは思わないのですか?」
「確かに、幸福は取り戻せるのかもしれない。でも、それを欲しいと思えた心は、もう戻ってこないんだ。クラウド」
酒が無くなり、冷たい氷を口に入れ、ころころと転がす。
飽きたところでガリガリと噛み砕き、水にして喉を潤す。
空っぽになったグラスを、指で弾いて見せる。
「俺はもう割れたガラスなんだよ。何かを注がれることは出来ない。どんんなに幸福を注がれても、受け止めることが出来ない。ならもう死ぬしかない。ただ、せめて……終わりくらい、安らかでありたい」
頬を雫が伝っている。痛みがぶり返したからだ。ずっと誤魔化し続けてきた痛みが。
鎮痛のために冷まし続けてきた、割れた心が痛みを覚えてしまう。
「どうして……なんで、死ぬのはあんなに痛いんだ。なあ、クラウド、俺は……俺は救われないのかなぁ……」
「いいえ、ユーサ。君は救われます」
クラウドは言う。優しく、強く、決意に満ちた声を俺に向けた。
「君は僕が必ず救います。その辛苦の生を終わらせてみせます。だから、もう少しだけ待っていてください」
ああ、救いなんて無いと、諦めて生きてきた。
いや、諦めたつもりになることが、延々と続く人生で出来る唯一のことだった。
そんな俺に、救世主は手を伸ばす。
「ははっ、さすが救世主様だ。普通の奴なら勝手に死ねだの、本当は生きたいはずだのと言ってくるもんだが」
「僕は救世主だ。人生から苦痛を取り除くことなど、造作もないさ。この理想にかけて、君を救うと誓う。だから、それまでは、一緒に理想を歩ませてほしい。友として」
俺はその手を取った。
おそらくは、前世を含めて、ただ一人の理解者である彼の手。
細く、長く、落ちた枝のように心許無いその手は、強く俺の手を握り返してくれた。